政治に関しては、テレビ新聞が、やたらとやいのやいの言ってます。

しかし、どうにも、本質が見えない。特にわからんのが、


●小沢vs反小沢


という言い方。

考えたら、ものすごーーーーーーーーくおかしい。
対立軸がさっぱり見えない。

鈴木対反鈴木とか山下対反山下とか、仮に日常の会話で言い出したら「お前、何が言いたいの?」と聞き返さざるをえないわけです。

で、ずーっと、その対立軸って何やねん?って思ってたんですが、集約するとタイトルのように、

●実力主義vs年功序列

なんだ、ということが分かってきたわけです。

で、「実力主義対年功序列」なら、まぁ論議のしようもあるわけですよ。ある程度年長者に敬意は払いつつも、重要なところでは実力主義で行かなければならない、ということで。

しかし、この経済が落ち込んでいる日本の状況を考えれば、とにかく「実力主義」で、実力のある人に要職を担ってもらうしか答えはないんですね。答えは見えている。

で、答えが見えているからこそ、論点を明確にしたくなくて「小沢vs反小沢」という言い方をしているわけです。

このあたりのことが、先日の民主党の代表選の演説を見ていて良く分かりました。

小沢さんは「決して官僚組織を否定しているのではありません。官僚の中にも良い改革案を考えてくれる人はおりますから、そういう方を抜擢して活用したい。」と言っている。一般人から見れば、ごく穏当な判断に聞こえるわけですが、「年功序列組」からしたら、こんな恐ろしい「思想」はないわけですよ。なんせ「実力主義」ですから。「うわ、こいつ、とんでもないこと言いよる。かなわん。恐ろしい。」なわけですね。

でも、世間一般では、やはり実力主義は普通に存在しているわけですから、その対立軸を「実力主義対年功序列」なのだとはっきりさせたくないわけですよ。そこがはっきりしたら「実力のある人を要職につけないとまずいでしょ。」と言う話にすぐなってしまうわけですから。

だから、「実力主義対年功序列」という対立構造を見せないようにして、「小沢対反小沢」にしているわけです。実に官僚+報道組織というのはこすっからい。

はっきり言いますが、官僚に実力はありません。特に、いま「順送り人事」で要職に就いている人間には、ほとんど実力がない。だって実力で判断してないんやもん、「年功序列」やねんもん、それはしゃーない。

で、マスメディアも一緒。こっちは官僚が言った事は間違いがない、という発想で自分たちで取材せずに、リーク情報だけで記事を書いてる力のない記者ばっかりなわけです。それは「記者クラブ」という政府情報の独占システムを握ってるからなんですね。たぶん、いまの新聞記者、とくに偉いさんになればなるほど取材力はないでしょう。小理屈屁理屈を考え出す能力はあっても、まぁ、そこどまり。市井のコピーライターとしてやってきた、僕の方がおそらくはるかに高い取材能力を持ってるはずです。本当にマスメディアは、この10年くらいで急速に能力が低下したと言わざるを得ません。大手新聞は、すでに死に体です。

●「小沢」とは、実力主義の事である。「反小沢」とは年功序列の事である。

くらいの事は、本来新聞社とかが明確に定義して、国民的議論を巻き起こさないといけないことなんですけどね。

まぁ、その程度の「定義力」すらないのが実情だなぁ。バカの集まりです。と、切って捨てましょう。

みなさん、本当に新聞、テレビを見てたらバカになりますよ。注意しましょう。
いや、ほんま。

コメント

ともやん
2010年10月11日8:20

 るんさんとこから遊びに来ました

 私も小沢さんが好きな時期がありました。でも最近の小沢さんはちょっと違ってきているように思います。かなりお年となり、判断力が狂い始めているように思います。68歳にもなると権力に固執してしまうのではないでしょうか。結果的に客観的な判断ではなくて、自分の周りの自己中心的な流れに自己陶酔してしまうのではないでしょうか。豊臣秀吉も昔はとても頭の切れる人でした。その人が後年、徳川家康を頼みにするようになってしまうのですから。

