原子力は「古い技術」だという事を、もっと認識した方が良いと思う。
2011年7月7日 ■時事 コメント (4)電気の発電というのは、どういう事かというと、それは「モーターを手で回す」ということだと思えば良いわけです。
モーターの電極に豆電球をつないで、モーターの軸を手でブンブン回すと豆球が光ります。
これが一般的な発電の基本原理。
手で回すのはしんどいので、お湯を沸かして水蒸気を生み出し、タービンという羽根にあてて、発電しているのが、現在どこにでもある、あらゆる発電所の仕組みです。
これは水力であろうが、火力であろうが、原子力であろうが、変わらない。同じ事ですね。
そういう意味では、けっこうというか、発電の仕組みそのものは、かなり古い技術だ、ということなんです。
ちなみに風力も、地熱発電も、小水力も、結局は全部同じ仕組みです。ようは発電用のダイナモを回している。それだけのこと。そのダイナモを回す力を何から得るか?というのが違うだけです。
火力・原子力・地熱に至っては、「水を沸かして水蒸気を作りタービンを回す」というところまで同じです。
ようは100℃以上の熱源だから水を沸騰させるのが良い、ということで、簡単に言ってしまえば「蒸気機関車」と同様の技術なわけです。
もちろん、天然ガスやら石油やらを燃やして熱を得るのと、原子が分裂していく際に発する熱量を使うのとでは、「自然科学」と「原子物理学」くらいの差はありますが、それでも発電する仕組みはまったく同じです。
ただし、石油での発電だと、たとえばキャンプ用の発電機のような小型の発電機は作れますが、さすがに原子力でキャンプ用発電機は作れません。キャンプ場で原子力の扱いを間違えたら、何万年もキャンプ場が閉鎖になりますから。ガソリンなら鎮火すれば、またキャンプ場は復活できますけどね。
で、ちょっとテーマからははずれますが、石油・天然ガスによる発電と原子力とで何が違うかというと、もうひとつは「急に発電量を増やせるかどうか」という違いがあります。
火力なら、どんどん燃やす量を増やしたり、減らしたりの「火力調整」ができるので、「いま電気が必要」と言うときに即時の対応ができます。
しかし原発は燃料棒を刺したり抜いたりしても、ゆるやかにしか「火力調整」ができませんで、最低でも数時間から数日のタイムラグが生まれるわけです。そういう意味で「夏のピークに対応する電力」としては、
●まったく役に立たない。
のであります。
で。
上記では書いておりませんでしたが、太陽電池はどうかというと、これはタービンとかダイナモとか、あるいはそれを回すための水蒸気とか、そういうものを一切必要としていないわけです。
太陽の光があたる。それが即電気になる。
すばらしい!
ブラボー!
というものです。
これは実は太陽電池パネルというものがPN型の半導体そのものだから起きる現象なんですね。
半導体そのものなんです。
で、半導体を製造する技術というのは、パソコンなどに使われている半導体やCPUを作る技術とあったく同じです。
で、半導体の動作原理は、言うなれば、原子物理学というよりは、もう少し進んだ量子物理学の範疇の技術ということになります。
ですから、原発は「蒸気機関車+原子物理学」とか「自然科学+原子物理学」の世界の技術なのですが、太陽電池は純然たる「量子物理学」の世界の技術なんですね。
ですから、技術レベルとして一世代以上離れてると言っても良いわけです。
で、石油や天然ガスによる発電なら、まだ「ビルや商業施設内の電気を効率的にまかなうコジェネシステム」などに進化する道もあるんですが、原子力は上記のキャンプ場の例と同じで、都市の中に入り込むという事ができないわけです。
遠く離れたところから電線を通して一括供給する。
という、実に非効率的な電気の配給の仕方をするより他に道はないわけです。
ところが、太陽電池はどうかというと、パネル自体を家庭に置いて、その場で発電できます。全然ムダがないわけですね。
