青菜。
饅頭怖い。
はてなの茶碗。

これらは上方落語のタイトルでして。
こういう話を、実はほとんど覚えてしまっていて、時たま、道を歩きながらしゃべったりしてます。(かなり怪しい人間ですが。)

特に、上方落語の「饅頭怖い」は、あの人間国宝、桂米朝さんがもっとも至高の芸を達成していた、実にムダのないしゃべりで、立て板に水のごとくしゃべっても45分かかる大作なんですね。僕がしゃべると、思いだし思いだしなので、1時間ちょっとかかってしまう。

しかしまぁ、これが実に楽しいのであります。

どうしてこういう事になったのかというと、実はこれが英語の練習が発端なわけです。

英語というのは、口に慣らして、すぐに出るようにしなければ聞き取りもできないという側面があるそうなので、中学英語の音読を、けっこう繰り返しやってたわけです。(最近はさぼってやってないですが。それでもまぁ一冊100回くらいは繰り返し音読をしておりました。)

で、そういう具合に英語を口にしていると、母語ではないので、いろいろストレスが貯まるわけです。もっとちゃんと日本語を口にしたいと思うようになってきた。それも標準語じゃなくて関西弁や! って事になってくる。

それで落語だったわけです。
米朝さんのDVDを買って、口調まで真似する。
そういう具合にしていると、実に心が落ち着くわけです。もう子供の頃から聞き慣れた関西弁ですからな。気持ちよくしゃべれる。
一度など、仕事仲間でバス旅行に出かけたときに青菜を一席まるまるしゃべってしまったくらいであります。
好きやなぁ、青菜。

ということで、好きなものは、そういう具合に繰り返し楽しめるわけですね。

で、これは本でも同じであります。

好きな本は、実はけっこう何度も読み返しております。
前に紹介した「1分間自己革命」とかも何度も読んでるし、小説だと「星の王子様」も何度も読んでます。
他にも多々、繰り返し読んでる本があります。

世の中には、素敵な本がたくさんありまして、実は、悲しい事に、それらの本を全部読むことは不可能なんですね。

どんな素敵な本があっても、一生出会えない事もあるんです。

で、本というのは、その人の人生を変えます。一冊の出会いで、視野が大きく広がり、人生観や死生観までゆるがす、なんていうこともあります。

いままで、いろんなジャンルの本を読んでみましたが、まぁあれです、名著と呼ばれる本は、どれもこれも感銘深いものなんですね。

たとえば、プログラミングに関しても、まぁ僕は呼んでないけどカーニハンの「プログラム言語C」とかは、問題を解決するための考える手法、みたいなところまで突っ込んでるし、そのあたりは、そういう名著の影響を受けた著者に受け継がれていたりするわけです。

プログラマーからSEになって、コンサルになったワインバーグの「コンサルタントの秘密」なんかも、繰り返し繰り返し読んでる本のひとつです。
あるいは、前から書いてますが、小室直樹さんの「痛快!憲法学」なんかも繰り返し読んでおります。

こういう名著には、まず、いろんなジャンルにあたるということをしないと、なかなか出会えないんですね。
どの本のどんなところで、名著が紹介されているかわからない。
だから、とにかくたくさん読まないとしょうがない。

だいたい、世間一般の「ジャンル分け」っていうのは、あまり役に立たないわけです。同ジャンルの本には同じようなことしか書いてないから。まぁ、入門的には役立つんですけどね。
特定ジャンルの知識を身につけるには同ジャンル多読が効果的で、入門書を読んで中級クラスの本を読んで、専門書まで読むと、大事なことは必然的に繰り返し読み直すことになるので自然と復習になりますし、とても速いスピードで特定ジャンルの知識が身に付きます。

一昨年、自転車を購入しようと思った時は、このやり方でやりました。一気に10冊くらい買ってきてドッと読む。短時間で深い知識を身につけるのに、とても効果的です。

で、ここで大事なのは、「読み比べ」ということなんですね。多読すると、本の善し悪しっていうのが分かってきます。これはたくさん読まないとわからない。特に特定ジャンルの知識とか、あるひとつのテーマについて、深く認識できるかどうかは、「本の側」に責任があるのではなくて、「自分の頭の中の知識」に責任があるわけです。

ある一定量の知識、常識、知見、良識、学識などがないと、理解できない種類の事柄というのはあるわけです。特定の人の意見の深さ、みたいなことも、多読をしてるかどうかで全然変わってきます。

そういう具合に、自分にとっての善し悪しと、社会一般を渡っていくために身につけるべき知識とを、ちゃんと身につけようと思ったら、やっぱりたくさん読まないとしょうがないんですね。騙されつつ、疑いつつ、いろんな反論と反論にぶつかりながら、自分自身の立場の意見を固めていくというような事です。

そういう具合に読んでいくと、それこそ100冊に一冊くらい、自分でも想像もしていなかった分野で、「なんて素晴らしい本なんだ!」と感激できる本に巡り会う事ができます。
これはもうたくさん読まない限り出会えないんです。その本の深みまで含めて理解出来る自分が創られているかどうか?なわけですから。

