明日の選挙では、裁判官の審査投票で「全員に×」をつけましょう。
2009年8月29日「それでもボクはやってない」について、えんえん書いてきました。
見た人には、えんえん書いているということの意味の重要さが分ってもらえると思いますが、やはり見ていない方にはなかんか理解されないようです。
だから、とにかく選挙後でもいいから見てくださいとお願いしておいて、僕個人としては、ここで多くの方々に「明日の選挙では裁判官の審査投票がありますが、そこで必ず全員に×をつけましょう」という提案をしておきます。
国民審査に関しては、いろいろなところで「キチンと×をつけましょう!」という運動が盛り上がっているようですし、私の尊敬する副島隆彦さんも、
●来たる8月30日の衆院選と同時に行われる最高裁判所裁判官の国民審査で、「4人の最高裁裁判官に×(バツ)を与える国民運動」を行うことを提案します。
というアーティクルを書いておられます。
が、しかし。
●4人? そんなもんでは甘すぎる! 全員×に決まっている!
というのが私の意見です。
なぜなら、まず、この投票が「○をつけたら無効になる」などという、こすっからい、イヤな仕組みになっていたりするからです。
これはどういうことかというと、上記のように「キチンと審査をしましょう」という呼びかけ潰しなんですよ。国民審査というのは、200票入った場合に、100票以上の罷免要求が出たら罷免されるという仕組みになってます。
ですから、単に「×をつけましょう!」と呼びかけて、大挙して審査で「×」をつけても、勘違いして×以外のマス目に「○」をつける人が出てきたら、それらは無効票としてカウントされます。200票のうち、120票で「×」があっても、40票に「○」が入っていると結果として80票しか有効ではなくなるので、国民運動を起こした時にこそ勘違いが山盛り出て、裁判官が助かる、という仕組みになってるんです。
なんとずる賢い!
ここがすでに許せない。
だから、とにかく「全員に×」を心がけてください。確かに「まともな裁判官に×をつけるかもしれないから、それはイヤ」という人もいてるでしょうが、そういうまともな裁判官が仮にいたとしたら、それは「連帯責任でやめてもらう」という事で良いです。
事態はそこまでひどいですから。
なぜそういうことを言うかというと
この間から書いてきた映画「それでもボクはやってない」の中で、
●不見当(ふけんとう)
なる単語が出てくるからです。
この言葉の意味を知ってますか? 知らないですよね。まずここが大問題なんです。
この不見当という言葉は「見あたらない」という意味です。で、この「不見当」なる言葉を発するのは検察側の人間なんです。で、どういうシチュエーションで言うのかというと、前回の公判で「被疑者側の主張では、この立ち位置では痴漢ができないとの事だったが、こちらで実験してみた結果、できるとわかりました。」と言っていたので、弁護側が「では、その実験結果を提出してください」と要求していたわけです。(まず、ここで実験結果を出してないのがおかしいんですがね。口先だけで「実験した」と言ってるだけ。)
で、その実験結果の提出がなかったから「どうなってるんだ」と弁護士が詰め寄ったら、検察側が、たった一言「不見当です」と言って終わりなんですよ。
で、それを聞いて、裁判官が「そうですか。わかりました。」と言ってすませてしまう。どういうことやねん、それ!と思うのですが、みなさん、この無茶苦茶さのどこが無茶苦茶かわかりますか?
ひとつは
●証明責任の問題
です。
だいたい、「この人が犯人である」と断定したのなら、証拠が必要です。そして、その証拠提出の責任は検察側にあります。
逆に言うと、「犯人である」と言われても、被疑者側が「私は犯人ではありません、なぜならこういう証拠があるからです。」という証拠を出す必要はない、という事です。
まず、断定した側がキチンと判断に足る材料を出す必要があるわけです。こんな事は当たり前です。単なるあて推量で裁判をされたらたまったものではありません。
しかし、ここでは「不見当です。」と言って、あったはずに「証拠」が出てきもしないわけです。
これはあまりにひどい。
で、二つめは、
●不見当という業界用語が定着している
という事です。
これは、検察の側がしょっちゅう「見あたらない」というような事をやっているということを示します。しょっちゅうやってなけりゃ、こんな専門用語が生まれるわけがない。
しかも!
