原発は、時代の要請で不要になったと考えた方が良いのです。
2011年5月17日日本は地震大国なので、もともと原発には向かない国なんですね。だから、いくらよその国が原発で電気をまかなっていても、それがそのまま原発導入の理由にはなりません。
ですから、よその国がどうだとか、そういう理由で原発を擁護するような人は完全にパーです。話にも何もなりません。
じゃあ、なぜ日本で原発が必要と言われてきたかというと、理由は大きく3つではないでしょうか。
●(1)安全保障上の理由→独立国家として原爆をすぐに作れるようにする。
●(2)資源のない国として核燃料サイクルを開発していく。
●(3)経済成長の発展のために、無尽蔵のエネルギーが必要である。
ようは、この3つの理由が「地震大国」であるにもかかわらず原発を推進させてきた理由だったわけです。
で、この理由3つがあったが故に、なかなか原発はなくならなかったんですね。で、実際、僕自身、上の理由の(1)安全保障上の理由という意味で、どうにも原発を否定できなかったんです。
「原爆をすぐに作れる状態にしておく」というのは、表だった理由にはなってませんが、原発推進における理由のひとつとしては必ず考えておかなければならない点ですし、実際スリーマイル以降、海外に原発を売ることもできなくなったアメリカで、それでも原発が利用されてきたのは、安全保障上の意味もあると、冷静に考えられた結果なのだそうです。
で、僕は最近、この安全保障の考え方自体が枠組みから変わってきているなと感じてきたので、明確な「脱原発派」に立場を変えたんですね。いままでは消極的反対派というやつでした。
この(1)の理由は、後述しますが、とにかく、2011年の現代においては、上記の3つの理由ともに説得力を失っているなぁというのが、いま脱原発が叫ばれる大きな背景になってきていると僕は思っています。
(3)から説明していくと、いまやもう高度経済成長の時代ではない、ということですね。何より、人口構成比から考えても、この20年や30年は人口の総量がうなぎのぼりに大きくなるということはないわけです。子供を産める人の数が減ってるわけですから。
だから、もともと、そんなに大量のエネルギーが必要なわけではない。
なにより、戦後の高度成長時代のように「今年より来年、そして10年後、必ず大量のエネルギーが必要になる」というような、切迫したエネルギー需要自体が存在してないわけです。
ここのところが、まず何より、大きな「原発不要」の世論につながるわけです。このあたりは、元原発の設計者もやっておられた大前研一さんですら、原発を止めて行くしかないですねという意見にさせている大きな理由です。ようするに実用上の一番大きな理由がない。
で、(2)の核サイクル開発の話は、これはもう30年研究に予算も時間もかけてきて、1ワットの電力供給もできていない、というのがすべてでしょう。すでに核開発の積極国であるフランスでさえ、高速増殖炉の開発はやめてたはずです。
僕は数年前に高速増殖炉の開発をフランスがやめたと言う話を聞いて「あー、おそらく原発は、今後はもう生き残れなくなるなぁ」と感じたんですね。使用済み核燃料を再処理して、プルトニウムを取り出してまた燃やすのが高速増殖炉で、それによって1000年でも2000年でもエネルギーがまかなえる、というのが「核燃料サイクル」の夢の構想であって、この構想が崩れてしまったら、原発なんて可採年限87年だったかの「天然資源の乱獲エネルギー」でしかないわけですよ。石油の可採年限40年前後というのと、さして変わらないわけです。
(他の国はすでに原発は核燃料サイクルを考えに入れない「使い切り資源」と認めた上で原発を扱ってますが、日本はいまだに核燃料サイクルの開発をやめてません。これは即刻やめるべきだと僕は思います。金もかかりすぎるし、なによりナトリウムで炉を冷やすとか、あぶなくてしょうがない。やめてくれ、そんなもの。)
ですから、原発を続ける3つの理由、
(1)安全保障
(2)核燃料サイクル開発
(3)高度経済成長
のうち、(2)と(3)は、すでに破綻してると思うんですね。
だから、いま「原発は必要だ」と言っている人の大半は、安全保障上の観点から言ってる(政府の人間とか、よく事情を知ってる人は、という意味です。)のだろうと僕は思っています。ただ、それは日本ではおおっぴらに言えないから「必要だ」だけで終わってるんでしょうけども。(こういう本当のところを言えないというのが、日本という国の幼いところなんだと思いますが。)
