2009.7.22追記-----------------
急にアクセスが増えて大変迷惑しております。とりあえず扇情的なタイトルがいろいろ刺激してる部分も大きいと思うので、言いたい事が伝わりやすいと思うタイトルに変更しました。
タイトルの意味は「まだ科学的に明らかにする手法が整っていないだけでは?」という意味を含みます。
なお、私は学者ではありませんのであしからず。

009.7.21追記-----------------
思うと、どうもこのページがいろいろ引用されてるみたいです。
先に概略だけ言っておきますが「O型とAB型の間に実子関係はない」というのは科学的事実であって、その科学的事実に沿って、性格や文化との関連性を考える、ということは、科学的に可能なんじゃないですかね? というか、大前提となる科学的事実でしょ?
その科学的事実が性格を形作るにもっとも影響の大きな「家庭環境」を左右する要因になるわけだから「科学的根拠はない」と言うほうがどうかしてると僕はおもいます。
「科学的根拠はない」と言うより、「どうやって調べたらええか、よーわからんわ。」と違うんかい? って思うけど。
家庭環境が科学的事実によって明確に規定できるんだから、そこをとっかかりに調べればいいのに。同じ作物でも寒冷地と温暖地では収量に差ができるとか当然でしょ?
それを「作物と温度との間に関連があるという科学的根拠はない」と言うてるようにしか思えないですね。私は。
追記終わり--------------------


最近、血液型に関する話題で、マスコミなんかでもそうなんですが、「血液型と性格の相関性には科学的根拠がないと言われてますが」と前置きして語られる事が増えてるんですよね。

で、なんか、「私は科学的な人間である」というような人が(学者であることもあるようです。このあたりは良く知りません。)「血液型と性格の間の相関は科学的に認められていませんから、そこに科学的根拠はありません。」と断言したりしてるんですよね。
そういう発言を聞くと、




●お前らはパァ? 学者を辞めろ、バカ!




としか思わないんですよねぇ。

なんでか?

それはものすごく簡単な事なんです。科学的事実から簡単に「こいつらパァや!」と立証できるんです。その証拠とは、




●O型とAB型の間に実子関係はない。




からです。

これ、科学的な事実ですからね。
どう頑張っても、O型の人は、AB型の子供を持つことができません。AB型の人間と結婚しても、生まれるのはA型かB型です。

おなじくAB型の人間がO型の子供を持つことはできませんし、この両方の逆、O型AB型の子供が、それぞれに自分とは異なる血液型であるO型AB型の親に育てられる事はないのです。

良いですか?

人間の性格には、持って生まれた気質と、後天的に親から教育されて獲得した部分の両方があります。で、この「●O型とAB型の間に実子関係はない。」という事実は、その両方に明確に影響するであろう因子です。

だから、絶対に、どうあろうが、100%、必ず、性格と血液型の間には関係性があるんです。
絶対にあるはずなんです。
ないわけがない。

こんな事は、「●O型とAB型の間に実子関係はない。」という単純な事実を頭に入れていれば、どうしたって考えざるを得ない事なんです。
仮に「血液型と、性格の間に相関関係はない」とする仮説を立てて、それを証明することにしたとしても、この「●O型とAB型の間に実子関係はない。」という事実要素を、どうクリアして「相関性はない」と証明するのか? それはほとんど不可能に近いし、そういう証明をしようと考える方が頭がどうかしていると言わざるをえません。

「●O型とAB型の間に実子関係はない。」

というのは、言うならば、「住んでいる場所が異なる」というような、元から存在している所与の条件です。
ですから、たとえば、地域社会の研究のように、血液型ごとに文化が違うはずであるという前提のもとにフィールドワークを重ねていくというやり方しかできないはずのものなのです。
文化人類学とか、そういう種類の学問で考えるべきことだっちゅうことです。
ですから、



●もともと、個別に調査を重ねていくべき種類のテーマやろうが! ボケナス!



という事ですね。

で、血液型と性格の間の相関を示す「科学的根拠」がないのは、


●調べる方法がないから


というだけの話やないか!
ちゅうことなわけですよ。

血液型と性格の間の相関は、たとえば、ひとりの人間が長く生きてきて、いろいろな人と知り合って、で、あるAさんと、後に知り合ったBさんが、二人共に自分には理解できないような考え方とか、物事の捉え方をしていて「不思議な考え方だなぁ」と思っていたら、後からよくよく確認したら、そのAさんとBさんが、同じ血液型だった! しかも自分とは異なる血液型だった! というような事をいくつか体験した「結果」として、「相関があるのではないか?」という疑問が出てきた、という事ですよ。

つまり、まず「事実」が先行している、と言うことです。

「●O型とAB型の間に実子関係はない。」

という事実が先に存在しているって事です。
親子関係という、もっとも性格構築において重要な決定をあたえる要素が「環境」「所与の条件」ごと、まったく違うという仕組みが、この世にはあるって言うことです。

で、それを科学は、いまだに測定する方法すら見つけられてない、と言うだけの話で、ようは学者がさぼってる、というだけのことです。

自分がさぼっていることを理由に「血液型と性格の間に相関関係があるかどうかは科学的に証明されていません。」とか言うなよ! バカ!

ということです。

だいたい、「うまみ調味料」ってのがありますが、あれも、「食べ物には、甘みや辛みのほかに、どうも『うま味』というべき要素がある」という事実が先行していて、その「うま味」の正体を確認する過程で生まれてきたわけですよ。

つまり事実が先行していたってことです。

その「何やらわからないけれども、どうも何かあるようだ」ということを、真面目にキチンと調べるのが学問であって、それを端から「科学的根拠はありません」と一刀両断にするとはどう言うことだ?
否定するならするで、それこそ「科学的根拠」で「血液型と性格の間に相関関係はないです」と言え! バカモンが。

で、それは言えるのか?
「●O型とAB型の間に実子関係はない。」
という圧倒的に証明されまくっている遺伝学的事実があるにも関わらず、それでも「科学的根拠はありません」と、その相関性を考えること自体を否定するのか?
それはおかしかろう。

そういう意味で、「血液型と性格の相関には科学的根拠がないと言う学者は、学者を辞めろ。」と僕は言いたい。どう考えても、科学者の言うべき言葉ではないのですよ。それは。

そういう言い方は、
「地域ごとの文化の違いが、距離や気候・風土との相関関係があるとは科学的に根拠がありませんから言えないのです。」と言ってるようにしか聞こえないわけですよ。どう考えても。

繰り返しますが、

●O型とAB型の間に実子関係はない。

というのは、遺伝学的に証明されている、所与の条件ですよ?

なら、その所与の条件が性格とどう関係するのかを、キチンと調べる事こそが正しい科学ではないですか? 違いますか? そうでなけりゃ、科学に意味なんかありゃしませんよ。

だから「血液型性格判断は科学的根拠なし」と言ってるような学者がいたら、それは全部偽物だってことです。
それはあまりにおかしい。

で、所与の条件で、いまだに解明されていない事の代表例で言うなら「人間が生きている事」というのがあるわけですよ。
いまだに人間は科学の力で人間を生み出せてないわけです。
しかし、人間は生きているし、子供も作るし、考えるし、悩むし、泣くし、愛して死んでいくんです。
そのすべては科学的に証明されていないし、科学的根拠もありません。

で、そんな事は所与の条件として「ある」んですよ。別に科学に存在を許してもらったから存在してるわけやないわい。あほかいな。っちゅうことです。

その「わからないけれども、『ある』事を、いかに解明していくか?」が科学で、少なくとも遺伝学的には「O型とAB型の間に実子関係はないよな。これは所与の条件として存在しているよな」というところまでは、科学が証明できるようになってきている、というのが現実です。

