小沢一郎と「官僚+マスコミ」が犬猿の仲である理由。
2012年7月13日小沢一郎が民主党を離党した事に関して、どうもネットの評判がいまいちだったりするので、ちょっと書いておこうと思いました。
あんまりごちゃごちゃ言うのもあれですけど、気になるなぁと思うのは2点。
●離党を除籍とマスコミが書いている。
ということと、
●「国民の生活が第一党」はださいと若い人が評している。
ということに関して、ちと「それはおかしかろう」と思ったので、ちょっとだけ書いておきます。
まず、小沢さんは、「官僚+マスコミ」にやたらと攻撃されてます。だから悪く書かれるのです。もう何年も攻撃されっぱなしです。
で、ではなぜ小沢さんが離党したら、それをマスコミが「除籍になった」という書き方をするのかというと、これはまずおそらく、民主党の幹部、つまり官邸に入っている人間が、官房調査費という「公表しなくても良い税金」をマスコミに配って、書かせているからです。
普通に考えたら「離党」でしょ。それでええやん。別に。
でもそれを官邸側に加担したカタチで「除籍された」という書き方をするというのは、官邸側からカネをもらってるからです。
新聞は、すでにインターネットに三行広告やら求人広告やらのニーズを奪い去られていて、カネが本当にないんです。記者が取材しようにも「タクシー代も経費で落とせない」というところまで来てます。だから、官邸からカネをもらったら書くしかない。まぁおおむねそういう話です。
「除籍」の事は以上。
次に「国民の生活が第一」党のことですが。
これ、「第一」というのと、「国民」というのが、無茶苦茶に重要だ、ということを書いておきます。
まず「第一」というのは「優先順位」の話です。
危機が迫ってきたときに、もっとも重要なのは「優先順位をどうするか?」をはっきりさせるということが大事。
だから、この「国民の生活が第一」というのは、実に素晴らしいコンセプトワーズなんですよ。
いまだに、この国は危機を脱出してません。
だから優先順位を明快にしておこう! というのは最低限の約束として、超重要なんです。
「そんな事誰でも言うよ」とか言う人もいてますが、誰でも言うと言うことと、その誰でも言うことを党議として掲げると言うことは意味、重みが全然違います。だから、これは何はともあれ良いことだと僕は思います。
それと「国民の生活」という事に関しても、一言書いておくと、これが「日本人の生活が第一」だったら、僕は全然評価しないのであります。
「日本」という言葉が出た途端に、それは「官僚に頼る」とか「官僚にまかせる」という意味になってしまうからです。
日本をどうこうする、という言い方は、常に官僚が言う言い方です。
そこには、「現在を体制をそのままに、なんとかする」という意味が明確に含まれているのです。「日本」という言葉は、官僚なしでは成立しないからです。
しかし、「国民」は違います。ここに官僚は含まれているかも知れませんが、最優先の課題としては含まれていません。
逆に、国民として税金を払っている人なら、よその国の「国民」とも連帯できるワールドワイドな視点があります。
●官僚の政策よりも、国民の生活感情を優先するのだ。
という明確な方向性の指し示しがある。
ここがとても大事です。
まず、そういう見方をしてください。
--------------
あと、ちょっと追加で書いておくと、週刊誌の週刊文春と週刊新潮の二誌は、「記者クラブ」の身内です。
つまり「官僚の息のかかった雑誌」ということです。
で、その官僚の息のかかった雑誌でこそ取り上げられたのが「小沢の妻の手書きの挨拶状」です。
いろいろごちゃごちゃはありますが、政界には昔から「筆跡を真似た代筆屋」という商売があるそうです。直筆の手紙を何通も何通も、文面を変えて出さないといけないとかあるらしく、いまだにそういう人がいて、そういう人の贋作であることは、ほぼ間違いないそうです。
この件に関しては以上。
----------------
あと、何故小沢さんが、何年にも渡って、こんなに官僚にいじめられるのか? をちょっとだけ書いておきます。
ここが、一般人には全然わからんところで、これがわからんところが、日本人のものすごい不幸なので。
小沢さんは官僚組織の改革に際して、
「官僚の中にも、本当に良く仕事のできる人はいてる。だから、そういう人を積極活用すれば、不況であれなんであれ、難局も乗り越えられると思います。」
というような事を言ってます。
これ、一般人が聞くと、「ものすごく普通の意見」にしか聞こえないわけです。別に官僚批判でもなんでもないですから。
「この程度の事しか言ってない人を、徹底的に叩くなんてことはありえないわね。」と思っちゃうんですね。
でも、その勘違いこそが、全ての不幸の始まりなんです。
よろしいですか?
