頭のこと。脳のこと。
2012年4月13日コメント (2)最近、友人のお父さんが夜中に騒いだり、けっこうやっかいになってきたりとか、その他いろいろな事があって、うつ病、認知症、せん妄、幻聴、幻視、統合失調、海馬等脳の収縮などなど、いろんな「脳みそ」に関する書籍やら病気に関する書籍やらを読んでおります。
脳みそに関わる病気その他は、当人はおかしくなってるだけだから、何が正しいのかよくわからず好き勝手するだけなんですが、大変なのは家族や周りの人間なんですね。
ところが、保健医療などの仕組みは、基本的に病気になった当人の治療の事しか対象にしてない。家族や周りが、いかに大変で迷惑するかというところあたりは、ほぼまったく考慮されていないわけです。
なので、その友人の事が「大変やろなぁ」と気になってしょうがないのです。
そらまぁ、世間的には震災の被災者の人とかが大変なわけですけど、僕は身の回りの友人とか、知人の大変さの方がはるかに気になる。なんとかしてやれんもんかなぁとか思う。いや、何も出来んのですけどね。
とにかく脳みその中身がちょっとおかしくなった人は、まともにコミュニケーションもできないのですごく困るわけです。
本当に困る。
で、そのおかしくなり方も、いろいろ、いろいろあるので、どこからどこまでが、その人の「本心」であって、どこからどこまでが「病気」や「障害」なのかもわからないので、対応のしようがない。ほとんどお手上げなんですよね。
でまぁ、いろいろ調べていくと、幅広く脳みそに良い事柄というのはありまして、基本は三つなんじゃないかな? と思うに至りました。
それは、
●薬
●運動
●瞑想
です。
「薬」。
「薬」は、抗精神薬ですが、これは症状別にいろいろあって、たとえば幻聴とかせん妄とかには、かなり効果が高いようです。暴れるとか、騒ぐとか、そういう症状で困っている家族や周囲の人間には、まずこれが効果があって、周りの人間は、かなり助かります。
副作用が出る率も少ないし、使い方によってはけっこう良い。
でも、薬でおさえるというのは、結局は対処療法であって、本質的な根本治療にはならないように思うのですね。
で、そういうことを考えていくと、脳の健康をいかに保つのか? って事が大事になってくる。
で、それを調べていくと、やはり運動が良いんですね。
「運動」。
アルツハイマーなんかだと、脳の収縮があって、たとえば海馬なんかが収縮すると、短期記憶が弱くなるわけです。そうなると、たとえば、お金を置いた場所を忘れてしまって、「お金がどっか行った」となるんですね。
これが頻繁に続くと、そのうち「誰かに盗られた」という盗られ妄想になったりするわけです。でも、本当は海馬が細ってきてるから問題なわけで。
(で、この「盗られ妄想」とかはけっこう薬で良くなる可能性が高いらしい。)
で、この海馬の収縮なんていうのは、治らないんだと思ってたんですけど、週に45分程度、時速9Km以上のランニングで海馬が太ってくるという資料があるらしいんですよね。
へえええええ、そうやったんや! と感心する。
治らない、と言われていたものが治るとなると、それは朗報ですわな。
いや、そら年寄りを見る家族も大変ですけど、自分だって歳を食えば脳が衰えていくわけですよ。だから、それを予防したいと思うじゃないですか。
「治らない」のなら、自分もいずれはそうなるのか、という憂鬱な気分にしかなりませんけど、太らせる方法があるなら、全然違う。自分はおかしくならずに済む、っちゅうことですから。
僕はもともとランニングは腰への負担が大きすぎるので、やる気は全然なかったんですけど、調べてみると、スロージョギングという、足のかかとではなくつま先で着地する、ランニングの欠点を克服している走り方があるんですね。
これを知って、またまた大喜びなわけです。
スロージョギングはいいわ。 これはいい。
『 田中宏暁教授のスロージョギング講座 Part 1 』in 福岡大学
http://www.youtube.com/watch?v=f48d4kkZRGo&feature=related
『 田中宏暁教授のスロージョギング講座 Part 2 』in 福岡大学
