前から思ってるのですが、「自己責任」っちゅうのは、ひとり暮らしをしてると、嫌でも自覚せざるを得なくなりますわね。

何か食っても、食器などは洗わずにおけば、そのまま。いつの間にか片付いてる、なんてことはない。

服だって脱ぎ散らかしていれば、そのままで、服が自分で自分を洗って乾かして、棚に入っておく、なんてことはしてくれない。

しかし。

考えてみると、この当たり前の事を、一生体験しないタイプの人間がいたりするのだなぁと思って、大変だなぁと考えるわけです。

両親のもとで育って、通学、通勤している間も親がかりで、結婚したら結婚相手が洗濯やら食器洗いやらをやってくれるような環境にいてる男。

いやー、これ、かなり多いのか。
そうですなー、多いですよねぇ。そういう男。
おー、ぶるぶるっ。寒気がしてきた。

パソコンが日本に入ってきて「自己責任でお使いください」というスタンスだったのを見て「はぁ、自己責任ですか。面倒やけど、まぁしゃーないですわな。」と、あまり抵抗なく受け入れられたのも、考えてみたら、僕がかなり長くひとり暮らしをやってきたからという気がします。

もうね、ひとり暮らしをしてると、家に帰るたびに「あ、しまった。」というのがあって、「誰が悪いねん!あ、俺か。」ばっかりなわけでして。

エアコンを消し忘れて植物を枯らしたとか。
洗濯物を洗ったまま、洗濯機の中に入れっぱなしにして、ものすごい匂いになってしまったとか。
まぁ、そんな事ばっかりですわね。

で、そういう事を繰り返して、結果として何を学ぶか?というと、もちろん、合理的に生活する術も学んでいくわけですけど、それと平行して「失敗する自分を許す」と言うことも学んでいきますし、「あんまり無理せず、そこそこやっていく」というユルさも学んでいくわけです。

このあたりは、やっぱり基礎の基礎に「自分のことは自分でする」というのがあって、そのうえで「ま、出来る限りはね。」と緩やかさを付け加えるという感じでしょうかね。

とは言うものの、たぶん、ひとり暮らしなんていうのは、日本の文化にはそぐわないんだろうなぁとも思います。もともと「個の確立」なんて考え自体がありませんからな。

「個の確立」なんて、木も生えていない荒涼たる地で、神と自分のつながりだけを考えて生きてきたキリスト教徒が生み出した妄想という側面が大きいですしねぇ。神と個人がつながっていて、個人と個人はあくまで「神との約束」との間でつながっているのが基本だそうですから。
それはそれで「なんだかなぁ」とも思うわけです。

とはいえ、日本の法体系も、政治体系も、いちおうは欧米の仕組み(社会的な意味で「技術」と考えて良いです。まぁパソコンソフトの使い方と同じですわ。)を踏襲しているわけですから、まぁ「個人主義的発想」で、物事を見るしかないわけでねぇ。
面倒くせぇなぁとは思うけど、そうなっちゃってるんだからしょうがないじゃん。ねぇ?

でも、ひとり暮らしもしたことがない人には、こういうのって、かなりストレスなのかもしれませんな。
下着は棚にちゃんと入ってるのが当たり前。
ズボンはいつも良い匂い。
布団もふわふわ。
でも、全部、僕はなんにもやってないよ。
って感覚ね。
そりゃ、快適だわなぁ。自分でなぁ~んもやらんでええんだから。

それをいきなり、「布団干しなさいよ」「洗濯機の使い方も知らんのか?」「食器洗うのに、そんなに洗剤は要らん!」とか、ガミガミ言われたら、まぁたまったものやないでしょうなぁ。
でも、やってる人はやってるんやもん。しゃーないやん。