それを「科学的根拠はない」と解明の道を押しとどめてどうする!
何をやっとんねん、貴様は!
お前なんか首くくって死ね!
っちゅう話です。

最近どうも、そういうおかしな風潮が見て取れたので、書くことにしました。

ほんと、そういう奴は学者をやめてくれって思うんよなぁ。ほんとに。
どこかおかしいと思います。

---------------------
このアーティクル、言葉足らずだと思ったので、追加補足を書きました。

●血液型性格判断は科学である必要などない。
http://hitoyomi.diarynote.jp/200906261017184771/

です。
よろしく。

コメント

take
2009年6月24日16:09

血液型と性格の間の相関を、
国立大学の偉い先生が調べようとしても
まず予算は付かないでしょうね。

又このご時世に、
国民の血税でこんな事を
真面目に調べられた日には、
困った事ですし。

シゲ
2009年6月24日16:37

>takeさん
書き込みありがとうございます。
そうですね「血液型と性格の間に相関関係がないことを証明しよう」などという事をやろうとしたら、O型の両親にAB型の子供を、AB型の両親にO型の子供を、それぞれ数年に渡って育てていただき、その両方に性格的偏りがないということを、これまた何かの検査で調べないといけませんから、膨大な予算が必要でしょう。ですから、予算は付かないでしょう。

しかし、「血液型と性格の間に相関関係はありえる」という調査ならフィールド調査を重ねるだけですから低予算でも可能です。
まぁ別に国立大学でなくてもかまいません。科学としての前提を踏み外していない調査ならどこがやっても良いと思います。

大切なのは「真実を追究する態度」であって、「科学的根拠がないから調べる必要はない」という後ろ向きの態度を取ることではない、ということです。

このメッセージで言いたかったのは、「科学」が、日本においては宗教化していて「科学的根拠がない」という一言で、真実探求という本道をないがしろにしてしまう風潮に対する叱責です。

科学は万能の宗教ではなく事実や真実探求のための方法論なのです。
しかし、多くの場合(とくに日本では)「偉い大学の先生が言ったから」という事で思考停止になっていることがほとんどです。それでは「科学教」を信じているのと何らかわりはないのです。

どうしてこう、権威に弱い人間が増えてしまったんだろう? と心を痛めます。
「科学」が権威になり、「国立」が権威になり、権威だけが一人歩きして、マスコミですら真実探求ではなく権威にすり寄ることだけを考えている。
大きな問題だと思います。

少なくとも血液型と性格の問題に関しては、実社会で、数多くの人と、かなり深い話をして、腹を割って本音を聞かないと「ああ、関係があるな」という実感は得られないものです。
まったく血液型も知らず、直接のつながりがない人が、同じような考え方を持っていた。不思議だなと思ったら、後から確認したら同じ血液型だった。「へぇ」。という体験があって、「やっぱりどうも関係があるようだな」という事実認識にいたります。

この事実認識に至るまでが、かなり時間がかかります。人生経験がある程度ないと、多様な人とつきあい、腹を割って話すところまでいたらないからです。人の多様性をたっぷりと見た上で、なぜか共通項があることに気付く。その時に「ああ、やはり血液型は性格や考え方と通ずるところがあったのか!」と驚く事になるんです。

そういう積み重ねが延々と、脈々と続いているからこそ、「血液型と性格」の話題は途切れることなく大衆の「生活の知恵」として根付いているのだろうと思います。
それは事実として存在している、というのが先にあって、科学はまだその根拠を調べる方法すら持っていないというのが現実なのです。

人というのは、本当に面白いものです。
takeさんが、国立大学の偉い先生の言葉にも左右されずに「ああ、やはり血液型と性格には深い関係があったんだなぁ」と実感できるほどの、幅広い人間づきあいと、深い発見・知見に触れられる事を祈念しております。

ありがとうございました。

nophoto
shumei
2009年7月22日0:18

済みません、大変なおせっかいかと思いますが、「哲学」「科学(scienceという方が正確かも)」「論理学」あたりの、基本的考え方をきちんと理解、ないし勉強されると良いと思います。お話をお読みするに、「哲学」「科学」に対する認識の誤解のようなものがあると思います。また、議論あるいは論理展開の基本的お約束に関してももう一度身に付けて頂いた方が、生産的な議論をすることができ、貴方様のブログも充実したものになるのではと、思います。例えば、> 人間の性格には、持って生まれた気質と、後天的に親から教育されて獲得した部分の両方があります。で、この「●O型とAB型の間に実子関係はない。」という事実は、その両方に明確に影響するであろう因子です。> > だから、絶対に、どうあろうが、100%、必ず、性格と血液型の間には関係性があるんです。> 絶対にあるはずなんです。> ないわけがない。この文章、論理展開が方法論として間違っていませんか?・Xの構成要素はAとBである・パラメータMはAB双方に関連する「であろう」事実・ゆえにMはXに関連性がある(or絶対にある「はず」 orない「わけがない」)こうして抽象化すると不自然な感じがしませんか?サイエンスの人たちはすごく専門的なギルドであり、こうした論理の縛りをクリアするように慎重に議論を展開しますし、またそういったトピックのみを扱う限定された世界です。こうした縛りをクリアしないとサイエンスの人たちには相手にされませんし、そうである以上「科学的」との認証は得られないと思います。彼らから認めてもらうには彼らのルールを理解して歩み寄ることが必要なのではないでしょうか。もし、それをしないのであれば、科学的云々を言うのは可笑しいと思います。決められた書式を守らずに特許申請をしているようなものだとは思いませんか?

シゲ
2009年7月22日1:28

>shumeiさん

ご忠告ありがとうございます。
しかし、ポイントがかなりズレていますし、僕の書き方が悪かったところもあるので、誤解を解くために少し書きます。

まず、この書き込みは、「科学者」に理解してもらうために意見を言っているのではないんです。
ごく一般的な、市井の人間として、「世間でよく言われるこういう言いぐさは納得できないよ」という事を言ってるのです。

一般人の感覚として、「こういう言いぐさはおかしいと思いませんか? みなさん」と、広く一般の方々に伝えたくて、このブログを書いたんです。

一般の人に向けて、一般人である私が、「科学的って言う言い方にも、かなり怪しい部分があるよねぇ」という事を伝えたかったわけです。

ですから、shumeiさんの言う「サイエンスの人たち」の「すごく専門的なギルド」に「認めてもらう」必要はサラサラ感じません。

「なんか、それ、おかしくないか?」っちゅう話ですから。


「O型とAB型との間に実子関係はない。」


という科学的事実があって、で、それは「家庭環境の明らかな異なり」を示す材料で、しかも、家庭環境と人間の性格に関連性はあって当然なはずなのに、そういう要素はまったく無視して、



「血液型と性格の関連性に科学的根拠はない」



となっている。

なんじゃそりゃ?

そう思いますやん?

思いませんか?

そら、おかしいで、あんた。

という話ですよ。

で、それは科学者の方にも「確かにおかしいなぁ」と思ってもらいたいですが、それよりも、一般の人に「うん、確かにおかしいよねぇ」と思ってもらいたいわけです。
僕のターゲットに「サイエンスの人たち」の「すごく専門的なギルド」は入ってないんです。

だから論理的に書くより、「なんか変と思わない? かなり変だよねぇ」と言うことを書きたかったわけですから、論理学的に書くとかどうとかは関係ないんですよ。

ご理解いただけましたでしょうか?
そういうことなんです。

nophoto
ももももも
2009年7月22日2:23

相関関係よりむしろ因果関係ではなかろうか
相関関係なんて根拠のタネのネタくらいのもののハズ

nophoto
にゃー
2009年7月22日5:31

>家庭環境と人間の性格に関連性はあって当然なはず
>「血液型と性格の関連性に科学的根拠はない」
家庭環境と人間の性格の関連性は科学的な話ではありません。
統計的に一定の相関が見られる可能性はありますが。

科学的な現象には少なくとも再現性が求められます(例えば、AO型の人はAの性格とOの性格を"必ず"併せ持つ等)。
シゲさんが「人間の性格には、持って生まれた気質と、後天的に親から教育されて獲得した部分の両方があります。」と考えられているように、性格に後天的な要素が絡むのであれば、それは科学的な検討の対象外となります(社会学かな?)。
(性格が受精した瞬間に発生するとして)受精した瞬間の性格が判断できるのでしたら別ですが。

