クルマのドライバーは自転車に乗る責任があると思う。
2009年10月21日 自転車この間から思ってるのは、こういうこと。
クルマのドライバーこそが、クルマを降りて自転車に乗って欲しいなぁってことですね。
というのは、自転車に乗ってると良くわかるんですが、自転車乗りにもまともな人とまともでない人がいて、その差は、大きくは「免許を持っているかどうか」の違いが、けっこう大きいのだってことなんですよ。
自転車は無免許で乗れます。だから、ルールの解釈が「世の中を見て真似してる」だけなんですね。他に基準はないんです。
だから、クルマのドライバーが、クルマから降りて、順法で(車道を)自転車で走るようにするのが一番なんです。それを見て無免許の人が真似るわけだから。無免許の人が原則なしに走るから、その原則無しを真似る人が増えて、自転車乗りの世界がグチャグチャになってるわけです。
だから免許を持ってる=原則を知ってる人が、自転車「にも」乗って、お手本を示さないといけないんです。これはひとつの「責任」ですらあると思うよなぁ。
先日の「自転車会議!」という本には、「日本の都市の中で一番走りやすい都市はどこか?」という話が載っていて、結局それは東京なんじゃないのか?って話になったわけです。
なんでか?
実はそれは「自転車は車道を走るモノ」という納得が、クルマ乗りの方に浸透してる度合いが高いからなんですね。自転車を敵視して、追い越したところで、最近のスポーツバイクだと、信号でかなりの場合追いつかれてしまう。道がクルマで混んでいたら、自転車に追い抜かれることもザラなのだ、とよ~~く知ってるわけです。信号の多い、都市空間では「おれはクルマに乗ってるエライ人間なのだ!」というようなクラクション鳴らしみたいな振る舞いが、まーったくの無意味なのだと、了承しているドライバーが多いってことなんですよ。
そこまで自転車の優位性、街の中での自転車の速さを知ってしまえば、自分がクルマから降りて、時には自転車で移動してみるという事まで、ほんとうにほんの一歩でしかないと思うんですよね。
で、実際、「良い自転車ドライバー」になるためには、道路交通法規をある程度知っているとか、クルマで走る時のクルマの側の「常識・マナー」を知っている事が必須の知識になるわけですよ。だから、それを無免許の人の前で披瀝する人がどうしても必要なわけです。
で、その人材ってのは山ほどいて、それはクルマのドライバーさん、あんたなんだよって事です。
自分が動けば、手本を示せて、社会が変わるんです。
だから、あなたが自分でやりなさいって事ですね。
そしたら、クルマで走る時も無茶な自転車乗りが減って、快適に走れるわけです。
悪いことなどひとつもない。
ベストの方法です。
かっこ悪いなぁと思ったのが、勝間和代さんが「走りにくい街」の代表として挙げてたのが「大阪」だったってことで。
これがまた良く分かる。
大阪は本当に、走りにくい。
無免許のママチャリ乗りが、道路を逆走して走ってくるとか、ものすごく多いし。なんせ大阪市内の道路のかなり多くの幹線道路が一方通行なので、「自転車は進行方向の左側を走る」というルール自体が成立してないんですね。どうしたってクルマの流れに逆らった逆走をせざるを得ない事が多くて、そうなると、「左端走行」が守られなくなるんですなぁ。
大阪はかなり最悪。
でもね。
じゃあ、そういうルール無用の無免許の自転車乗りをどうしたらいいかというと、やっぱりそれは、免許を持ってキチンと自転車にのるまともな自転車乗りが増えることがベストなわけですよ。そうなれば、「見て真似る」だけだから、まともな自転車乗りの真似を、みんなが真似するんです。
で、そういう時に模範になれるのは、やっぱり、キチンと自動車免許を取得したクルマに乗った経験のある人なわけです。
免許を取得した上で、自動車で道路を走った経験のある人でないと、無免許で自転車に乗っている人の「あまりの無法ぶり」が理解できないんですね。無免許で自転車に乗ってる人は、何も教えられてなくて、回りを見て真似てるだけだから、自分が「あまりに無法である」という事自体がわかってないわけです。
そういう時にベストなのは「手本」を見せる事です。手本を知らないと、これはできない。で、クルマに乗ってる人は、まぁ自転車に乗っても「順法で走ろう」という意識さえ持てば、いきなり、かなりの優良自転車ドライバーになれますよ。