なぁ~んもせんでも、実は「いつもすまんね、ありがとね。」と感謝してる人なら、それはそれでOKなんですけどな。

でも、ひとり暮らしもしたことない人に限って、

「どうでもええやろ、そんなこと」

という事をグチグチと文句言ったりするわけですわ。なぜか? それは、「自分でやったことがない」からなんですな。だから、ものすごくトンチンカンな文句を言っていて、で、それがまっとうだと思ってるわけです。

どこがまっとうやねん。何も知らんくせに。

と、嫁は思ってたりするのでしょうかねぇ。そのあたりは良く分かりません。
でも、年食ってから離婚されるというのは、なんかこのあたりの「トンチンカンさ」が後々、尾を引いてる気がしてしょうがないですわ。だっていくら言ったところで「やったことがない人」には、何も分からんし、のれんに腕押しなわけでしょ? 議論すること自体が不毛なわけです。

(ただし、女性も「キッチンは女の城よ。入ってこないで。」と防御壁を作ってたりするので、実はおあいこである部分もあるんですけどな。)

数年前に、友人のお母さんが、急病でなくなりまして、その旦那であるお父さんだけが家にひとり残されるという状況になった事があったのですよ。

ふたりの子供のうち、娘は結婚して嫁いでいるし、息子は単身赴任で他県にいてる、と言う状況。

で、葬式が終わった後に、友人一同(とくに女性たち)の間から、一度そのお父さんのいてる家で焼き肉パーティーでもやろう!という話が出ましてな。

「なんでまたそんな事するんやろ?」と、僕はよく分かってなかったんですが、実はそのパーティーは、台所の道具のありかも知らないお父さんに、何がどこにあって、どれをどう使えばいいのかなどを教えてあげる、というのが主たる目的だったわけなのでありました。

「へー、よお気ぃつくなぁ。」と感心したんですがね。
知り合いの女性たちは、焼き肉パーティーの準備がてら、台所の道具一式を徹底点検して逐一、残されたお父さんに確認とりながら、使い方とかも教えておりました。

いやー、たいしたもんやね。えらいね。

とは思ったんですけど、考えたら、そこに気づかなかったのは、僕がひとり暮らしをしてたからかも、とも思うわけで。「そんなん、どうにかなるで。」とか思ってるわけです。実際にはどうにもならんのですけど。

生活能力って、実は一朝一夕に身に付くものではないですからなぁ。いやほんま。
自分を愛する能力と、自分を許す能力と、両方をバランス良く身につけつつ、いろんなノウハウを溜めていかないとうまくやっていけないですしね。

で、そのパーティーが終わった後に、そういうパーティーを企画した、僕の友人の嫁が「お供えどうしよ?」とか聞いてきたわけですわ。

「え?花とか饅頭とかでええんやろ?」というと、「何言うてるの。そんな食べられへんもん、腐りやすいもんはアカンって。残ってるの、お父さんひとりやで。あ、レトルトのカレーにしよか。そうしよ。」

と、言われて「はぁ、なるほどねぇ。そらそうだ。」と、これまた感心することしきりだったわけですが。

いや、しかし、こういう風に気の回る女性がいてる、ということは、逆に言えば、生活能力のない男が、それだけたくさんいてるのが、この国なのだ、ということでもあるんでしょうね。

なんちゅうかねぇ。

坂本龍馬が、「この国を洗濯するがじゃ!」と言うた、とされてますが、いやいや、龍馬さん!洗濯の仕方を知らん男の方が多いですけん。ちょっとそこから考えてごしなんせ。

とまぁ、私は、最近は良く思うのでありますよ。

はい。

コメント

nophoto
ミナト
2010年8月22日23:16

はじめまして。
こちらのエントリーを読んで、何度も頷きました。
世にいる一人暮らしをしたことの無い既婚男性に読ませてあげたい文章です。
素晴らしい。

シゲ
2010年8月23日9:26

>ミナトさん
書き込みありがとうございます。
「何度も頷きました」との事ですが、そんなに納得されますか。うーむ。やっぱり自活能力すらない男っていうのが、かなり多いってことなんでしょうねぇ。

