阪神大震災で学んだ事は生きているのか。
2011年4月22日コメント (3)関西に住んでいると、震災と聞くと、どうしても阪神大震災のことを思い出してしまいます。
阪神大震災の時に学んだことはけっこう多いのです。でも、多分、関西の人間が学んだことを、東京や東北周辺の方達は、これから学んでいくということなんだろうなと思うので、自分にとっては復習というような事を少し書いてみたいと思います。
先の日記でも書きましたが、地震という災害は、どうしても地域災害なんです。阪神大震災が起きたとき、「こんな恐ろしい巨大地震が起きたということは、日本人みんなが共有していて当然なんだ」と無意識に思っていました。
しかし、それこそ思いこみなんですね。たった一週間です。たった一週間で関西地域と東京の温度差は出てきてしまいました。おそらく、東北と東京でも、その温度差はものすごく大きいだろうと思います。極端な話、「原発なんかどうでもいい。とにかく俺たちの暮らしをなんとかしてくれ」というのが本音になるんじゃないでしょうか。
実際、こういう意識の差は、被害を受けた地域でも大きく違うものなんです。阪神大震災の時は大阪と神戸だけでもかなりの温度差がありました。道路が寸断されているので、手助けに行こうと思っても簡単には行けず、逆に物見遊山で何かお手伝いができるものでもありませんから、大阪の人間はすぐに日常に戻るしかなかったんですね。
まぁせいぜい、地下鉄の階段なんかにひび割れができていて、そこから水漏れがあったりして、「ああ、地震があったんだなぁ」と思うくらいなんです。
いま、多分東北でも、津波に襲われた地域と、その被害を受けなかった地域との温度差はかなり大きいだろうと思います。
で、これが辛いのは、人間には日常生活というものがあって、その日常のくり返しを、やはりせねばならない、ということなんです。
ほんの数㎞、あるいは東北だったら数十メートルかも知れませんが、たったそれだけの距離で天国と地獄ほどの環境の違いがある。なんとかその差を埋めてあげたい。心からそう思うのですが、それでもあまりに差があって埋めようがないんですね。ほんとうにそういうとき、仕事をしている人間だと、何もできない。
阪神大震災の時は学生とか、若い人がこぞって被災地に入っていってくれました。だからそういう人を、何もできない僕なんかは言葉にはしないけれども、「僕の代わりに頑張ってくれ」という気持ちで応援していたわけです。
特に、いまのようにツイッターとかがなかったので、被災地の情報源はラジオくらいしかなく、関西の地元ラジオは力一杯そういう若い人をバックアップしていたと思います。FM放送もAM放送も一緒になって被災地情報を流していました。
今回、その阪神大震災でのボランティア経験がある田中康夫は、311が起きてすぐに、食料や毛布とともに、乾電池とラジオをセットにして、自衛隊のヘリから現地にばらまけ!と即座に提案したそうですが、どうも、そういう声が活かされなかったようです。それはとても残念です。
阪神大震災の時に比べて良かったなぁと思うのは、自衛隊が即座に動けたことでしょう。阪神大震災の時は、これができなかった。ボランティアより、消防より、自衛隊が強力です。彼らは道がなければ道を造るところからやりますから。本当にこういうときは頼りになる。ありがたいことだと思います。
で、話は戻ってボランティアですが、「がんばってくれよ」と思っていた若い人が被災地に入ってどうなったかというと、これが実は被災地の人とのコミュニケーションがうまくつながらないということがたくさんあったわけです。
ボランティアというのは、実は「余裕のある人」なんです。そして「良いことをしている」という意識のある人なんです。普通の環境でなら、余裕のある人が良いことをしているのは褒められる事ではあっても罵倒されることはありません。
でも、本当に被災した人は、「余裕のある奴が良い子チャンぶっている」ということにすごくイライラさせられたりするわけです。
だから、「なんだよ、お前らは。お前らにこの街を元に戻せるっていうのか」とか言う被災者の人もいたわけです。
そして、そういう反応や罵倒を聞いて、良いことをしているつもりだった若いボランティアの人たちはとても深く傷つくということになったりしたんですね。
ここにも、「地震が地域災害だ」ということの本質が見えています。
だから僕は、くり返し、「地震は地域災害だ」ということをしつこく言うのです。片側から見ただけの正義感では、簡単に答えは出ないことがたくさんあるわけです。
そういう、どう解決していいのかわからない問題が毎日のようにあって、それが地域の情報として関西圏のテレビやラジオや新聞で紹介され、そのニュースを聞いて、仕事を一緒にしている人が、「いや実は僕の知り合いも被災地に入ってね…」という、別の実例を聞く、ということになります。
