当たり前の基本が通らない世の中はあぶない。
2011年7月8日原発は古い技術だからダメだ。
と書いたのは、技術の事は技術の側面から否定しないと意味がないからです。
「コワイコワイ」ばかり言っていても、結局恐怖感は人それぞれだから説得力を持ちません。
やはり当たり前の基本や本道というのがとても大切なのだと、いま、あらためて思います。
それを考えると、首相になった途端の参議院選で大敗し、それから地方選でことごとく負け、この春の地方統一選でもボロ負けだった菅首相は、国民からの支持を得られていないのだから、とっくにやめていなければならない人です。
そんな人が普通なら居座っていられるはずがないのに、いまどうして居座っていられるのか。そこには多分、かなりおかしな、危なくて怖い事態が裏で進んでいるに違いないのです。我々国民をカヤの外に置いた、何らかの影響力が働いている、ということでしょう。
なんと言っても、フクシマは世界の大事故ですから。日本の思惑だけでは決められなくなってしまっているのかも知れません。そして、そういう「おおっぴらには言えない事態」が内々に議員たちにも伝わって菅おろしの決定打が出せないままになっている、ということなのではないか?
物事には「本道」という事があります。歌手であるなら歌が上手くなければなりません。俳優なら演技ができないとダメでしょう。それは自分の個性を生かすという事であり、芸能界にデビューしたけど、歌手ではいまいちだったから演技で頑張るというように取捨選択しつつ、誰もが自分の道を決めていきます。
いくらバスケットボールの選手になりたいと言っても、背が低かったら、ダンクシュートを打つのはかなり難しいですし、その道で名を成すのはかなり大変でしょう。
しかし。
残念なことに、「●●の職業というのは、何をする人?」という事を、一般の人間がわかっていないが故に、歌の歌えない「歌手」がいたりするのが、日本の政治です。
政治家って何する人?という問いに、正しく「法律を作る人」と答えられる日本人が果たして何割いてるのだろうか?と思います。
司法、立法、行政という三権分立の仕組みは、互いに役割分担を明確にして、相手の役割に対して不可侵であることで、システムの合理化を図りながら、相互に異なる観点からそれぞれの仕事内容を監視し修正していくという意味で政治を進めるために不可欠の「仕組み」です。
前から書いているように、これは自動車におけるアクセル、ブレーキ、クラッチと同じようなものですから、その個々の機能が機能不全を起こしてしまったら、「自動車」という仕組み自体が動かなくなるという事です。
日本の政治家で、果たして法律をキチンと自分の力で作って議会に提出して通したことのある人が、いったいどのくらいいるのか?と思います。
政治家というのは俗称で正しくは代議士という事であり、国民の意思や思いを議事として国民に「代わって」議会に提出するのが政治家の本道・本分であります。
ですから、国民にノーを突きつけられているのに、菅がやめないというのは、かなり、恐ろしく、ものすごく、とんでもなく、おかしなことなのです。
政権交代が起きた2009年夏の選挙後。じっくり見ていて面白かったのは、実は民主党より自民党でした。
選挙が終わってから後は、自民党のプレーヤーが変わったのですね。河野太郎や石破茂などの若手が発言力をつけたのですね。
それは何故か? 単純に得票数が多かったからです。比例代表でやっと通ったような人は党内での発言力は下がります。
くしくも、テレビや新聞で人気だった小池百合子ですらが「政治の世界は票を取った人が偉いのよ。」とため息混じりで言っておりました。いまや彼女の影響力などないに等しい。