シゲ
2010年10月11日23:28

> ともやんさん
書き込みありがとうございます。
小沢さんの判断が変わって来たとのご意見ですが、そりゃまぁ人間ですから、いろんな状況で、いろいろ判断が変わるのは当然だと思うし、そんな事はどうでも良いと思ってるんです。
しかし、政治的判断を国民がするなら、「AかBか」を選ぶ時にどう違うのかが良くわかるようにしてもらいたいわけで、そういうときに「小沢対反小沢」では、何を問題にしているのか、テーマは何なのかが、さーっぱり分かりません。
そこが僕は大変不満でして、その対立している「軸」をこそ明確にしないとダメなんじゃないか? と思ってるわけです。
ですから、この対立軸を、「実力主義対年功序列主義」と明確にすれば、少なくとも、小沢さんが仮に政界を引退したとしても、その「主義」をテーマに政治論争は深める事ができるし、何が問題なのかも、はっきりさせていけるのに、と思う訳です。

しかし、この実力主義が嫌いな人は、論議のテーマを明確にする事自体を嫌がって、とにかく「実力主義」というような主たるテーマを隠すために、「小沢対反小沢」のような矮小な論議に話をすりかえようとするわけです。
そう言う事をする人間は、自覚があるかないかに関わらず、基本的には「年功序列主義」である事が多いようです。

で、申し訳ないですが、ともやんさんのご意見は、まさにそういう、「年功序列主義」的な人がする「有益な論議を、個人の好き嫌いに矮小化する」すり替えの典型的意見になっていると思います。
小沢さんがどうかは、どうでも良くて、国の運営などのシステムを支える価値観として、ともやんさん自身は実力主義を主にするべきなのか、年功序列を主にするべきなのか、どっちが良いと思いますか?
僕は「小沢か反小沢か」などという、中身のない話なんかしても意味なんか何もないと思うし、まずは大雑把にそういう捉え方でテーマを考えてみる方がうんと意味があると思っていると言う事なんです。
いかがでしょうか?

ともやん
2010年10月12日7:54

 小沢さんのことについて書いたら、書き込みが出来なかったのでここで
私は基本的に実力主義ですね。自分の実力で自分の道を切り開いていくことが一番大切と思います。しかしながら、実力主義でがんばっても報われないことの方が多いでしょう。その自覚を持っていることが大切と思っています。小沢さんが好きだったのはある時期権力への固執ではなくて、日本の未来のために実力を発揮しようとしたことです。しかしながら、だんだん権力に飲み込まれていっているように思います。中国への多数の議員との訪中などはその典型だと思います。

 心理学者ユングは「権力は腐敗する暴力は麻痺する」と人間の弱さについて述べています。ですから実力を発揮するためには権力が必要な時もありますが、できるだけ最小限度にしたいものだと思っています。

 私自身は下記のホームページを作って、花と緑の環境を作ることが私の地味な子どもと地域作りと考えています。

 小沢対反小沢は実力主義対年功序列と見ることもできますが、ある意味では旧自民党金権体質対新民衆主義とも見ることが出来ますし、経済活性化対健全経済化とも見ることができます。ようするに見方はいろいろなのかもしれません。

 歴史の変化とは面白いもので、明治維新を考えてみると、海外からの植民地化に反対する攘夷論がありました。開国が幕府だったわけでその幕府に対して、尊王となりました。そして攘夷と尊王が結びついて尊皇攘夷で運動を起こします。ところが下関の戦いに負けて攘夷では負けることに気づき、開国して日本の独立を守ろうとします。ここから尊王開国となります。この結果攘夷で始まり、開国で終わっています。

 現実の政治とはそんなダイナミックスな展開をしているように思います。その中で時流に乗る人もいれば、乗れない人もいます。しかしながら時流とは別に自分の基本的な考え方を通すのが私流と考えています。

 私自身は昔の小沢さんの実力主義や田中角栄さんの実力主義は大好きです。しかしながら、田中真紀子さんとか今の小沢さんは実力主義ではないと見ています。

 なお私のホームページはyahooで「tomoyanの遊びを考える」で出てきます。迷惑対策でURLをかけなかったので。

シゲ
2010年10月12日8:56

> ともやんさん
ていねいなご意見いただきましてありがとうございます。
そうですか。実力主義は肯定されてるわけですね。

僕は政府の施策などは、ある程度の継続性も重要だと思いますので、実力主義と年功序列は6:4~8:2くらいで考えるのが良いのだろうなと思っています。当然実力主義が8とか6の方です。

