意識と無意識の一致。
2009年5月24日クセの話の続きですが。
クセで何かをしているというのは、無意識で何かをしているという事であります。
実は、酒を飲んだり、ギャンブルをしたり、各種の依存症も、無意識がそれをやってるからやめられないわけですな。
で、それが無意識の行動であるからコントロール不能に陥ってしまって「どうしようもないのだ」という自暴自棄の気持ちになってしまうわけですね。
が、しかし。
本来、顕在意識も無意識も、どちらも自分自身なわけです。コントロール不能という事はないはずです。
確かに胃や腸の活動は無意識下の活動ですが、それでも食事の内容によるコントロールとか、深呼吸とか瞑想など、各種のコントロール方法はあるわけです。
で、ここで大事なことは、
●意識と無意識は、完全に分離しているわけではない。
ということですね。
たとえば、人間には、肩、腹、胸 などの部分がありますが、ではいったいどこから肩がはじまって、どこで終わっているのでしょうか? その明確な区分はありません。
ハッキリと部位を区別することはできます。しかし線引きはできないわけです。
で。
「クセ」というのは、ちょうどその中間あたりの、区分できないものとして存在してるわけです。
で。
この「クセ」に、行動としての「クセ」と、考え方としての「思考のクセ」の二種類がある、ということなわけですね。
だから、ここのところに注目して、少し意識してやれば、ハンドルをほんの少し動かすようなコントロールが可能になってきて、長い距離を走っていれば、望む方向に進んでいくことも可能なわけです。
まさに、「クセ」というのは、意識と無意識の中間地点で、ここをうまく少しの力で動かせれば、意識と無意識の一致ができる。
そういう気がするわけですよ。
ということで、今日はここまで。
また書きます。
クセで何かをしているというのは、無意識で何かをしているという事であります。
実は、酒を飲んだり、ギャンブルをしたり、各種の依存症も、無意識がそれをやってるからやめられないわけですな。
で、それが無意識の行動であるからコントロール不能に陥ってしまって「どうしようもないのだ」という自暴自棄の気持ちになってしまうわけですね。
が、しかし。
本来、顕在意識も無意識も、どちらも自分自身なわけです。コントロール不能という事はないはずです。
確かに胃や腸の活動は無意識下の活動ですが、それでも食事の内容によるコントロールとか、深呼吸とか瞑想など、各種のコントロール方法はあるわけです。
で、ここで大事なことは、
●意識と無意識は、完全に分離しているわけではない。
ということですね。
たとえば、人間には、肩、腹、胸 などの部分がありますが、ではいったいどこから肩がはじまって、どこで終わっているのでしょうか? その明確な区分はありません。
ハッキリと部位を区別することはできます。しかし線引きはできないわけです。
で。
「クセ」というのは、ちょうどその中間あたりの、区分できないものとして存在してるわけです。
で。
この「クセ」に、行動としての「クセ」と、考え方としての「思考のクセ」の二種類がある、ということなわけですね。
だから、ここのところに注目して、少し意識してやれば、ハンドルをほんの少し動かすようなコントロールが可能になってきて、長い距離を走っていれば、望む方向に進んでいくことも可能なわけです。
まさに、「クセ」というのは、意識と無意識の中間地点で、ここをうまく少しの力で動かせれば、意識と無意識の一致ができる。
そういう気がするわけですよ。
ということで、今日はここまで。
また書きます。
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