家庭環境と血液型をごっちゃにされているようなので、論理的に再考することをお勧めします。
また、一般の人が納得したからといって、科学的根拠にはならないという認識は持たれた方が良いかと。

nophoto
通りすがり
2009年7月22日8:36

趣旨の一つ(と、私には読めた)の「科学的な根拠をふりかざす、のって単なる「科学教」になってんじゃないの?」については、賛成です。ただ、この血液型の例ってあまりよくないんじゃないでしょうか。・血液型と家庭環境に関連がある(ex.O型とAB型の間に実子関係はない)・家庭環境と人間の性格に関連がある。の2つは概ね科学的事実だとおもいますが、だからといって「血液型と人間の性格に関連がある」と言ってしまうのは論理学まで持ち出さなくても、変な論理としか聞こえないと思います。shumeiさんが既に書かれているので、省略しますが、この2つの前提が正しくてかつ「血液型と人間の性格に相関がない」パターンはいくらでも作れます。「血液型と性格の関連性に科学的根拠はない」として、血液型性格診断の類を否定する、というのならば、それは確かに「科学教」的な怪しさだと思います。ただしそれを>「血液型と性格の相関には科学的根拠がないと言う学者は、学者を辞めろ。」と僕は言いたいと結びつけてしまうのは、あまり暴論かと。科学者が「血液型と性格の間に相関関係があるかどうかは科学的に証明されていません。」と言う場合、その言葉どおり「証明されてない=白黒ついてない」と解釈すべきでしょう。「じゃあ血液型と性格に相関関係はないんですか?」と聞かれたら、まともな科学者ならば胸を張って、「そんなこと調べてないので、判りません」と答えるはずです。「証明されてない=虚構」と考えてしまうような「一般人のなんとなく科学教徒」を啓蒙するためのエントリーで、科学教徒と同じ「根拠がない=否定している」というロジックを使ってしまっては、説得力にかけてしまいます。「科学者はさぼってる」の非難もちょっと酷かと。「やっていない」のは概ね事実ですが、相関関係の有無はともかく、因果関係の有無において、「無い」と証明するのは、いわゆる「悪魔の証明」なので、科学では普通扱いません。科学者は科学が取り扱える範囲についてかなり謙虚なのが普通です。科学的根拠を万能の物差しであるかのように振りかざす「科学教」的な態度に呆れるからといって、科学の取り扱い範囲として怪しいところに「やれ!さぼるな!」と言ってしまうのは、「科学万能」的な意味で「科学教」と同じ立場に立っちゃってます。ちなみに、にゃーさんの書かれてる>家庭環境と人間の性格の関連性は科学的な話ではありません。まで断言されているのは言い過ぎかと。教育心理学等で研究自体はされていて、別家庭育ちの一卵性双生児などをサンプルとした研究等で「性格的要素には、先天性、後天性の双方の要素がある」というというところまでは、一応肯定的な方向で科学的な議論になっています。蛇足の豆知識片親にO型を含む両親からAB型の子供というのは、非常に珍しいですが存在します。

nophoto
通りすがり
2009年7月22日8:39

↑改行が利いてないので読みにくくてすいません。再投稿。

趣旨の一つ(と、私には読めた)の
「科学的な根拠をふりかざす、のって単なる「科学教」になってんじゃないの?」
については、賛成です。
ただ、この血液型の例ってあまりよくないんじゃないでしょうか。


・血液型と家庭環境に関連がある(ex.O型とAB型の間に実子関係はない)
・家庭環境と人間の性格に関連がある。

の2つは概ね科学的事実だとおもいますが、
だからといって「血液型と人間の性格に関連がある」と言ってしまうのは論理学まで持ち出さ
なくても、変な論理としか聞こえないと思います。shumeiさんが既に書かれているので、
省略しますが、この2つの前提が正しくてかつ「血液型と人間の性格に相関がない」パターンは
いくらでも作れます。

「血液型と性格の関連性に科学的根拠はない」として、血液型性格診断の類を否定する、という
のならば、それは確かに「科学教」的な怪しさだと思います。ただしそれを
>「血液型と性格の相関には科学的根拠がないと言う学者は、学者を辞めろ。」と僕は言いたい
と結びつけてしまうのは、あまり暴論かと。
科学者が「血液型と性格の間に相関関係があるかどうかは科学的に証明されていません。」
と言う場合、その言葉どおり「証明されてない=白黒ついてない」と解釈すべきでしょう。
「じゃあ血液型と性格に相関関係はないんですか?」と聞かれたら、まともな科学者ならば胸を張って、
「そんなこと調べてないので、判りません」と答えるはずです。
「証明されてない=虚構」と考えてしまうような「一般人のなんとなく科学教徒」を啓蒙するための
エントリーで、科学教徒と同じ「根拠がない=否定している」というロジックを使ってしまっては、
説得力にかけてしまいます。

「科学者はさぼってる」の非難もちょっと酷かと。「やっていない」のは概ね事実ですが、相関関係の
有無はともかく、因果関係の有無において、「無い」と証明するのは、いわゆる「悪魔の証明」
なので、科学では普通扱いません。科学者は科学が取り扱える範囲についてかなり謙虚なのが
普通です。科学的根拠を万能の物差しであるかのように振りかざす「科学教」的な態度に呆れる
からといって、科学の取り扱い範囲として怪しいところに「やれ!さぼるな!」と言ってしまうのは、
「科学万能」的な意味で「科学教」と同じ立場に立っちゃってます。

ちなみに、にゃーさんの書かれてる
>家庭環境と人間の性格の関連性は科学的な話ではありません。
まで断言されているのは言い過ぎかと。
教育心理学等で研究自体はされていて、別家庭育ちの一卵性双生児などをサンプルとした研究等で
「性格的要素には、先天性、後天性の双方の要素がある」というというところまでは、一応
肯定的な方向で科学的な議論になっています。

蛇足の豆知識
片親にO型を含む両親からAB型の子供というのは、非常に珍しいですが存在します。

nophoto
通行人
2009年7月22日12:30

なるほど確かに「●O型とAB型の間に実子関係はない。」は正しいですね。(↑の方の言う様に、非常に珍しい例外はあるようですが)また、遺伝要因である「気質」が性格に影響するのも正しいですね。でもそれがどうして、血液型と性格の相関の根拠になるのかがさっぱり分かりません。①:親の血液型と子どもの血液型には関係がある②:親の性格と子どもの性格には関係がある③:したがって血液型と性格には関係があるという主張のようですが、これの論理構造は、①:AのaとBのaとは関係がある②:AのbとBのbとは関係がある③:従って、aとbとは関係があるということですね。例えば別の言葉を入れてみると、①:親の体力と子どもの体力には関係がある②:親のIQと子どものIQには関係がある③:したがって体力と知力には関係がある①:子どもの頃のIQと大人になってからの知能には関係がある②:子どもの頃の食欲と大人になってからの食欲には関係がある③:したがって、IQと食欲には関係がある。いくらでも作れますし、分かると思いますが、①と②は、③の条件には全くなりません。残念ながらこういう論理では、学者は辞めてくれないでしょうし、そもそも相手にしてくれないと思います。

nophoto
TAKESAN
2009年7月22日13:33

今日は。

昨日は、私の質問に丁寧に答えて頂いて、ありがとうございます。

他のエントリーや追記部分を見て思うところがあったので、指摘させて頂きたいと思います。

大きく分けて、2つです。つまり、

1)「血液型性格判断」の意味
2)「科学的根拠が無い」という言い方の意味

まず 1)です。
血液型性格判断とは一般的には、ABO式血液型という属性の情報のみによって、人の性格を当てる事が出来る、のを意味すると思います。※逆に、他人の行動を観察して血液型を当てるのもありますが、話がややこしいので、ここでは措きます

で、血液型情報から性格を言い当てられる(判断出来る)という現象の成立には、血液型と性格(類型や特性)との間に、強い「関連(association)」があるのが必要です。
つまり、血液型及び性格という変数間に「強い関連」があって初めて、血液型性格判断が成り立つ、という事です。

科学者(主に心理学者)は当然、それを踏まえています。そして、血液型と性格に強い関連がある証拠は見つかっていない(正確には、強く関連してはいないという証拠が見つかっている)ので、「血液型性格判断に科学的根拠は無い」、あるいは、「関係は無い」、「関係があるという科学的根拠は無い」、等と言う訳です。
そしてここが重要なのですが、これらそれぞれの言い回しは、

