菅総理の浜岡原発停止要請は、何はともあれ、評価します。
2011年5月7日 ■時事 コメント (1)あのアホ菅のことだから、国民の人気取りだ、という事はよーくわかってるんですが、それでも、危ないものは危ない。
だから、浜岡原発停止要請に関しては、いちおう、「素晴らしい。画期的判断だ。」という評価にしておきます。
人気取りであろうが、選挙対策であろうが、唐突すぎるやり方だろうが、問題点には全部目をつぶってでも、「国民の安心・安全」を優先するという事には、それだけの意義があると僕は思います。
本来なら、福島の原発事故を受けて、ドイツのように「40年で原発ゼロを目指し自然エネルギー開発に集中します。」というような、大きなグランドデザインを提出した上で、個別案件としての原発の停止と、その優先順位などを出す、というのが、本来のあり方で、代替エネルギー開発による経済効果などの良い面のアピールと平行して「原発の停止」などをやっていかねば説得力に欠けるところはあるのです。
でも、それでも、稚拙でもいい。拙速でもいい。とにかく「国民の安心・安全」を優先したことは高く評価しておきたいです。
菅はアホやからこそできたんかも知れませんしな。
いや、はっきり言って「要請」ってなんやねん、弱腰な、なんで「命令」とちゃうねん、とか、「ほんまにもう、なんでこんなに中途半端で思いつきの、行き当たりばったりのやり方でやるかなぁ」とあきれてしまうんですが、それでも、アホでも「安心・安全の優先」をやった事に関しては、正しく評価しなければいけない。
●経済政策より、まずは「命の安全」が優先する。
という事を、はっきりさせないといけないのです。
●命の次に大事なカネの話。
であって、
●命より大事なカネの話。
なんてものはないのです。
そういう話をしている奴は、やはり蔑まれてしまうのですよ。
だから、菅総理の停止要請は、背景もなければ背骨もない、ふにゃふにゃの頼りない決断ではあるけれども、「それこそが国民の望んでいる事である!」と、国民の側から「良いことをされました」と評価してあげなければならないのです。
そうやって評価してやらないと、本当に、せっかくの「要請」を、地元や経済界が受け入れないとかいうアホな話にもなりかねない。だって菅はアホやから、そこまで根回しした上でやってる事ではないですから。
だから国民が支えてやらんとアカンのです。
●浜岡停止は素晴らしいぞー
と大きく叫ばなければなりません。
とくに浜岡原発は、「停めても電力不足におちいらない」原発の代表選手ですからな。そういう意味では停めた方が良い原発のシンボルとしての意味が大きい。
今回の菅総理の要請を社民党の福島瑞穂は、画期的な決断として高く評価してますが、それはそういう意味なんですよ。とにかく安全の側にスイッチを入れたのだ、ということが大事で、稚拙で拙速すぎるやり方ではあるけども、そこは割り引いて評価しないといけないと思います。
こういう話が出てきてはじめて、国民的論議になって、ここから、
●原発は停止しても大丈夫なんだ。
という事実をはじめて知る人も多いと思うんですね。
●原発は、すべてを停止しても火力と水力だけで充分電気をまかなえる。
という、発電設備の現実を、まず国民みんなが知らないといけないのです。そこをみんなが知らないから「原発は必要なんじゃないの?」という話に揺り戻しが出てしまうわけです。
ですから、繰り返し書きますけど、
●原発は、すべてを停止しても火力と水力だけで充分電気をまかなえる。
という事を、もっと一般の人は、それこそ床屋談義ででも、どんどん話題として出すべきなんです。すべてはまずそこからでしょう。
●原発は、すべてを停止しても火力と水力だけで充分電気をまかなえる。
という事です。
どうせついでなので、もう一回強調しておきましょう。
●原発は、すべてを停止しても火力と水力だけで充分電気をまかなえる。
んですよ。
もちろん、補助金で食べてた地域の人たちの生活をどう担保していくのか、とか、「火力と推力だけでまかなえるのに、なんで原発みたいな危ないものを何十基も作ってたの?」という国民の側の疑問とかは、残るんでしょうが、とにかくそれは後から対処する、という事で良いのです。
人間が生きて、死なずにいてれば、論議する機会もあります。
しかし、地震で原発が破壊されて命の不安にさらされたら、その論議や議論をしている余裕もなくなってしまう。
そういう事を、福島の原発事故で、我々は学んだのではないですかね?