官僚が、どんなことがあっても、絶対に守りたいのは、死んでも手放したくないのは、
●年功序列
という仕組みなんです。
そして、小沢さんが言ってるのは、ごくごく普通の一般人が考えている、
●実力主義
の意見なんです。
これは絶対にかみ合わないんです。
何がどうあろうと、官僚は、
●実力主義だけは、絶対に嫌。
なんです。
なぜなら、ほとんど全員が「トップになれない」人たちだからです。
何の努力をしなくても、とにかく確実に老後も安泰である、というのが役人が役人であることの「本分」なんです。
そこだけは絶対に守りたいわけです。
どうあっても守りたい。
それがなくなるのなら、役人である意味がなくなってしまう。
だから、役人同士が結託して、「小沢だけはダメ」となるわけです。
民主党が分裂してしまったのは、ようは「官僚から政治家になった隠れ官僚」とも言うべき政治家が官邸に入って力をふるい、結局は官邸が官僚のものになってしまったからです。
野田君なんか、もう操られてると言うこと自体自覚がないでしょう。こういうことは、外から見てるからこそよく分かるわけです。
役人はほぼ全員が年功序列という共同幻想にとりつかれた「サイコパス」です。サイコパスは、人を操る異様な能力を持っているのです。マスコミは、まさに官僚の最適な道具なわけです。
ということで、サイコパスからの洗脳は、気を抜くといつのまにか自分の判断力を奪い去ってしまうと思いますので、上記二点は、最重要項目として頭に入れておいてくださいませ。
以上でした。
あんまりごちゃごちゃ言うのもあれですけど、気になるなぁと思うのは2点。
●離党を除籍とマスコミが書いている。
ということと、
●「国民の生活が第一党」はださいと若い人が評している。
ということに関して、ちと「それはおかしかろう」と思ったので、ちょっとだけ書いておきます。
まず、小沢さんは、「官僚+マスコミ」にやたらと攻撃されてます。だから悪く書かれるのです。もう何年も攻撃されっぱなしです。
で、ではなぜ小沢さんが離党したら、それをマスコミが「除籍になった」という書き方をするのかというと、これはまずおそらく、民主党の幹部、つまり官邸に入っている人間が、官房調査費という「公表しなくても良い税金」をマスコミに配って、書かせているからです。
普通に考えたら「離党」でしょ。それでええやん。別に。
でもそれを官邸側に加担したカタチで「除籍された」という書き方をするというのは、官邸側からカネをもらってるからです。
新聞は、すでにインターネットに三行広告やら求人広告やらのニーズを奪い去られていて、カネが本当にないんです。記者が取材しようにも「タクシー代も経費で落とせない」というところまで来てます。だから、官邸からカネをもらったら書くしかない。まぁおおむねそういう話です。
「除籍」の事は以上。
次に「国民の生活が第一」党のことですが。
これ、「第一」というのと、「国民」というのが、無茶苦茶に重要だ、ということを書いておきます。
まず「第一」というのは「優先順位」の話です。
危機が迫ってきたときに、もっとも重要なのは「優先順位をどうするか?」をはっきりさせるということが大事。
だから、この「国民の生活が第一」というのは、実に素晴らしいコンセプトワーズなんですよ。
いまだに、この国は危機を脱出してません。
だから優先順位を明快にしておこう! というのは最低限の約束として、超重要なんです。
「そんな事誰でも言うよ」とか言う人もいてますが、誰でも言うと言うことと、その誰でも言うことを党議として掲げると言うことは意味、重みが全然違います。だから、これは何はともあれ良いことだと僕は思います。
それと「国民の生活」という事に関しても、一言書いておくと、これが「日本人の生活が第一」だったら、僕は全然評価しないのであります。
