「こつまなんきん」というのは「勝間南瓜」だったのだなぁ。
「こつまなんきん」というのは「勝間南瓜」だったのだなぁ。
「こつまなんきん」というのは「勝間南瓜」だったのだなぁ。
先日の冬至の日。12月22日ですが。
うちの近所の神社で「こつまなんきん祭り」というのをやっておりまして。
で、また、家にこもりがちな母親を呼び出して、ちょっくら覗きに行ってまいりました。

だいたい「こつまなんきん」とはなんぞや?という話なわけですが、近年、大阪では、「なにわの伝統野菜」を復活させようという動きが、けっこう活発でありまして、このお祭りも、その流れに乗ったものなんだろうということなのであります。

●なにわの伝統野菜
http://www.epcc.pref.osaka.jp/afr/kakubu/toshinou/dentou/naniwa1.html
http://www.osaka-brand.jp/dokkoi/yasai/index.html

なんだかんだ言っても、大阪は古くから人の集積していた地域なのでそういう作物も多いのでしょうな。食う人間がいてれば、地域産業も栄えるということで。

こつまなんきんの他にも、毛馬きゅうりとか、天王寺かぶとか、田辺大根とか、かなりいろいろあるらしいのであります。で、こつまなんきんは、この大阪は西成区玉出が原産地で、勝間村というところで採れたから、「勝間南瓜」なんだそうです。

おもしろいのは、天王寺かぶでして、これは実は信州の野沢菜のもとになったカブだ、と言われているのだそうです。信州では「野沢菜は天王寺かぶがルーツ」というのは定番の伝説なんだそうですな。(でも、遺伝学的には否定されてるらしいけど。まぁ学者なんかアテにならんが。)

それはそれとして、「こつまなんきん」という言葉には、「小柄でぽっちゃりしていて性的魅力に満ちている女性」という色っぽい意味もあるわけでして。かの今東光が「こつまなんきん」という小説を昭和35年にも書いているそうであります。

この小説は映画にもなっていて、
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD23307/story.html
にある、あらすじを読む限りでは、「嫌われ松子の一生」なみの波瀾万丈な女性の一代記という感じですな。

冬至にかぼちゃを食べて金運を祈り、冬至風呂(柚子湯)に入って無病息災を祈るというのが、冬至の行事らしいのですが、最近でもやってる人はやってるんでしょうな。
ともあれ、この神社では、500円払うと、蒸したカボチャと願い事を書く紙をくれまして、境内に作られた食事どころでカボチャを食べて、参拝し、その後、カボチャ石というのを撫でて、願い事の紙をカボチャ形をした入れ物にほおりこむというところまでが、「手順」として決められていて、いやー商売上手な神社やなぁと感心したのでありますが。

ともあれ、いま話題の勝間和代さんも、もしかしたら、この地がルーツの人と縁のあった人なんじゃないですかねぇ。映画のストーリーを見ても、なんか女が一生を波瀾万丈で生きるというあたりが共通項になってる気もするし。不思議な感じ。

いやはや面白いもんです。

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コメント

権之助
2009年12月30日23:33

シゲさん
ワタシにとってはもうどうでもいい勝間女史の話の続きを、なかなかタイミング逃してコメントできませんでしたが、やっと一段落したのでこんなところでコメントを。
合併号の週刊文春に、最初の夫の話が出ています。週刊誌だから多少は飛ばしているところもあるのでしょうが、「さもありなん」という話です。
ワタシにとってはもうどうでもいいんですが、もしお時間あれば。

こつまなんきんってそういう意味があったんですか。全然知りませんでした。

シゲ
2009年12月31日0:04

>権之助さん
情報ありがとうございます。
さっそく、「勝間和代 最初の夫」で検索をかけたら、まぁほぼ文春の全文に近いような記事がいくつも出てきましたよ。やっぱり名前だけはよく売れてますな。

勝間さんの虚実については、まぁ、さもありなんとも思うし、勝間さんの立場から見ればまた別の見方もできるのかも知れないのですが、僕個人としてはひとつだけ。

いま勝間さんお勧めの「急に売れ始めるにはワケがある」を読んでいるのですが、噂に違わずものすごく面白いわけですよ。
ここまでなら、「勝間ブランドに偽りなし!」なんです。

が、勝間さん、何かの連載エッセイで、この本に出てきたニューヨークの犯罪が一気に下降した分岐点となった地下鉄の落書き撤去運動の事とか、その運動を支える「割れ窓理論(ブロークン・ウィンド)」の事を紹介した上で、「しかし、それだけではなく、当時のニューヨークでは、子育て支援をしていて、その事によって子どもの規範が育ち犯罪低下につながった」というような例示をしてるんですね。で、「割れ窓理論だけではダメなのだ」みたいなことを言ってたわけです。

なんか話が違うよなぁ、なんか変だなぁと思って、いざこの「急に売れ始める」を読んでみると、それはもう、ものすごく説得力のある話で、勝間和代の「子育て支援が犯罪を予防した理論」なんて、ちゃんちゃらおかしくて聞いてられないくらい陳腐なわけです。

で、思うのは、「この人、本当にこの本を読んだのかしら? いや、読むには読んだのだろうけど、内容をキチンと覚えていないに違いない」という事なんですね。
もっと言うなら「手元に書籍を置いて、その書籍の論旨を再確認しながら問題点を指摘する」というような、物書きとしての基礎体力が全然、からきしないのではないか?と思わせるところがいかんのですよ。
というか、この人「本はどんどん捨てていく。メモを取ったりもしない。」と公言してたりしますし。

いやー、それはアカンやろ、という風には思いますなぁ。
プライベートがどんな人でも別にかまわんのですが、本を書いて出して、で、出版で名前が売れたんだから、そういう「文章による論議の基礎の基礎」みたいなことは、キチンと押さえた上で行動してもらいたいと思います。
そうでないと勝間さんのファンの、とくにボリュームゾーンとなる若いビジネスパーソンたちが、「積み重ねる事の必要性」みたいな事に思いをいたせなくなっちゃうよなぁという気がするんですよね。

そこは、かなり残念ですわ。

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