●その専門用語を裁判官が見逃している
という、大問題があります。
個人を罪に陥れる証拠がある!と言いながら、出せ!と言うと「見あたりませんでした」ですよ? で、本来なら、そこで「審理終了。証拠不十分により、被疑者は無罪。」と判定しなければいけないのが、裁判官です。証拠の不揃いというのは、起訴の基礎要件を満たしていないという事ですから裁判自体が成立しません。「疑わしきは罰せず」であるなら、証拠が見あたらなかったら、そこで裁判は終わりです。被疑者は無罪。これが当たり前の姿です。
であるのに!
●裁判官が「不見当」という言い訳語を見逃している。
んです。
こういう業界用語というのは、そういう事柄が日常的に行われていることを示します。決して痴漢えん罪だけの話ではないわけです。ほとんどの裁判で、そういう警察と検察のひどい癒着、「グル」の構造が存在すると言うことの、強力な証拠になります。
だから、裁判官は全員×。罷免してかまいません。当然です。
-------------
で、だいたい、ちょっと考えてもらえばよくわかるはずですが、どうして立候補する政治家には顔写真のポスターがたくさん並んでいるのに、裁判官の顔写真はおろか、判定してきた実績の一覧すら、投票所にはないのか? って事です。
政治家は立候補する側ですから、現職と新人を公平に選択するために情報なしでも仕方ないですが、裁判官は違います。公的な仕事・実績は公的に記録されてるわけですから、とりまとめもできる。ちゃんとした判断材料を投票所に設置するのが筋ってもんです。でも、それすらされていない。
この段階で、仕組みとしての要件を満たしていないのだから、これまた、そんな仕組みで審査をしようとしている裁判官全員×です。
で、ネットで国民審査のページをみてもらったらわかりますが、国がやってるページには「国民審査をしましょう」とは書いてあるけれども、裁判官の実績がわかるような作りにはなっていない。ここがまたおかしい。裁判所のホームページへのリンクが張られているだけなんですよ。
でリンク先に行ってみると裁判官の名前が14人並んでいます。でも、これ、全員が今回の審査の対象者じゃないですからね。なんやねんそれ。ちゃんと審査してもらおうとは全然考えてないやろ、おまえら!っちゅう話です。
このうちの8人が対象なんですけど、これが相当さがさないとわからない。
しかも、その名前をクリックしたところで、顔写真と経歴はいろいろ載ってるんですが、肝心のどの裁判を担当したのかは、もう一度クリックしないとわからないんですよ。あまりにおかしすぎる。わざとわかりにくくしているとしか思えない。
民主主義というのは、多様な意見を同等にきちんと聞くのが大前提ですから、そこでもっとも重要になるのは「公平な手続き」なんですよ。その「手続き」があまりにひどい。
だから、こういう事を平気でやってる裁判官は全員×でかまわないんです。連帯責任で全員やめてもらいましょう。
---------------
今回の選挙は、日本の仕組みが変わる選挙でして、大きなポイントは「官僚政治の打破」ということです。
小沢一郎は、「それボク」の周防監督が数百の痴漢えん罪を見てきたのと同じく、田中角栄の濡れ衣裁判をすべて見ています。
だから、裁判の仕組みのひどさも良くわかっているはずで、そういうヒドイ仕組みを、今回は根っこからひっくり返そうとしてます。
官僚組織のトップに若い政治家を押し込むということをしようとしてますからね。
なので、実は、いま、もっとも戦々恐々としているのは、官僚たちなんです。どんな改革が行われて、自分の立場が危うくなるのかわからない。
だからこそ、小沢一郎が怖くて、西松建設問題のような「警察のリークと、その情報を流すしか能力のない、マスコミ操作」だけで小沢一郎を党首の座から追いやったわけです。
で、いま、まだ、いまだにマスコミネタでひっぱっている酒井法子の記事もまったく同じ。全部警察のリーク情報です。
構造はまったく同じです。覚醒剤関係のしょっぴきをやれば、警察がヒーローになれる。そういうイメージづくりをして、国民の側を味方につけようという、実にくだらないアリバイ工作なわけです。