そして、どうして河野太郎がそんなに得票数が多かったのか? 難しい話ではありませんで、辻立ちをキチンとして、「みなさんおはようございます。河野太郎でございます。行ってらっしゃいませ。」と、日々延々と国民の中に立って声をかけ続け、演説をし続けたからなのです。
この基本のキをやらずして、発言力など得られるものではないというのが政治の世界なのです。
選挙上手の小沢一郎に若い女性議員を対立候補として立てられた森元総理は、さすがにその国民との接触の重要性を熟知していて、誰より早くお国入りして、朝から晩まで選挙区を動き回り、はいつくばるように歩き回って、選挙が終わったときには日焼けして顔が真っ黒でした。それでなんとか、民主党の女性議員に競り勝った。
だから、「俺は小選挙区で勝ったんだ」と選挙後に党運営に口出しをしかけたわけですが、圧倒的勝利を決めた石破や河野太郎あたりが、「昔からの人がいろいろ口出しをするような事態ではないでしょう。」というような事を言った途端に、もう自民党の中では大きな力を持たなくなった。
それくらい、「政治の世界は票を取った人が偉い」のです。
そして「票を取る」という事は「矛盾を抱え込む」という事です。つまり自分に支持者にも右から左まで多様な意見があると言うことです。多くの票を取れば取るほど、その矛盾の幅は広がるでしょう。
だから、個人の信念や、大きな方向性をキチンと持っているかどうかが大事になるし、その矛盾をキチンと「ルール」として形にした「法案作り」が重要なのです。
この法案を議員が作るのが議員立法です。本来は立法府の構成員である代議士が立案するのが当然ですが、日本では、この議員立法というのがものすごく少ない。たいていは行政府の人間である官僚達がたたき台を作って、それを議員に見せて説明し「これでいかがでしょうか」とお伺いをたてて決めるという手順になっております。
いまの民主党のトップ5人組なんて、おそらく自分で議員立法なんてやってないんじゃないか?
大阪では、西川きよしという漫才師が政治家として国政に出ましたが、それでも彼はお年寄りのための法案を一つか二つだったか議員立法で通しているんですよね。これだけでも大したものです。(いや、他がダメ過ぎるんですが。)
そしてやはり突出していたのは田中角栄でしょう。彼は衆議院時代に100を越える議員立法を作って通したのですから。官僚たちが、その法律的整合性に舌を巻いたといいますから、かなりのものだったのでしょう。
いまのフクシマの交付金の政策だって角栄が作ったものなのです。電源三法は、角栄が作った。
いまの時代に必要なルールがあるなら、自分で法案を作って議会に提出し、それを通す。それだけの力も持っていたし、頭もあったということですね。
歴史にタラレバはありえないとは言いますが、もしいま角栄が生きていたら、それこそ電源三法どころか送発電分離法案なんかも、議員立法で猛スピードで書き上げ、関係各者の利益調整まですませて、議会に提出し通してしまっていたように思います。
でも、そんなスーパー議員は、もういない。
せいぜい小沢一郎が「日本改造計画」という、グランドデザインを描いた書籍を出版した程度。
せめてグランドデザインを描いて欲しいよなぁって思う。菅なんて何もやってないしねぇ。だいたい、リーマンショックのあった次の年に「増税」とか言ってるんですから、完全にパーやし。
経済音痴もええとこだっせ。日々コツコツ勉強してないのがバレバレ。