あとは、そういう「安全保障上必要だと思うけど、はっきり言えないから、電力不足ということにしておこう」というような言い換えを、そのまま鵜呑みにして「やっぱり原発は必要だ」と言ってるアホか、ですね。
実際、プルサーマルなんて、日本があまりにプルトニウムの保有量が多くて、原爆を作ろうとしているのではないのか? という疑惑を払拭するために行われているだけの、アホな政策なんですから。プルトニウムをウランと混ぜて燃やしても、ウランからまたプルトニウムが出来るのだし、プルトニウム自体は減りません。危険度の高いプルトニウムを混ぜて燃やすMOX燃料なんて、ほんとうにただ危ないだけですしね。
だから問題は(1)の安全保障の問題だけって事になるわけですが、ここがいま、まさに変わりつつあると僕は感じてきてるわけです。
だいたい、まず、原発=安全保障という構図は、米ソの冷戦構造に則った仕組みであり、その構図が壊れたときにすべての政策を見直すべきだった、という意見を言う方がおられまして、それがひとつの大きな見方だろうと思います。
石油の取り合いという構図があって、冷戦構造があって、そのなかで原爆を持つ事で優位性を保ちながら国際政治を有利に持って行こうという意図ですね。
これが冷戦が終わって、意味をなさなくなったわけです。少なくとも日本以外では、冷戦が終わった途端に、核の問題は「拡散」の問題に変わりましたから。すでに本当は、この時点で日本の政治は世界についていけていなかった、ということでもあるわけですが。
で、現実を見てみると、日本の隣の中国は、すでに陸・海・空とも、武力自体で見てみれば、日本を越えてるんですね。アメリカも越えてる。だから、原爆だけ持っても、もう多分あまり意味がない。安全保障上は、アメリカの核の傘の中に入っておくというのが現実的選択として賢いとも言えます。
で、もっと言うと、別に中国の核の傘の中に入ってもかまわないわけです。どっちでもいいんです。なんでかというと、いまや、すでに「核の傘」という安全保障の考え方自体がゆっくりと力を失って行ってると感じるからです。
多分、すでに地球は、安全保障の問題を「武力」ではなくて「情報」で考えないといけない段階に入ってるんだと思うんですね。ウィキリークスの登場もそうだし、ジャスミン革命・エジプト革命がツイッターやフェイスブックによって起こったと言うことを見ても明らかです。もう、武力で脅す時代は終わりつつある、という気がするんです。
このあたりの時代の変化があるから、僕は(1)の原発の安全保障の意味を「それほど有用かつ重要だろうか?」と疑問視するようになってきたんです。
それよりも、今後40年なり50年なりの国際社会の事を考えれば、太陽光発電や風力発電、あるいはバイオマスやらコジェネシステム、それからスマートグリッドやら電気自動車などやらの節電的利用技術などなどを積極的に開発して、それを平和外交の道具として使っていく方が、はるかに安全保障にも効果的という気がするわけです。とくにモノづくりが得意な日本においては、その方がはるかに現実的で、達成可能で、なにより危険が少ない。
この「武力でなく平和外交で安全保障を」という考え方は、たぶんインターネットが普及する前は、それこそ絵に描いた餅という側面が大きかったと思うのですね。しかし、いまはもう時代が違うと思います。
たとえば太陽光発電において「地球の昼間側の地域から夜側の地域に電気を供給する」というやり方が考案されてますが、これは国境を越えた電力供給の安定手法で、夢物語のようにも思えますが、やってやれない事ではないし、それが実現すれば地球の多様な国がそれぞれに相互依存するので、安全保障上も非常に効果が高い。決して夢物語ではないわけです。とくにインターネットがあれば、ほとんどリアルタイムに近い形でやりとりもできるわけですから、実現できない方法ではないんですね。昔だとちょっと難しかったでしょうけど。
で、「フクシマ」以降、世界は、大きくはそっちの方に動かざるを得ないのだと思うのです。
原発は危険だということで、今後は天然ガスや石油の需要が高まるでしょう。そして石油の値段があがる。
でも、それは必然的に、「新しいエネルギー技術の必要度が増す」ということでもあるんです。いままで石油は安すぎたとも言えます。石油の値段があがれば、今後は石油の採掘技術も多少コスト高でも、新しい技術を使って眠っていた石油を掘り起こすことになるかも知れません。
そうなれば、石油の可採年限だって、「採掘技術」によって40年が80年にも100年にも伸びます。
電気が高値になれば、スマートグリッドのような送電・配電部分における効率化だって進むでしょう。そうなれば、結果的に石油の使用可能年限はもっと伸びるということにもなります。