で、このアリバイ工作は、本当にひどくて、たとえば、この間は太陽電池による発電の買電を法制化する話がいきなりバババババっと出てきました。
言っておきますが、日本は太陽電池に関しては世界に冠たる技術を持っているのですが、官僚がアホな政策でこの固定買い取り制度を選択せずに別方式を強力に推し進めたせいで、定着が遅れ、実はいまやドイツや他の国に技術的にも追い越されようとしてるわけです。
だから、いま本当に問われなければならないのは、官僚たちが取っていた政策のミス、その失敗をこそ正しく批判することが必要なタイミングなわけです。
ところが、そこが選挙の争点になって欲しくないし、仮に民主党政権になった時にも「いやいや、我々は、幅広く対応してましたよ。」というアリバイ作りをするために、大急ぎでこういう買い取り制度の法制化を発表したりしてるわけです。
ほんとうにもう、みっともないったらありゃしない。
酒井法子も、太陽電池の買い取り制度の話も、ようは全部、官僚のアリバイ工作でしかないんです。
だからこそ、官僚とつるむ事しか考えていない裁判官は全員罷免しましょう!と僕は提案するわけです。
だいたい、この選挙の、ひと月前というタイミングで、あの植草一秀さんの最高裁上告が棄却されております。これがだいたいあやしい。
植草さんは、官僚とマスコミとの結託による問題点を、ずっとブログで書き続けていて、毎日何千人もの人のアクセスがあった人です。
で、その植草さんが、選挙の2週間前、というタイミングで、収監されてるわけです。ブタ箱に入れられたわけです。こんなもの、完全に言論統制ですがな。許されるもんではないですよ。選挙前の時期に官僚の問題点を暴きたてることのできる重要な人間をブタ箱にほおりこむ。
こういう、実にいやらしいことを、やってるんです。
だから全員×で良いんです。
しかも、この植草さんの収監の日は、例の「裁判員制度」の、最初の判決が出た日なんですね。どこでも裁判員制度の話で持ちきり。植草さんが指摘している裁判の現状の問題点の追求はすっ飛ばしです。
こういうひどい事をしてるんですから、全員×で当然なんですよ。
この話、まだまだ書きたい事があるんですけど、まぁ、とりあえずは選挙前といいうことなので、とにかく「国民審査は全員×で良いのだ!」という提案だけは、しっかりとやっておこうと思います。
てなことで。
見た人には、えんえん書いているということの意味の重要さが分ってもらえると思いますが、やはり見ていない方にはなかんか理解されないようです。
だから、とにかく選挙後でもいいから見てくださいとお願いしておいて、僕個人としては、ここで多くの方々に「明日の選挙では裁判官の審査投票がありますが、そこで必ず全員に×をつけましょう」という提案をしておきます。
国民審査に関しては、いろいろなところで「キチンと×をつけましょう!」という運動が盛り上がっているようですし、私の尊敬する副島隆彦さんも、
●来たる8月30日の衆院選と同時に行われる最高裁判所裁判官の国民審査で、「4人の最高裁裁判官に×(バツ)を与える国民運動」を行うことを提案します。
というアーティクルを書いておられます。
が、しかし。
●4人? そんなもんでは甘すぎる! 全員×に決まっている!
というのが私の意見です。
なぜなら、まず、この投票が「○をつけたら無効になる」などという、こすっからい、イヤな仕組みになっていたりするからです。
これはどういうことかというと、上記のように「キチンと審査をしましょう」という呼びかけ潰しなんですよ。国民審査というのは、200票入った場合に、100票以上の罷免要求が出たら罷免されるという仕組みになってます。
ですから、単に「×をつけましょう!」と呼びかけて、大挙して審査で「×」をつけても、勘違いして×以外のマス目に「○」をつける人が出てきたら、それらは無効票としてカウントされます。200票のうち、120票で「×」があっても、40票に「○」が入っていると結果として80票しか有効ではなくなるので、国民運動を起こした時にこそ勘違いが山盛り出て、裁判官が助かる、という仕組みになってるんです。
なんとずる賢い!