・「血液型と性格に関係があるなんてあり得ない」
・「血液型と性格には”何の”関係も無い事が解った」

というのを「意味しない」のですね。中にはそう言う人もいるかも知れない、というのは一応念頭に置く必要がありますが、科学の話の文脈では、上のような論理は共有されます。

次に、2)です。
上でもちょっと触れましたが、「科学的根拠が無い」とは、「あり得ない」のを意味しません。当然、今までの知見から言って「あり得なそうだ」と判断するのはあると思います。たとえば、人間が道具を使わずに 5m 垂直跳びする、とか。ですが、血液型性格判断の場合、生物学的構造と行動傾向との関係についての言明なので、「あっても別に構わない」現象ではあります。

科学者が「科学的根拠が無い」と言う場合、それは、「見つかっていない」、もしくは「見つからなかった」のを意味します。
要するに、「仮にあるとしても」、「確かめられていなければ」、それは「根拠が無い」、と看做される訳です。

未知の生物でたとえると、○○(ツチノコとか)という動物がいるようだ、という主張があったとして、それについてきちんとした証拠が無ければ、「いるという証拠は無い(根拠が無い)」、と言われるのは当たり前ですよね。表現として「いない」が用いられる場合もあります。
で、それは必ずしも、「存在しない」を意味しません(論理的厳密には、無い事を証明するのは不能だから)。

科学は「程度問題」を扱う学問なので、膨大な観測や観察の結果見つからなければ、「無い」という風に看做されます。重要なのは、その表現や主張は、「それは常に暫定的なものである、けれども蓋然性が極めて高い」、というのを含意している事です。

先に書いたように、確かに「あり得ないに決まっている」と強く主張する人はいます。それは筋の悪い言い方です。ですが、科学者や心理学者悉くがそういう事を言っている訳ではありません。

そもそも「血液型性格判断」とは、単に「ABO式血液型と性格に生物学的メカニズムとしての関係がある」、という話「では無い」のですね。

論者によっては、その辺を明確にして、「血液型性格判断」と「血液型-性格 相関( or 関連 or 連関)説」を分けて論じています。つまり、

・血液型と性格との関係の生物学的メカニズムの話

・血液型と性格とに強い関連があり、故に「血液型情報から性格を高い確率で判断出来る」という話(社会心理学等で扱われる)

とは、一応は別(全く独立しているという訳では無い)の問題である、というのを理解頂きたいと思います。

以上、大変長文になってしまい、失礼しました。

nophoto
kloop
2009年7月22日15:28

既出だったらごめんなさい。
科学的根拠がない、とわざわざマスゴミが言ってるのは
子供が血液型でいじめられるからと聞いたことがあります。
なので、あろうがなかろうが「ない」と一般の人に示しておかないと問題が起こるとかじゃないすかね。
情報操作はマスゴミの得意技ですし・・・

シゲ
2009年7月22日16:05

>みなさま
いきなりたくさんのコメントをいただいて、驚いております。
たかだか、そこいらのおっさんでしかない(何の権威も力も知識もない一般人)に、ここまでたくさんの参考意見をいただき、どう対処したものか、途方に暮れております。

通常、月に1コメントもあるやなしやの環境でずっとブログを書いてきておりますので、これだけのたくさんの書き込みに、キチンとお答えするのは、なかなか大変ですので、随時、ゆっくりということにさせてくださいませ。

はてなブックマークで紹介されたとはいえ、私の個人的な「何か変だぞ?」という程度の個人的意見に、ここまで反応が多いとは思ってもおりませんでした。
このテーマは何かとても、人の心をかき立てるような要素があるのかもしれませんね。

ということで、また、ひとつひとつのコメントを、よく拝読させていただいてから、反応を返したいと思っております。

いろいろ書き込みありがとうございました。

nophoto
kyanagawa
2009年7月23日8:50

科学的手法などについては他の方が書かれているので置いておくとして。

・O型とAB型の間に実子関係はない。
・性格は持って生まれた気質と、後天的に親から教育されて獲得した部分で決まる。
・だから血液型と性格は相関性がある。

というのが、この記事の論旨であると私は解釈しました。しかし、この論法は「血液型と性格が関連している」という前提がないと成立しなくないですか?

仮に血液型と性格が無関係であるなら、O型でもAB型でもどんな性格かは関係なくなるわけで、実子関係の有無は気質にも教育にも影響しません。逆に性格が血液型で決まると仮定すれば、O型もAB型も性格に何らかの傾向が存在しますから、AB型にO型の性格が見られることはまずなくなるでしょう。

ですが、何か(この場合、血液型が性格との関連)を証明するために、証明しようとする事象を前提にしたのでは、まったく論理が通りません。「O型とAB型に実子関係がありえないという事実が、気質や教育に、影響する」というのが、血液型が性格に影響"してもしなくても"成立する論拠を私はこの記事には見つけられませんでした。私が見落としているだけなら、その部分の指摘をお願いします。


もうひとつ、「相関性が見つからないのは学者がさぼってるからだ」という部分について。記事本文では「私にはこう見える、だからお前らはバカだ」と読めてしまいます。

しかし学者というのはある分野の研究をずっと積んできた人たちであり、その分野内の話であれば、様々な問題点や課題を検討して来ているはずです。一人二人が間違えているならまだしも、学者の大半が彼ら自身やそれ以前の膨大な量の研究結果をもとに出した結論を、外の人間が「科学的ではない」とばっさり断じてしまうというのは大変なことだと思います。

ボケナスとまで言ってしまう以上は、さぼっていると判断するだけの根拠をお持ちだと思います。それを教えていただけないでしょうか。

例えば、血液型と性格の相関についての論文などで、調査などの方法が間違っている。統計の取り方がおかしい。論旨に穴がある。そして、そういった論文が多数派である。これなら、学者の怠慢と言えるかも知れません。

以上、気になった点を述べさせていただきました。「血液型性格診断に科学的根拠は不要」とする部分には特に意見するつもりはありません。あくまで、この記事において、科学的手法について言及した部分についての疑問点です。お答えいただければ幸いです。

nophoto
樋川真
2009年7月23日9:15

血液型と性格の関係について、反証としてO型とAB型の実子関係を取り上げられてますが、あなたもおっしゃっているように後天的要素でも性格は決まります。
では、AB型の養子とO型の養親というケースはどうなりますか?
個人的な話で恐縮ですが、私の父はO型で養子としてAB型の養親に育てられていて、いわゆるO型の性格といわれている要素以外にAB型の性格傾向とされている要素が認めれるのですが。
これはどうなりますか?

シゲ
2009年7月23日10:20

>書き込みいただいたみなさまへ
こまかな書き込み、ほんとうにありがとうございます。
ただ、申し訳ありませんが、急に書き込みが増えて、キチンとした対応ができずにおります。

ここの方針としては、全書き込み者に対して、一対一で対応するという方針でやってきたんですが、さすがに、一度にこれだけたくさんの書き込みになると、おひとりお一人にこまかく返信がすぐには、できません。
せっかくお書き込みいただいたのに、対応できないというのが大変申し訳ないのですが、どなたか1人に対して細かく返信をすると、話の全体像が、またズレたりもしますので、とりあえず、かなり扇情的なタイトルになっていた部分を、説明的なものに変更させていただきました。
まずは、これでいったんクールダウンしていただけると助かります。
一日に2000もアクセスがあると、ちょっととまどってしまいます。

今後の応対に関しては、また、みなさんのご意見など参考にしながら、随時考えていきたいと思っております。
とりあえずは、コメントを書き込もうとされている方も、このアーティクルに関してはすぐに応対もできそうにありませんので、いったんタイトルの変更部分を確認いただいて、それからまたあらためてご検討ください。

なにぶん個人の書き込みですので、感情的になって書いてる部分もありますし、いろいろみなさまの気持ちを刺激してしまったところもあるかと思いますので、内容面に関しても随時書き換えて行こうと思っておりますので、そういう方向でご容赦くださいませ。