http://www.youtube.com/watch?v=lLveKzudzbQ&feature=relmfu
ジョギングの神様とか教祖、始祖と呼ばれる、『The Complete Book of Running』(邦題:奇蹟のランニング)の著者、ジェイムズ・フィックス(James F. Fixx)は、ジョギング中に52歳で心筋梗塞を起こして突然死してますからな。基本的にジョギングは、かなり危険だと僕は思ってるんです。
だから、この「歩く速度より遅いスロージョギング」なら、かなり安心と僕は見ておるわけです。このやり方で基礎力を、まずしっかりつけないとアカンやろうと。で、速度も、まぁ10km/hが上限やろなぁと思ってるわけです。
アスリートは長生きしない、とか、人間の呼吸数は一生の間で決まっているのだ、とか、基本的にランニングにはろくな噂はないので、抑えて抑えて、ゆったり走るというのが賢いだろうと思います。
スロージョギングなら、基本的に「息が切れるような走り方はしない」という事なので、その点でも、僕の基準には合格するのです。なんちゅうか、自転車なしで自転車に乗るのと同じ効果が得られる、みたいな感じがする。
スロージョギングで、体力をつけながら、最速で時速9km/h くらいを息切れなしで走れるところまで持って行って、それ以上の早さでは走らないと。そういうのが良いなと僕は思っております。
で、ここで「息切れ」の話がでましたが、「息」となると、これはもう「瞑想」です。
「瞑想」。
「瞑想」をするときは、実は息は「ゆっくり長く」するんですね。運動するときとは逆ですわね。吸って吐いて。肺の大きさは人によって異なりますからその長さはいろいろでしょうが、僕で吸って吐いての1ストロークで約30秒くらいでやってます。
息のコントロールこそは唯一の無意識のコントロール手法なんですよね。というのは、人間の血液・心臓やら胃腸の動きやらは、自分で意識してコントロールできませんから。でも、息の長さ=肺の活動だけは、自分でコントロールできる。
自律神経失調症などが話題になることが多いですけど、「自律神経」って、結局、「自分で勝手に動く神経」という意味ですからな。その「自分勝手神経」を調整する方法が、唯一、「息の長さをコントロールする」なわけですから。
だから「息がハァハァする」というような運動をしてるのは、ちょっとまずいのだろうと、僕は想像してるわけです。
で、瞑想というのは、この呼吸コントロールによる自律神経の調整をやりながら、「意識」を整えるという手法ですから、そら効果あるよなぁって思うわけです。
とくに、うつ病でも、統合失調でも、脳みそに関する疾患で多いのは、前頭前野の能力が落ちて脳みその暴走が始まるということがとても多くて、この
●「前頭前野」を鍛える。
というのが、かなり広範囲に、脳みそに関する病気や障害に効果的らしいんですね。動物的な反射反応を司る小脳とかは、基本的に人生を「苦」として感じるようにできてるらしいんですね。
というのは、たとえば火事になったら嫌なニオイがしますよね? そういう「嫌なニオイ」に敏感でなければ死にますよね? だから何か「刺激」があると、人間は基本的に「危険だ!」と判定して、反射的に動いたりするわけです。
でも、この動物的な反応をしっかり抑え、「いやいや、これはそんなに危険なニオイではない、単にパンが少し焦げただけだ。」というような正確な事実認識や、状況の的確な判断というのを前頭前野が受け持っていて、ここが弱ると脳の暴走が起こりやすい、ということなんだそうです。(多分、知識量の多寡も大いに影響するでしょう。アホはすぐに「あぶない」「あぶない」だけを言いますから。まぁ、危険に備えることは、決して間違いではないですけどね。)
で、ジョギングにせよ、瞑想にせよ、実は、この前頭前野を鍛えてくれるらしいんですよ。動物的小脳が「危険だ!」とわめきたてても、現実的に騒ぐほどでなければ、「あわてる必要はないよ。××が心配なら○○の行動を取れば良いだけだし、対処法はちゃんとある。落ち着いて行動しよう。」と考えるのが前頭前野ですから。