これもまさにタービンや水蒸気を起こす必要がないという基本原理の違いから生まれているわけです。
で、パソコンと同じ半導体技術ですから、これは大量生産すると、すごく安くなります。
いま、家庭用の太陽電池パネルが一軒分で250万円くらいするんですが、これが半額とか4分の1とかとかの値段になるまで、それほどの時間はかからないんですね。
それこそ単純に「買う人が倍に増えれば半額になる」というような事ですから。
知らない人のためにもう少し説明を加えますと、半導体の生産技術というのは、印刷の技術ととても良く似ているのです。
設計図を描いて、それを光に反応する基剤に当てて、硬化させ、そこに出来た溝にガス化した材料を吹き付けて固めるという作り方をしますから。
ですから、生産ラインが一度できて、量産化が始まれば、パネルをたくさん作るほどにコストが下がることになります。もちろん材料となるガスの値段は増えますし、生産するための工場の電気代も膨大ではありますが、それでも一度作ったパネルは20年以上使えます。
250万円を20年で割ると、1年あたり12万五千円ですから、夜に発電出来ず、曇りや雨の日の電力量が期待できない太陽電池は「コスト高だ」という話になるわけです。月に1万円も電気代を使ってたら、それはけっこう浪費ですから。
でも、半額や4分の1まで値段が下がるのは、半導体技術なんですから、「市場」さえできればすぐに達成できるというのは見えているわけです。
なんと言っても「量子物理学」ですから。パソコンやケータイと同じような代物って事です。
ところが、世間では「太陽電池はコスト高だからダメだ」みたいな事が何度も何度も繰り返されるわけですよ。
私ゃ、「なんでやねん!それはおかしいやろ!」と、いつも思うわけです。
だいたい、原子力の電気代が安いという計算は、日本の電力会社が企業向けに「たくさん使ったらお安くします」というボリュームディスカウントをしているのが原因なんです。別にキチンとコスト計算をしたわけではない。企業優遇の価格体系にして、それでもって、たとえば企業が自社の生産ラインでムダな電気を使っていようが「いやいや、節電するより、大量に電気を使った方が、結果として電気代がやすくなりますよ。」という甘言で、誘導されてきたという環境でのコスト計算なわけです。
なんでそんな恣意的な計算の価格と、「これから急速に値下がりする可能性の高い太陽電池」を同列に並べて「太陽電池はコスト高」などというごまかしの理屈を言うのか、というのが非常に気に入らないわけですね。
たかが蒸気機関時代のなれの果て技術のくせしやがって、ということです。
そんなもの、いくらがんばっても、もう原子力は「安い電力」にはならないわけですよ。これから年々値上がりします。
なんんで「値上がりする」かというと、フクシマがあったからですね。単純に「安全基準が引き上げられる」からです。そうなれば、いま4500億円かかっている原発が5000億円とか平気で必要になりますわね。防波堤は16メートルの高さが必要とかになるから。
こんなもん、それだけで価格競争力がなくなる。
それに加えて、もうみんなが知ってしまったから使用済み燃料の管理コストも上乗せされてきます。内緒で原子炉内に仮保管というわけにはいかない。
(事故のあったフクシマを「使用済み燃料の保管場所にしよう」という声がそのうち出てきますが、これには絶対的に反対しなければなりません。なぜか? 「使用済み核燃料の保管場所」が確保できたら、またぞろ「やはり発電には原発」というのが推進されてしまうからです。原発延命が確実になってしまう。それはダメ。メガソーラーならいいけど。)
で、太陽電池と原子力では、決定的に大きな大きな違いがあるのに何故かテレビでも新聞でも、新聞系の雑誌(日経ビジネスとか)でもキチンと言わないのが、
●燃料代
の話です。
太陽電池にせよ、地熱にせよ、風力にせよ、燃料代はゼロですよ、ゼロ!
ロハ!
タダ!
無料!
なんで、この肝心の事を誰も言わないのだ!