よろしくお願いいたします。

nophoto
通りすがり
2009年7月23日14:57

確かにわずか4つの血液型ではありますが、
友知人関係を通した個人的な感覚として、
特にAB型には顕著な特徴があるように感じるんですよねえ。

それに、学者先生や科学者さんもいろいろいらっしゃって、
高度経済成長期に山や畑を御用学者の皆さんにボロボロにされる姿を見て育った私としては、
その”科学的裏付け”とやらは信用していいんかいな?とも思いますし。

ちなみにこんな↓統計がありまして、
http://homepage2.nifty.com/tabbycats/blood/world.htm
これを見ると、やはりと言うか何と言うか、
長いことドンパチやっている地域にはB型多いなあ、とか、
南米のようにO型ばっかりの地域はなんとなく平和であるなあ、とか。

科学的であろうがなかろうがどうでもいいですが、
何某かの傾向みたいなものはあるように思えますけどねえ。

nophoto
 sh
2009年7月24日7:55

上の通りすがりさん

そんな統計もどきを出されても,何も因果関係を説明してないですな。
その程度の判断力だから山や畑をボロボロにされたのでは?(もしくはこれも想像ですか)

「科学的であろうがなかろうがどうでもいい」といっている人は,非論理的な思考しか
できないのは,明確な傾向だとは思いますけどね。

nophoto
うわー
2009年7月25日3:43

> 人間の性格には、持って生まれた気質と、後天的に親から教育されて獲得した部分の両方があります。で、この「●O型とAB型の間に実子関係はない。」という事実は、その両方に明確に影響するであろう因子です。

> だから、絶対に、どうあろうが、100%、必ず、性格と血液型の間には関係性があるんです。

すごい論理の飛躍ですね。プロフィールに論理的って書いてあるのに笑ってしまいました。

nophoto
まんまん
2010年11月16日20:50

俺、↑の うわーさんと同じ意見。

①人間の性格には、持って生まれた気質と、後天的に親から教育されて獲得した部分の両方があります。

②「●O型とAB型の間に実子関係はない。」という事実は、その両方に明確に影響するであろう因子です。

③だから、絶対に、どうあろうが、100%、必ず、性格と血液型の間には関係性があるんです。

①と②と③、それぞれ何の関係もない・・。
シゲさんとやら、気でも狂ってるんですか?あなた。

nophoto
まんまん
2010年11月18日23:14

俺、↑の うわーさんと同じ意見。

①人間の性格には、持って生まれた気質と、後天的に親から教育されて獲得した部分の両方があります。

②「●O型とAB型の間に実子関係はない。」という事実は、その両方に明確に影響するであろう因子です。

③だから、絶対に、どうあろうが、100%、必ず、性格と血液型の間には関係性があるんです。

①と②と③、それぞれ何の関係もない・・。
シゲさんとやら、気でも狂ってるんですか?あなた。

nophoto
まんまん
2010年11月19日20:23

俺、↑の うわーさんと同じ意見。

①人間の性格には、持って生まれた気質と、後天的に親から教育されて獲得した部分の両方があります。

②「●O型とAB型の間に実子関係はない。」という事実は、その両方に明確に影響するであろう因子です。

③だから、絶対に、どうあろうが、100%、必ず、性格と血液型の間には関係性があるんです。

①と②と③、それぞれ何の関係もない・・。
シゲさんとやら、気でも狂ってるんですか?あなた。

nophoto
まんまん
2010年11月20日20:32

俺、↑の うわーさんと同じ意見。

①人間の性格には、持って生まれた気質と、後天的に親から教育されて獲得した部分の両方があります。

②「●O型とAB型の間に実子関係はない。」という事実は、その両方に明確に影響するであろう因子です。

③だから、絶対に、どうあろうが、100%、必ず、性格と血液型の間には関係性があるんです。

①と②と③、それぞれ何の関係もない・・。
シゲさんとやら、気でも狂ってるんですか?あなた。

nophoto
まんまん
2010年11月21日18:32

俺、↑の うわーさんと同じ意見。

①人間の性格には、持って生まれた気質と、後天的に親から教育されて獲得した部分の両方があります。

②「●O型とAB型の間に実子関係はない。」という事実は、その両方に明確に影響するであろう因子です。

③だから、絶対に、どうあろうが、100%、必ず、性格と血液型の間には関係性があるんです。

①と②と③、それぞれ何の関係もない・・。
シゲさんとやら、気でも狂ってるんですか?あなた。

nophoto
ねべ
2012年11月29日1:42

血液型と性格の因果関係でも、論理破綻起こしてたんだな。

このブログ、面白い、ブックマークしたわ。

シゲ
2012年11月29日9:21

ねべさん

ちゃんと調べていない人ばかりが一気にやってきたので、いちいち相手をしていませんでしたが、血液型と心理学の間に相関関係はありません。
それは何故かというと、

●心理学が「性格」を定義できていないから。

です。(これに加えて、昔の心理学の教授同士のさや当て合戦があったのですが、それが現在の風潮にも影響してます。)

しかしながら、

●血液型と医学

に関しては、はっきりとした相関関係がありまして、
●O型はコレラで死ぬ確率が高い
●AB型は梅毒で死ぬ確率が高い
というのは、はっきりとした事実として存在しています。

そして、人間の寿命は70年、80年ですから、他のどんな動物よりかなり長く、しかも「言葉で情報を共有する」という特質を持っていますから、血縁者同士が、

●コレラには気をつけろよ

●梅毒には気をつけろよ

と伝達していく可能性は、非常に高いのです。

しかも、厳然たる事実として、

●O型とAB型の間に親子関係はない

のですし、しかも、

●外見だけでは血液型はわからない

のですから、一族郎党が、他の血液型と「まったく異なる文化規範」を持つことは当然あり得るのです。
つまり、

O型一族
●(コレラになるから)食べ物には注意しろよ。
●(梅毒にはなりにくいから)異性と仲良くするのは良いことだ。

AB型一族
●(梅毒になるから)異性関係には気をつけろよ
●(コレラにはなりにくいから)食べ物はいろいろ食べた方が楽しいよ。

という「文化」を持つ結果になるということです。
この「異文化性」こそが血液型と結びついている可能性は、


●非常に高い

と、言わざるをえません。
これは、文化の問題ですから、単なる事実として存在しているだけですし、血液型が「占い」というようなものではないですし、「背が高い人は鴨居におでこをぶつけることが多いので猫背になりやすい」というような事と同等です。もともと、こんなもの、単なる現実ですから、「科学」である必要すらないのです。

血液型に関して、本当にキチンと調べて学習していれば、このくらいのことは知識として得られます。

ところが、バカで学習する努力もせず、無責任な発言を平気でするような人種は、こういう基礎知識も学ばずに、平気で世間に流通している「血液型と性格との相関関係を示す科学的根拠はない」という、心理学という学問の「言い訳」を、鬼の首でも取ったようにワーワーとさわぐわけです。

正直、そういう事を言う人は、あまり賢いとは思いませんので、相手をしていないだけです。時間の無駄ですから。

血液型と人間の性格には、医学的特質から、かなり濃厚な関係性がある可能性がかなり高いのです。
しかしそれは「生き死にに関係する」ほど、根源的で本質的な要素ですから、「性格」というよりは「哲学」とか「文化」に属するレベルまで体に染みこんでいる内容です。

科学は、「再現性」と「数値把握」を旨としますので、もともと「哲学」や「文化」を一元的には取り扱えないのですよ。

だから、科学である必要すらないのです。科学信仰の強い人は、ようするにここがわからない。科学がすべてと思っている。実に底が浅い。相手する気にもなれない。

ま、良く勉強してください。

nophoto
ねべ
2012年11月29日12:36

また突っ込まれるぞ。
--------
そして、人間の寿命は70年、80年ですから、他のどんな動物よりかなり長く、しかも「言葉で情報を共有する」という特質を持っていますから、血縁者同士が、
●コレラには気をつけろよ
●梅毒には気をつけろよ
と伝達していく可能性は、非常に高いのです。
---------
コレラが発見されたのはいつだよ。200年くらい前だろ。最近の病気だ。
人類の歴史はいつからだ?コレラに気をつけろなんて、言い伝える訳無いだろ。

単純にO型の血液を持つ遺伝子には、コレラ菌にも強い免疫を持たせる遺伝情報があったんじゃねえの?