だから、うつや統合失調にしてもそうなんですけど、実は前頭前野が弱っていて、相対的に小脳的な不安優先発想が過剰に反応していることになって、現実的判断ができずに、おかしな発想、行動、言動をする、と言うことになってるらしいのです。
瞑想で前頭前野を鍛えれば、比較相対的に小脳的な反射反応よりも、現実的で論理的な判断が優先されるようになってくるので、落ち着いた対処ができるようになってくるということなんですね。
だから瞑想というのは、すごく良いと僕は思うわけです。
人間ね、さぼっていると、運動もしないし勉強もしないから、アホになって、知識がないから、自分勝手な判断しかできず、で、統合失調症みたいに「自分に問題がある」とすら気付けないままに「危険だ」「危険だ」症候群に陥って、周りに迷惑をかけまくる、ということになってしまう。
それは、まず何より、僕自身がそうなってしまう危険性があると思うわけですよ。
だから、それを予防しなくてはならない。
だから僕は、瞑想もするし、スロージョギングもするし、前頭前野に確かな判断をさせるための栄養素である「知識」を与えるために読書もする、ということです。
歳を食っていく、というのは、そういう「脳の衰え」に対処していくことでもあると思うので、このことは、かなり重要だよなぁと僕は思っておるのです。
いろいろ紹介したい本とかもあるので、それはまたおいおいやっていきますが、おおむねは、そんな事を、最初に書いた友人とは話しをしておるのであります。
いや、何かと大変ですわ。いやほんま。
脳みそに関わる病気その他は、当人はおかしくなってるだけだから、何が正しいのかよくわからず好き勝手するだけなんですが、大変なのは家族や周りの人間なんですね。
ところが、保健医療などの仕組みは、基本的に病気になった当人の治療の事しか対象にしてない。家族や周りが、いかに大変で迷惑するかというところあたりは、ほぼまったく考慮されていないわけです。
なので、その友人の事が「大変やろなぁ」と気になってしょうがないのです。
そらまぁ、世間的には震災の被災者の人とかが大変なわけですけど、僕は身の回りの友人とか、知人の大変さの方がはるかに気になる。なんとかしてやれんもんかなぁとか思う。いや、何も出来んのですけどね。
とにかく脳みその中身がちょっとおかしくなった人は、まともにコミュニケーションもできないのですごく困るわけです。
本当に困る。
で、そのおかしくなり方も、いろいろ、いろいろあるので、どこからどこまでが、その人の「本心」であって、どこからどこまでが「病気」や「障害」なのかもわからないので、対応のしようがない。ほとんどお手上げなんですよね。
でまぁ、いろいろ調べていくと、幅広く脳みそに良い事柄というのはありまして、基本は三つなんじゃないかな? と思うに至りました。
それは、
●薬
●運動
●瞑想
です。
「薬」。
「薬」は、抗精神薬ですが、これは症状別にいろいろあって、たとえば幻聴とかせん妄とかには、かなり効果が高いようです。暴れるとか、騒ぐとか、そういう症状で困っている家族や周囲の人間には、まずこれが効果があって、周りの人間は、かなり助かります。
副作用が出る率も少ないし、使い方によってはけっこう良い。
でも、薬でおさえるというのは、結局は対処療法であって、本質的な根本治療にはならないように思うのですね。
で、そういうことを考えていくと、脳の健康をいかに保つのか? って事が大事になってくる。
で、それを調べていくと、やはり運動が良いんですね。
「運動」。
アルツハイマーなんかだと、脳の収縮があって、たとえば海馬なんかが収縮すると、短期記憶が弱くなるわけです。そうなると、たとえば、お金を置いた場所を忘れてしまって、「お金がどっか行った」となるんですね。
これが頻繁に続くと、そのうち「誰かに盗られた」という盗られ妄想になったりするわけです。でも、本当は海馬が細ってきてるから問題なわけで。
(で、この「盗られ妄想」とかはけっこう薬で良くなる可能性が高いらしい。)
で、この海馬の収縮なんていうのは、治らないんだと思ってたんですけど、週に45分程度、時速9Km以上のランニングで海馬が太ってくるという資料があるらしいんですよね。
へえええええ、そうやったんや! と感心する。
治らない、と言われていたものが治るとなると、それは朗報ですわな。