僕が敬愛する副島隆彦さんは、官邸に、デイビッド・B・ウォーラーというIAEA副事務総長兼管理部最高責任者が常駐していて、いまや菅は原発問題に関してはこの男の指示に徹底的に従っていて、そういう日本が外国に支配されている状態なんだ、と言っておられますが、まぁそういうことがあるにしても何にしても、それがあったとしても「歌の歌えない歌手」なんて話にならんのだ、操り人形にしかならんのだ、口パクの歌まねしかできんのだ、ということであって、それを「口パクである」と見抜けない国民がバカなのだから、支配されちゃってもしょうがないのかもなぁ、あーやれやれとか思う。
アメリカが裏で糸を引いているかどうか、ということは証拠のないことだから、「そういうこともあるかもね」で置いておくけれど、せめて、
●政治家は法案を作るのが仕事
●国民の支持を多く得ている政治家がエライ
●やめると言ってやめないのは信義に反していて人間としてダメ
という、基本のキのことは、大切にしなくちゃいけないと思うのですよ。
裏がどうとかは知らないけど、本道がないがしろにされてるなら、それはやっぱり、みんなが不幸になるしかないよなぁって思う。
でも、田中角栄というと、いまだに「利権政治の親玉」という官僚とマスコミが都合良く、あとから作り上げたイメージでしか語れないというのが日本人の平均的姿で、政治に詳しい人なら多くの人が「田中角栄は別格で天才」と評するのが当然かつ当たり前の評価なのだと言っても全然そういう基礎知識すらないのが「当たり前」になってしまってるんだから、道理が通らないのもしょうがないのかねぇとふてくされるばかりなのであります。
仕事でおつきあいのある人でも、新聞とテレビしか見てなくて、書籍を丁寧に読んで基礎知識を得ようと努力したり、ネットで「自分の疑問の解消のためにつっこんだ検索」をしていない人だと「菅さんがやろうが誰がやろうが、結局は同じ」と言ってて、
「いや、それは違うやろ」と思うのだけど、基礎知識を共有してないと、単なる喧嘩にしかならないので黙りこくるしかなくて嫌になります。
誰がやっても同じなら「反小沢」などという、個人攻撃を掲げた勢力が力を持つなんてことは起こりえませんよ。こんなこと、ちょっと考えたらわかるのに。
「反小沢」と言う人がいるということは「小沢だけは困る」という人がいてるということです。そして「なぜ小沢ではだめなのか」の理由を言わずに「反小沢」と言うかと言えば、それは小沢さんの言ってる事が正論だから以外に答えはないでしょう。
こんな事、ちょっと考えたらわかるのに。
なんで誰もそこに気づかないのだろう。
あー、やれやれ。
日本人はいつ賢くなるのだろう。
歌手が、歌が上手いかどうかくらい、分かる人になって欲しいと思うのですよ。
と書いたのは、技術の事は技術の側面から否定しないと意味がないからです。
「コワイコワイ」ばかり言っていても、結局恐怖感は人それぞれだから説得力を持ちません。
やはり当たり前の基本や本道というのがとても大切なのだと、いま、あらためて思います。
それを考えると、首相になった途端の参議院選で大敗し、それから地方選でことごとく負け、この春の地方統一選でもボロ負けだった菅首相は、国民からの支持を得られていないのだから、とっくにやめていなければならない人です。
そんな人が普通なら居座っていられるはずがないのに、いまどうして居座っていられるのか。そこには多分、かなりおかしな、危なくて怖い事態が裏で進んでいるに違いないのです。我々国民をカヤの外に置いた、何らかの影響力が働いている、ということでしょう。
なんと言っても、フクシマは世界の大事故ですから。日本の思惑だけでは決められなくなってしまっているのかも知れません。そして、そういう「おおっぴらには言えない事態」が内々に議員たちにも伝わって菅おろしの決定打が出せないままになっている、ということなのではないか?