そこに太陽光発電や風力発電による電気を足し上げ、生ゴミまで資源にできるような新しいバイオマスエタノールとか、同じ石油でより多くの発電ができるガスコンバインド発電、発電時の熱拡散まで取り込む地域発電のコジェネシステムによる効率化、リチウム電池やマグネシウム電池などによる蓄電技術の発展、完全にリサイクルできて太陽光エネルギーも利用できるマグネシウム発電の開発、あるいはオーランチオキトリウムなどの「石油をつくる藻」で原油そのものを生み出しても良いし、そういうものまで全部含めて、エネルギーのベストミックスを推進して、その技術交流・交換を平和外交の基軸にすれば、安全保障の部分でも世界から信頼を得ることができて、もう原発の出る幕はまったくないわけです。
で、多分、日本の技術力を考えれば、そういう「新しいエネルギー体系」に、積極的に、勇猛果敢に取り組んだ方が、原発を使っておびえながら生きるより、はるかに自分たちの才能を活かせて、成功の可能性も高いと思うのですね。
このあたりは、本当に重要だと思っていて、日本には、そういう新しいエネルギー体系に貢献する技術が山のように眠っているんです。石油を効率的に使う石油精製技術も高いし(アメリカはそれが弱い。)、風力発電の風車は海外から購入することが多いらしいのですが、でも、あの大きな羽根を作るための金型技術は、日本ならではであったりするんです。
とにかく新しいエネルギーと、それを効率的に使う技術は、日本はとても優れている。そこを震災復興のテコにするのが一番いいし、そのためには「原発は不要」と正しく知って、上記の(1)(2)(3)の理由を全部駆逐していかないといけないんですね。
で、政府はまだまだそういう新しい方向に舵を切っていませんが、意外にも各種経済雑誌などは「脱原発」を大きく掲げはじめています。
「おおー」と感心するんですが、これは多分、フクシマがいまも問題を出し続けていて、いっこうに終息しないからでしょうね。
長く同じ問題に、しつこく取り組めば、おのずから解決策は集約されていくわけで、たぶんフクシマが問題を出し続ける限り、我々は「脱原発」の意志を忘れずにいれます。フクシマがあるからこそ、真剣に「脱原発を基軸とした新しいエネルギー体系」を、日本人は探り続けることになるのだ、と僕は思っております。
ですから、よその国がどうだとか、そういう理由で原発を擁護するような人は完全にパーです。話にも何もなりません。
じゃあ、なぜ日本で原発が必要と言われてきたかというと、理由は大きく3つではないでしょうか。
●(1)安全保障上の理由→独立国家として原爆をすぐに作れるようにする。
●(2)資源のない国として核燃料サイクルを開発していく。
●(3)経済成長の発展のために、無尽蔵のエネルギーが必要である。
ようは、この3つの理由が「地震大国」であるにもかかわらず原発を推進させてきた理由だったわけです。
で、この理由3つがあったが故に、なかなか原発はなくならなかったんですね。で、実際、僕自身、上の理由の(1)安全保障上の理由という意味で、どうにも原発を否定できなかったんです。
「原爆をすぐに作れる状態にしておく」というのは、表だった理由にはなってませんが、原発推進における理由のひとつとしては必ず考えておかなければならない点ですし、実際スリーマイル以降、海外に原発を売ることもできなくなったアメリカで、それでも原発が利用されてきたのは、安全保障上の意味もあると、冷静に考えられた結果なのだそうです。
で、僕は最近、この安全保障の考え方自体が枠組みから変わってきているなと感じてきたので、明確な「脱原発派」に立場を変えたんですね。いままでは消極的反対派というやつでした。
この(1)の理由は、後述しますが、とにかく、2011年の現代においては、上記の3つの理由ともに説得力を失っているなぁというのが、いま脱原発が叫ばれる大きな背景になってきていると僕は思っています。
(3)から説明していくと、いまやもう高度経済成長の時代ではない、ということですね。何より、人口構成比から考えても、この20年や30年は人口の総量がうなぎのぼりに大きくなるということはないわけです。子供を産める人の数が減ってるわけですから。
だから、もともと、そんなに大量のエネルギーが必要なわけではない。
なにより、戦後の高度成長時代のように「今年より来年、そして10年後、必ず大量のエネルギーが必要になる」というような、切迫したエネルギー需要自体が存在してないわけです。