いや、そら年寄りを見る家族も大変ですけど、自分だって歳を食えば脳が衰えていくわけですよ。だから、それを予防したいと思うじゃないですか。
「治らない」のなら、自分もいずれはそうなるのか、という憂鬱な気分にしかなりませんけど、太らせる方法があるなら、全然違う。自分はおかしくならずに済む、っちゅうことですから。
僕はもともとランニングは腰への負担が大きすぎるので、やる気は全然なかったんですけど、調べてみると、スロージョギングという、足のかかとではなくつま先で着地する、ランニングの欠点を克服している走り方があるんですね。
これを知って、またまた大喜びなわけです。
スロージョギングはいいわ。 これはいい。
『 田中宏暁教授のスロージョギング講座 Part 1 』in 福岡大学
http://www.youtube.com/watch?v=f48d4kkZRGo&feature=related
『 田中宏暁教授のスロージョギング講座 Part 2 』in 福岡大学
http://www.youtube.com/watch?v=lLveKzudzbQ&feature=relmfu
ジョギングの神様とか教祖、始祖と呼ばれる、『The Complete Book of Running』(邦題:奇蹟のランニング)の著者、ジェイムズ・フィックス(James F. Fixx)は、ジョギング中に52歳で心筋梗塞を起こして突然死してますからな。基本的にジョギングは、かなり危険だと僕は思ってるんです。
だから、この「歩く速度より遅いスロージョギング」なら、かなり安心と僕は見ておるわけです。このやり方で基礎力を、まずしっかりつけないとアカンやろうと。で、速度も、まぁ10km/hが上限やろなぁと思ってるわけです。
アスリートは長生きしない、とか、人間の呼吸数は一生の間で決まっているのだ、とか、基本的にランニングにはろくな噂はないので、抑えて抑えて、ゆったり走るというのが賢いだろうと思います。
スロージョギングなら、基本的に「息が切れるような走り方はしない」という事なので、その点でも、僕の基準には合格するのです。なんちゅうか、自転車なしで自転車に乗るのと同じ効果が得られる、みたいな感じがする。
スロージョギングで、体力をつけながら、最速で時速9km/h くらいを息切れなしで走れるところまで持って行って、それ以上の早さでは走らないと。そういうのが良いなと僕は思っております。
で、ここで「息切れ」の話がでましたが、「息」となると、これはもう「瞑想」です。
「瞑想」。
「瞑想」をするときは、実は息は「ゆっくり長く」するんですね。運動するときとは逆ですわね。吸って吐いて。肺の大きさは人によって異なりますからその長さはいろいろでしょうが、僕で吸って吐いての1ストロークで約30秒くらいでやってます。
息のコントロールこそは唯一の無意識のコントロール手法なんですよね。というのは、人間の血液・心臓やら胃腸の動きやらは、自分で意識してコントロールできませんから。でも、息の長さ=肺の活動だけは、自分でコントロールできる。
自律神経失調症などが話題になることが多いですけど、「自律神経」って、結局、「自分で勝手に動く神経」という意味ですからな。その「自分勝手神経」を調整する方法が、唯一、「息の長さをコントロールする」なわけですから。
だから「息がハァハァする」というような運動をしてるのは、ちょっとまずいのだろうと、僕は想像してるわけです。
で、瞑想というのは、この呼吸コントロールによる自律神経の調整をやりながら、「意識」を整えるという手法ですから、そら効果あるよなぁって思うわけです。
とくに、うつ病でも、統合失調でも、脳みそに関する疾患で多いのは、前頭前野の能力が落ちて脳みその暴走が始まるということがとても多くて、この
●「前頭前野」を鍛える。
というのが、かなり広範囲に、脳みそに関する病気や障害に効果的らしいんですね。動物的な反射反応を司る小脳とかは、基本的に人生を「苦」として感じるようにできてるらしいんですね。
というのは、たとえば火事になったら嫌なニオイがしますよね? そういう「嫌なニオイ」に敏感でなければ死にますよね? だから何か「刺激」があると、人間は基本的に「危険だ!」と判定して、反射的に動いたりするわけです。