災害というのは、モノの破壊だけではなくて、人の価値観まで、一時的にではあるのですが、ひっくり返してズタズタにしてしまうんですね。
それでも、時間が経てば、少しずつ秩序やルールが復活してきます。
「正しい事をやっている」と思っていた若者も、自分の気持ちは横に置いておいて、被災者の方に「いま、何が一番困っているんですか?」と聞く余裕が出てきます。被災者の方も、素直に何に困っていて、どうしてもらいたいかを整理して話せるようになってくる。
おそらく、いま東北に入っているボランティアの方々は、すでに阪神大震災での、こういう経験をしっかりと積み重ねているような人たちでしょうから、被災地に入っても、まず被災者の方が一番何を必要としているのかを確実に解って行動していて、阪神大震災の時のような混乱はないだろうと思います。
でも多分、東京で阪神大震災を遠くから見ていただけの人だと、このあたりの「地域災害だ」=「私とは環境そのものが違う別の国の方なのだ」という良い意味での距離の保ち方、などということは実感ではわからないだろうと思います。
で、そういう「僕に何ができるんだろう?」というたまらない気持ちも、実は少しずつ解消されていくんですね。僕の場合で言えば、お仕事を発注いただいていた方が兵庫県の西よりに住んでいた方で、大阪の職場まで出てこれなくなったんですね。だから、その人の代わりに仕事の現場の仕切りみたいなことを、電話連絡しながら1週間だか2週間だかやっていたんです。
で、実は、こういう「自分にできることをしっかりやる」ということこそ、大切なサポート行動なのだ、ということを、僕は後から学びました。
たとえば、被災地に出かけるボランティアのお医者さんがいますが、彼らはたった一人でボランティア行動を取っているのではないわけです。町医者であったとしたら、普段の毎日診察している患者さんがいますから、そういう人たちの面倒を誰が見るのか?という問題が残ります。
それを、ボランティアで出かけるお医者さんは、見知ったお医者さんに託した上で被災地に入られているんですね。
だから、街で残ったお医者さんも、実は被災地に入ったお医者さんを支えているわけです。だから、みんながみんなを支えているわけで、そういう意味では、誰一人として、ムダな事をしている人なんていないとも言えるわけです。
「僕は何をしてるんだろう? 何もできていないじゃないか。」
と思っている人でも、たとえば、少し何かのお手伝いを日常の中でやっていれば、それはめぐりめぐって被災地に届いているんですね。もちろんものすごく迂回する動きもあるだろうし、すぐに効果の出る動きもあるでしょうけど、でもそれはどちらも必要な事なわけです。
このあたりが多分、被災して一ヶ月くらいたった時までに感じた事だったと思います。
で、そうこうしているうちに、ライフラインも復旧しはじめ、交通網も少しずつ元に戻ってくると、今度は本格的に「何を失ってしまったのか」がはっきり解ってきて、それをいかにして取り戻していくのか? という話に変わってきます。
しかし、ここでも、いろいろな課題や問題が出てくるわけです。たとえば、震災でヒビが入ってしまった分譲マンション。
これをいかにして復旧するのか。いや、しないのか。どうするのか。
分譲マンションは区分所有ですから、それぞれのオーナーごとでどうすべきかという意見がまとまりません。国の補償が出るのかどうかとかもわからない。自治会で討議をしても、すぐに紛糾するということになってしまうんですね。そういう話をたくさん新聞で読んだし、身近な人からもたくさん話を聞きました。
「どうするんやろ?そんなもん、解決策、あるんか?」
と、人ごとながら、けっこう心配した記憶があります。
でも、それも半年とか一年とかすると何らかの道筋がついてきます。
いろんなそういう問題が片付いてきたという話を耳にすることになります。
で、そういう自治会の問題を、なんとかまとめた人の体験談なんかがいろんなところで紹介されたりするのですが、それが「ポイントは共通の利益を優先することです。」という答えだったのが、とても印象的でした。
「私の利益」を優先していてはダメなんですね。
「共通の利益」を優先しないといけないんです。
自分で「これは絶対●●が一番最優先に決まってる」と思って、それを掲げると、大もめにもめてしまう。
そうではなくて、「私が一番に望む事はこれ、二番はこれ、三番はこれ」と、きちんと優先順位、プライオリティを、ひとりひとりがはっきりと表明して、その中で「共通の利益」になることを優先していくわけです。