しかし、いまの政府は年功序列が9.5で、実力主義が0.5くらいになっているよな、というように感じていて、とにかくいったん年功序列を排して実力主義で組織を組み直し、それから継続すべき施策等を再検討する、くらいのことにした方が、より合理的だと思います。

でも、おそらく、政府の役人の大半は「年功序列が良い」と考えているでしょうし、その役人のペーパーをそのまま報道している大手メディア(記者クラブに加入している朝日読売毎日産経日経+従属するテレビ局+文春・新潮)も、体制としては年功序列を良しとしているのだと思います。

しかし、もう、一般の会社は、色んなとろこで実力主義的な運営が一般化されてきていますから、国民の実情と政府やマスメディアの運営の仕方に大きなズレが出てきてしまっているのだと思います。

良く、日本の現状の改革の話を明治維新とからめて考えるという考え方も、良く語られるのですが、それも昔と今とでは状況がまったく違いますし、今の状況において問題な点をこそ明確にして、そこを改良することが眼目だと思うので、「小沢対反小沢」と同じく「明治維新の時は…」という論点のすり替えも、僕はかなり嫌いです。それも官僚たちがよくやる手です。どうでもいいですよ、明治維新の話なんて。

ちなみに、日本の官僚制度というのは、律令制の時に形が整ったのであって、明治維新の時も、結局は、そういう律令体制を打ち崩すことはできなかったわけです。小沢さんの盟友である平野貞夫さんや、もと外務官僚で現在は実力で作家の地位を築いた佐藤優さんも、「小沢さんを中心とした現在の革命は、律令体制からの脱却を目指しているのだから、明治維新よりももっと大きな革命なのである」と位置づけています。それは、僕もそうだよなと思います。

まず打ち崩すべきは、年功序列を価値基準にしている「律令体制」なのであって、小沢さん個人がどうしたこうしたとか、明治維新がどうしたこうしたとかは、それこそ官僚たちのくだらない言い訳で、そんなこたぁどうでも良いわいと僕は思っております。

また、付け加えるなら、政治家は、ある程度権力を握らないと実際的な改革もできないと思いますので、別に小沢さんが中国にうんたらかんたらも、どうでもいい些末な事だと僕は思います。

正しい歴史認識や、正しい現実認識、達成するべき課題やテーマこそが最優先で重要なのではないか?と思います。

シゲ
2010年10月12日9:27

追加で書きます。
「旧自民党金権体質対新民衆主義」という考え方も、僕個人は、かなり大嫌いなアホなお題目だと思っています。
民主党の党員全員に、投票用紙を送るのだって、けっこうなお金がかかります。どんな組織的活動をするにも、必ずお金はかかるわけですから、「金権体質」という言い方で金のかかる政治を否定するのはバカの言う世迷い言だと思います。

また企業からの献金が良くないという考え方ですら、僕はおかしいと思っています。世の中にはいろいろな立場の会社があるのだから、それぞれの企業体が、自分たちの望む方向に社会の仕組みを持っていきたいと思うのは当然で、そのために特定の政党を資金援助しても、別にそれはかまわないのではないでしょうか? 問題はそういう結びつきが「内緒」で行われることであって、どの政党のスポンサーがどの企業であるのかが分かっていれば、投票する個人にも「あの考え方は、あの企業だけが得する考え方だからダメだよな。」と判定できます。ですから、そういう金の流れさえ明確にできれば何の問題もないと思いますし、それを担保しているのが政治資金規正法でしょう。

ちなみに政治資金規正法というのは資金をルールの則って正しく使うと言う意味で「規正」なのであって、お金の使用そのものを制限する「規制」ではありません。「自民党的金権体質」などというオバカでマヌケなスローガンを掲げる人は、たいてい、ここのところの詰めが甘いです。

言ったらなんですが、世に言う「クリーンな政治」というのは、官僚たちが言う「税金で政治をまかなえば、特定の企業などに偏らずうまく行く」という、実現するはずもない絶対平等の世迷い言です。そんな事うまくいくわけがないのは、ちょっと考えればわかる話です。「クリーンな政治」というのは「永久機関」とか「不老不死」と同じで、失敗するに決まっている、理屈だけの言葉です。

