今日は、ちょっとテーマがない話を。
「ない」というとちょっと変ですが、まぁ最近、自分なりに、大きく理解した事柄を少し。

人類の歴史は、結局、大きく二つの見方、考え方で成立していて、つねにその揺れの中で進化してきたんじゃないかなぁ、という、僕なりの哲学というか、考え方の基本が整理されてきたんです。

ざっくり言うと、不況に対する対処方法と言い換えてもいいかもしれませんが、人口が増えて、食い扶持が減ってきたときに選ぶ手段が2つあるということですね。

ひとつは戦争です。人を殺して食い扶持を保つというやり方。
もうひとつは技術革新です。狩猟生活から農耕文化に転換するようなやり方です。

結局、人類は、これを繰り返してきたんだろうな、という事ですね。

ここで大事なのは、「予測性」ということの違いです。

戦争をして人を殺すやり方は、実は簡単に予測可能なんです。とても確実、堅実に見えてしまう。いまの社会情勢が変わらないという前提で、戦争による破壊からその復興に関するまでの経済効果が、ある程度そろばんずくで算出できるわけです。
だから、戦争をやりたがる一派というのはなくならないのでしょう。

しかし逆に、技術革新によるやり方は、その効果が「予測不能」なんですよね。
たとえば、水田の技術を知らない狩猟民族に「タネを植えて、その実が出来るまで育てる」という考え方を伝えても、米俵一俵の収穫は想像外のはずです。

「土地が少ないなら、上に積み上げて行けばいいんだ!」と縄文時代の人間に言ったとしても、50階建てのビルなど、想像すること自体が困難だということです。


●真の技術革新は、常に想定外である。


ということなんですよ。
しかし、人類がそれを成してきたからこそ生き延びているのは事実であって、結局、技術革新による解決は「見積り不能」というところに落ち着かざるを得ないんですね。

この「戦争か技術革新か」という二者択一において、明確に違ってくるのが人口の取り扱いなんですね。

戦争経済は人を減らします。それが算出可能な方法だからです。

でも、技術革新の解決法は、人を増やします。なぜなら、天才の発生率が上がるからです。

先が見えない現実があるなら、より可能性のある方をチョイスするしか道はなくて、そうなると数百人、あるいは数千人、数万人に1人の天才に賭けていくしかないわけです。まず母数を増やすということです。

いま、中国が大国になりつつあるのも、実は人口の多さが大きなアドバンテージになっているわけです。
日本で人材育成をしようとしたら、一億数千万人の中から天才を募るか、そうではない凡人の平均点を上げるかしかないですし、英才教育で天才を生み出すにしても、環境を整えるだけでも大変なわけです。

しかし、中国だと、もとから母数が多いので、オーディションの数をドーンと増やせばそれで英才教育の肩代りが出来てしまうんですね。お金が全然かからない。(笑)
大変なことです。

真の天才が1人生まれたら、実は国を救えます。あるいは全人類を救えます。ブッダやキリストがそうだったでしょうし、他にも技術革新の分野でたくさんの天才が現れています。
もしかしたらスティーブ・ジョブスもそういう天才の1人かも知れない。まぁちょっと小粒だけど。

しかし、その「天才度」というのは、決して「見積り」はできないわけです。予測もつかない事を生み出すからこそ天才なのだから、見積りできるわけがないんですね。

このあたりは、任天堂という会社にとっては、いままた見直されているドラッカーの経営理論である「問題解決の答えは、顧客にある。顧客に聞けば分かる」という考え方が全然役に立たないのと似ています。
任天堂の岩田社長はこともなげに、こう言います。

「お客さまを驚かす商売をしているのに、お客さまに答えを聞いていては、何もならない。」

ということです。

でも、実は、これは商売の本質なんですね。

なぜなら、商売はつねに「投資」からしか始まらないからです。

どれだけ売れるのか、その個数はわからなくても、商品をまず仕入れなければ、売れるはずがないんです。

「わからないけど投資する」
「予測できないけれど投資する」

これなくして、商売を始めることはできないんです。

(だから、賢い商売人は、小さい規模の投資から始めて、それを繰り返し、成功率の高いやり方を少しずつ修正しながら繰り返して安定した企業にしていくのです。これが鉄則。)

先日、取材した、ある自動車の部品製造会社さんの生産ラインも似たような事をしておられました。
当初、部品製造のラインを作ったとき、利益率はマイナス20%だったんだそうです。つまり赤字です。
部品を一個作るごとに、2割赤字ですよ!信じられます?