というか、それを学ばなければ、いったい何を学ぶのでしょうか。
●命の危険にさらされていたら、まともな論議もできない。
のです。
だから、とりあえず「浜岡停止は素晴らしいぞー」とだけは言っておきます。
というか、言わないと、わかってない人から、いろいろ反発の声が出るのですよ。
で、重要な事をひとつ書いておくと、実は浜岡に関しては原子力保安院は「安全対策をキチンと取ってから運転せよ」となっていて、実は本来稼働できる状態じゃないんですよね。保安院の認可が下りてないのに、勝手に動かしている状態になってるんです。
だから、その意味では即時停止して当然の状態なんです。
で、逆に福島の方は、40年という使用期限を過ぎてるのに、稼働していて、その認可を保安院は去年出してるんですよね。
ですから、この保安院の責任は、かなり重い。
であるのに、命令系統が正しく機能していないのではないか? という問題もあるわけです。仮に「原発は必要だ」という立場の人間であっても、この保安院の責任については徹底追求すべき課題ですから、そこは明確にしないといけないですよね。
●浜岡は、保安院からの許可を無視して稼働させている原発だ。
と言うことも、この際、正しく認識しましょう。
電力不足の話に関しては、新たな電力供給の考え方がいくつもあるのに、そのそれぞれがキチンと国民的な論議の対象にすらなってなくて、それゆえに「市場」が形成されないのが一番の問題なんだ、ということも、この際、不勉強な人には知ってもらいたいです。
国民の側がキチンと勉強しないと、安心・安全をカネで買われてしまって、フクシマみたいなことになるんだ、と言うことを、正しく認識すべきですね。
火力と水力だけでまかなえる、という話は、あくまで既存の発電所の余力の問題だけですが、これからは「新規に建てる発電所は、どんなものにするか」という議論も必要で、そこについては、広瀬正さんあたりはガスコンバインド発電所を推してるわけです。
これは従来の火力発電所を、より効率化させた設備で、エネルギー効率自体がとても高いわけです。そのくせ、建設費用は原発の半分程度で良いのだそうです。
すばらしい! と思うのが普通ですが、電気事業法で「利益率3.5%」と定められている電力会社にしたら、「えーーー!建設費用が半分というこをは上乗せできる利益も半分になってしまうじゃないですか。それは我々の生活をおびやかすことだから嫌です」という話になってしまって、「そんなものよりコストの高い原発にしましょう。その方が利益がたくさん出るから」という話になって、「それより新規原発を!」てな判断になっちゃうんですよね。
だから、本来は電気事業法の見直しも必要だし、いろいろ考えないといけないんですけどね。でも、ともかくそういう法的な事情も、この際キチンと国民の側が学習していかないといけません。
自然エネルギーに関しても、たとえば太陽光発電というのは、国民のひとりひとりが「発電主」になるわけで、電力会社にしてみれば、そこから電気を買い取らねばならないわけです。
でも、発電と送電が一体化してる会社としては、いわば個人発電主は、商売敵ですからな、そら自然エネルギーの事をよく言うわけがないのですよ。必ず「自然エネルギーは不安定だから良くない」とか言います。
いやいや、それは電力会社が発電も送電も独占していて、自然な送発分離の形になってないから、そう言うだけでしょ? ということも、我々国民の側が勉強しないといけません。
テレビはおおむね電力会社寄りの意見しか出さないので、テレビでは自然エネルギーは必ず「不安定なエネルギー」という偏見付きでしか紹介されないわけですよ。