でも、それはクルマに乗ったままだと、何の解決にもならず、よりいっそう自転車と車の溝を深める事にしかならないわけです。
よく日曜日しかクルマに乗らないドライバーが、平気で自転車にパパパパパパーってクラクションを鳴らしてるけど、それはもう、愚の骨頂なわけです。相手は自動車免許を持ってないおばちゃんだったりするんだから。鳴らすだけ無意味なんです。(鳴らす事自体が、安全速度義務違反なんだけどね。)
結局、人間は、クルマのドライバーである時間もあれば、歩行者である時もあるわけで、それと同じく、自転車のドライバーであるという時間も増やせば良いのです。だから、なんでもかんでもクルマで移動して、自転車に乗りもしないで問題を深刻化させたりせずに、
●クルマから降りて、自転車に乗ればいい。
んですよ。
男女の問題は、男が女になることは不可能に近いので、簡単に相手の立場はわからないんですが、自転車と車の問題は、いくらでも立場は変えられるんです。
だから、自動車に乗っていて、自転車の無法ぶりにイラつくような人は、まず真っ先に自分がクルマから降りて自転車に乗ればいいんです。それが一番早い。
で、自動車のルールを体得した意識で、自転車を「クルマの一種」と自覚した自転車走行を、そういうオバチャンに「手本」として見せれば良いのです。
それだけの話です。
そういうまともな自転車乗りが増えれば、「見て学ぶ」だけの層もまともになっていきます。
だから、免許持ちこそ、自転車に乗らなきゃダメだと思うんですよね。
実際、クルマに乗ってる人は、道路という公的な空間を、徒歩オンリーの人間より多く塞いでいるわけです。
なのであれば、無免許自転車乗りを、正しく教育する責任だってあるって事ですよ。
ましてや、その教育をやれば、
●無謀な自転車乗りが減って、クルマで運転するときも快適に走れる。
というクルマの運転者にも大きな大きなメリットが生まれるわけですよ。免許を持ってるクルマ乗りが、自転車で手本を示す、という事をしなければ、こういう「快適に走れる道路」という環境も生まれて来ないわけです。
自分の快適は自分で作れば良い、というだけの簡単な話なわけです。
こういう当たり前の事がわかっていないのが問題なんです。
大事なのはクルマと自転車を分けることではなくて、いかに道路をみんなで上手に活用するか?って事なんですよね。
晴れた日で、荷物もなく、移動するのが都市部の市内で、移動距離15km以内なら、圧倒的に自転車の方が快適だし早いし、健康にも良いわけです。
雨の日や、荷物がある時や、ちょっと遠出をする時、あるいは単に気持ちよくクルマに乗ってストレス解消したい時はクルマに乗ったらいいんです。
しかし、そうじゃないときは自転車の方が便利で、しかも模範運転をしたら無免許ママチャリライダーへの教育効果まで出てくるんだから、自転車に乗らない方がおかしい。
だから自動車のドライバーである人、日常的にクルマに良く乗る人ほど、必要に応じて、正しく自転車に乗るべきなんですよ。
そうすれば、
●道路空間が空くので、クルマが走りやすくなる。
という、もっとも重要な変化が出てくるわけです。
渋滞の不快さを一番感じているのはクルマのドライバーでしょう? なら、自分で解決すれば良いのです。用事のない時は自転車で移動するようにする。それをドライバーの常識にする。そしてできる限り順法で車道を自転車で走る。
そうするだけで、アホで危険な無免許自転車乗りの問題を緩やかに正しつつ、クルマ一台分の走りやすいスペースを他のクルマ乗りのために空ける事ができるわけです。
クルマ乗り同士が、そうやってスペースを譲れば、それはそれは道路は快適に走れるようになりますよ。自転車は自動車の7分の1のスペースしか使いませんからね。
クルマ乗りこそ自転車にキチンと乗る。そういう常識ができれば、それこそ、自分が本当に急ぐときや、快適に走りたいときに、道路を快適に使えるという、クルマ乗りにとって一番大きなメリットが生まれるわけです。
だから、免許を持っていて、自家用車に乗っている人は、よほどの用がある時以外は自転車に乗るようにするべきなんですよ。
それこそが、クルマに乗ったときの快適さを高める最上の方法なわけですから。
僕に言わせれば、自家用車には、必ずスポーツ自転車がセットで付いてくるべきだとすら思いますから。法的にスポーツ自転車の購入を義務づけたら良いのにと思う。で、用もないのに自動車には乗らない。タバコ一箱買うのにガソリンなんか燃やさない。自転車で行く。当たり前や!そんな事!
