なんと言えばいいのか…。

優れた人だなぁと思ってる人を、何人かフォローしてツイートを見ておくとtwitterのタイムラインに、とんでもなく面白い情報が、次々に流れてきます。

小沢さんの不起訴に話にしても、いろんな見方があって、それぞれになるほどという話が多様にわかる。
いろいろ書きたいんですけど、とにかく先に書きたいのは「ツイッターをしよう!」ということですねぇ。

テレビ・新聞の報道が、いかに表面的で薄っぺらいか。
もちろんネットの情報には、勘ぐりとか噂だけの情報もあるけれども、それでも、何十人もの人のつながりという検証過程をくぐり抜けて広がるツイートには、そういう「怪しさ」をくぐり抜けてきた力があるってものです。

小沢さんの不起訴は「当然やん」と思うし、検察もマスコミもかなりひどいとは思うのですが、しかし、それよりもっと思うのは「小沢さんはツイッターしてないしなぁ。良くも悪くも古いタイプの政治家って事なんやろなぁ。」という事です。

メディアの問題にはクロスメディアオーナーシップの問題もあるし、ツイッターによる民衆の側の情報共有環境という対抗的仕組みもあり、記者クラブという日本独自の慣行の問題もある。
で、小沢さんはそういう新しい仕組みには全然通じてないし、そういうところで「説明不足」という感じは、どうしても残ってしまうわけですわな。

とは言うものの、政治もまた職人芸のところがあって、徒弟制度のように弟子として秘書を雇って、その住居を与えて一緒に過ごす時間を増やしながら民主主義を叩き込むという部分も、おそらく必要で、そういう意味で小沢さんは不動産を購入したんでしょう、きっと。

しかし、そういう徒弟制度みたいな事が成り立たなくなってきているような社会事情もあるわけだし、そこの「いまの風」みたいな事も、うまく取込んでもらわないと、政権が安定しないじゃんかさー、というのは、やっぱり思っちゃうわけですわね。

徒弟制度と、奇しくも書きましたが、twitterって、徒弟制度の現代的ライト化システムという側面があって、日々つぶやきに触れていると、やっぱりそういう人の意識に感化されていきますわな。学習していくというか、受け入れていく過程というか。回りの人の生き方そのものを、「ふむふむ。まぁ、それもアリでええんと違うか?」という気持ちになってくる。

で、そういう下地があった上で、情報提供があると、「なるほどなぁ」と、これまた積極的に評価できていってしまったりする。
ザイオン効果が自動的に働くわけですわね。

また、ある情報に対して、ピンと気付くか? あるいは大事だからこそ、しっかり腰を据えて情報を集めるか、あるいは即抗議をするか、などなどの「その時に適切な反応」というのがあるわけです。それは自分のキャラクターによって、変わってもくるし、いちがいにどう反応するのが良いのか?まではわからないですが、そういう事をいくつも事例を中心に見ていけるわけですから、そういう意味でもtwitterは面白いわけです。落語で兄弟弟子を見ながら学ぶ仕組みにも近いものがあるかも知れません。

ともあれ、そんなこんなで、twitterでいろいろの人のツイートを流し読みしていて、いま気になるのは、
●石川議員を起訴したという事自体がかなり無茶でっせ、この公判をしっかり見つめていかないとあきませんな。
とか、
●小沢さんはアメリカと不起訴前にどんな取引をして手打ちにしたんやろか? 気になるなぁ。
とか、
●朝青龍の引退劇は、小沢不起訴による検察批判・マスコミ批判隠しのための工作なのではないか?酒井法子と一緒やんけ。
とか、
●そんな事より、テレビのアナログ放送を廃止してデジタルだけにしたら、実放送と3秒差が生まれて、時報も、津波情報も、地震情報も、テポドン警報も、全部でけんようになってまうで。それって国民の生命安全の危機なんと違うの?
とか、
その他いろいろあるんですけど、(たとえば、経世会系の政治家は次々に不審死してるし地検からも狙われてるのに、清和会系はずっと安泰で不審死もないとか)そういうことよりなによりも、


●まずはツイッターが大事でっせ。


ということになるんですよね。そういうことを、かなり強く感じてしまってるんですよねぇ、この数日。

うーん、書いてて自分で気付いて驚いたけど、

「twitterは徒弟制度の現代的ライト化システムである。」

まさに、これだなぁ。ほんとに。

これが一番感じることだわ。

ちゅうことで、日々ツイッターするために、やっぱりiPhoneを導入することにしようと思います。
はい。

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