まぁ、ライオン提供の「いただきます(古い!)」とか「ごきげんよう」で、出演者が花王の石けんの話や化粧品の話をしないのと同じで、電力会社にとっては、太陽光や風力は「競合他社」なわけです。だから、テレビや新聞で、まともに自然エネルギーの話なんか出てこないのです。
そういう事も国民は、正しく認識すべきですしね。
自然エネルギーが安定しない、というのは、本来送電・配電が電気を買って、安定させるのが仕事なわけです。自然エネルギーも数が増えればある程度の安定感は出てくるはずなのですよ。そんなの当然じゃないですか。でも、それを電力会社がやってないわけです。
特に、風力と太陽光なら補完しあう関係にもなるはずだから(天気が良い時は太陽電池は強く、天気が悪い時は風力が強い)、上記のガスコンバインド発電所と組み合わせれば、かなり現実的な電力供給の見込みも立つはずです。
とくに電気の地産地消化を進めれば、電気を使う場所で電気を起こすわけですから、送電線から熱となって逃げていく電気というのが節約できます。原発は一基作って大量の電力を地域全体に配る、というやり方ですから、電線の上で熱となってムダがやたらと増えるのですよ。
でも、自然エネルギーを使った電力供給などという事をすると、電気事業法で利益率3.5%と定められていて、送電と発電が一体化している電力会社は「発電所を新規に作るコスト分」の上乗せができなくなるわけですよ。
儲からない。
社員がまともな暮らしを維持できなくなる。
だから、「自然エネルギーは不安定だからダメ」という宣伝をするわけです。
良いですか? 利益は3.5%と決められていたら、ウランにしろ、石油にしろ、何かを「仕入れ」たら、その仕入れ値に応じて利益が取れるから、電力会社は儲かるわけです。
でも、太陽光発電や風力発電で、そんな「仕入れ」が発生しますか?
自然エネルギーでは、そんな「仕入れ」は発生しない。永遠に「燃料購入費」が発生しないのですよ。
燃料購入費が発生しないということは、そこに上乗せできる「利益」が発生しない、ということです。
だから、電力会社は「自然エネルギー」が嫌いなんですよ。
そこのところを、正しく正しく、国民の側が気づかないといけないですね。
他にもいろいろ国民の側が勉強しないといけない項目は多々ありますが、とにかく「民主主義」というのは、国民が主権者として判定・判断をする社会の事であって、それを維持するには「国民が勉強し続ける」というリスクを喜んで取っていくというスタンスが不可欠なんです。
ここのところは絶対に必要なことですから、みんなで頑張って勉強しましょう。
勉強しないということは、ヒトラーのような独裁者が出てきても、その善し悪しが判定できず、搾取されても気づけない、と言うことを示します。
そして、真の民主主義国家を目指すなら、僕だけが勉強しててもダメなんです。
これを読んでるあなた! あなたも勉強しなきゃ、ダメ。ヒトラーが出てきたときに気づけなくなりますよ!
ということです。
日本人は気づいてないですけど、まず欧米では、そういう「国民の義務としての勉強」を、国民が一人残らずとはいわないまでも、まぁ8割から9割の人がキチンとやってるそうです。
(だからこそ、新聞社などの「編集権の独立」がシステムとして守られているわけです。)
日本人は、そこがダメ。
何故勉強しなければいけないのかの、根本がわかっていない。
「カネより命が大切」と思うなら、キチンと勉強しないといけない。
そういうことです。
だから、とりあえずアホ菅の人気取り決定は、我々国民が勉強する良いきっかけとなります。
だから、勉強しましょう。
送電と発電の分離が何故必要なのか?
電気事業法とはどんなものなのか?
総括原価方式って何?
コジェネシステムって何?
電気自動車とガソリン自動車のエネルギー効率はどのくらい違うの?