そして、そういう本に出会うと、繰り返し読みたくなるし、音読したくなったりもしてくる。
ようは、異文化に触れるというのは、そういう事なんですね。

自分とは違う立場の概念を理解する、ということです。多分。
本を読む、という行為自体に、その「他者への理解」という意志が含まれているんですね。
自分とは違う立場の人の考えを理解しよう。
そういう考えこそが、本当の平和と愛の道なんじゃないでしょうか。

で、それは、実は繰り返し読んだり、音読したり、多読したり、という事を続けていないと、どうしても視野は狭くなるし、素敵な出会いにもならないってことなんですよ。

で、そういう事を続けていると、その反動で、「自分の文化の見直し」ということも、キチンと体に落とし込んだ形でやりたくなってくるから、上方落語を暗唱してしゃべってしまう、というところまで行っちゃうんだろうなぁって思うわけです。

こういう事は、やればやるほど面白いんですね。

たとえば、楽器の演奏で、いままでできなかった演奏法が出来るようになるのと同じで、新しい楽しみ方がひとつ増えるという豊かさがあるわけです。

人生を豊かにする。そのためには、積極的に楽しんでいかない限り楽しめないわけです。

でも、人生には限りがあります。
すべてを楽しむことはできない。

だから、ムダな時間は省いて、速読でもなんでも取り入れたいよなぁって思うわけですね。

勉強もせず、世界の広さも知らず、世の中の面白さや広さも知らないような、視野の狭い人に限って、「速読なんてムダ」とか言うんですけど、まぁつまらんですな。
世界は出会いに満ちている。
そして、自分が思っているより、必ず、絶対、どんなことがあっても、圧倒的に広くて、想像以上に楽しいのが、この世なんですよ。

世間を知らないからこそ、グチグチと文句を言う。自分の想像の範囲で社会を批判して、それで自分の不勉強を正当化してるわけです。実につまらん。

ともあれ、落語をしゃべるのは、なかなかに楽しいのであります。
はい。

コメント

yasai
2010年5月19日19:55

落語に似た 英語の話し、語り、はあるのですが 吉本みたいに 時間が短いのです。日本の落語のように最低でも15分で 普通なら30分の 一人舞台は まだ知りません。

Kei.K
2010年5月19日23:58

僕は『子は鎹』『ちりとてちん』『寿限無』が好きです。
直接見に行く機会は少ないのですが、最近はCD等で聞けるので、iPodに入れて聴いています。
でも、やはり振りがあったほうがいいですね。
どうしても音だけだと名人芸が半減しているような気がします。

あぁ、今度は熱いお茶が怖い。

シゲ
2010年5月20日0:49

>yasaiさん
書き込みありがとうございます。
そうですね、落語のようなスタンダップコメディは、海外にはないらしいですね。英語落語を開拓した故・桂枝雀さんは、英語圏の人の前で話す時は、最初に「右を向いた時はAさん、左を向いたときはBさん」というような解説からはじめないとダメだったそうです。

落語を英語に翻訳するというのも、いろいろ試みがあって面白いのですが、それはまた別の機会に。

ともあれ、落語というのは、かなり特殊な、日本独特の話芸のようです。

リンクいただいたようでしたので、こちらからもリンクさせていただきました。ありがとうございます。

>Kei.Kさん
書き込みありがとうございます。
ちりとてちんも、寿限無も、上方・江戸ともに演じられる演目ですね。まぁちりとてちんは酢豆腐でしたっけ?に変わるわけですけども。
上方と江戸とで同じネタなのに演出がまったく異なるのが「親子酒」でして、これはオチは同じなのに、上方版は息子が主人公で、江戸版は父親が主人公というのが面白いです。枝雀さんの「親子酒」は絶品でした。

音で聞くか、振りまで見るか、という話だと、やはりDVDで振りまで見たいというのが人情なんですが、講談社現代新書から出ている堀井憲一郎さんの「落語の国からのぞいてみれば」や「落語論」によれば、「落語は実は『歌』」であり、何度も楽しむのなら音だけを聞く方が良いということを書いておられます。
落語が「歌だ」という主張は、実は、自分でしゃべってみると、すごく良く分かるんですね。所作の大事さもさることながら、やっぱり言葉の音の楽しさこそが楽しさの大きな秘密なんだと思います。
実際、好きなネタは何度も聞きますから、実は所作は頭の中に入っていますし、実際には言葉で表現されている「シーン」を音からイメージする方が、はるかにリアルに感じたりするものなのです。一度お試しください。

ともあれ、
「落語の国からのぞいてみれば」と、
「落語論」は、
どちらも、かなり面白いです。落語がお好きなら超おすすめです。
特に「のぞいてみれば」の方には、お勧めの落語家と、そのCD/DVDリストがドーンと載っているので、それだけでも価値ありです。

ぜひ。

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