仕事で、計測機器やら分析計やらを作っている企業さんの仕事をしている関係で、物事の判断をするために、「まず事実を知ること・確かめること」が、いかに大切なのかを痛感しています。

なので、事実関係を確かめもせずに、思いつき・思いこみ・自分の何らかの思惑、などで、テキトーな事を言う人がいると、とても無責任でひどい行為に見えてしまうし、とても厳しく叱りつけてしまいたくなります。

その計測・分析をしている企業さんでは、放射線を測定するハンディな機械も出しておられるのですが、震災前は、年間で100台~200台程度しか出ていなかったものが、いまでは増産体制を敷いて、月500台生産してもおいつかない状態だそうです。

いつもは広告宣伝を担当している部署の方たちも、それぞれ順番に工場のピッキング作業に数日ずつ出向しているそうですから、なかなか大変だと思います。

よくボランティア活動で震災に対応しようという話もありますが、こういう場合は、普段の仕事がそのまま復興に直結しているわけでして、やはり出来れば、自分の仕事が、そのまますぐに復興の手助けになるのが一番良いですわね。ある程度の年齢になってきたら、そうそう仕事を休んでまでボランティア活動はできないものですから。

で、そういう「誰にでもできる、もっとも簡単な社会貢献」のひとつに「風評被害の元となるような、テキトーな事は言わないように慎む」という事があると思うのです。

これね、もっとも簡単で、誰にでも出来ることなんですよ。

どうすれば良いかと言えば、よく分からない事に対して、



「よくわからない」



と、素直に事実を言えば良いだけなのです。
とても簡単で、無理のない、誰にでもできる社会貢献なのです。

ところが、本当に無知で、しかも震災の時のように自分の命が危ないかも知れないというような時、人間は自己保身から、テキトーな妄想を自分勝手に作り上げて、それを頼りに自分を落ち着かせようと思ったりするわけです。

まぁ、その「妄想」を頭の中で反芻している程度なら、これは社会的な迷惑や被害が発生しませんから、別にかまわないのですが、その「妄想」を一度でも口に出してしまったら、もうそれは取り返しがつきません。
勝手な妄想が自己増殖して、どんな風評被害が生まれるモノかわかったものではないのです。

たとえば、関東大震災の時には、何故か理由もないのに国内にいる海外移住者が「放火をした」だの、「井戸に毒薬を入れた」だのというデマが広がり、そのデマが「Aさんも、Bさんも、Cさんも言ってたから、確からしい」というようなことで、海外移住者の方へのいじめや拷問、はては殺人まで起きてしまったのだそうです。

ですから、テキトーな妄想を「口に出す」と言うこと自体が、非常にまずい事なんですね。
で、その「テキトーな妄想を口に出さないようにする」という事は、それほど難しい事でもないのです。

知らない事なら「知らない」と言う。

わからない事なら「わからない」と言う。

こういう態度や気持ちを、平常から持ち続けるようにする、というだけの事なんです。

それに加えて、もうひとつ一押しするなら、「分からないから、勉強してみよう。」になれば、もっと良いわけです。
でもまぁ、これは余力があればやればよろしい、という内容の事でして、まずは「知りもしないのに、テキトーな事を言うのは慎もう」という態度を保つことが、最優先で必要な事でしょう。これが一番簡単にできることですから。

で、もし、自分が「テキトーな事」を言ってしまった場合は、まぁ、基本はもう取り返しがつかないのですが、それでも、キチンと「テキトーな事を言ってしまってすみません。」と謝罪した上で、キチンと事実関係を確認するなり、勉強するなりして、「テキトーな事を言ってしまったマイナス」を補う事だと思います。

風評被害というのは、本当に無用の害悪でして、最初にわけもわからず「テキトーな妄想」を言う人さえいなければ、本当に発生するはずのない事柄なんですね。

だから、もし目の前で「テキトーな妄想」を語る人がいたら、僕はかなり厳しく注意をしてしまいます。

というのは、その「テキトーな妄想」による被害というのは本当にムダで、なおかつすべての人間にマイナスで、誰一人得をしないからなんですね。
本当に本当にムダな事です。