などなど、エネルギーに関して学ぶべき事は山のようにあります。僕もまだまだ勉強の途中です。教えあって、学びあう気持ちを持つことが、「安心・安全」な環境を生み出すために、どうしても必要なことです。
勉強しましょう。
みんなで。
だから、浜岡原発停止要請に関しては、いちおう、「素晴らしい。画期的判断だ。」という評価にしておきます。
人気取りであろうが、選挙対策であろうが、唐突すぎるやり方だろうが、問題点には全部目をつぶってでも、「国民の安心・安全」を優先するという事には、それだけの意義があると僕は思います。
本来なら、福島の原発事故を受けて、ドイツのように「40年で原発ゼロを目指し自然エネルギー開発に集中します。」というような、大きなグランドデザインを提出した上で、個別案件としての原発の停止と、その優先順位などを出す、というのが、本来のあり方で、代替エネルギー開発による経済効果などの良い面のアピールと平行して「原発の停止」などをやっていかねば説得力に欠けるところはあるのです。
でも、それでも、稚拙でもいい。拙速でもいい。とにかく「国民の安心・安全」を優先したことは高く評価しておきたいです。
菅はアホやからこそできたんかも知れませんしな。
いや、はっきり言って「要請」ってなんやねん、弱腰な、なんで「命令」とちゃうねん、とか、「ほんまにもう、なんでこんなに中途半端で思いつきの、行き当たりばったりのやり方でやるかなぁ」とあきれてしまうんですが、それでも、アホでも「安心・安全の優先」をやった事に関しては、正しく評価しなければいけない。
●経済政策より、まずは「命の安全」が優先する。
という事を、はっきりさせないといけないのです。
●命の次に大事なカネの話。
であって、
●命より大事なカネの話。
なんてものはないのです。
そういう話をしている奴は、やはり蔑まれてしまうのですよ。
だから、菅総理の停止要請は、背景もなければ背骨もない、ふにゃふにゃの頼りない決断ではあるけれども、「それこそが国民の望んでいる事である!」と、国民の側から「良いことをされました」と評価してあげなければならないのです。
そうやって評価してやらないと、本当に、せっかくの「要請」を、地元や経済界が受け入れないとかいうアホな話にもなりかねない。だって菅はアホやから、そこまで根回しした上でやってる事ではないですから。
だから国民が支えてやらんとアカンのです。
●浜岡停止は素晴らしいぞー
と大きく叫ばなければなりません。
とくに浜岡原発は、「停めても電力不足におちいらない」原発の代表選手ですからな。そういう意味では停めた方が良い原発のシンボルとしての意味が大きい。
今回の菅総理の要請を社民党の福島瑞穂は、画期的な決断として高く評価してますが、それはそういう意味なんですよ。とにかく安全の側にスイッチを入れたのだ、ということが大事で、稚拙で拙速すぎるやり方ではあるけども、そこは割り引いて評価しないといけないと思います。
こういう話が出てきてはじめて、国民的論議になって、ここから、
●原発は停止しても大丈夫なんだ。
という事実をはじめて知る人も多いと思うんですね。
●原発は、すべてを停止しても火力と水力だけで充分電気をまかなえる。
という、発電設備の現実を、まず国民みんなが知らないといけないのです。そこをみんなが知らないから「原発は必要なんじゃないの?」という話に揺り戻しが出てしまうわけです。
ですから、繰り返し書きますけど、
●原発は、すべてを停止しても火力と水力だけで充分電気をまかなえる。
という事を、もっと一般の人は、それこそ床屋談義ででも、どんどん話題として出すべきなんです。すべてはまずそこからでしょう。
●原発は、すべてを停止しても火力と水力だけで充分電気をまかなえる。
という事です。
どうせついでなので、もう一回強調しておきましょう。
●原発は、すべてを停止しても火力と水力だけで充分電気をまかなえる。
んですよ。
もちろん、補助金で食べてた地域の人たちの生活をどう担保していくのか、とか、「火力と推力だけでまかなえるのに、なんで原発みたいな危ないものを何十基も作ってたの?」という国民の側の疑問とかは、残るんでしょうが、とにかくそれは後から対処する、という事で良いのです。
人間が生きて、死なずにいてれば、論議する機会もあります。
しかし、地震で原発が破壊されて命の不安にさらされたら、その論議や議論をしている余裕もなくなってしまう。
そういう事を、福島の原発事故で、我々は学んだのではないですかね?