それから、もっと大事なこと。
●有限か無限か。
ここの論議も全然されない。
石油も天然ガスも、そして当然ウランも、全部有限な資源なわけですよ。
石油や天然ガスはシェールオイルやシェールガスを取り出す技術が確立されたおかげで、あと100年や200年は使えそうな感触になってきてますけど、ウランはせいぜい78年。
原発では、孫子の代まで引き継げるエネルギー体系は絶対に残せないわけですよ。
でも、太陽電池・風力発電・地熱発電なら、それは可能なわけです。
なんでいまさら、原発に力を入れなアカンのか?っちゅう事です。
いくら原発に力を入れても、まぁ先行きは暗い。
だから、まともに考えれば原発に未来なんか最初からないんです。
でも、これだけのデメリットを並べても、それを打ち崩して「やっぱり原発」という勢力には、二つの理由があります。
一つは、前にも書きましたが、
●原爆を作る材料として必要
ということです。
でも、これは前にも書きましたが、日本は平和外交で安全保障を考えた方が良いという考えに僕は変わりましたので、これはまず否定。
なおかつ、仮に「それでも原爆が持ちたい」というのなら、いまあるプルトニウム量を保持すれば、それで充分やろ、という事です。えんえんプルトニウムを作る必要はないと思う。
で、もう一つの理由。
これがかなりやっかいな話なんですが、
●日本は核燃料サイクル推進が国策である。
ということなんですね。
こんなもんいらんやんけ、と僕は言いたいのですが、それでもそれが国策で、いまだに維持されてるわけだから、少なくとも官僚は、簡単には「脱原発で行きます」とは立場上言えないわけです。
ここのところの「立場として言えない」というのが、かなり深刻な問題なんだと思うのですよ。
「ウランを燃やしてプルトニウムを取出し、そのプルトニウムを高速増殖炉で再び燃料として発電に利用し、そこから生まれたプルトニウムを、また発電に利用する。これで日本は1000年、2000年の燃料確保ができる。」
というのが「核燃料サイクル」というものです。
まぁ、あまり技術の未来を否定するような事を言ってはいけないとも思いますが、
●核燃料サイクルは失敗した。
という事を、もういいかげん認めないとダメでしょう。
何年前だったか、フランスが、この核燃料サイクルからの撤退をしたときに、僕は「あ、原発はこれで終わったよね。もう石油とかの在来の発電と同様の有限資源でしかないから危険なだけデメリットが多くて進歩の余地がもうないよね。」と思ったんですね。
(そう思ったので、そこからはもうあまり原発に関するお勉強をしなくなっちゃったんです。それはちょっとまずかったと思いますが。)
フランスはいまでも電気の75%を原発に頼っている国ですが、その原発先進国ですら、核燃料サイクルはあきらめたわけです。
いま、いまだに「核燃料サイクル推進」を堅持してるのは日本だけですから。
もうええやろ、これ。
いらんやろ。
やめなさいって。
30年かかって1ワットの電気も取り出せていないし、もんじゅはアホみたいな事故を起こしたし。しかも知らなかったけれども水で冷やすのではなくて空気と結合したら発火するナトリウムでプルトニウムを冷やすやと? フクシマみたいな事が起きたら、もうアウトやないかい!
やめろよ、そういう危ない研究は!
でも、この「核燃料サイクル」という妄想が日本を支配している限り、少なくとも官僚は、簡単には「脱原発で行きます」とは言えないわけです。
ですから、自民党の河野太郎が言ってた「私は反原発ではありません。反核燃料サイクルです。」というのは、ものすごく意味の大きい発言なんですね。
河野太郎自身は、実は「原発はいまのまま動かしても、まぁそれは良い」という人なんですよ。「新規には作らない。古いものは年限が来たら廃炉にする。そして自然エネルギーにはもっと注力する。」という事しか言ってない。
でも、本当に重要なのは「核燃料サイクルからの脱却」なわけです。
とにもかくにも、この過去の亡霊から逃げ出さない限り、日本のエネルギー政策の変更のしようがないわけです。
ところが、これを菅は全然言わない。他の政治家も全然言わない。一番肝心なのに。
で、「なんで河野さん以外の議員は、核燃料サイクルからの脱却を言わないのですか?」という質問に河野太郎がどう答えたか? というと、
