最近は、「自分を活かす」ということがどういう事なのか、だんだんわからなくなってきております。

人にはそれぞれ才能があって、才能を活かした分野で活躍をするのが幸せなはずなんですけど、しかし、その才能を活かすための努力が「楽しい」と感じられないのだとしたら、それは単に「得意」なだけで、長期に渡って努力することは不可能だろうと思われるわけですね。

逆に、いくら才能がない、向いてないジャンルの事柄でも「楽しいなぁ」という実感さえ得られれば、ずっと努力し続けることができる。

結局は、好きなことと得意なことのどちらを選んで積み重ねていくのが良いかというと、やはり好きなことを選ぶのが賢いのだ、という話を良く聞くわけです。

それは確かにそうだよなぁとは思うのですが、でも、本当に自分に才能がない分野で、しかも、やたらと「下手の横好き」なだけだったとしたら、それはやっぱり、ムダにしかならないんじゃないか?とかも思うわけです。

残り人生が少なくなってくると、よけいに無駄な時間を費やしてはいけないと思う訳ですが、本当に才能のない分野でも、伸びが期待できない分野であっても、やっぱり、得意な事より好きな事をした方がいいのだろうか? と、やたらと堂々巡りする考えにとらわれてしまいますね。

でも、それでもやっぱり、やってる事自体が楽しいのであれば、楽しさの方を優先するべきなんでしょうね。
少なくとも、その事をやっている間は楽しい訳ですし、また、自分が楽しんでいる間は、回りも幸せなわけですから。

で、自分が本当にやりたい事があるにもかかわらず、何かに逃げ込んでそればっかりやってるというのは、やっぱりそれは、回りにとってすごく迷惑な事だし、その人にとってもものすごく不幸な事なんだろうなぁという風に思います。

そういう意味では、いったい自分が本当に好きなこと、やりたいことは何なんだろう?と自分を見つめ直すということが、ものすごく大事だなぁと、最近はよく思います。

意外にも、自分が本当にやりたいこと、やって楽しいと思えること、楽しいからこそ生きている意味を実感できること、を、見つけられないままに生きている人はすごく多いと思うんですね。

昔、仕事仲間で仕事上でWindowsをパソコンにインストールする必要があって、いろいろ設定もしなければならないわけですが、その過程でマインスイーパーにはまってしまって、えんえん一週間くらい抜け出せなくなってた男がいてるんですけど、なんか人間ってそういうところがあると思うんですよね。その男は、それほどゲーム好きのゲーマーというわけではなかったんですよ。でも、本質を見るということを忘れちゃってたわけでしてね。

でも、多くの人間が、そういう状況なんだろうなぁとしみじみと思います。

この日記でもちょくちょく書いてるAC=アダルトチルドレンの事にしても同じ事ですよね。自分を生きるのではなく、関係性に振り回されてるとか、まぁそういうことだと思います。

なかなか、自分の「楽しさ」を優先して生きていくというのは簡単にできるように見えて、実行するには、人生には、枝葉、脇道、回り道、迷路が多すぎて、貫き通すのもまた難しいように思います。

でも楽しさを上手に貫き通せば、たぶんイチローみたいなところまで行くんだろうなぁという気はしますよねぇ。ずっと永遠に努力し続けられる、努力する事自体が楽しみなわけですからねぇ。

最近、ここの日記でも、よくノートとかの文房具の事を話題に出してますけど、ようはそれも、自分がしたい事を見つけるのに、ノートに書き出してみるというのは、かなり有用だよなぁと思うからであるのです。

まず、自分の好みの手帳なりノートなりを見つけて、そこにどんどん自分の夢やら好きなことやりたいことを書いてみる。
ただそれだけで、かなり自分の想いというものは整理されるし、何を好きなのか?ということを確かめるためには効果がありますからね。
なによりついマインスイーパーをやり続けてしまうというような脇道の迷路にはまりこんでしまう事は防げます。

だから、まず、いろいろと、自分の好きなこと、やりたいこと、夢などを、まずは書き出してみることなんじゃないかなぁとは思いますね。

いや、いったい誰に言ってるんだろ?
あ、自分か。
おそまつ。

コメント

霧木里守≒畑楽希有(はたら句きあり)
2009年10月27日17:10

 書き出しているうちに「たくさん書き出すこと」それ自体に脅迫観念的目的性をみいだしてしまって当初の目的を忘れる、私のようなおばかにつける薬はないでしょうか???

 w(--;)w

(ていうか、私の場合、とにかくなんでもいいから無駄話を「書くこと」それ自体が「楽しい」のが問題なのかもしれませんが……☆)

シゲ
2009年10月27日18:21

>桐木りすさん

そうですねぇ、同じ所をえんえん、ぐるぐる回る堂々巡りというのを、人間はやりがちですよねぇ。

ただ、「書く」というのは、嫌でもその書いたモノが残るので、その堂々巡りを防ぐ効果はあると思うんですよね。
で、堂々巡りを防ぐポイントは、その自分で書いたモノを、繰り返し読み直す事だと思うのです。
自分の書いたモノを読み直すと、自分との対話が進むので思索が深まって、ひとつ上の次元から考える事が自然にできるようになってきます。

ただ、それは「読み直し」をして始めて気づくことであって、それをしてないと書くことが堂々巡りを防ぐ手段にはならないわけです。
好きなこと、得意なこと、何を最優先したらいいのかはわからないですけど、やっぱり、まず自分が「読み手」になって、自分の書いたものを読み直す、ということが、まず最初に必要な事だろうなと僕は思いますね。

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