だから、一番に思うことは実現しなくて二番目しか実現しない事もあるわけですが、三番目よりは優先されたのだから二番目の項目でもいいか、と考えるようになっていくし、していく。そういう事が大事なんだそうです。
本当の危機に陥った時、人間はそういう素敵な知恵が働くものなんだなぁと思ったことを思い出します。
おそらく、こういう事は、地方自治体単位で情報が集約されて、全国の自治体ですでにある程度は共有されているんじゃないかな?と僕はテレビのニュースなどを見ていても思うのです。
小泉改革による地方の切り捨て以降、地方自治体には本当に予算がなくなってしまいましたから、こういう「スキル」とか「ノウハウ」とかの金がかからずに情報でなんとかできる部分に関しては「せめて」という感じで横つながりで地方自治体同士で共有されているんじゃないでしょうか。そういう事しかできない、という側面もあるかもしれません。
阪神大震災の後にも、いくつもの地震や災害が起きて、そのたびに、ここで書いたような「地域の温度差」「立場の違い」というようなものが発生して、それをすりあわせ、共通の利益を優先しながら解決法が探られてきたでしょうし、おそらくそういう流れはマニュアルとしてひとつにまとめられているはずです。
しかしどうも、菅政権は、というか菅首相は、そういう積み上げられてきたマニュアルを全く知らずに、それを踏みにじるような事をしているように思えてなりません。
いちいち、問題点を指摘する気はないですが、いくら現場でボランティアや地方自治体がコツコツとノウハウを積み上げていても、トップがそれを正しく受け止めて、的確に指示ができないのであれば、この十数年の日本国民の努力が踏みにじられたと言っても過言ではないと思います。
そういう意味で、いまの菅首相には、とても失望しているというのが正直なところですね。
まだ書きたいこともありましたが、ここまで書いたら、あまりに腹立たしいというか、それを通り越して呆れてしまって書く気がなくなってしまいました。
そんなことで。
阪神大震災の時に学んだことはけっこう多いのです。でも、多分、関西の人間が学んだことを、東京や東北周辺の方達は、これから学んでいくということなんだろうなと思うので、自分にとっては復習というような事を少し書いてみたいと思います。
先の日記でも書きましたが、地震という災害は、どうしても地域災害なんです。阪神大震災が起きたとき、「こんな恐ろしい巨大地震が起きたということは、日本人みんなが共有していて当然なんだ」と無意識に思っていました。
しかし、それこそ思いこみなんですね。たった一週間です。たった一週間で関西地域と東京の温度差は出てきてしまいました。おそらく、東北と東京でも、その温度差はものすごく大きいだろうと思います。極端な話、「原発なんかどうでもいい。とにかく俺たちの暮らしをなんとかしてくれ」というのが本音になるんじゃないでしょうか。
実際、こういう意識の差は、被害を受けた地域でも大きく違うものなんです。阪神大震災の時は大阪と神戸だけでもかなりの温度差がありました。道路が寸断されているので、手助けに行こうと思っても簡単には行けず、逆に物見遊山で何かお手伝いができるものでもありませんから、大阪の人間はすぐに日常に戻るしかなかったんですね。
まぁせいぜい、地下鉄の階段なんかにひび割れができていて、そこから水漏れがあったりして、「ああ、地震があったんだなぁ」と思うくらいなんです。
いま、多分東北でも、津波に襲われた地域と、その被害を受けなかった地域との温度差はかなり大きいだろうと思います。
で、これが辛いのは、人間には日常生活というものがあって、その日常のくり返しを、やはりせねばならない、ということなんです。
ほんの数㎞、あるいは東北だったら数十メートルかも知れませんが、たったそれだけの距離で天国と地獄ほどの環境の違いがある。なんとかその差を埋めてあげたい。心からそう思うのですが、それでもあまりに差があって埋めようがないんですね。ほんとうにそういうとき、仕事をしている人間だと、何もできない。
阪神大震災の時は学生とか、若い人がこぞって被災地に入っていってくれました。だからそういう人を、何もできない僕なんかは言葉にはしないけれども、「僕の代わりに頑張ってくれ」という気持ちで応援していたわけです。
特に、いまのようにツイッターとかがなかったので、被災地の情報源はラジオくらいしかなく、関西の地元ラジオは力一杯そういう若い人をバックアップしていたと思います。FM放送もAM放送も一緒になって被災地情報を流していました。
今回、その阪神大震災でのボランティア経験がある田中康夫は、311が起きてすぐに、食料や毛布とともに、乾電池とラジオをセットにして、自衛隊のヘリから現地にばらまけ!と即座に提案したそうですが、どうも、そういう声が活かされなかったようです。それはとても残念です。