ここのところが、まず何より、大きな「原発不要」の世論につながるわけです。このあたりは、元原発の設計者もやっておられた大前研一さんですら、原発を止めて行くしかないですねという意見にさせている大きな理由です。ようするに実用上の一番大きな理由がない。
で、(2)の核サイクル開発の話は、これはもう30年研究に予算も時間もかけてきて、1ワットの電力供給もできていない、というのがすべてでしょう。すでに核開発の積極国であるフランスでさえ、高速増殖炉の開発はやめてたはずです。
僕は数年前に高速増殖炉の開発をフランスがやめたと言う話を聞いて「あー、おそらく原発は、今後はもう生き残れなくなるなぁ」と感じたんですね。使用済み核燃料を再処理して、プルトニウムを取り出してまた燃やすのが高速増殖炉で、それによって1000年でも2000年でもエネルギーがまかなえる、というのが「核燃料サイクル」の夢の構想であって、この構想が崩れてしまったら、原発なんて可採年限87年だったかの「天然資源の乱獲エネルギー」でしかないわけですよ。石油の可採年限40年前後というのと、さして変わらないわけです。
(他の国はすでに原発は核燃料サイクルを考えに入れない「使い切り資源」と認めた上で原発を扱ってますが、日本はいまだに核燃料サイクルの開発をやめてません。これは即刻やめるべきだと僕は思います。金もかかりすぎるし、なによりナトリウムで炉を冷やすとか、あぶなくてしょうがない。やめてくれ、そんなもの。)
ですから、原発を続ける3つの理由、
(1)安全保障
(2)核燃料サイクル開発
(3)高度経済成長
のうち、(2)と(3)は、すでに破綻してると思うんですね。
だから、いま「原発は必要だ」と言っている人の大半は、安全保障上の観点から言ってる(政府の人間とか、よく事情を知ってる人は、という意味です。)のだろうと僕は思っています。ただ、それは日本ではおおっぴらに言えないから「必要だ」だけで終わってるんでしょうけども。(こういう本当のところを言えないというのが、日本という国の幼いところなんだと思いますが。)
あとは、そういう「安全保障上必要だと思うけど、はっきり言えないから、電力不足ということにしておこう」というような言い換えを、そのまま鵜呑みにして「やっぱり原発は必要だ」と言ってるアホか、ですね。
実際、プルサーマルなんて、日本があまりにプルトニウムの保有量が多くて、原爆を作ろうとしているのではないのか? という疑惑を払拭するために行われているだけの、アホな政策なんですから。プルトニウムをウランと混ぜて燃やしても、ウランからまたプルトニウムが出来るのだし、プルトニウム自体は減りません。危険度の高いプルトニウムを混ぜて燃やすMOX燃料なんて、ほんとうにただ危ないだけですしね。
だから問題は(1)の安全保障の問題だけって事になるわけですが、ここがいま、まさに変わりつつあると僕は感じてきてるわけです。
だいたい、まず、原発=安全保障という構図は、米ソの冷戦構造に則った仕組みであり、その構図が壊れたときにすべての政策を見直すべきだった、という意見を言う方がおられまして、それがひとつの大きな見方だろうと思います。
石油の取り合いという構図があって、冷戦構造があって、そのなかで原爆を持つ事で優位性を保ちながら国際政治を有利に持って行こうという意図ですね。
これが冷戦が終わって、意味をなさなくなったわけです。少なくとも日本以外では、冷戦が終わった途端に、核の問題は「拡散」の問題に変わりましたから。すでに本当は、この時点で日本の政治は世界についていけていなかった、ということでもあるわけですが。
で、現実を見てみると、日本の隣の中国は、すでに陸・海・空とも、武力自体で見てみれば、日本を越えてるんですね。アメリカも越えてる。だから、原爆だけ持っても、もう多分あまり意味がない。安全保障上は、アメリカの核の傘の中に入っておくというのが現実的選択として賢いとも言えます。
で、もっと言うと、別に中国の核の傘の中に入ってもかまわないわけです。どっちでもいいんです。なんでかというと、いまや、すでに「核の傘」という安全保障の考え方自体がゆっくりと力を失って行ってると感じるからです。
多分、すでに地球は、安全保障の問題を「武力」ではなくて「情報」で考えないといけない段階に入ってるんだと思うんですね。ウィキリークスの登場もそうだし、ジャスミン革命・エジプト革命がツイッターやフェイスブックによって起こったと言うことを見ても明らかです。もう、武力で脅す時代は終わりつつある、という気がするんです。
このあたりの時代の変化があるから、僕は(1)の原発の安全保障の意味を「それほど有用かつ重要だろうか?」と疑問視するようになってきたんです。