自活能力がなく結婚してしまって、なおかつ嫁さんが生活能力がしっかりあったりすると、実は男は一生生活能力を身につける機会そのものを損失してしまうんですよね。社会的に「家の事は嫁がするものである」という一般的な考え方があるので、それに縛られて自由な発想がしにくくなっちゃうんでしょうね。

で、それで、男の方は、一生かかって何を学ぶかというと、嫁さんにはとにかく感謝しまくって「ありがとう」を連発するテクニックを覚える、というところまでなんですね。「とにかく謝っておけばいい」とか「ありがとうと言っておけばよい」までなんです。

でもまぁ、そこに行き着いたらマシな方で、多くはそういう事すら気付けず、「女はわからん」と言って、ときおりおちゃらけしてギャグで女房を喜ばせるとか、そういう少~しズレた方向に行ったり、あるいは、上の記事にも書いたような「どうでもええやろそんな事」というような事を、いつまでもいつまでもグチグチ言うような変な男になるか、ぐらいしか方法がないんですよね。

ここであえて、社会的な問題点を言っておくと、たとえば流し台ひとつとっても、高さが女性の平均身長にあわせてあるので、食後の食器の後片付けを男性がやろうとすると、中腰でしゃがんでやらねばならず、すごく腰が痛くなる、というような問題も、そこにはあるわけですよ。

だから、男が家事をちょっとでも手伝おうと思っても、なかなか大変だったりするわけです。
でもまぁ、普通はそういう具体的問題点の発見にまでは到達しませんわね。

「自分の事は自分でやる」

という、基礎の基礎が通用してないわけですから。
もうね、この基礎の基礎がわからない人と話をするというのは、ただそれだけで、かな~り辛く苦しい事なんですよね。

「お前なぁ、自分で自分の事をやるっちゅうのは、当たり前の事やろが」

と、大前提の事を思っていても、その大前提が全然通用しないのでねぇ。
で、自分の事は何もせずに、社会的な事をうんたらかんたら、政治的なことをうんたらかんたら話すとか、そういうボケなすのオッサンがどれだけ多いか。

アホやろ、おまえら。

としか思わんのですが、まぁ、自分の事を自分でやったことがないんやから、話のしようがないですわね。

自分の事を自分でやった事がない人の一番の問題点は、「自分の失敗を認めない」と言うことなんですよね。
ひとり暮らしをしていると、とにかく自分の失敗はいち早く自己認識して修正しないと「快適な暮らし」が実現しないので、死活問題なんですが、その「死活問題」の認識がないわけですわ。

これねぇ、かなり根本問題で大変な大問題だと僕は思うのですが、ひとり暮らしをしたことがない人は、自己責任という概念自体を体で習得してないので、もともと理解能力がないんですよね。
ほんまに大変な事なんですわ、これ。

ということで、ミナトさんは、
「世にいる一人暮らしをしたことの無い既婚男性に読ませてあげたい文章です。」と言ってくださってますが、ここに書いた事に納得されるのは、ミナトさんのように生活能力のある人であって、生活能力のない人、ひとり暮らしをしたことのない人には、どうやっても理解できないんですよ。

まぁ、無理矢理、その男をひとり暮らしせざるを得ない環境に2~3年追いやって、「自己責任とは何か?」と言うことを、体で体感してもらうしかないです。
ここで2~3年と書いたのは実は根拠があって、生活能力というのは、四季で変わるので、その基礎力を学ぶのに1年では足りないから、なんですね。まず最低2年はかかる。2年で習得できたらかなり優秀で、まず普通はそれは無理。最低3年。いや、3年でもしんどいなぁ、4年はかかるわなぁ。うむ。
まぁ自己責任とか生活能力というのは、習得するのにそのくらいの時間がかかる、ということですわ。
まず、その基礎力がなくして、他の事はできないし、考えることも無理っちゅうことですね。

ま、そういうことです。

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