阪神大震災の時に比べて良かったなぁと思うのは、自衛隊が即座に動けたことでしょう。阪神大震災の時は、これができなかった。ボランティアより、消防より、自衛隊が強力です。彼らは道がなければ道を造るところからやりますから。本当にこういうときは頼りになる。ありがたいことだと思います。
で、話は戻ってボランティアですが、「がんばってくれよ」と思っていた若い人が被災地に入ってどうなったかというと、これが実は被災地の人とのコミュニケーションがうまくつながらないということがたくさんあったわけです。
ボランティアというのは、実は「余裕のある人」なんです。そして「良いことをしている」という意識のある人なんです。普通の環境でなら、余裕のある人が良いことをしているのは褒められる事ではあっても罵倒されることはありません。
でも、本当に被災した人は、「余裕のある奴が良い子チャンぶっている」ということにすごくイライラさせられたりするわけです。
だから、「なんだよ、お前らは。お前らにこの街を元に戻せるっていうのか」とか言う被災者の人もいたわけです。
そして、そういう反応や罵倒を聞いて、良いことをしているつもりだった若いボランティアの人たちはとても深く傷つくということになったりしたんですね。
ここにも、「地震が地域災害だ」ということの本質が見えています。
だから僕は、くり返し、「地震は地域災害だ」ということをしつこく言うのです。片側から見ただけの正義感では、簡単に答えは出ないことがたくさんあるわけです。
そういう、どう解決していいのかわからない問題が毎日のようにあって、それが地域の情報として関西圏のテレビやラジオや新聞で紹介され、そのニュースを聞いて、仕事を一緒にしている人が、「いや実は僕の知り合いも被災地に入ってね…」という、別の実例を聞く、ということになります。
災害というのは、モノの破壊だけではなくて、人の価値観まで、一時的にではあるのですが、ひっくり返してズタズタにしてしまうんですね。
それでも、時間が経てば、少しずつ秩序やルールが復活してきます。
「正しい事をやっている」と思っていた若者も、自分の気持ちは横に置いておいて、被災者の方に「いま、何が一番困っているんですか?」と聞く余裕が出てきます。被災者の方も、素直に何に困っていて、どうしてもらいたいかを整理して話せるようになってくる。
おそらく、いま東北に入っているボランティアの方々は、すでに阪神大震災での、こういう経験をしっかりと積み重ねているような人たちでしょうから、被災地に入っても、まず被災者の方が一番何を必要としているのかを確実に解って行動していて、阪神大震災の時のような混乱はないだろうと思います。
でも多分、東京で阪神大震災を遠くから見ていただけの人だと、このあたりの「地域災害だ」=「私とは環境そのものが違う別の国の方なのだ」という良い意味での距離の保ち方、などということは実感ではわからないだろうと思います。
で、そういう「僕に何ができるんだろう?」というたまらない気持ちも、実は少しずつ解消されていくんですね。僕の場合で言えば、お仕事を発注いただいていた方が兵庫県の西よりに住んでいた方で、大阪の職場まで出てこれなくなったんですね。だから、その人の代わりに仕事の現場の仕切りみたいなことを、電話連絡しながら1週間だか2週間だかやっていたんです。
で、実は、こういう「自分にできることをしっかりやる」ということこそ、大切なサポート行動なのだ、ということを、僕は後から学びました。
たとえば、被災地に出かけるボランティアのお医者さんがいますが、彼らはたった一人でボランティア行動を取っているのではないわけです。町医者であったとしたら、普段の毎日診察している患者さんがいますから、そういう人たちの面倒を誰が見るのか?という問題が残ります。
それを、ボランティアで出かけるお医者さんは、見知ったお医者さんに託した上で被災地に入られているんですね。
だから、街で残ったお医者さんも、実は被災地に入ったお医者さんを支えているわけです。だから、みんながみんなを支えているわけで、そういう意味では、誰一人として、ムダな事をしている人なんていないとも言えるわけです。
「僕は何をしてるんだろう? 何もできていないじゃないか。」
と思っている人でも、たとえば、少し何かのお手伝いを日常の中でやっていれば、それはめぐりめぐって被災地に届いているんですね。もちろんものすごく迂回する動きもあるだろうし、すぐに効果の出る動きもあるでしょうけど、でもそれはどちらも必要な事なわけです。
このあたりが多分、被災して一ヶ月くらいたった時までに感じた事だったと思います。