金に余裕のある人間が、特定の政党に寄付するやり方は無理がないですが、金のない貧乏人から消費税をまきあげて、役人が政党に資金を配っても、効率は悪いわ、不満は大きくなるわ、まともな政治が機能しなくなるわ、悪いことだらけです。
でも、困ったことに、いまの政治家は平気で「クリーンな政治」を標榜しますし消費税の増税を唱えます。完璧にバカで低脳でオタンコナスです。まさに「前例踏襲」「年功序列」のアホな考え方です。

それから「新民衆主義」などというようなわけのわからない考え方は、世界中のどこにもありません。バカな民衆が何百人集まろうとバカなだけです。バカが論議しても意味ないから、政治に長けた「代議士」に、権限を委託して、民衆に代わって政治を司ってもらうというのが民主主義の根幹でしょう。

このあたりも、「政治家は汚い、一般民衆が手を取り合って改革するのが正しい」などという、ありもしない幻想を、一般に定着させようとする、官僚の洗脳的言説だと思います。バカが100人寄り集まっても、バカはバカなんですって。それでは国の運営はできんのです。

そういう役にも立たない「お題目」をとなえていればいい、とするのが、まさに「年功序列」思想なわけです。実際に効果があるかどうかを検証しない。それが「年功序列思想」です。そして「ほんとにそれが正しいの?」と検証するのが実力主義です。

だからやっぱり、「実力主義で行くのか、年功序列で行くのか」という問いかけこそが、とても重要で、誠に申し訳ないですが、僕の価値基準から行くと、ともやんさんは掛け値無しに「年功序列型人間」と判定せざるを得ません。もうちょっと勉強された方が良いと思います。

以上です。

ともやん
2010年10月14日8:20

シゲさんの見解から言えば、小沢さんは実力主義ということになりますが、どうしてそのようにいえるかが私にはわからないのです。田中角栄さんや小沢一郎さんも過去において、実力主義であったことは認めますし、私も大好きでした。

 しかしながら、今の小沢さんはそうでなないと感じるのです。実力があるならば、なぜ多数で中国などに訪中するでしょうか。たぶんあれが小沢さんの限界だったのではないでしょうか。小沢さんは昔とずいぶんと変わってきていると私は感じています。

 もう一点なのですが、陸山会がなぜに政治活動に不必要な土地を必要とするかです。開発予定地を政治的に先に知っていて、そこを買い占めて政治資金にするためなら、わからない気もないのですが、いくつかの陸山会の土地購入は小沢氏個人の個人のためのものではないかと感じます。
 
 年功序列については、私もそのように思います。シゲさんとほぼ同じだと思います。けれど難しいのはどのように実力主義を評価基準にもっていくかの問題です。私の職場も役所の天下り先でずいぶんと大変な思いをしました。ですから、そこで実力でいくためには、逆に実力を発揮しても、給与に反映されないことを前提することが必要でした。それでも叩かれるのが年功序列です。でも信念的に負けないで、自分なりの考えを貫いていくことが必要と考えています。この時にお金では換えられないものがあることに気づきました。身の回りの自然とか空気とか環境を整備することです。このような整備活動は地域みんなのためになり、子どものためにもなります。

 私自身は今の政治の不毛的な論議や、権力争いに巻き込まれるよりは自分の実力でみんなをボランティア的(地域再生仲間作り)に努めていくことが有意義ではないかと思っています。

 権力・お金・地位・名誉がないと色々なことが出来にくいことは確かですが、それに取り込まれないことが大切と感じます。

 小沢さんは取り込まれてしまっていると私は思います。

シゲ
2010年10月14日11:10

>ともやんさん

書き込みありがとうございます。

>シゲさんの見解から言えば、小沢さんは実力主義ということになりますが、どうしてそのようにいえるかが私にはわからないのです。

とのことですが、それは簡単ですよ。ともやんさんに実力がないからです。断言できます。

それだけの事です。ともやんさんが、まったく個人的な努力もせず、単に個人の好き嫌いでしか物事を考えていない単なるパーだからです。

あなたの個人的な好き嫌いなんかどうでもよろしい。そんなことはネットに書いても意味がない。便所の落書きと一緒。勝手に「小沢は嫌いだ」を言ってなさい。私は相手にしません。