物事には「本道」という事があります。歌手であるなら歌が上手くなければなりません。俳優なら演技ができないとダメでしょう。それは自分の個性を生かすという事であり、芸能界にデビューしたけど、歌手ではいまいちだったから演技で頑張るというように取捨選択しつつ、誰もが自分の道を決めていきます。
いくらバスケットボールの選手になりたいと言っても、背が低かったら、ダンクシュートを打つのはかなり難しいですし、その道で名を成すのはかなり大変でしょう。
しかし。
残念なことに、「●●の職業というのは、何をする人?」という事を、一般の人間がわかっていないが故に、歌の歌えない「歌手」がいたりするのが、日本の政治です。
政治家って何する人?という問いに、正しく「法律を作る人」と答えられる日本人が果たして何割いてるのだろうか?と思います。
司法、立法、行政という三権分立の仕組みは、互いに役割分担を明確にして、相手の役割に対して不可侵であることで、システムの合理化を図りながら、相互に異なる観点からそれぞれの仕事内容を監視し修正していくという意味で政治を進めるために不可欠の「仕組み」です。
前から書いているように、これは自動車におけるアクセル、ブレーキ、クラッチと同じようなものですから、その個々の機能が機能不全を起こしてしまったら、「自動車」という仕組み自体が動かなくなるという事です。
日本の政治家で、果たして法律をキチンと自分の力で作って議会に提出して通したことのある人が、いったいどのくらいいるのか?と思います。
政治家というのは俗称で正しくは代議士という事であり、国民の意思や思いを議事として国民に「代わって」議会に提出するのが政治家の本道・本分であります。
ですから、国民にノーを突きつけられているのに、菅がやめないというのは、かなり、恐ろしく、ものすごく、とんでもなく、おかしなことなのです。
政権交代が起きた2009年夏の選挙後。じっくり見ていて面白かったのは、実は民主党より自民党でした。
選挙が終わってから後は、自民党のプレーヤーが変わったのですね。河野太郎や石破茂などの若手が発言力をつけたのですね。
それは何故か? 単純に得票数が多かったからです。比例代表でやっと通ったような人は党内での発言力は下がります。
くしくも、テレビや新聞で人気だった小池百合子ですらが「政治の世界は票を取った人が偉いのよ。」とため息混じりで言っておりました。いまや彼女の影響力などないに等しい。
そして、どうして河野太郎がそんなに得票数が多かったのか? 難しい話ではありませんで、辻立ちをキチンとして、「みなさんおはようございます。河野太郎でございます。行ってらっしゃいませ。」と、日々延々と国民の中に立って声をかけ続け、演説をし続けたからなのです。
この基本のキをやらずして、発言力など得られるものではないというのが政治の世界なのです。
選挙上手の小沢一郎に若い女性議員を対立候補として立てられた森元総理は、さすがにその国民との接触の重要性を熟知していて、誰より早くお国入りして、朝から晩まで選挙区を動き回り、はいつくばるように歩き回って、選挙が終わったときには日焼けして顔が真っ黒でした。それでなんとか、民主党の女性議員に競り勝った。
だから、「俺は小選挙区で勝ったんだ」と選挙後に党運営に口出しをしかけたわけですが、圧倒的勝利を決めた石破や河野太郎あたりが、「昔からの人がいろいろ口出しをするような事態ではないでしょう。」というような事を言った途端に、もう自民党の中では大きな力を持たなくなった。
それくらい、「政治の世界は票を取った人が偉い」のです。
そして「票を取る」という事は「矛盾を抱え込む」という事です。つまり自分に支持者にも右から左まで多様な意見があると言うことです。多くの票を取れば取るほど、その矛盾の幅は広がるでしょう。
だから、個人の信念や、大きな方向性をキチンと持っているかどうかが大事になるし、その矛盾をキチンと「ルール」として形にした「法案作り」が重要なのです。
この法案を議員が作るのが議員立法です。本来は立法府の構成員である代議士が立案するのが当然ですが、日本では、この議員立法というのがものすごく少ない。たいていは行政府の人間である官僚達がたたき台を作って、それを議員に見せて説明し「これでいかがでしょうか」とお伺いをたてて決めるという手順になっております。
いまの民主党のトップ5人組なんて、おそらく自分で議員立法なんてやってないんじゃないか?