ここがすでに許せない。
だから、とにかく「全員に×」を心がけてください。確かに「まともな裁判官に×をつけるかもしれないから、それはイヤ」という人もいてるでしょうが、そういうまともな裁判官が仮にいたとしたら、それは「連帯責任でやめてもらう」という事で良いです。
事態はそこまでひどいですから。
なぜそういうことを言うかというと
この間から書いてきた映画「それでもボクはやってない」の中で、
●不見当(ふけんとう)
なる単語が出てくるからです。
この言葉の意味を知ってますか? 知らないですよね。まずここが大問題なんです。
この不見当という言葉は「見あたらない」という意味です。で、この「不見当」なる言葉を発するのは検察側の人間なんです。で、どういうシチュエーションで言うのかというと、前回の公判で「被疑者側の主張では、この立ち位置では痴漢ができないとの事だったが、こちらで実験してみた結果、できるとわかりました。」と言っていたので、弁護側が「では、その実験結果を提出してください」と要求していたわけです。(まず、ここで実験結果を出してないのがおかしいんですがね。口先だけで「実験した」と言ってるだけ。)
で、その実験結果の提出がなかったから「どうなってるんだ」と弁護士が詰め寄ったら、検察側が、たった一言「不見当です」と言って終わりなんですよ。
で、それを聞いて、裁判官が「そうですか。わかりました。」と言ってすませてしまう。どういうことやねん、それ!と思うのですが、みなさん、この無茶苦茶さのどこが無茶苦茶かわかりますか?
ひとつは
●証明責任の問題
です。
だいたい、「この人が犯人である」と断定したのなら、証拠が必要です。そして、その証拠提出の責任は検察側にあります。
逆に言うと、「犯人である」と言われても、被疑者側が「私は犯人ではありません、なぜならこういう証拠があるからです。」という証拠を出す必要はない、という事です。
まず、断定した側がキチンと判断に足る材料を出す必要があるわけです。こんな事は当たり前です。単なるあて推量で裁判をされたらたまったものではありません。
しかし、ここでは「不見当です。」と言って、あったはずに「証拠」が出てきもしないわけです。
これはあまりにひどい。
で、二つめは、
●不見当という業界用語が定着している
という事です。
これは、検察の側がしょっちゅう「見あたらない」というような事をやっているということを示します。しょっちゅうやってなけりゃ、こんな専門用語が生まれるわけがない。
しかも!
●その専門用語を裁判官が見逃している
という、大問題があります。
個人を罪に陥れる証拠がある!と言いながら、出せ!と言うと「見あたりませんでした」ですよ? で、本来なら、そこで「審理終了。証拠不十分により、被疑者は無罪。」と判定しなければいけないのが、裁判官です。証拠の不揃いというのは、起訴の基礎要件を満たしていないという事ですから裁判自体が成立しません。「疑わしきは罰せず」であるなら、証拠が見あたらなかったら、そこで裁判は終わりです。被疑者は無罪。これが当たり前の姿です。
であるのに!
●裁判官が「不見当」という言い訳語を見逃している。
んです。
こういう業界用語というのは、そういう事柄が日常的に行われていることを示します。決して痴漢えん罪だけの話ではないわけです。ほとんどの裁判で、そういう警察と検察のひどい癒着、「グル」の構造が存在すると言うことの、強力な証拠になります。
だから、裁判官は全員×。罷免してかまいません。当然です。
-------------
で、だいたい、ちょっと考えてもらえばよくわかるはずですが、どうして立候補する政治家には顔写真のポスターがたくさん並んでいるのに、裁判官の顔写真はおろか、判定してきた実績の一覧すら、投票所にはないのか? って事です。
政治家は立候補する側ですから、現職と新人を公平に選択するために情報なしでも仕方ないですが、裁判官は違います。公的な仕事・実績は公的に記録されてるわけですから、とりまとめもできる。ちゃんとした判断材料を投票所に設置するのが筋ってもんです。でも、それすらされていない。
この段階で、仕組みとしての要件を満たしていないのだから、これまた、そんな仕組みで審査をしようとしている裁判官全員×です。
で、ネットで国民審査のページをみてもらったらわかりますが、国がやってるページには「国民審査をしましょう」とは書いてあるけれども、裁判官の実績がわかるような作りにはなっていない。ここがまたおかしい。裁判所のホームページへのリンクが張られているだけなんですよ。