恐ろしいな。

シゲ
2012年11月29日12:58

言い伝え?
何言うてるんですか。

O型の家族はO型が多い。
ということは、

●兄弟や親類縁者がコレラで死んだ

などということは充分にあります。
近親者の死ほど、自分の生き方に影響を与えるものはないんですよ。

あなたがただ、人と人とのつきあいとか、他人の生き方を参考にするとか、そういう「まともな感覚」がないから、いきなり人類的な「言い伝え」に走ってるだけです。
まさにバカです。

人は言語で伝え合うのです。
そしてそれが性格を築くのです。
そんなものに科学が必要なはずがない。
それを科学で言いくるめようという発想が貧困で幼くて、くだらない、というだけのことですよ。

兄弟や親が、どんな病気で死んだか?

これほど、自分の生き方に大きな影響を与えるものはないですよ。

だから、血液型でかかる病気の種類が大きく異なるのなら、

●生き方や考え方、規範が異なるのは至極当然

なのです。

こんなこと、考えるまでもない。
「単なる事実」レベルですよ。

だから科学で血液型の事を否定するのは、何も考えていないバカの言うことなんです。

しかも、たいていは親兄弟の生き死ににすら無関心な、人間関係にうといバカがほとんどです。

だから、他人様のブログに平気で土足で入ってきて、わけのわからないことをワーワーわめき散らすような事ができるわけです。
無責任きわまりない。
最低の人間だと思う。

そういうことですよ。

nophoto
通りすがりのものです。
2013年1月8日2:30

血液型は、文字面は「血液」ですが、血液の通ってない毛髪からでも判断できる、
という話をきいたことがあります。

血液型は、血液だけを分類するものでなく、人間を特定な側面で分類するひとつの方法だと思ってますがこの考え方は間違ってますでしょうか?


だとすると、この分類が人間の先天的な性格に影響している可能性がゼロであるとは、言いきれないと思います。
ただし、同時にこの分類が、根拠の薄い性格判断材料とされるのは、現在の所は少なくとも科学的に裏付けされたものではないのも事実だと思います。

科学的に裏付けされてないから、間違いである、という考え方には違和感を感じます。

願わくば、この血液型が性格と関連ないことは科学的には明らかである、ということを
素人にも分かる筋道をたてた説明を見たいです。
どこかネット上にでもあれば是非見たいと切望しています。





nophoto
dd
2013年3月29日1:45

「通りすがりのものです」と。
医学的にとっくに関連が無いことは否定されている。
www.geocities.jp/kyotofushigiken/phenomena/bloodtype/
信じてるのは、ナチスとJAPだけ。

シゲ
2013年3月29日2:52

>ddさん

かきこみありがとうございます。
しかし「文責:Y」などという責任取るように見えて、実はイニシャルしか書いてないような、無責任なページをタテにして「否定」されてると言われましてもねぇ。

おおむね、「血液型と性格の間に関連性はない」と無茶苦茶な事を言う人は、こういうとてつもない矛盾に全然気付かない人が多いですね。

性格なんて、もともと型にはめられないものです。
それでも、おおむね、「明るい人」と「暗い人」というような「印象判断」は成り立ちます。

これはどういうことかというと、「印象判断しか成り立たないもの」ということです。
だからもともと「科学」みたいな役立たずで現実的でない判断基準では分類なんかできるわけがないのですよ。

科学なんかいつまでたっても「現実」を記述することはできません。
それは科学がダメダメだからであって、現実がダメダメなわけではないのです。

そして、キチンと人間ひとりひとりを観察して、血液型で分類していくと、これはハッキリと考え方の「傾向」というのはあります。

それはたとえて言えば、「顔が似ている」というのと近い。
顔が似ているというのも、厳密に言えば「必ず別の顔」です。
でも、その「必ず別の顔」を、人間は「似ている」と判断できるのです。

これが人間の素晴らしさです。

だから、やはり血液型と性格や考え方・哲学の間には、切っても切れない関係性があるのです。

それはO型が梅毒に強く、AB型が梅毒に弱いという医学的根拠もあるんです。
はっきりした傾向です。
あるいはAB型がコレラに強く、O型がコレラに弱いという事でもよろしい。
ABO式血液型は免疫の型です。
だから病気と直接関係します。

病気は命にかかわります。
命に関わる事は、どうしても「哲学」として抽象化され、親から子、子から孫へと受け継がれるのが「常識」です。

そして、O型とAB型の間に実子関係はありません。
そのうえ人間には言語があって、考え方や哲学を血縁者や親戚間で受け渡す事ができるのです。

性格を形作る基礎の基礎、「哲学」が異なれば、それは必ず性格に反映されます。

だから、血液型と性格の間には、「必ず」関係性があるのです。

しかし、それは「常識」として存在しているのです。
ごく当たり前の事柄として存在していて、それは科学とは何の関係もありません。
朝日を浴びたら気持ちがいいというのと同じような「常識」として、血液型と性格の間には切り離せない関係性があるのです。

それは、知り合い300人くらいと、一緒に飲みに行って、いろいろな考え方を自由に話してもらって、その言っていた内容を、後から血液型ごとに分類してみれば、一目瞭然に分かります。
ウソだと思ったらやってみてください。
僕はやりました。

ですから、「性格と血液型の間に関係性はない」という話は、僕はまったく信用しておりません。完全に勘違いですから。

そりゃ、科学的に記述することは不可能ですけどな。
でも科学で記述できない事なんて、山のようにある。
文学を読んで感動した度合い、なんて数値化できないんだし。

まぁ、そういう事です。

300人とじっくり話す。
やってみてください。

ぜひ。

シゲ
2013年3月29日3:04

あ、言葉たらずでした。

O型は梅毒に強いので、性的奔放さが強まる傾向があります。それも「一族郎党」です。
親戚あげて、です。
だって梅毒で死ぬことが少ないんですから。
だから、情熱的でボディタッチも豊かな恋愛をします。

でもAB型は梅毒に弱いんです。これはもともと弱い。医学的にはっきりとした傾向です。
梅毒で死ぬ可能性は高い。
AB型は、O型と親子関係はありませんから、「奔放な恋愛」という考え方自体に触れる機会が少ない。
そして、親戚にAB型が多いですから、親戚(あるいは親兄弟ですな)が、「奔放な恋愛をして死んでしまった」例と出会う可能性はO型よりはるかに高い。
だから恋愛に慎重になりがち。
それは当然あり得ますわな。

あたりまえですやん。

科学とかどうのこうの言う以前に、ごくごく、ごくごく当たり前の結果ですやん。そんなもん。
普通。
当然。
常識。

逆にO型はコレラに弱いので、食べる事とか食中毒とかにはけっこう神経質です。
私の知り合いのO型で、「神社にでかけて水飲み場で口をすすがない」という人間が三人もいましたよ。
この三人は、まったく直接の関係はありません。会ったことすらない。
でも、同じ行動を取ってるのですよ。
神社の水飲み場は、たとえば伊勢神宮などでは「最後に口をすすぐ」と作法まで書いてあるんですよ。
それでもすすがない。

それがO型です。

でも、それは「コレラで死ぬ」という特性を知っていれば「当然」です。「そりゃそうだ」と思えます。

血液型と性格の関係を否定する人は、けっこうこういう「人付き合い」とか「具体的事例」を知らない人が多い。
ようは、人付き合いがないとか少ないとか、そういうタイプの人なんでしょう。
だから実感がない。
だから科学で判断しようとする。

それは根本的に間違っていると私は思います。
もっと人と接しましょう。
そうすれば、もっといろんな事が見えてきますよ。

人間はおもしろいです。

はい。

nophoto
dd
2013年3月30日12:12

4回ほど読ませて頂いたが、何が言いたいのか、さっぱり分からない。

シゲ
2013年3月31日0:10

>ddさん

書き込みありがとうございます。
わからなかったらけっこうですよ。(笑)
圧倒的に自分に不利であるとか、わかってしまうと自分が傷ついてしまうとか、あまりに理解の範疇を越えているので理解が追いつかないとか、しっかり考えれば分かるんだけど、自分では「わかりたくない」時とかは、人間は理解不能に陥るものです。そういうものですから。わからないならしょうがないです。それは。はい。理解するだけの能力、キャパシティが追いついていない、ということですから。
で、別に分からなくても良いですから。人生は。

