twitterは、かなり刺激的で面白くて、「わー、すげー!」と思わされたので、その良さも悪さもよく解るのですが、facebookの方はイマイチよく解らんのですね。「なんじゃこりゃ」という感じ。
4月くらいに登録したんですが、(当然、本名で。)いまだに、どう活用したら良いのか、よく解らない。
でも、そんな適当な使い方でも、自分の出身校とか、職場とかを登録しておくと、昔の知り合いがヒョロヒョロっと表示とかはされるし「へー、おもろいな。」とは思うわけです。
思うけど、「んー、わざわざまた連絡取る気もせんしなー」とほったらかしにしてたのですが、自分の経歴がオープンになっているから、経歴の方から僕に近づいてくるというのがあるわけですな。
経歴の中に専門学校に通っていた事を書いておいたのですよ。まぁ専門学校と言っても、街の文化教室に毛が生えたような小規模のサークルみたいな学校だったんです。
ところが、その文化教室に毛が生えた程度の専門学校出身者の人から「あ、先輩ですね。よろしくお願いします。」と声がかかって、そのままお友達になったわけです。
そうしたら、その人から「今度、卒業生の集いとかありますけど、行きます?」とかお誘いのメールが来て、「ほー、面白そうだなぁ」と、いまでもつきあいのある、当時の同窓生に「こんな集まりがあるらしいよ。」てな話をしてたわけです。
そしたら、何というか、いろいろ懐かしくなって、「あの時、誰々さんって言う人がいてたよなぁ」とか「○○さんと××君は結婚したよねぇ。」と思い出話に花が咲き、「ちょっと久しぶりに連絡してみるわ」と、その友人が昔の電話番号に電話をしたわけです。
そしたらまぁ、そのままつながって、みんなでその卒業生の集いに出ることになってしまいました。
で、これがけっこう楽しい。
昔の知り合いに会うのって良いよねぇ。悪くない。
まぁ文化教室に毛が生えた程度の学校だったので、その友人とは「どうせ、もう潰れてなくなってるんやろけどな」てな事を話してたのですが、ところがどっこい、なんと大阪で34年も続いている、老舗の学校になってたんですね。
「どうせなくなってるやろ」と話しをしてるとは、なんと薄情な卒業生であることか。(笑)
ともあれ、そんなことで、その集まりを教えてくれた方に「同期の人間を何人か誘って参加しますわ。」と連絡をすると、「おお、その世代の先輩方が来てくれるとは、世話人たちがよろこんでくれると思います。」と返事をいただきました。
なんか、多分、facebookの良さって言うのは、おそらくこういう所なんでしょうね。現実の社会とフツーにリンクしてるのが良いなぁと。そう思いました。
本名登録が怖いとかなんとか言う人もたくさんいてますけど、そんなもの、名刺を普通に配ってたら、名刺がコピーされて、どう広がっていくのかも解らないのだし、何より「悪用」されることもあるかも知れないけれど「善用」されることだってあるわけですから、プラスマイナスゼロなんだろうなと思います。
で、携帯電話なんかは、一意に相手が誰だかわかるからこそ有用なわけですし、もっと昔にもどって、普通の固定電話の時代は「電話帳」なんてものがあって、そこから相手の番号を確認することができたわけですよ。電話帳なんて、電話局に全国のものが用意されていて、誰でもが閲覧できたわけですしね。
もともと通信手段というのは、一意に求める相手につながらなければ意味がないわけで、考えてみれば、ハンドルネームなどの通り名でやりとりしているインターネットの世界の方が、本当はイレギュラーと考えた方が話はわかりやすい、って事なんではないでしょうか。
もちろん、落語家が芸名を受け継いでいくように、社会的な役割が明確な場合は「通名」をそのまま活かすような価値観もあって良いのだし、ネットが全部、本名でなければならない、なんてことにはならんと思うのですが、それでも本名で普通に連絡が取れるメリットというのは、どうも想像している以上に大きいのかな? という気はしております。
こりゃ、あれだよなぁ、今後はfacebookの機能が、携帯電話とか、スマートフォンでは「あって当然」のものになって、facebookがこれからの公的な「電話帳」になって行くんやろなぁという感じはありますよね。
ちゅうか、アメリカではfacebookでのメールのやりとりの方がEメールを打つよりラクなので、facebookでばっかり連絡してる、という人が増えてるそうです。まぁネット上の「名刺」と思えば、そうなるかな、とも思いますね。
これは、じんわりとしたおもしろさではあるけれど、現実問題としては、かなり大きな文化転換をそなえた社会的インパクトの大きいサービスなんじゃないかしらん。
多分そのうち「facebookフォン」であることが、携帯電話・スマートフォンのもっとも一般的な基礎機能になるよな、これは。と思ったのであります。