というか、それを学ばなければ、いったい何を学ぶのでしょうか。
●命の危険にさらされていたら、まともな論議もできない。
のです。
だから、とりあえず「浜岡停止は素晴らしいぞー」とだけは言っておきます。
というか、言わないと、わかってない人から、いろいろ反発の声が出るのですよ。
で、重要な事をひとつ書いておくと、実は浜岡に関しては原子力保安院は「安全対策をキチンと取ってから運転せよ」となっていて、実は本来稼働できる状態じゃないんですよね。保安院の認可が下りてないのに、勝手に動かしている状態になってるんです。
だから、その意味では即時停止して当然の状態なんです。
で、逆に福島の方は、40年という使用期限を過ぎてるのに、稼働していて、その認可を保安院は去年出してるんですよね。
ですから、この保安院の責任は、かなり重い。
であるのに、命令系統が正しく機能していないのではないか? という問題もあるわけです。仮に「原発は必要だ」という立場の人間であっても、この保安院の責任については徹底追求すべき課題ですから、そこは明確にしないといけないですよね。
●浜岡は、保安院からの許可を無視して稼働させている原発だ。
と言うことも、この際、正しく認識しましょう。
電力不足の話に関しては、新たな電力供給の考え方がいくつもあるのに、そのそれぞれがキチンと国民的な論議の対象にすらなってなくて、それゆえに「市場」が形成されないのが一番の問題なんだ、ということも、この際、不勉強な人には知ってもらいたいです。
国民の側がキチンと勉強しないと、安心・安全をカネで買われてしまって、フクシマみたいなことになるんだ、と言うことを、正しく認識すべきですね。
火力と水力だけでまかなえる、という話は、あくまで既存の発電所の余力の問題だけですが、これからは「新規に建てる発電所は、どんなものにするか」という議論も必要で、そこについては、広瀬正さんあたりはガスコンバインド発電所を推してるわけです。
これは従来の火力発電所を、より効率化させた設備で、エネルギー効率自体がとても高いわけです。そのくせ、建設費用は原発の半分程度で良いのだそうです。
すばらしい! と思うのが普通ですが、電気事業法で「利益率3.5%」と定められている電力会社にしたら、「えーーー!建設費用が半分というこをは上乗せできる利益も半分になってしまうじゃないですか。それは我々の生活をおびやかすことだから嫌です」という話になってしまって、「そんなものよりコストの高い原発にしましょう。その方が利益がたくさん出るから」という話になって、「それより新規原発を!」てな判断になっちゃうんですよね。
だから、本来は電気事業法の見直しも必要だし、いろいろ考えないといけないんですけどね。でも、ともかくそういう法的な事情も、この際キチンと国民の側が学習していかないといけません。
自然エネルギーに関しても、たとえば太陽光発電というのは、国民のひとりひとりが「発電主」になるわけで、電力会社にしてみれば、そこから電気を買い取らねばならないわけです。
でも、発電と送電が一体化してる会社としては、いわば個人発電主は、商売敵ですからな、そら自然エネルギーの事をよく言うわけがないのですよ。必ず「自然エネルギーは不安定だから良くない」とか言います。
いやいや、それは電力会社が発電も送電も独占していて、自然な送発分離の形になってないから、そう言うだけでしょ? ということも、我々国民の側が勉強しないといけません。
テレビはおおむね電力会社寄りの意見しか出さないので、テレビでは自然エネルギーは必ず「不安定なエネルギー」という偏見付きでしか紹介されないわけですよ。
まぁ、ライオン提供の「いただきます(古い!)」とか「ごきげんよう」で、出演者が花王の石けんの話や化粧品の話をしないのと同じで、電力会社にとっては、太陽光や風力は「競合他社」なわけです。だから、テレビや新聞で、まともに自然エネルギーの話なんか出てこないのです。