でも、この動物的な反応をしっかり抑え、「いやいや、これはそんなに危険なニオイではない、単にパンが少し焦げただけだ。」というような正確な事実認識や、状況の的確な判断というのを前頭前野が受け持っていて、ここが弱ると脳の暴走が起こりやすい、ということなんだそうです。(多分、知識量の多寡も大いに影響するでしょう。アホはすぐに「あぶない」「あぶない」だけを言いますから。まぁ、危険に備えることは、決して間違いではないですけどね。)
で、ジョギングにせよ、瞑想にせよ、実は、この前頭前野を鍛えてくれるらしいんですよ。動物的小脳が「危険だ!」とわめきたてても、現実的に騒ぐほどでなければ、「あわてる必要はないよ。××が心配なら○○の行動を取れば良いだけだし、対処法はちゃんとある。落ち着いて行動しよう。」と考えるのが前頭前野ですから。
だから、うつや統合失調にしてもそうなんですけど、実は前頭前野が弱っていて、相対的に小脳的な不安優先発想が過剰に反応していることになって、現実的判断ができずに、おかしな発想、行動、言動をする、と言うことになってるらしいのです。
瞑想で前頭前野を鍛えれば、比較相対的に小脳的な反射反応よりも、現実的で論理的な判断が優先されるようになってくるので、落ち着いた対処ができるようになってくるということなんですね。
だから瞑想というのは、すごく良いと僕は思うわけです。
人間ね、さぼっていると、運動もしないし勉強もしないから、アホになって、知識がないから、自分勝手な判断しかできず、で、統合失調症みたいに「自分に問題がある」とすら気付けないままに「危険だ」「危険だ」症候群に陥って、周りに迷惑をかけまくる、ということになってしまう。
それは、まず何より、僕自身がそうなってしまう危険性があると思うわけですよ。
だから、それを予防しなくてはならない。
だから僕は、瞑想もするし、スロージョギングもするし、前頭前野に確かな判断をさせるための栄養素である「知識」を与えるために読書もする、ということです。
歳を食っていく、というのは、そういう「脳の衰え」に対処していくことでもあると思うので、このことは、かなり重要だよなぁと僕は思っておるのです。
いろいろ紹介したい本とかもあるので、それはまたおいおいやっていきますが、おおむねは、そんな事を、最初に書いた友人とは話しをしておるのであります。
いや、何かと大変ですわ。いやほんま。
コメント
身の回りにも幾人か統合失調、あるいはそれに近い人間がいてるので、よくわかるのですが、そういう人は、自分の言ってる事が論理的に破綻しているのだ、ということが、
まったく
わからないんですね。
おかしな事を言っているという事がわからない。
それこそが「病気」なんですけど。
自分がやってること、言ってることのおかしさに気付けない。
そういう病気なわけです。
だから、それに付き合ってもしょうがないんだ、と言うことが、やっと最近わかったんです。
で、たとえば統合失調症なんていう病気は100人に一人いてるんです。ものすごく多い。学校のクラスが30人~45人くらいですから、一学年に一人や二人は必ずいてるってことです。
しかもそれは発症している人の数であって、はっきりと発症しているとは分からないような統合失調寸前、というような人間はその数倍はいてるわけです。
だから、僕だってあやしい。いつ発症するかわからない。
これを読んでいるあなただってそうです。
いつおかしくなるか、わかったもんじゃない。
だから「予防」が大事なんですね。
瞑想をして、運動をして、キチンと勉強する。
それをしないと薬を飲まなきゃしょうがなくなる。
でも、それでもやっぱり、潜在的な「病気」の人は、「私は病気じゃない」と言い張って、予防策を全然とらないわけです。
勉強しない。
運動しない。
当然瞑想もしない。
だから、そういう人は、予防してれば発症しなかっただろうに、予防もせずに発症してしまう、ということになる。
相手してられませんよ、そういうのは。
それはもう自業自得なんだし、どうしようもないんですな。
なので、私は自分の予防に邁進するだけであります。