で、免許持ちは、日々道路を、歩行者よりもはるかにたくさん塞いでいる責任を痛感して、自転車に乗るときは無免許自転車乗りの「教育」にいそしむと。
そういう流れができるのが、もっともみんなが幸せになる筋道だと思いますな。
無免許自転車乗りが、こんなに、あまりに無法なのはなぜかというと、これは実は、警察がかなり悪い。そうとうに悪い。ものすごく悪い。悪辣非道なる警察組織であるということが言える。
というのは、先の「自転車会議!」にも載ってましたが、警官がやる小学生への安全交通セミナーみたいなのが、かなりの問題をはらんでるわけです。
そういうところで教えるのは「手信号」だったりするわけです。それを法律に従って教える。
で、法律上では、左折するなり、右折するなりする時に「右左折が終了するまで手信号を出し続けること」という事になってるわけです。
片手運転推奨かよ!ボケか!
っちゅう話です。
そんな危ない事、自転車に乗りたての子どもにできるわけがありません。
で、そういうルールを教えられて、街に出ると、そういう事をしてる人はひとりもいてないわけです。
こういう事があると、どういうことになるか?
「ルールは守らなくて良いものだ」
という刷り込みだけができてしまうわけですよ。
しかも小学生の時に。
これがかなりの問題なわけです。
アホでひどい運転をするママチャリライダーというのは、こういうところから生まれている。
つまり警察が元凶なんです。
だから、そういうひどい警察の問題点を解消するためにも、ベストの手段は「自動車の免許持ちが、晴れた日の1人での移動の時には、自転車に乗って理想の自転車乗りとしての手本を示す。」ことなんですよ。
法律がおかしい部分は守らなくてもいいですが、道路でどうしても車線変更して右左折しなければならない時は曲がる前に手信号を出して後ろのクルマに知らせ、曲がる時はしっかりハンドルをホールドするという、当たり前の行為を、道を歩く子ども達の前で見せる、という事です。
そうすれば、5年後、10年後、その子たちが大きくなった時にたとえ免許を持っていなくても、まともな自転車乗りになって、クルマに乗っている人自身が、無謀な自転車乗りに、怖い思いをしなくて済むというわけです。
これ以外に正解はありません。
ちゅうことで、クルマに乗ってる人は、即、良い自転車を買って自転車で移動すること。
それをしない人は全員、自分のクビをしめてるというだけの話です。
はい。
クルマのドライバーこそが、クルマを降りて自転車に乗って欲しいなぁってことですね。
というのは、自転車に乗ってると良くわかるんですが、自転車乗りにもまともな人とまともでない人がいて、その差は、大きくは「免許を持っているかどうか」の違いが、けっこう大きいのだってことなんですよ。
自転車は無免許で乗れます。だから、ルールの解釈が「世の中を見て真似してる」だけなんですね。他に基準はないんです。
だから、クルマのドライバーが、クルマから降りて、順法で(車道を)自転車で走るようにするのが一番なんです。それを見て無免許の人が真似るわけだから。無免許の人が原則なしに走るから、その原則無しを真似る人が増えて、自転車乗りの世界がグチャグチャになってるわけです。
だから免許を持ってる=原則を知ってる人が、自転車「にも」乗って、お手本を示さないといけないんです。これはひとつの「責任」ですらあると思うよなぁ。
先日の「自転車会議!」という本には、「日本の都市の中で一番走りやすい都市はどこか?」という話が載っていて、結局それは東京なんじゃないのか?って話になったわけです。
なんでか?