あなたが小沢が実力主義であるということがわからないのは、あなたが勉強も努力もせずに個人的な好き嫌いでしか物事を考えていないからです。

かけ算ができる人間同士なら、12マス×14マスの座席シートがあれば、168人が座れて180人いたら溢れるからパイプ椅子を用意しないといけないというのはすぐにわかるから、人間を数えて180人以上いたら、すぐに「パイプ椅子を用意しなさい」と指示を出します。

これは「かけ算」を知っている人からすれば、ものの道理ということですから、すぐに、一発でわかります。指示も適切で、納得できるものです。

しかし、「かけ算」のわかってない小学生だと、なぜパイプ椅子を出さないといけないのかがわからないから、「私に命令する偉そうな人」としか思えないわけです。

ともやんさんは、この「かけ算も知らない小学生」と同等です。

そんなものね、あなた。小沢の政策とか提言、記者会見などで発言している内容などを見れば、物事の分かってる人間なら「なるほど」と、すぐに納得できるんですよ。
あなたは、それがわからない。つまりバカなんです。それだけの事ですよ。

あなたが自分で努力して勉強してなくて、だから納得できないと言うことを、僕がわざわざ教えてあげる必要はないですから、「勉強しなさい」としか言えません。

頭の悪い、何も考えていない、物事を「年功序列だから、何もしなくても、年を食ったら偉くなれるんだ」としか考えていないパーな人間は、だから小沢が嫌いです。実力がないから、「なぜ小沢がああいうことを言うかわからん。昔は好きだったが今はキライだ。」などという、完全なバカ発言をしてしまうんです。

で、年功序列で「考えていないバカ」は、自分が考えていないバカなのに、そのことに自覚がありません。自分がバカだから小沢の言ってることがわからない、というだけなのに、それが自分の勉強不足が原因なのだという事に気付けない。というか、自分がバカであることに気付きたくないんでしょう。そういうバカの事を「年功序列人間」と僕は差し障りがないように書いてるだけで、ようは、ともやんさん自身がバカであって、それを全然認めていない人間だ、ということですよ。

とにかく「小沢」の事なんか、どうでもいいから、ちょっとは勉強しなさい。あんまりにも言ってる事が低脳なので、丁寧に返信する気すらしません。
バカの相手はやっとられんわ、で終わりです。

シゲ
2010年10月14日11:25

バカの相手をするのは嫌なのですが、いつまでもバカな事ばかり書かれたらたまったものではないので、全部はっきりさせておきます。

●権力・お金・地位・名誉は、実力のあるものに自然と身に付く力である。
●「多数で中国などに訪中する」のは時代がアメリカから中国に移りつつあるから。
●時代の変化も読めないバカが指導者では困る。
●「陸山会がなぜ土地を必要とするのか」は、小沢が弟子を育てているからです。秘書の寝泊まりする場所を確保しようとした。それだけのことです。
●弟子を育てる政治家は偉い。これはどこの世界でも一緒。
●実力主義にしようとするとすぐに評価基準を言い出すバカが多いが、実際には実力ある人間はかけ算が分かる人間同士一発でわかるから、そんな評価基準なんか必要ないのです。バカは一発でわかる。勉強してないんだから、一発でわかるんです。僕がともやんさんを「バカ」と断定したみたいにね。でも、バカの間ではそれは「単なる好き嫌い」にしか見えない。だからバカほど「評価基準が」とアホな事を言う。それだけのことです。

●政治は論議することこそが本道です。「今の政治の不毛的な論議」というのは本質を見損ねすぎてます。演説や論議で「うむ、なるほど」と言える事を言うかどうかが何より大切。勉強してない人間ほど「え?何の事言うてるかわからん。」となって「不毛な論議」と言います。
それは不毛な論議をしているのではなくて、あなたに、論議の内容の事が理解できていないというだけです。それはあなたに、それを理解する能力、実力が欠けているからです。

以上です。

とにかく、自分がバカなのだ、ということをもっと自覚して、もっと勉強してください。

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