そういう思いがあるものだから、どうしても、つい、かなり厳しい叱り口調になってしまうわけです。

ところが、これ、「テキトーな妄想」を口にしてる人は、それこそ社会の事など考える余裕もない、自分の不安の解消だけが問題という人だから「厳しく叱責される」と、ものすごくビックリしたりするわけですよ。そういう風評被害の事まで考えてないから。それで「何もそこまで言わなくても」とか、恨まれたりする。

でもね。
たとえ恨まれたとしても、それは、「厳しく叱責する」方が良いことなんだから、それはやめませんわね。

まず、風評被害が、そこから発生して「一人歩き」してしまうんですから。

不安をかかえた人間が、不安をかかえたまま、日々「妄想」をばらまき散らかしていくと、ほんとうに風評被害が拡大してしまうわけですから、まず発生している発生源を、根源から根絶しないといけません。
なので、かなーり厳しく叱責するようにしてます。
まぁ、それで「言葉がきつすぎる」と言われたりもしますが、それは必要なことなのだからしょうがないと思っております。風評被害が一人歩きするよりは、はるかにマシですから。

風評被害が怖いのは、たとえそれが事実ではなかったとしても、

●Aさんも言ってた、Bさんも言ってた、Cさんも言ってた

という「数の論理」で既成事実化してしまう恐ろしい側面があるからです。
風評被害の発生源は、単なる個人の不安の裏返しでしかないわけですが、広がる過程「伝え聞き」で広める人には、そういう「個人の不安感」というのは少ない訳です。
「まぁ、よくわからないけど、知り合い3人が言ってたから、本当なんじゃないの?」
ってな感じで、事実とは異なる「風評」が既成事実化してしまうわけです。

でも、気をつけて欲しいのはこの「Aさんも、Bさんも」という判定は、ようは、「自分が所属するコミュニティの多くの人が」という事なわけです。身内で妄想拡大をやってるだけなんですね。
でも、そういう「風評被害は自分が所属するコミュニティから広がるものなのだ」という構造に、人間は、なかなか気づけなかったりするんですね。特に震災の時のように情報が不確かで、なおかつ「緊急」を要する場合は、たとえ見る人が見れば、明らかに「デマだ」とわかる情報でも、あっという間に、コミュニティを越えて広がってしまいますから、実は、もう「数の論理」では判定できなくなってしまうわけです。

ですから、少なくとも、まず、自分の所属するコミュニティで、誰か一人でも明らかな「風評被害の発生源」をやっている人を見つけたら、大声で「こら!事実でもないことを吹聴するな!!!」と、かなりきつく叱りつけないといけないんですね。風評被害というのは広がりやすいですから。
少なくとも、自分が所属するコミュニティからは、そういう風評被害を出さないようにしたいと、僕は思います。
だからこそ、風評被害というのは、まず足元の自分のコミュニティから広がってしまうものなのだ、という意識を、キチンと持たないといけないと思うのです。

ですから、一番良いのは、それこそガイガーカウンターなどをちゃんと用意して事実に基づいて語ることなんですけれども、そういう計測器なり、確かな事実なりがないときは、せめて


●知らないことは「知らない」と言う。
●わからない事は「わからない」と言う。


という正直さを保つことが大事だと思います。
知識や情報不足だと、何かと不安な気持ちになることも多いわけですが、あまり安易に、


●自分の妄想を口に出したりしない。


という事も、とても大切なことです。


で、できうるなら、


●キチンと事実関係を調べる・情報源を確認する。


という事もやっていった方が良いでしょう。

で、それこそ、何の根拠もなくテキトーな事を言っていて、それが明らかに社会の利益にならないような内容の「風評」であったのなら、自分のコミュニティを守るためにも、厳しく、厳しく、きつく、きつく、叱責することも必要だろうと、僕は思っております。

ともあれ、風評被害は、まず「出さない事」が最優先で大切です。

身の回りで、明らかな風評被害を吹聴している人がいましたら、とにかくその「風評」が事実かどうかを確認して、事実でないという事がわかりましたら、コミュニティを守る意味でも、厳しく叱責するようにしてください。
それがとても大切なことのように、僕は思います。


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