4月くらいに登録したんですが、(当然、本名で。)いまだに、どう活用したら良いのか、よく解らない。
でも、そんな適当な使い方でも、自分の出身校とか、職場とかを登録しておくと、昔の知り合いがヒョロヒョロっと表示とかはされるし「へー、おもろいな。」とは思うわけです。
思うけど、「んー、わざわざまた連絡取る気もせんしなー」とほったらかしにしてたのですが、自分の経歴がオープンになっているから、経歴の方から僕に近づいてくるというのがあるわけですな。
経歴の中に専門学校に通っていた事を書いておいたのですよ。まぁ専門学校と言っても、街の文化教室に毛が生えたような小規模のサークルみたいな学校だったんです。
ところが、その文化教室に毛が生えた程度の専門学校出身者の人から「あ、先輩ですね。よろしくお願いします。」と声がかかって、そのままお友達になったわけです。
そうしたら、その人から「今度、卒業生の集いとかありますけど、行きます?」とかお誘いのメールが来て、「ほー、面白そうだなぁ」と、いまでもつきあいのある、当時の同窓生に「こんな集まりがあるらしいよ。」てな話をしてたわけです。
そしたら、何というか、いろいろ懐かしくなって、「あの時、誰々さんって言う人がいてたよなぁ」とか「○○さんと××君は結婚したよねぇ。」と思い出話に花が咲き、「ちょっと久しぶりに連絡してみるわ」と、その友人が昔の電話番号に電話をしたわけです。
そしたらまぁ、そのままつながって、みんなでその卒業生の集いに出ることになってしまいました。
で、これがけっこう楽しい。
昔の知り合いに会うのって良いよねぇ。悪くない。
まぁ文化教室に毛が生えた程度の学校だったので、その友人とは「どうせ、もう潰れてなくなってるんやろけどな」てな事を話してたのですが、ところがどっこい、なんと大阪で34年も続いている、老舗の学校になってたんですね。
「どうせなくなってるやろ」と話しをしてるとは、なんと薄情な卒業生であることか。(笑)
ともあれ、そんなことで、その集まりを教えてくれた方に「同期の人間を何人か誘って参加しますわ。」と連絡をすると、「おお、その世代の先輩方が来てくれるとは、世話人たちがよろこんでくれると思います。」と返事をいただきました。
なんか、多分、facebookの良さって言うのは、おそらくこういう所なんでしょうね。現実の社会とフツーにリンクしてるのが良いなぁと。そう思いました。
本名登録が怖いとかなんとか言う人もたくさんいてますけど、そんなもの、名刺を普通に配ってたら、名刺がコピーされて、どう広がっていくのかも解らないのだし、何より「悪用」されることもあるかも知れないけれど「善用」されることだってあるわけですから、プラスマイナスゼロなんだろうなと思います。
で、携帯電話なんかは、一意に相手が誰だかわかるからこそ有用なわけですし、もっと昔にもどって、普通の固定電話の時代は「電話帳」なんてものがあって、そこから相手の番号を確認することができたわけですよ。電話帳なんて、電話局に全国のものが用意されていて、誰でもが閲覧できたわけですしね。
もともと通信手段というのは、一意に求める相手につながらなければ意味がないわけで、考えてみれば、ハンドルネームなどの通り名でやりとりしているインターネットの世界の方が、本当はイレギュラーと考えた方が話はわかりやすい、って事なんではないでしょうか。
もちろん、落語家が芸名を受け継いでいくように、社会的な役割が明確な場合は「通名」をそのまま活かすような価値観もあって良いのだし、ネットが全部、本名でなければならない、なんてことにはならんと思うのですが、それでも本名で普通に連絡が取れるメリットというのは、どうも想像している以上に大きいのかな? という気はしております。
こりゃ、あれだよなぁ、今後はfacebookの機能が、携帯電話とか、スマートフォンでは「あって当然」のものになって、facebookがこれからの公的な「電話帳」になって行くんやろなぁという感じはありますよね。
ちゅうか、アメリカではfacebookでのメールのやりとりの方がEメールを打つよりラクなので、facebookでばっかり連絡してる、という人が増えてるそうです。まぁネット上の「名刺」と思えば、そうなるかな、とも思いますね。
これは、じんわりとしたおもしろさではあるけれど、現実問題としては、かなり大きな文化転換をそなえた社会的インパクトの大きいサービスなんじゃないかしらん。
多分そのうち「facebookフォン」であることが、携帯電話・スマートフォンのもっとも一般的な基礎機能になるよな、これは。と思ったのであります。
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