でも、分かる人には分かるんです。はっきりくっきり、明快に、明確にわかる。「あ、この人わかってないな」というのもすっきり見えてしまう。まぁそういうものです。この書き込みにおいても同じです。僕が書いた事を「おおおお、そういう事だったのか!なるほど!」という人もちゃーーーーんといますから。
わかる人間には、それはもう、一発でわかるんですよ。
でも、あなたは「わからない」人だったと。
そういう事ですね。
わからない人は、だいたい、自分が、何を分かってないのかも、わからないわけですしねぇ。

ま、お幸せにお暮らしください。

nophoto
dd
2013年3月31日10:20

300人とじっくり話してみるよ。
会話時間を一人1分だけでも、5時間かかるね。よくお友達300人は我慢してくれたね。

シゲ
2013年3月31日18:30

>ddさん

書き込みありがとうございます。
話してみる気になりましたか。それは良かった。

でも、キチンと相手と信頼関係を持って会話をしようとしたら、5時間では済みませんよ。
まず、仕事で出会った得意先の人や、取引先の方と、いきなり血液型の話などできません。
普通に仕事で信頼関係を築かないと雑談自体が成立しません。

そのためには、仕事上で、何度も何度も話をしないとダメでしょう。

ただし、ひとつの仕事に5人も10人も関わることはありますから、そういう仕事が複数進めば、打ち上げなどで多くの方とじっくり話す機会も出てきます。
プロジェクトを3つくらいこなせば、それぞれで5人ずつ15人くらいの方とお話をするチャンスはできるでしょう。だから仕事の上だけでも100人くらいと知り合いになることは難しくはありません。

で、そういう飲み会などで、個人的に雑談を交わす中で、たまたま血液型の話になれば、確認もとれる、ということです。いきなり「血液型はなんですか?」などと聞くことはできませんからね。性格を確認するというのは、できるだけバイアスのかかっていない状態の「素」の状態を知らねばならないわけですから、まず血液型を聞く前に、その人がどういう状態の時にどういう発言や行動をとったかをたんねんに観察して、それを記憶しておく必要があります。
そして、失礼でないタイミング(飲み会とかね)で、あとから血液型を確認して「あ、この人はB型だったのか」とかのサンプルが手に入る、ということです。

だから、仕事上の知り合いの性格と血液型の関係性を確認するには、かなりの時間がかかるのです。
5時間とかチンケな事を言わないでいただきたい。5時間程度では、そんな事は聞き出せるわけがないのですよ。人間をいったい何だと思っているのか?
しかも、取り扱うテーマは「性格」ですよ? そんなもの、血液型を聞く前に、その人自身の個性をたんねんに記憶しておかないと話になりません。

そうなれば、5時間で、とか、そういうばかな言葉も出てくるはずはないのです。
一人の人に10時間20時間かけるのが当然です。
でも、人間関係を大事に考えて、真摯にお付き合いすれば、少しずつその人の個性とか、考え方とか哲学とかは見えてきます。そこを理解してはじめて「ところで●●さんは血液型は何なんですか?」という質問ができるのです。答えていただけるのです。

それをあなた、「300人×1分=5時間」って…。
1分で何がわかるっちゅうんですか。人間をバカにするのもええかげんにしなさい。
血液型と性格の間に関係性などないと言う人は、たいていこういうくだらない発想で否定してるわけですよ。
浅い。
浅すぎる。
アホな事言うな。
何が300人5時間ですか。
そんな程度で「性格」なんかわかりませんよ。わかるわけがないよ。当然でしょ。

(この話、まだ続きます。)

シゲ
2013年3月31日18:36

(300人と話す件の続きです)

あと、会社勤めをしていれば、同僚などが数十人いたりしますから、そういう人たちが、どういう仕事でどう成功して、どう失敗したかもちゃんとしっかり見ておきます。これも大事なデータです。
そしてたとえば失敗した時にどう発言したかなどもキチンと聞いて覚えておくのです。
同僚であれば、後から血液型がわかる場合もありますから、そこから見えてくることもあります。
ていねいにていねいに、観察を続けるのです。

それから兄弟・親戚も数十人のオーダーで知り合いになれますし、葬式や結婚など、人生の節目の出来事に対してどう感じて、どういう発言をしたかも観察対象にできます。これもかなり役に立つでしょう。

おおむね、「血液型と性格の間に関係性があるのではないか?」という仮説を検証しようと思っている人は、そういう社会的な関係性を維持しながら観察を進める事しかできません。「性格を扱う」ということが、そういう事なのですよ。当然じゃないですか。

それから、自分の友人や学生時代の知人なども同窓会に出ればけっこう読み解けます。これも数十人単位でサンプルが収集できます。同窓会で、友達の多い人3人くらいとしっかり話し込めばけっこうな数の事例は集まるでしょう。

こういう事をたんねんに重ねていけば、誰でも300人くらいの発言と人生動向との関連などのデータを収集することはできます。それらと血液型との関連性を総合判断すれば良いのです。
20年とか30年をかけて観察を続ければ、そう難しいことではないのです。だから最低でも10年100人。できれば30年300人です。

ただし、人間関係が良好でなければ、そういう事例収集はできませんから、身の回りの人間との関係を保ちながら、少しずつ検証していくしかありません。身の回りの人と友達関係を維持しつつ、ロングスパンで観察を続けるのです。人間好きにならない限り、そうそうできることではないですが、「あの人の考え方は面白いよねー」とか、楽しみながらやっていれば、全然飽きないでしょう。それをやるかどうかです。

5時間とか10時間とか、そういうつまらない、ショートスパンの、近視眼的なものの見方では絶対に達成できない世界です。

こんな事、「科学」のアプローチや実験ではまず無理です。

だから、こういう事は「科学」で考える事の方がおかしいのです。哲学とか文化の問題です。

O型とAB型の間に実子関係はない、というのはそういう事です。人生と生き死にと哲学の問題なのです。
人類は言葉を持ち、人と人とが悲しみと苦しみを共有できる生き物なのです。しかも60年も80年も生きるのです。
たかが一人1分、300人で5時間とかのチンケなショートスパンの発想で「関係ない」とかの答えを出してもらいたくないものです。
あまりに浅はかすぎて、話をする気にもなれない。
そういうことですよ。

(この話、まだ続きます。)

シゲ
2013年3月31日18:53

(続きです)

こういう話は、実は、サイコロジーではなくてフィロソフィーで考えなければならない事なのです。もともと心理学というものが、人間の性格を扱うのに成功しているとは言い難い学問だから、です。
ここが根本的な話なんですね。本当は。
血液型と性格の関係性の話にしたって、キチンと関係のある書物を読めば、その昔、明治時代に一大論争が起きて、それが実は大学内の権力闘争の影響だったというのは、知っている人は知っている有名な話なんですね。

それがいまだに尾を引いていて、日本では「血液型と性格の間に科学的な関係性はない」という言い方で一線を引く「決まり文句」ができてしまってるわけです。
実にくだらない派閥争いの結果としての文言なんです。あー、くだらねぇ。

だから、うまく「性格」の定義づけもできていない心理学の側から見たら、たかが科学という単一で薄っぺらい視点でしか、物事を考えられない発想にしかならないし、そりゃあどうしても「血液型と性格の間の関係性はない」という見方しかできませんよ。
だって心理学ではいまだに「性格とは何か?」という定義づけすらできてないんですよ?
そら、心理学から見れば、なぁ~んにもわからんですよ。当然ですやん。派閥争いまであったんだし。

でもまぁ300人のサンプルを調べてみようという気になったのでしたら、せめて一人頭10時間程度はみておいてください。いや、300人のうち50人くらいで良いと思いますけど。残りはまぁ数時間とかかな?