「たぶん、みなさん、何も知らないんですね。私が反原発ではなくて反核燃料サイクルだ、と言っても、その言ってる意味のわかってる人が自民党の中でもほとんどいないんじゃないかと思います。」というような返事だったわけです。
「なんじゃそりゃ!」
と思うのですよ。
ようは、政治家のレベルが低いんです。
恐ろしく程度が低い。
それがこの国の現実なんですね。
ということなので、なんとかこの国の実情を良い方向に動かして行きたかったら、それはもう勉強するしかないわけです。
政治家が勉強してないんやから。こっちが勉強して教えてやるしかない。
そこまで大変な事になってる、ということなんです。
なので、新聞・テレビだけみて、それで良しと思ってる人は、もう本当にダメだと思います。もう僕はほったらかしで置いていきます。
ちゃんと勉強してわかってる人同士で、いろいろ意見を戦わせて論議しなくちゃいけない。もうのんびりしてられないと思うのですよ。
だから、「原子力なんて蒸気機関車時代の古くっさい技術なんかどうでもよろし」と言うことを、みんな正しく知るべきだし、「核燃料サイクルは、もう失敗したんだ。」ということを、もっと正しく認識するべきだと、僕は思うわけです。
モーターの電極に豆電球をつないで、モーターの軸を手でブンブン回すと豆球が光ります。
これが一般的な発電の基本原理。
手で回すのはしんどいので、お湯を沸かして水蒸気を生み出し、タービンという羽根にあてて、発電しているのが、現在どこにでもある、あらゆる発電所の仕組みです。
これは水力であろうが、火力であろうが、原子力であろうが、変わらない。同じ事ですね。
そういう意味では、けっこうというか、発電の仕組みそのものは、かなり古い技術だ、ということなんです。
ちなみに風力も、地熱発電も、小水力も、結局は全部同じ仕組みです。ようは発電用のダイナモを回している。それだけのこと。そのダイナモを回す力を何から得るか?というのが違うだけです。
火力・原子力・地熱に至っては、「水を沸かして水蒸気を作りタービンを回す」というところまで同じです。
ようは100℃以上の熱源だから水を沸騰させるのが良い、ということで、簡単に言ってしまえば「蒸気機関車」と同様の技術なわけです。
もちろん、天然ガスやら石油やらを燃やして熱を得るのと、原子が分裂していく際に発する熱量を使うのとでは、「自然科学」と「原子物理学」くらいの差はありますが、それでも発電する仕組みはまったく同じです。
ただし、石油での発電だと、たとえばキャンプ用の発電機のような小型の発電機は作れますが、さすがに原子力でキャンプ用発電機は作れません。キャンプ場で原子力の扱いを間違えたら、何万年もキャンプ場が閉鎖になりますから。ガソリンなら鎮火すれば、またキャンプ場は復活できますけどね。
で、ちょっとテーマからははずれますが、石油・天然ガスによる発電と原子力とで何が違うかというと、もうひとつは「急に発電量を増やせるかどうか」という違いがあります。
火力なら、どんどん燃やす量を増やしたり、減らしたりの「火力調整」ができるので、「いま電気が必要」と言うときに即時の対応ができます。
しかし原発は燃料棒を刺したり抜いたりしても、ゆるやかにしか「火力調整」ができませんで、最低でも数時間から数日のタイムラグが生まれるわけです。そういう意味で「夏のピークに対応する電力」としては、
●まったく役に立たない。
のであります。
で。
上記では書いておりませんでしたが、太陽電池はどうかというと、これはタービンとかダイナモとか、あるいはそれを回すための水蒸気とか、そういうものを一切必要としていないわけです。
太陽の光があたる。それが即電気になる。
すばらしい!
ブラボー!
というものです。
これは実は太陽電池パネルというものがPN型の半導体そのものだから起きる現象なんですね。
半導体そのものなんです。
で、半導体を製造する技術というのは、パソコンなどに使われている半導体やCPUを作る技術とあったく同じです。
で、半導体の動作原理は、言うなれば、原子物理学というよりは、もう少し進んだ量子物理学の範疇の技術ということになります。
ですから、原発は「蒸気機関車+原子物理学」とか「自然科学+原子物理学」の世界の技術なのですが、太陽電池は純然たる「量子物理学」の世界の技術なんですね。
ですから、技術レベルとして一世代以上離れてると言っても良いわけです。