しかし、それを現場の改善で、少しずつ効率化していって、現在ではプラス20%だそうです。その差なんと40%!

これを現場のカイゼンだけでやってるわけです。ひとりひとり全員正社員で、その人のカイゼン能力を信じて、アイディアを出させて、そういうところまで持って行ってる。
これなんて、最初から見積り不能な話ですからね。見積りだけだと絶対赤字ですから。

明日のことは、わからない。でも、自分たちの能力を信じて投資する。

ということです。
これをしない限り、技術革新はやってこない。いまと違う、より良い明日は来ないわけです。

明日の事はわからない、というのは、しかし、自然の摂理にかなっています。
どんなに優れた人間でも、神様ではないのですから、明日の事はわかりません。
わからないものはわからない。
せいぜい人間にわかるのは、AよりBの方が確率が高い、という程度のことです。

そして、この確率の高さという数字だけを頼りにすると、結局は「見積りできる戦争が効率的な投資だ」というアホな結論に達してしまうわけです。

この、「先のことはわからない」「未来の事は見積り不能」という自然の摂理を、正しく認識しているかどうかで生き方や考え方が変わってくるんだろうなと僕は思うのです。

自然の摂理、神の御心に沿った判定をしているかどうかが、結局は、その人の人間としての大きさにつながると思います。

多くの場合、やはり戦争を引き起こして戦争経済でカタをつけようとする発想をする人たちは、とどのつまりは「将来は予測可能である」という大前提に立っていると思う。それはつまり人類の技術革新の連続性に、まったく視点が届いていないバカなんだと思うんですね。

予測も出来ない技術革新はある。

とするなら、そういう戦争のような「見積もれる未来」など無理してまでは選択しないわけです。
で、やっぱり、こういう「先のことはわからない」とする発想は、役人にはかなり苦手な概念みたいなんですね。あいつらは神の御心にしたがってねぇよなぁって思う。

消費税の論議もそうでしょうし、バラマキ批判も同じ事でしょう。子供手当なんて、上記の天才を生み出す論理から言えば、圧倒的に正しいわけです。

たとえば、天才が1万人に1人現れるとすれば、1万8000人だと1人しか天才は現れないんですが、2万人いれば二人あらわれることになります。それはつまり、

●イチローが二人いてる野球界

を考えれば、どれだけエキサイティングかわかる、ということです。
野球業界自体が根本から変わる可能性だってある。

「先の事は見積もれる」とするから、消費税導入などの理屈を述べるわけですが、実際には現実として「先のことは見積もれない」のが現実なわけです。だから、それは自然の摂理に反していて、そしてそれは自然の摂理に反しているから予測が大きく外れて、消費税3%→5%の増税時は、結果として税収ダウンになってしまったわけです。
その失敗の元々のミスは、

●もともと見積もれないものを、「見積もれる」と誤認定したから。

なわけですよ。
根本的なミスです。
バカの極みです。

でも、官僚の無誤謬性とか言う奴で、これは間違ってはいない事になってるわけです。
でも、そんなもの、「明日のことはわからん」のが現実ですからな。現実と乖離したことをしたら、そら失敗するわさ。

まぁ、まだまだ書きたいこともいろいろあるんですが、ともあれ、バラマキは良くないとか言ってる人を見ると「神様にでもなったつもりやろかねぇ。アホやなぁ。」としか思わないわけですよ。

欧米の投資会社、インキュベーターなんかは、何人もの起業家に資金提供をしますけど、その大半は失敗するわけです。
でも、10人に投資しても、1人が十倍以上の技術革新をしたら、それは理にかなうわけです。
それこそ本質的にバラマキです。ほとんどがムダになってるわけだから。

でも、それで良いのだし、それこそが自然の摂理にかなってるわけです。
現実をわかってる人は「先のことはわからん」とわかってる人なわけですよ。
だから「なんでも予測可能だ」「なんでも分かる」と思ってるタイプの人が、どれだけバカか、ということですね。

ともかく、そういうことを、ここのところ良く考えます。

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