それよりも、今後40年なり50年なりの国際社会の事を考えれば、太陽光発電や風力発電、あるいはバイオマスやらコジェネシステム、それからスマートグリッドやら電気自動車などやらの節電的利用技術などなどを積極的に開発して、それを平和外交の道具として使っていく方が、はるかに安全保障にも効果的という気がするわけです。とくにモノづくりが得意な日本においては、その方がはるかに現実的で、達成可能で、なにより危険が少ない。
この「武力でなく平和外交で安全保障を」という考え方は、たぶんインターネットが普及する前は、それこそ絵に描いた餅という側面が大きかったと思うのですね。しかし、いまはもう時代が違うと思います。
たとえば太陽光発電において「地球の昼間側の地域から夜側の地域に電気を供給する」というやり方が考案されてますが、これは国境を越えた電力供給の安定手法で、夢物語のようにも思えますが、やってやれない事ではないし、それが実現すれば地球の多様な国がそれぞれに相互依存するので、安全保障上も非常に効果が高い。決して夢物語ではないわけです。とくにインターネットがあれば、ほとんどリアルタイムに近い形でやりとりもできるわけですから、実現できない方法ではないんですね。昔だとちょっと難しかったでしょうけど。
で、「フクシマ」以降、世界は、大きくはそっちの方に動かざるを得ないのだと思うのです。
原発は危険だということで、今後は天然ガスや石油の需要が高まるでしょう。そして石油の値段があがる。
でも、それは必然的に、「新しいエネルギー技術の必要度が増す」ということでもあるんです。いままで石油は安すぎたとも言えます。石油の値段があがれば、今後は石油の採掘技術も多少コスト高でも、新しい技術を使って眠っていた石油を掘り起こすことになるかも知れません。
そうなれば、石油の可採年限だって、「採掘技術」によって40年が80年にも100年にも伸びます。
電気が高値になれば、スマートグリッドのような送電・配電部分における効率化だって進むでしょう。そうなれば、結果的に石油の使用可能年限はもっと伸びるということにもなります。
そこに太陽光発電や風力発電による電気を足し上げ、生ゴミまで資源にできるような新しいバイオマスエタノールとか、同じ石油でより多くの発電ができるガスコンバインド発電、発電時の熱拡散まで取り込む地域発電のコジェネシステムによる効率化、リチウム電池やマグネシウム電池などによる蓄電技術の発展、完全にリサイクルできて太陽光エネルギーも利用できるマグネシウム発電の開発、あるいはオーランチオキトリウムなどの「石油をつくる藻」で原油そのものを生み出しても良いし、そういうものまで全部含めて、エネルギーのベストミックスを推進して、その技術交流・交換を平和外交の基軸にすれば、安全保障の部分でも世界から信頼を得ることができて、もう原発の出る幕はまったくないわけです。
で、多分、日本の技術力を考えれば、そういう「新しいエネルギー体系」に、積極的に、勇猛果敢に取り組んだ方が、原発を使っておびえながら生きるより、はるかに自分たちの才能を活かせて、成功の可能性も高いと思うのですね。
このあたりは、本当に重要だと思っていて、日本には、そういう新しいエネルギー体系に貢献する技術が山のように眠っているんです。石油を効率的に使う石油精製技術も高いし(アメリカはそれが弱い。)、風力発電の風車は海外から購入することが多いらしいのですが、でも、あの大きな羽根を作るための金型技術は、日本ならではであったりするんです。
とにかく新しいエネルギーと、それを効率的に使う技術は、日本はとても優れている。そこを震災復興のテコにするのが一番いいし、そのためには「原発は不要」と正しく知って、上記の(1)(2)(3)の理由を全部駆逐していかないといけないんですね。
で、政府はまだまだそういう新しい方向に舵を切っていませんが、意外にも各種経済雑誌などは「脱原発」を大きく掲げはじめています。
「おおー」と感心するんですが、これは多分、フクシマがいまも問題を出し続けていて、いっこうに終息しないからでしょうね。
長く同じ問題に、しつこく取り組めば、おのずから解決策は集約されていくわけで、たぶんフクシマが問題を出し続ける限り、我々は「脱原発」の意志を忘れずにいれます。フクシマがあるからこそ、真剣に「脱原発を基軸とした新しいエネルギー体系」を、日本人は探り続けることになるのだ、と僕は思っております。
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