で、石油や天然ガスによる発電なら、まだ「ビルや商業施設内の電気を効率的にまかなうコジェネシステム」などに進化する道もあるんですが、原子力は上記のキャンプ場の例と同じで、都市の中に入り込むという事ができないわけです。
遠く離れたところから電線を通して一括供給する。
という、実に非効率的な電気の配給の仕方をするより他に道はないわけです。
ところが、太陽電池はどうかというと、パネル自体を家庭に置いて、その場で発電できます。全然ムダがないわけですね。
これもまさにタービンや水蒸気を起こす必要がないという基本原理の違いから生まれているわけです。
で、パソコンと同じ半導体技術ですから、これは大量生産すると、すごく安くなります。
いま、家庭用の太陽電池パネルが一軒分で250万円くらいするんですが、これが半額とか4分の1とかとかの値段になるまで、それほどの時間はかからないんですね。
それこそ単純に「買う人が倍に増えれば半額になる」というような事ですから。
知らない人のためにもう少し説明を加えますと、半導体の生産技術というのは、印刷の技術ととても良く似ているのです。
設計図を描いて、それを光に反応する基剤に当てて、硬化させ、そこに出来た溝にガス化した材料を吹き付けて固めるという作り方をしますから。
ですから、生産ラインが一度できて、量産化が始まれば、パネルをたくさん作るほどにコストが下がることになります。もちろん材料となるガスの値段は増えますし、生産するための工場の電気代も膨大ではありますが、それでも一度作ったパネルは20年以上使えます。
250万円を20年で割ると、1年あたり12万五千円ですから、夜に発電出来ず、曇りや雨の日の電力量が期待できない太陽電池は「コスト高だ」という話になるわけです。月に1万円も電気代を使ってたら、それはけっこう浪費ですから。
でも、半額や4分の1まで値段が下がるのは、半導体技術なんですから、「市場」さえできればすぐに達成できるというのは見えているわけです。
なんと言っても「量子物理学」ですから。パソコンやケータイと同じような代物って事です。
ところが、世間では「太陽電池はコスト高だからダメだ」みたいな事が何度も何度も繰り返されるわけですよ。
私ゃ、「なんでやねん!それはおかしいやろ!」と、いつも思うわけです。
だいたい、原子力の電気代が安いという計算は、日本の電力会社が企業向けに「たくさん使ったらお安くします」というボリュームディスカウントをしているのが原因なんです。別にキチンとコスト計算をしたわけではない。企業優遇の価格体系にして、それでもって、たとえば企業が自社の生産ラインでムダな電気を使っていようが「いやいや、節電するより、大量に電気を使った方が、結果として電気代がやすくなりますよ。」という甘言で、誘導されてきたという環境でのコスト計算なわけです。
なんでそんな恣意的な計算の価格と、「これから急速に値下がりする可能性の高い太陽電池」を同列に並べて「太陽電池はコスト高」などというごまかしの理屈を言うのか、というのが非常に気に入らないわけですね。
たかが蒸気機関時代のなれの果て技術のくせしやがって、ということです。
そんなもの、いくらがんばっても、もう原子力は「安い電力」にはならないわけですよ。これから年々値上がりします。
なんんで「値上がりする」かというと、フクシマがあったからですね。単純に「安全基準が引き上げられる」からです。そうなれば、いま4500億円かかっている原発が5000億円とか平気で必要になりますわね。防波堤は16メートルの高さが必要とかになるから。
こんなもん、それだけで価格競争力がなくなる。
それに加えて、もうみんなが知ってしまったから使用済み燃料の管理コストも上乗せされてきます。内緒で原子炉内に仮保管というわけにはいかない。
(事故のあったフクシマを「使用済み燃料の保管場所にしよう」という声がそのうち出てきますが、これには絶対的に反対しなければなりません。なぜか? 「使用済み核燃料の保管場所」が確保できたら、またぞろ「やはり発電には原発」というのが推進されてしまうからです。原発延命が確実になってしまう。それはダメ。メガソーラーならいいけど。)
で、太陽電池と原子力では、決定的に大きな大きな違いがあるのに何故かテレビでも新聞でも、新聞系の雑誌(日経ビジネスとか)でもキチンと言わないのが、
●燃料代
の話です。
太陽電池にせよ、地熱にせよ、風力にせよ、燃料代はゼロですよ、ゼロ!
ロハ!
タダ!
無料!
なんで、この肝心の事を誰も言わないのだ!