実はそれは「自転車は車道を走るモノ」という納得が、クルマ乗りの方に浸透してる度合いが高いからなんですね。自転車を敵視して、追い越したところで、最近のスポーツバイクだと、信号でかなりの場合追いつかれてしまう。道がクルマで混んでいたら、自転車に追い抜かれることもザラなのだ、とよ~~く知ってるわけです。信号の多い、都市空間では「おれはクルマに乗ってるエライ人間なのだ!」というようなクラクション鳴らしみたいな振る舞いが、まーったくの無意味なのだと、了承しているドライバーが多いってことなんですよ。
そこまで自転車の優位性、街の中での自転車の速さを知ってしまえば、自分がクルマから降りて、時には自転車で移動してみるという事まで、ほんとうにほんの一歩でしかないと思うんですよね。
で、実際、「良い自転車ドライバー」になるためには、道路交通法規をある程度知っているとか、クルマで走る時のクルマの側の「常識・マナー」を知っている事が必須の知識になるわけですよ。だから、それを無免許の人の前で披瀝する人がどうしても必要なわけです。
で、その人材ってのは山ほどいて、それはクルマのドライバーさん、あんたなんだよって事です。
自分が動けば、手本を示せて、社会が変わるんです。
だから、あなたが自分でやりなさいって事ですね。
そしたら、クルマで走る時も無茶な自転車乗りが減って、快適に走れるわけです。
悪いことなどひとつもない。
ベストの方法です。
かっこ悪いなぁと思ったのが、勝間和代さんが「走りにくい街」の代表として挙げてたのが「大阪」だったってことで。
これがまた良く分かる。
大阪は本当に、走りにくい。
無免許のママチャリ乗りが、道路を逆走して走ってくるとか、ものすごく多いし。なんせ大阪市内の道路のかなり多くの幹線道路が一方通行なので、「自転車は進行方向の左側を走る」というルール自体が成立してないんですね。どうしたってクルマの流れに逆らった逆走をせざるを得ない事が多くて、そうなると、「左端走行」が守られなくなるんですなぁ。
大阪はかなり最悪。
でもね。
じゃあ、そういうルール無用の無免許の自転車乗りをどうしたらいいかというと、やっぱりそれは、免許を持ってキチンと自転車にのるまともな自転車乗りが増えることがベストなわけですよ。そうなれば、「見て真似る」だけだから、まともな自転車乗りの真似を、みんなが真似するんです。
で、そういう時に模範になれるのは、やっぱり、キチンと自動車免許を取得したクルマに乗った経験のある人なわけです。
免許を取得した上で、自動車で道路を走った経験のある人でないと、無免許で自転車に乗っている人の「あまりの無法ぶり」が理解できないんですね。無免許で自転車に乗ってる人は、何も教えられてなくて、回りを見て真似てるだけだから、自分が「あまりに無法である」という事自体がわかってないわけです。
そういう時にベストなのは「手本」を見せる事です。手本を知らないと、これはできない。で、クルマに乗ってる人は、まぁ自転車に乗っても「順法で走ろう」という意識さえ持てば、いきなり、かなりの優良自転車ドライバーになれますよ。
でも、それはクルマに乗ったままだと、何の解決にもならず、よりいっそう自転車と車の溝を深める事にしかならないわけです。
よく日曜日しかクルマに乗らないドライバーが、平気で自転車にパパパパパパーってクラクションを鳴らしてるけど、それはもう、愚の骨頂なわけです。相手は自動車免許を持ってないおばちゃんだったりするんだから。鳴らすだけ無意味なんです。(鳴らす事自体が、安全速度義務違反なんだけどね。)
結局、人間は、クルマのドライバーである時間もあれば、歩行者である時もあるわけで、それと同じく、自転車のドライバーであるという時間も増やせば良いのです。だから、なんでもかんでもクルマで移動して、自転車に乗りもしないで問題を深刻化させたりせずに、
●クルマから降りて、自転車に乗ればいい。
んですよ。
男女の問題は、男が女になることは不可能に近いので、簡単に相手の立場はわからないんですが、自転車と車の問題は、いくらでも立場は変えられるんです。
だから、自動車に乗っていて、自転車の無法ぶりにイラつくような人は、まず真っ先に自分がクルマから降りて自転車に乗ればいいんです。それが一番早い。
で、自動車のルールを体得した意識で、自転車を「クルマの一種」と自覚した自転車走行を、そういうオバチャンに「手本」として見せれば良いのです。
それだけの話です。
そういうまともな自転車乗りが増えれば、「見て学ぶ」だけの層もまともになっていきます。
だから、免許持ちこそ、自転車に乗らなきゃダメだと思うんですよね。
実際、クルマに乗ってる人は、道路という公的な空間を、徒歩オンリーの人間より多く塞いでいるわけです。
なのであれば、無免許自転車乗りを、正しく教育する責任だってあるって事ですよ。
ましてや、その教育をやれば、
●無謀な自転車乗りが減って、クルマで運転するときも快適に走れる。
というクルマの運転者にも大きな大きなメリットが生まれるわけですよ。免許を持ってるクルマ乗りが、自転車で手本を示す、という事をしなければ、こういう「快適に走れる道路」という環境も生まれて来ないわけです。