でリンク先に行ってみると裁判官の名前が14人並んでいます。でも、これ、全員が今回の審査の対象者じゃないですからね。なんやねんそれ。ちゃんと審査してもらおうとは全然考えてないやろ、おまえら!っちゅう話です。
このうちの8人が対象なんですけど、これが相当さがさないとわからない。
しかも、その名前をクリックしたところで、顔写真と経歴はいろいろ載ってるんですが、肝心のどの裁判を担当したのかは、もう一度クリックしないとわからないんですよ。あまりにおかしすぎる。わざとわかりにくくしているとしか思えない。
民主主義というのは、多様な意見を同等にきちんと聞くのが大前提ですから、そこでもっとも重要になるのは「公平な手続き」なんですよ。その「手続き」があまりにひどい。
だから、こういう事を平気でやってる裁判官は全員×でかまわないんです。連帯責任で全員やめてもらいましょう。
---------------
今回の選挙は、日本の仕組みが変わる選挙でして、大きなポイントは「官僚政治の打破」ということです。
小沢一郎は、「それボク」の周防監督が数百の痴漢えん罪を見てきたのと同じく、田中角栄の濡れ衣裁判をすべて見ています。
だから、裁判の仕組みのひどさも良くわかっているはずで、そういうヒドイ仕組みを、今回は根っこからひっくり返そうとしてます。
官僚組織のトップに若い政治家を押し込むということをしようとしてますからね。
なので、実は、いま、もっとも戦々恐々としているのは、官僚たちなんです。どんな改革が行われて、自分の立場が危うくなるのかわからない。
だからこそ、小沢一郎が怖くて、西松建設問題のような「警察のリークと、その情報を流すしか能力のない、マスコミ操作」だけで小沢一郎を党首の座から追いやったわけです。
で、いま、まだ、いまだにマスコミネタでひっぱっている酒井法子の記事もまったく同じ。全部警察のリーク情報です。
構造はまったく同じです。覚醒剤関係のしょっぴきをやれば、警察がヒーローになれる。そういうイメージづくりをして、国民の側を味方につけようという、実にくだらないアリバイ工作なわけです。
で、このアリバイ工作は、本当にひどくて、たとえば、この間は太陽電池による発電の買電を法制化する話がいきなりバババババっと出てきました。
言っておきますが、日本は太陽電池に関しては世界に冠たる技術を持っているのですが、官僚がアホな政策でこの固定買い取り制度を選択せずに別方式を強力に推し進めたせいで、定着が遅れ、実はいまやドイツや他の国に技術的にも追い越されようとしてるわけです。
だから、いま本当に問われなければならないのは、官僚たちが取っていた政策のミス、その失敗をこそ正しく批判することが必要なタイミングなわけです。
ところが、そこが選挙の争点になって欲しくないし、仮に民主党政権になった時にも「いやいや、我々は、幅広く対応してましたよ。」というアリバイ作りをするために、大急ぎでこういう買い取り制度の法制化を発表したりしてるわけです。
ほんとうにもう、みっともないったらありゃしない。
酒井法子も、太陽電池の買い取り制度の話も、ようは全部、官僚のアリバイ工作でしかないんです。
だからこそ、官僚とつるむ事しか考えていない裁判官は全員罷免しましょう!と僕は提案するわけです。
だいたい、この選挙の、ひと月前というタイミングで、あの植草一秀さんの最高裁上告が棄却されております。これがだいたいあやしい。
植草さんは、官僚とマスコミとの結託による問題点を、ずっとブログで書き続けていて、毎日何千人もの人のアクセスがあった人です。
で、その植草さんが、選挙の2週間前、というタイミングで、収監されてるわけです。ブタ箱に入れられたわけです。こんなもの、完全に言論統制ですがな。許されるもんではないですよ。選挙前の時期に官僚の問題点を暴きたてることのできる重要な人間をブタ箱にほおりこむ。
こういう、実にいやらしいことを、やってるんです。
だから全員×で良いんです。
しかも、この植草さんの収監の日は、例の「裁判員制度」の、最初の判決が出た日なんですね。どこでも裁判員制度の話で持ちきり。植草さんが指摘している裁判の現状の問題点の追求はすっ飛ばしです。
こういうひどい事をしてるんですから、全員×で当然なんですよ。
この話、まだまだ書きたい事があるんですけど、まぁ、とりあえずは選挙前といいうことなので、とにかく「国民審査は全員×で良いのだ!」という提案だけは、しっかりとやっておこうと思います。
てなことで。
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