それから、もっと大事なこと。
●有限か無限か。
ここの論議も全然されない。
石油も天然ガスも、そして当然ウランも、全部有限な資源なわけですよ。
石油や天然ガスはシェールオイルやシェールガスを取り出す技術が確立されたおかげで、あと100年や200年は使えそうな感触になってきてますけど、ウランはせいぜい78年。
原発では、孫子の代まで引き継げるエネルギー体系は絶対に残せないわけですよ。
でも、太陽電池・風力発電・地熱発電なら、それは可能なわけです。
なんでいまさら、原発に力を入れなアカンのか?っちゅう事です。
いくら原発に力を入れても、まぁ先行きは暗い。
だから、まともに考えれば原発に未来なんか最初からないんです。
でも、これだけのデメリットを並べても、それを打ち崩して「やっぱり原発」という勢力には、二つの理由があります。
一つは、前にも書きましたが、
●原爆を作る材料として必要
ということです。
でも、これは前にも書きましたが、日本は平和外交で安全保障を考えた方が良いという考えに僕は変わりましたので、これはまず否定。
なおかつ、仮に「それでも原爆が持ちたい」というのなら、いまあるプルトニウム量を保持すれば、それで充分やろ、という事です。えんえんプルトニウムを作る必要はないと思う。
で、もう一つの理由。
これがかなりやっかいな話なんですが、
●日本は核燃料サイクル推進が国策である。
ということなんですね。
こんなもんいらんやんけ、と僕は言いたいのですが、それでもそれが国策で、いまだに維持されてるわけだから、少なくとも官僚は、簡単には「脱原発で行きます」とは立場上言えないわけです。
ここのところの「立場として言えない」というのが、かなり深刻な問題なんだと思うのですよ。
「ウランを燃やしてプルトニウムを取出し、そのプルトニウムを高速増殖炉で再び燃料として発電に利用し、そこから生まれたプルトニウムを、また発電に利用する。これで日本は1000年、2000年の燃料確保ができる。」
というのが「核燃料サイクル」というものです。
まぁ、あまり技術の未来を否定するような事を言ってはいけないとも思いますが、
●核燃料サイクルは失敗した。
という事を、もういいかげん認めないとダメでしょう。
何年前だったか、フランスが、この核燃料サイクルからの撤退をしたときに、僕は「あ、原発はこれで終わったよね。もう石油とかの在来の発電と同様の有限資源でしかないから危険なだけデメリットが多くて進歩の余地がもうないよね。」と思ったんですね。
(そう思ったので、そこからはもうあまり原発に関するお勉強をしなくなっちゃったんです。それはちょっとまずかったと思いますが。)
フランスはいまでも電気の75%を原発に頼っている国ですが、その原発先進国ですら、核燃料サイクルはあきらめたわけです。
いま、いまだに「核燃料サイクル推進」を堅持してるのは日本だけですから。
もうええやろ、これ。
いらんやろ。
やめなさいって。
30年かかって1ワットの電気も取り出せていないし、もんじゅはアホみたいな事故を起こしたし。しかも知らなかったけれども水で冷やすのではなくて空気と結合したら発火するナトリウムでプルトニウムを冷やすやと? フクシマみたいな事が起きたら、もうアウトやないかい!
やめろよ、そういう危ない研究は!
でも、この「核燃料サイクル」という妄想が日本を支配している限り、少なくとも官僚は、簡単には「脱原発で行きます」とは言えないわけです。
ですから、自民党の河野太郎が言ってた「私は反原発ではありません。反核燃料サイクルです。」というのは、ものすごく意味の大きい発言なんですね。
河野太郎自身は、実は「原発はいまのまま動かしても、まぁそれは良い」という人なんですよ。「新規には作らない。古いものは年限が来たら廃炉にする。そして自然エネルギーにはもっと注力する。」という事しか言ってない。
でも、本当に重要なのは「核燃料サイクルからの脱却」なわけです。
とにもかくにも、この過去の亡霊から逃げ出さない限り、日本のエネルギー政策の変更のしようがないわけです。
ところが、これを菅は全然言わない。他の政治家も全然言わない。一番肝心なのに。
で、「なんで河野さん以外の議員は、核燃料サイクルからの脱却を言わないのですか?」という質問に河野太郎がどう答えたか? というと、
「たぶん、みなさん、何も知らないんですね。私が反原発ではなくて反核燃料サイクルだ、と言っても、その言ってる意味のわかってる人が自民党の中でもほとんどいないんじゃないかと思います。」というような返事だったわけです。
「なんじゃそりゃ!」
と思うのですよ。
ようは、政治家のレベルが低いんです。
恐ろしく程度が低い。
それがこの国の現実なんですね。