自分の快適は自分で作れば良い、というだけの簡単な話なわけです。
こういう当たり前の事がわかっていないのが問題なんです。
大事なのはクルマと自転車を分けることではなくて、いかに道路をみんなで上手に活用するか?って事なんですよね。
晴れた日で、荷物もなく、移動するのが都市部の市内で、移動距離15km以内なら、圧倒的に自転車の方が快適だし早いし、健康にも良いわけです。
雨の日や、荷物がある時や、ちょっと遠出をする時、あるいは単に気持ちよくクルマに乗ってストレス解消したい時はクルマに乗ったらいいんです。
しかし、そうじゃないときは自転車の方が便利で、しかも模範運転をしたら無免許ママチャリライダーへの教育効果まで出てくるんだから、自転車に乗らない方がおかしい。
だから自動車のドライバーである人、日常的にクルマに良く乗る人ほど、必要に応じて、正しく自転車に乗るべきなんですよ。
そうすれば、
●道路空間が空くので、クルマが走りやすくなる。
という、もっとも重要な変化が出てくるわけです。
渋滞の不快さを一番感じているのはクルマのドライバーでしょう? なら、自分で解決すれば良いのです。用事のない時は自転車で移動するようにする。それをドライバーの常識にする。そしてできる限り順法で車道を自転車で走る。
そうするだけで、アホで危険な無免許自転車乗りの問題を緩やかに正しつつ、クルマ一台分の走りやすいスペースを他のクルマ乗りのために空ける事ができるわけです。
クルマ乗り同士が、そうやってスペースを譲れば、それはそれは道路は快適に走れるようになりますよ。自転車は自動車の7分の1のスペースしか使いませんからね。
クルマ乗りこそ自転車にキチンと乗る。そういう常識ができれば、それこそ、自分が本当に急ぐときや、快適に走りたいときに、道路を快適に使えるという、クルマ乗りにとって一番大きなメリットが生まれるわけです。
だから、免許を持っていて、自家用車に乗っている人は、よほどの用がある時以外は自転車に乗るようにするべきなんですよ。
それこそが、クルマに乗ったときの快適さを高める最上の方法なわけですから。
僕に言わせれば、自家用車には、必ずスポーツ自転車がセットで付いてくるべきだとすら思いますから。法的にスポーツ自転車の購入を義務づけたら良いのにと思う。で、用もないのに自動車には乗らない。タバコ一箱買うのにガソリンなんか燃やさない。自転車で行く。当たり前や!そんな事!
で、免許持ちは、日々道路を、歩行者よりもはるかにたくさん塞いでいる責任を痛感して、自転車に乗るときは無免許自転車乗りの「教育」にいそしむと。
そういう流れができるのが、もっともみんなが幸せになる筋道だと思いますな。
無免許自転車乗りが、こんなに、あまりに無法なのはなぜかというと、これは実は、警察がかなり悪い。そうとうに悪い。ものすごく悪い。悪辣非道なる警察組織であるということが言える。
というのは、先の「自転車会議!」にも載ってましたが、警官がやる小学生への安全交通セミナーみたいなのが、かなりの問題をはらんでるわけです。
そういうところで教えるのは「手信号」だったりするわけです。それを法律に従って教える。
で、法律上では、左折するなり、右折するなりする時に「右左折が終了するまで手信号を出し続けること」という事になってるわけです。
片手運転推奨かよ!ボケか!
っちゅう話です。
そんな危ない事、自転車に乗りたての子どもにできるわけがありません。
で、そういうルールを教えられて、街に出ると、そういう事をしてる人はひとりもいてないわけです。
こういう事があると、どういうことになるか?
「ルールは守らなくて良いものだ」
という刷り込みだけができてしまうわけですよ。
しかも小学生の時に。
これがかなりの問題なわけです。
アホでひどい運転をするママチャリライダーというのは、こういうところから生まれている。
つまり警察が元凶なんです。
だから、そういうひどい警察の問題点を解消するためにも、ベストの手段は「自動車の免許持ちが、晴れた日の1人での移動の時には、自転車に乗って理想の自転車乗りとしての手本を示す。」ことなんですよ。
法律がおかしい部分は守らなくてもいいですが、道路でどうしても車線変更して右左折しなければならない時は曲がる前に手信号を出して後ろのクルマに知らせ、曲がる時はしっかりハンドルをホールドするという、当たり前の行為を、道を歩く子ども達の前で見せる、という事です。
そうすれば、5年後、10年後、その子たちが大きくなった時にたとえ免許を持っていなくても、まともな自転車乗りになって、クルマに乗っている人自身が、無謀な自転車乗りに、怖い思いをしなくて済むというわけです。
これ以外に正解はありません。
ちゅうことで、クルマに乗ってる人は、即、良い自転車を買って自転車で移動すること。
それをしない人は全員、自分のクビをしめてるというだけの話です。
はい。
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