大阪では、西川きよしという漫才師が政治家として国政に出ましたが、それでも彼はお年寄りのための法案を一つか二つだったか議員立法で通しているんですよね。これだけでも大したものです。(いや、他がダメ過ぎるんですが。)
そしてやはり突出していたのは田中角栄でしょう。彼は衆議院時代に100を越える議員立法を作って通したのですから。官僚たちが、その法律的整合性に舌を巻いたといいますから、かなりのものだったのでしょう。
いまのフクシマの交付金の政策だって角栄が作ったものなのです。電源三法は、角栄が作った。
いまの時代に必要なルールがあるなら、自分で法案を作って議会に提出し、それを通す。それだけの力も持っていたし、頭もあったということですね。
歴史にタラレバはありえないとは言いますが、もしいま角栄が生きていたら、それこそ電源三法どころか送発電分離法案なんかも、議員立法で猛スピードで書き上げ、関係各者の利益調整まですませて、議会に提出し通してしまっていたように思います。
でも、そんなスーパー議員は、もういない。
せいぜい小沢一郎が「日本改造計画」という、グランドデザインを描いた書籍を出版した程度。
せめてグランドデザインを描いて欲しいよなぁって思う。菅なんて何もやってないしねぇ。だいたい、リーマンショックのあった次の年に「増税」とか言ってるんですから、完全にパーやし。
経済音痴もええとこだっせ。日々コツコツ勉強してないのがバレバレ。
僕が敬愛する副島隆彦さんは、官邸に、デイビッド・B・ウォーラーというIAEA副事務総長兼管理部最高責任者が常駐していて、いまや菅は原発問題に関してはこの男の指示に徹底的に従っていて、そういう日本が外国に支配されている状態なんだ、と言っておられますが、まぁそういうことがあるにしても何にしても、それがあったとしても「歌の歌えない歌手」なんて話にならんのだ、操り人形にしかならんのだ、口パクの歌まねしかできんのだ、ということであって、それを「口パクである」と見抜けない国民がバカなのだから、支配されちゃってもしょうがないのかもなぁ、あーやれやれとか思う。
アメリカが裏で糸を引いているかどうか、ということは証拠のないことだから、「そういうこともあるかもね」で置いておくけれど、せめて、
●政治家は法案を作るのが仕事
●国民の支持を多く得ている政治家がエライ
●やめると言ってやめないのは信義に反していて人間としてダメ
という、基本のキのことは、大切にしなくちゃいけないと思うのですよ。
裏がどうとかは知らないけど、本道がないがしろにされてるなら、それはやっぱり、みんなが不幸になるしかないよなぁって思う。
でも、田中角栄というと、いまだに「利権政治の親玉」という官僚とマスコミが都合良く、あとから作り上げたイメージでしか語れないというのが日本人の平均的姿で、政治に詳しい人なら多くの人が「田中角栄は別格で天才」と評するのが当然かつ当たり前の評価なのだと言っても全然そういう基礎知識すらないのが「当たり前」になってしまってるんだから、道理が通らないのもしょうがないのかねぇとふてくされるばかりなのであります。
仕事でおつきあいのある人でも、新聞とテレビしか見てなくて、書籍を丁寧に読んで基礎知識を得ようと努力したり、ネットで「自分の疑問の解消のためにつっこんだ検索」をしていない人だと「菅さんがやろうが誰がやろうが、結局は同じ」と言ってて、
「いや、それは違うやろ」と思うのだけど、基礎知識を共有してないと、単なる喧嘩にしかならないので黙りこくるしかなくて嫌になります。
誰がやっても同じなら「反小沢」などという、個人攻撃を掲げた勢力が力を持つなんてことは起こりえませんよ。こんなこと、ちょっと考えたらわかるのに。
「反小沢」と言う人がいるということは「小沢だけは困る」という人がいてるということです。そして「なぜ小沢ではだめなのか」の理由を言わずに「反小沢」と言うかと言えば、それは小沢さんの言ってる事が正論だから以外に答えはないでしょう。
こんな事、ちょっと考えたらわかるのに。
なんで誰もそこに気づかないのだろう。
あー、やれやれ。
日本人はいつ賢くなるのだろう。
歌手が、歌が上手いかどうかくらい、分かる人になって欲しいと思うのですよ。
コメント