ということなので、なんとかこの国の実情を良い方向に動かして行きたかったら、それはもう勉強するしかないわけです。
政治家が勉強してないんやから。こっちが勉強して教えてやるしかない。
そこまで大変な事になってる、ということなんです。
なので、新聞・テレビだけみて、それで良しと思ってる人は、もう本当にダメだと思います。もう僕はほったらかしで置いていきます。
ちゃんと勉強してわかってる人同士で、いろいろ意見を戦わせて論議しなくちゃいけない。もうのんびりしてられないと思うのですよ。
だから、「原子力なんて蒸気機関車時代の古くっさい技術なんかどうでもよろし」と言うことを、みんな正しく知るべきだし、「核燃料サイクルは、もう失敗したんだ。」ということを、もっと正しく認識するべきだと、僕は思うわけです。
コメント
-------
パソコンと同じ半導体技術ですから、これは大量生産すると、すごく安くなります。
いま、家庭用の太陽電池パネルが一軒分で250万円くらいするんですが、これが半額とか4分の1とかとかの値段になるまで、それほどの時間はかからないんですね。
それこそ単純に「買う人が倍に増えれば半額になる」というような事ですから。
-------
ソーラーパネルに「ムーアの法則」が適用できるのか。
ソーラーパネルは、「高集積化を進める」事ができれば、ムーアの法則とまではいかなくてもそのくらいは行くでしょう。
ソーラーパネルにおける高集積化は波長の異なる変換パネルを積み重ねてそこに太陽光を集積して発電する方式で、ドイツではすでに技術開発されています。
これが高集積化できれば、発電効率は画期的に上がるはずです。そういう発展可能性はありますね。
しかし残念ながら、日本では官僚が完全にバカでしたので、フィードイン・タリフの方策をとらずに補助金制度で太陽電池を支援してしまったがために、世界の潮流に完全に乗り遅れてしまいました。これは完全に政策ミスでした。まぁ、これからおっとり刀で、やっと固定買取制に移行していくわけでしょうけども。
日本は完全に役人がバカだったので世界の孤児になったんです。
役人が悪い。バカだから。
世界の太陽電池の世界では、どんどん低価格化が進んでしまい、高品質を追いかけてきた日本の太陽電池パネルは、価格的に勝てなくなってます。いまでは、すでにもう量産の世界に入ってしまってるので、今後はたたき売りの世界になっていくのではないですかね。少なくとも世界市場は、そういう流れです。日本は完全に乗り遅れてしまいました。いまからでも高集積の方に進んだ方が良いのでしょうけど、まだそういう話は聞きませんねぇ。
逆にドイツでは太陽電池の市場を育てすぎたので、火力などの太陽電池の出力を調整するような発電システムの完備が間に合わず、市場の広がりを抑えようとしているくらいです。それが半導体技術です。市場に広がる時のスピードが違う。
火力であろうが、原子力であろうが、やってることは「水を沸かしてタービンを回す」というやり方なので、もともと量産効果が出ないんですよ。古くさい技術です。時代遅れ。周回遅れの技術なんです。
しかも、原子力に至っては「放射能のゴミをどう処理するか」の方策もできていない。話にならない。役立たず。ダメダメ。どうしようもない。老いぼれ技術なんです。
そういう事です。
役人の人というのは、「経済行為の現場」にいないから、こういう「半導体技術」と、「タービンを回す技術」の違い、次元の異なり方みたいな事が、
●全然、まったく、ちーとも、一切、すべて、理解できない。
んですね。
ようするに「経済行為の中にいる」事ができないから、技術動向を読めないんです。
それはつまりどういう事かというと、一言で言うと、
●完全なバカ
ということなんですね。
で、経済行為の中にいる側の人間から見ると、そういうのはすぐわかるわけです。「あ、こいつバカだな」と。
でも、役人だけがわかってないわけですわ。
いまの日本の不幸は、おおむね、こういう「役人が自分がバカだと気付いていない」事が原因で起きてると考えて、ほぼ間違いないです。
だが、だ。
--------
逆にドイツでは太陽電池の市場を育てすぎたので、火力などの太陽電池の出力を調整するような発電システムの完備が間に合わず、市場の広がりを抑えようとしているくらいです。それが半導体技術です。市場に広がる時のスピードが違う。
--------
なんで「半導体技術」なんだ。論理が破綻してるだろ。
ドイツで再生エネルギーがここまで広がったのは、単純に、非常に高額で電力を買い取ってくれるからだろ。単なる、ノーリスク・ハイリターンで格好の投資の対象。
リターンは誰が払ってる?一般市民と企業だ。お前は弱者イジメ支援者だな。
www.nhk.or.jp/worldwave/marugoto/2012/08/0821.html
ドイツの公僕もアホだな。