そのくらいの時間は必要ですよ。「性格」を扱うなら。


でもそういう「性格」というものの話と科学の関係性を話題にしておいて「1人1分」ですからな? なんですかそれは?

それは、結局検証する気自体がないって事です。
検証する気があるなら「一人1分としても」などという発想が自体が出てくるはずがない。
人間というものをバカにしてる。あまりにひどい。

ようは人間嫌いで、人間に興味を持っていない、というだけの事なんじゃないですか?

「1人1分としても」などという、とんでもない数字が出てくるあたりが「人間を見る・知る・理解する」という気持ちの無さを露呈してる発言ですよね。

そんな人間に「性格」の事がわかるはずもないし、語れるはずもない。そういう発言をしている段階で語る資格なし、なんですよ。

結局は、最初から検証する気がないから「血液型と性格の間に関係なんかないんだ」と決めておきたいだけの事なんですね。
「検証してみたい」と考えれば、必然的に20年30年がかりの観察にならざるを得ないのです。で、僕はいままでそういう視点で、ずっと知り合いとの関係を続けてきたし、今後も続けていきます。「観察」は自然科学の基礎の基礎の基礎の基礎の基礎の基礎の基礎の基礎の基礎の基礎のそのまた基礎ですがな。
何言うてますねん。

でも、そんな観察をする気がない=検証する気がない=決めつけの結論の飛びついて血液型と性格に関係はないという事にしておきたい、という前提があるから、平気で

●一人1分、300人で5時間

などというくだらない事が言えるわけです。無責任の極みです。
おおむね「血液型と性格の間に関係なんかないんだ」と言う人は、おしなべてこのタイプです。もう、100人中100人と言って良いくらい、ステレオタイプですわ。

ようは、最初から「関係などない」という偏った結論が、まず大前提なわけです。
で、20年30年観察し続けてでも、関係性のあるなしを見極めてみよう、なんて根性はない。

で、結論だけは先に「科学とは関係ない」というのを用意してるわけです。これ、本当に、どうしようもない「非科学的」態度でしかないですからね。それは。

非科学的態度の人間ほど、「科学的」な態度を取ろうとするのですよ。
最低最悪ですわ。これ。

(ということで、まだ続きます。)

シゲ
2013年3月31日19:01

(ということで結論みたいな事)

現実問題、性格と血液型のことをキチンと考えて見る気があるなら、自分の人生の中で、人を愛し、他者の痛みを感じ取りながら、ていねいにコツコツと、まわりの人間の個性的な「人格観察」をするしかないのです。

それを続けていると、「全然別の個性を持った別人格の人間」であるはずの、遠い遠い無関係な人間が、驚くほど似たような考え方と発言をする事に出会って驚くのですよ。
そして、それは意外に多いのです。

少なくとも僕はそういう体験をいくつもしました。
体験しちゃったんだからしょうがないわけです。それは。

性格、というのは心理学では定義すらできていないですが、たとえば、

●大好きだったおじさんが梅毒(あるいはコレラ)で死んだ。

という悲しみと悔しさがあって、それを理屈づけるところまでできてはじめて「性格」なんですよ。人生そのものの重みがそこにはバイアスとしてかかってくるし、かかってきて当然なんです。悲しい出来事・うれしい出来事があって、その出来事に対して、どう取り組もうか?と考え、決めた結果が「性格」なんです。

だから、本来は、一人一人が、まったく異なった結論を出して良いはずなのに、というか、ひとりひとり違っていなければおかしいのに、全然関係のない人が同じ意見を言う、同じような哲学を持っていたりするのです。しかも、ぽろりと言った言葉がものすごく似ていて、それを語った人間がどちらも同じ血液型だったりするんですよ。

そういう事実はいくつも見てきました。
少なくとも私は。

だから、何が「一人1分で300人5時間」なんですか。くだらない。つまらない。低俗で、しょーもない、チンケな発想です。

●19才の時に叱ってくれた人と、39才の時に叱ってくれた人が同じ事を言っていて、それが同じ血液型の人だった。直接関係なんかあるはずないのに!

という20年くらいの「隔たり」があった上で「やっぱり同じ事を言う人がいる!」という発見があって、それが私の中で「確信」としてあるから、こういう記事を書いているのですよ。

ところが、そういう確信を、たかだか「文責:Y」とかのあやしげなサイトを引用するだけで論破できるとか浅はかな事を考えるは、「300人なら1分としても5時間」とか、小学生レベルの、本当にくだらない、つまらない、幼稚な発想で「そんな事ができるのかよ」みたいな事まで思っている。
本当にくだらない。

人生30年かけて、じーーーーーーーっと観察を続けてごらんなさい。


絶対に

●血液型と性格の間に関係性はある!

と、思わざるをえないような、ファンタジックとしか言いようのない出来事に出会えますから。

ウソだと思うなら、やってみなさい。
30年かけなさい。

そういう事ですよ。

いまから最低30年かかります。
それを体験してから、文句は言ってくれ。

では、30年後にお会いしましょう。

nophoto
dd
2013年4月2日0:15

折角、たくさん書いていただいているのだが、いまいち理解できません。
無駄な修飾語が多いというか、突飛な例が突然文脈と関係なく現れるとか。

クリアにしたいので、以下の項目について、順番に答えていただけませんか?
ただ、これまでのあなたの記述を見ると、論理的な記述が無く、一方的に自分の主張を繰り返すだけで、かみ合っていない。あなたは建設的な議論をする”性格”をお持ちではないようですね。整理をするというのも、苦手なように伺えます。O型ですか。

1)300人の話
300人は人生での合計か、一度にか?
「300人と、一緒に」という文を見る限り、同時に300人と読み取った。

2)「神社にでかけて水飲み場で口をすすがない」の話
2-1)「神社で口をすすがない=コレラの感染を防止する」と言い切った理由。単純に、物臭、ハンカチを持っていなかっただけと判断しなかった理由?
2-2)このお知り合いたちの「血縁者」にコレラで苦しんだ方々はいたのでしょうか?
2-3)コレラに比較的強い血液型の人で、口をすすがない人は存在しないのか?

3)コレラについて
3-1)コレラによる重篤化リスクは確かにO型が高いと述べているが、他の血液型も重篤化しないわけでもない。なぜA,B,AB型はO型のようにコレラに対し、警戒する行動を取らないのか?
3-2)近所の人が、コレラに掛かり死亡した場合、普通、血液型と関係なく、警戒行動と取るであろう。この場合はどのように説明するのか。
3-3)「大好きだったおじさんが梅毒(あるいはコレラ)で死んだ。」と例示しているが、O型の祖父を持つ場合、A,B型の孫が存在する可能性も有る。A,B型の彼らは、コレラを恐れず、O型の孫だけコレラを恐れる理由
3-4)O型がコレラ等を恐れるような行動様式を取るには、O型の両親がコレラで苦しむ必要が有るが、今日の日本ではコレラの感染などほとんどきかない。ではO型がコレラ等を恐れるような行動様式を取るトリガーは何か?

4)血液が性格に関与しない理由
血液型(血液)が脳を左右するには、脳内細胞に直接血液が関与しなければならないが、血液脳関門脳があり、脳には作用しない。」と医学的に認められているが、あなたはどのように左右するのか?

5)最後に病気と血液型について
5-1)病気と血液型の因果関係を根拠に、論述しているが、
2000年発行のNature(Risch NJ. Searching for genetic determinants in the new millennium. Nature. 405(6788):847-56, 2000)で胃腸管に関するいくつかの形質に弱い相関が認められる以外には、血液型と疾患の相関については再現性よく示されたものはない
と断言している。ゲノムプロジェクトの一環で出た結論である。これを覆すあなたの根拠を教えてほしい。

5-2)kyanagawa 2009年7月23日8:50 、 樋川真   2009年7月23日9:15
このようなコメントへの反論はできますか

私も長く書いてしまいましたね。私の疑問にも、項目ごとに答えるというのではなく、自分の意見を好きなように書かれるのでしょう、性格的に。まあ確かに、項目ごとに答えると、論理破綻が露呈しますしね。

nophoto
ass
2014年3月25日16:35

まず自分は人よりはるかに知能が低くはるかに劣ることを自覚し、知識を付けましょう。

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