で、そうこうしているうちに、ライフラインも復旧しはじめ、交通網も少しずつ元に戻ってくると、今度は本格的に「何を失ってしまったのか」がはっきり解ってきて、それをいかにして取り戻していくのか? という話に変わってきます。
しかし、ここでも、いろいろな課題や問題が出てくるわけです。たとえば、震災でヒビが入ってしまった分譲マンション。
これをいかにして復旧するのか。いや、しないのか。どうするのか。
分譲マンションは区分所有ですから、それぞれのオーナーごとでどうすべきかという意見がまとまりません。国の補償が出るのかどうかとかもわからない。自治会で討議をしても、すぐに紛糾するということになってしまうんですね。そういう話をたくさん新聞で読んだし、身近な人からもたくさん話を聞きました。
「どうするんやろ?そんなもん、解決策、あるんか?」
と、人ごとながら、けっこう心配した記憶があります。
でも、それも半年とか一年とかすると何らかの道筋がついてきます。
いろんなそういう問題が片付いてきたという話を耳にすることになります。
で、そういう自治会の問題を、なんとかまとめた人の体験談なんかがいろんなところで紹介されたりするのですが、それが「ポイントは共通の利益を優先することです。」という答えだったのが、とても印象的でした。
「私の利益」を優先していてはダメなんですね。
「共通の利益」を優先しないといけないんです。
自分で「これは絶対●●が一番最優先に決まってる」と思って、それを掲げると、大もめにもめてしまう。
そうではなくて、「私が一番に望む事はこれ、二番はこれ、三番はこれ」と、きちんと優先順位、プライオリティを、ひとりひとりがはっきりと表明して、その中で「共通の利益」になることを優先していくわけです。
だから、一番に思うことは実現しなくて二番目しか実現しない事もあるわけですが、三番目よりは優先されたのだから二番目の項目でもいいか、と考えるようになっていくし、していく。そういう事が大事なんだそうです。
本当の危機に陥った時、人間はそういう素敵な知恵が働くものなんだなぁと思ったことを思い出します。
おそらく、こういう事は、地方自治体単位で情報が集約されて、全国の自治体ですでにある程度は共有されているんじゃないかな?と僕はテレビのニュースなどを見ていても思うのです。
小泉改革による地方の切り捨て以降、地方自治体には本当に予算がなくなってしまいましたから、こういう「スキル」とか「ノウハウ」とかの金がかからずに情報でなんとかできる部分に関しては「せめて」という感じで横つながりで地方自治体同士で共有されているんじゃないでしょうか。そういう事しかできない、という側面もあるかもしれません。
阪神大震災の後にも、いくつもの地震や災害が起きて、そのたびに、ここで書いたような「地域の温度差」「立場の違い」というようなものが発生して、それをすりあわせ、共通の利益を優先しながら解決法が探られてきたでしょうし、おそらくそういう流れはマニュアルとしてひとつにまとめられているはずです。
しかしどうも、菅政権は、というか菅首相は、そういう積み上げられてきたマニュアルを全く知らずに、それを踏みにじるような事をしているように思えてなりません。
いちいち、問題点を指摘する気はないですが、いくら現場でボランティアや地方自治体がコツコツとノウハウを積み上げていても、トップがそれを正しく受け止めて、的確に指示ができないのであれば、この十数年の日本国民の努力が踏みにじられたと言っても過言ではないと思います。
そういう意味で、いまの菅首相には、とても失望しているというのが正直なところですね。
まだ書きたいこともありましたが、ここまで書いたら、あまりに腹立たしいというか、それを通り越して呆れてしまって書く気がなくなってしまいました。
そんなことで。
コメント
最初の頃(14,15の爆発当初)はいろいろリアクションもいただきましたが、その後、全くなくなりました。
その人が小沢系の議員さんだったので、実際、力がなかったのかもしれません。
しかしその人に限らず、一般議員は、かやの外で、実際なにも中央につながれてない状態、というのを週刊誌で読みました。
やはり、庶民に出来ることは限られています。
あとは、数の力をつくりあげることだけかもしれません。
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河野太郎さんは、選挙区は違いますが、地元です。
彼は頼もしいですね。気骨のある人だと思います。
出先のPCでうまく使えず、すみません。。
書き込みありがとうございます。
そうですか、壁は厚いのですね。辛いな~。
やはり数の力をどう作るかですね。
マスコミは数を作るには最適ですからねぇ。道のりは遠いです。
でも、腰を据えてやるしかないです。