「日本」という言葉が出た途端に、それは「官僚に頼る」とか「官僚にまかせる」という意味になってしまうからです。
日本をどうこうする、という言い方は、常に官僚が言う言い方です。
そこには、「現在を体制をそのままに、なんとかする」という意味が明確に含まれているのです。「日本」という言葉は、官僚なしでは成立しないからです。
しかし、「国民」は違います。ここに官僚は含まれているかも知れませんが、最優先の課題としては含まれていません。
逆に、国民として税金を払っている人なら、よその国の「国民」とも連帯できるワールドワイドな視点があります。
●官僚の政策よりも、国民の生活感情を優先するのだ。
という明確な方向性の指し示しがある。
ここがとても大事です。
まず、そういう見方をしてください。
--------------
あと、ちょっと追加で書いておくと、週刊誌の週刊文春と週刊新潮の二誌は、「記者クラブ」の身内です。
つまり「官僚の息のかかった雑誌」ということです。
で、その官僚の息のかかった雑誌でこそ取り上げられたのが「小沢の妻の手書きの挨拶状」です。
いろいろごちゃごちゃはありますが、政界には昔から「筆跡を真似た代筆屋」という商売があるそうです。直筆の手紙を何通も何通も、文面を変えて出さないといけないとかあるらしく、いまだにそういう人がいて、そういう人の贋作であることは、ほぼ間違いないそうです。
この件に関しては以上。
----------------
あと、何故小沢さんが、何年にも渡って、こんなに官僚にいじめられるのか? をちょっとだけ書いておきます。
ここが、一般人には全然わからんところで、これがわからんところが、日本人のものすごい不幸なので。
小沢さんは官僚組織の改革に際して、
「官僚の中にも、本当に良く仕事のできる人はいてる。だから、そういう人を積極活用すれば、不況であれなんであれ、難局も乗り越えられると思います。」
というような事を言ってます。
これ、一般人が聞くと、「ものすごく普通の意見」にしか聞こえないわけです。別に官僚批判でもなんでもないですから。
「この程度の事しか言ってない人を、徹底的に叩くなんてことはありえないわね。」と思っちゃうんですね。
でも、その勘違いこそが、全ての不幸の始まりなんです。
よろしいですか?
官僚が、どんなことがあっても、絶対に守りたいのは、死んでも手放したくないのは、
●年功序列
という仕組みなんです。
そして、小沢さんが言ってるのは、ごくごく普通の一般人が考えている、
●実力主義
の意見なんです。
これは絶対にかみ合わないんです。
何がどうあろうと、官僚は、
●実力主義だけは、絶対に嫌。
なんです。
なぜなら、ほとんど全員が「トップになれない」人たちだからです。
何の努力をしなくても、とにかく確実に老後も安泰である、というのが役人が役人であることの「本分」なんです。
そこだけは絶対に守りたいわけです。
どうあっても守りたい。
それがなくなるのなら、役人である意味がなくなってしまう。
だから、役人同士が結託して、「小沢だけはダメ」となるわけです。
民主党が分裂してしまったのは、ようは「官僚から政治家になった隠れ官僚」とも言うべき政治家が官邸に入って力をふるい、結局は官邸が官僚のものになってしまったからです。
野田君なんか、もう操られてると言うこと自体自覚がないでしょう。こういうことは、外から見てるからこそよく分かるわけです。
役人はほぼ全員が年功序列という共同幻想にとりつかれた「サイコパス」です。サイコパスは、人を操る異様な能力を持っているのです。マスコミは、まさに官僚の最適な道具なわけです。
ということで、サイコパスからの洗脳は、気を抜くといつのまにか自分の判断力を奪い去ってしまうと思いますので、上記二点は、最重要項目として頭に入れておいてくださいませ。
以上でした。
コメント