そういう事も国民は、正しく認識すべきですしね。
自然エネルギーが安定しない、というのは、本来送電・配電が電気を買って、安定させるのが仕事なわけです。自然エネルギーも数が増えればある程度の安定感は出てくるはずなのですよ。そんなの当然じゃないですか。でも、それを電力会社がやってないわけです。
特に、風力と太陽光なら補完しあう関係にもなるはずだから(天気が良い時は太陽電池は強く、天気が悪い時は風力が強い)、上記のガスコンバインド発電所と組み合わせれば、かなり現実的な電力供給の見込みも立つはずです。
とくに電気の地産地消化を進めれば、電気を使う場所で電気を起こすわけですから、送電線から熱となって逃げていく電気というのが節約できます。原発は一基作って大量の電力を地域全体に配る、というやり方ですから、電線の上で熱となってムダがやたらと増えるのですよ。
でも、自然エネルギーを使った電力供給などという事をすると、電気事業法で利益率3.5%と定められていて、送電と発電が一体化している電力会社は「発電所を新規に作るコスト分」の上乗せができなくなるわけですよ。
儲からない。
社員がまともな暮らしを維持できなくなる。
だから、「自然エネルギーは不安定だからダメ」という宣伝をするわけです。
良いですか? 利益は3.5%と決められていたら、ウランにしろ、石油にしろ、何かを「仕入れ」たら、その仕入れ値に応じて利益が取れるから、電力会社は儲かるわけです。
でも、太陽光発電や風力発電で、そんな「仕入れ」が発生しますか?
自然エネルギーでは、そんな「仕入れ」は発生しない。永遠に「燃料購入費」が発生しないのですよ。
燃料購入費が発生しないということは、そこに上乗せできる「利益」が発生しない、ということです。
だから、電力会社は「自然エネルギー」が嫌いなんですよ。
そこのところを、正しく正しく、国民の側が気づかないといけないですね。
他にもいろいろ国民の側が勉強しないといけない項目は多々ありますが、とにかく「民主主義」というのは、国民が主権者として判定・判断をする社会の事であって、それを維持するには「国民が勉強し続ける」というリスクを喜んで取っていくというスタンスが不可欠なんです。
ここのところは絶対に必要なことですから、みんなで頑張って勉強しましょう。
勉強しないということは、ヒトラーのような独裁者が出てきても、その善し悪しが判定できず、搾取されても気づけない、と言うことを示します。
そして、真の民主主義国家を目指すなら、僕だけが勉強しててもダメなんです。
これを読んでるあなた! あなたも勉強しなきゃ、ダメ。ヒトラーが出てきたときに気づけなくなりますよ!
ということです。
日本人は気づいてないですけど、まず欧米では、そういう「国民の義務としての勉強」を、国民が一人残らずとはいわないまでも、まぁ8割から9割の人がキチンとやってるそうです。
(だからこそ、新聞社などの「編集権の独立」がシステムとして守られているわけです。)
日本人は、そこがダメ。
何故勉強しなければいけないのかの、根本がわかっていない。
「カネより命が大切」と思うなら、キチンと勉強しないといけない。
そういうことです。
だから、とりあえずアホ菅の人気取り決定は、我々国民が勉強する良いきっかけとなります。
だから、勉強しましょう。
送電と発電の分離が何故必要なのか?
電気事業法とはどんなものなのか?
総括原価方式って何?
コジェネシステムって何?
電気自動車とガソリン自動車のエネルギー効率はどのくらい違うの?
などなど、エネルギーに関して学ぶべき事は山のようにあります。僕もまだまだ勉強の途中です。教えあって、学びあう気持ちを持つことが、「安心・安全」な環境を生み出すために、どうしても必要なことです。
勉強しましょう。
みんなで。
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