松村邦洋、体重100キロでマラソン? バカか、こいつらは。
2009年3月24日コメント (2)もうね、驚いてしまいますな。
松村邦洋が東京マラソンで倒れた話。
全然知らなかったんだけど、体重100kgあるのに、出場してたんだって? 誰か止めろよ~!
危ないに決まってんじゃん!
で、その後の様子がこれです。
(引用開始)------------------
意識戻った松村邦洋 合併症の危険で予断許さず
22日の東京マラソンに出場中、意識不明で倒れた松村邦洋(41)が所属する太田プロダクションが22日、報道各社に向けて松村の現状についてファクスで報告した。
松村がマラソン中に前兆なく突然意識を失った原因は、血圧が一時的に急激に下がる急性心筋梗塞による心室細動(しんしつさいどう)によるものだという。突然死を回避するため、マラソン事務局スタッフと医師による自動体外式除細動器(AED)で電気ショックを与えるなど迅速な処置を受けて、病院へ搬送された。搬送中に意識は取り戻したが、検査処置には安静状態が必要なため、現在は鎮静処置を施しているという。
さらに心疾患には今後、合併症を伴う危険性があり、病状が確定しない予断を許さない状態が続いているという。
(引用終了)-------------------
かなり、そうとうに、真剣に危険だったことがわかりますよね。あー恐ろしい。
なんちゅうかなぁ、これがまた、他の記事を見ると、「五輪メダリストの有森裕子さんらも育てた指導者の下で練習しており」とか書いてあって、「ああ、それか!そのアホアホパターンか!」って思うのですよね。
なんで、「オリンピック選手レベルの体力のある人間」しか知らない素人に指導させるんよ!って僕は思うわけです。オリンピック選手の指導者なんて、運動不足の一般人の実情なんか、ちーともわかってませんって。全然レベルが違うんやから。ほんまに。
はっきり言って、普通人はオリンピック選手の半分以下の能力ですわね。だから、素人の指導には素人のダメさ加減を徹底して知ってる人の指導を仰がないとダメです。なのに、有森を育てた「特殊人」を連れてきててるのかよー! って思う。
なんちゅうか、スポーツ関連の話では、こういうマヌケな話が、そこいらじゅうに転がってるから、頭が痛いです。
で、しかもですね、体重100kgって言えば、「体力のない普通人」が「体に40kgのオモリをつけている状態」なわけですがな。アイアンマンレースかっちゅの!そんなアホな事はないと思う。
そんな人間に走らせるなっちゅうの!
ブクブク太ってる段階で、それはすでに「自己管理ができてない人間」なんだから、フルマラソンみたいに、「自分の内面感覚と会話する」ような自己管理の必要な種目は無理なんじゃないですか?かなり高度な事ですよ。
まず、レコーディングダイエットで、自己観察をして、体重を60キロ台に落としてからにせいっちゅうねん。ボケ、カス。と私は言いたい。
「自転車乗りは太っていてはいけない。標準体重になるまで痩せるという自己管理ができてはじめて、自転車に乗る資格があるのだ。」と自転車販売人にしてエッセイストのエンゾ早川氏は言ってるけど、まさにその通り!
自転車なんかだと、車体が1~2kg重くなっただけで、もう走りが途端に快適ではなくなるのですよ。ほんとに。その1~2kgがいかに重要か。
そういう事が分っていれば「太っていて自転車に乗ってる奴」というのは、もうその段階でダメ。存在価値なし。先に食事制限を半年やりなさい。そしたらイヤでも体を動かすのが楽しくなるから、それからで充分です。そうしなさい。
っちゅう話でして。
このあたりの話は、例の「いつまでもデブと思うなよ」にしっかり書いてあるのであります。読んでいただきたい。
それはそれとして。
まぁ、東京マラソンって、話題ですからなぁ。まぁ、タレントとしては、そこに出てウケを狙いたいわな。で、死んでまでウケを狙いたいなら、それも本望でしょう。それでいいならやりなさい、っちゅうことにしかならんかなぁとは思いますです。
でも、ほっとするのは、この話題とともに、やっと福岡大の田中宏暁教授が提唱している「ニコニコペース」の話が出てきた事です。
やっとかよー、とは思うのですが、まぁ出てきただけマシ。ここ数年の東京マラソンの軽薄なブームは「どうにかしてよー」とずっと思ってたので、この松村君の事故は良い反省材料にしてもらいたいです。
えー、ニコニコペースっていうのは、体に無理のかからない適正ペースの運動ということで、ちょっとネットにランニング用語辞典
http://runnet.jp/community/dictionary/na.php
というのがあったので、ここから引用しますと、
(引用開始)-------------
福岡大学の田中宏暁教授らが提唱する、フルマラソンのトレーニングに効果的と言われるランニングのペースのこと。笑顔で走れる上限のペースに近いことからこう呼ばれ、具体的には、最大酸素摂取量の50%程度の強度といわれるている。このペースの簡単な求め方は、3〜4分(笑顔で走れる上限のペースで)走ったあと立ち止まり、10秒以内に15秒間右手首で脈拍をとる。この数字(P)を4倍して10を加えたものが、138から年齢の半分を引いた数字と等しくなればよい(P×4+10=138−年齢/2)。
(引用終了)-------------
これ、やってみるとわかるけど、かな~りゆっくりなんですな。早足歩きプラスアルファくらい。
この田中宏暁教授のニコニコペースって、ようはマフェトン理論じゃん、って思うのですけどね。マフェトン理論もやっぱり心拍数管理をするんですね。で、一定の心拍数を超えた運動を禁じてるわけです。
一時期、マフェトン理論に凝ったので、わざわざ心拍計を買いましたからな。でも、買ってみて分ったけど、一二度、どのくらいの心拍数以上の運動がよくないのか? っちゅうのが分れば、あとはもう、体で理解できるから心拍計っていらなくなっちゃうんですけどね。
ともあれ心拍数も測ったことのない人は、マラソンみたいな強い運動はしちゃダメですよ、基本的に。
そこいらの話が、表に出てこないから、やれ「完走」だの、「○時間台」だの、どーーーーーでもいい事ばっかり話題になる。
ニコニコ笑って運動できること!
これに勝るものなどあるかってんだ、ばかもん!
とまぁ、私は思うんですけどね。
無理して何が面白いのやら? って思いますなぁ。特に最近自転車に乗り出したからよけいです。
ちゅうかね。
実は私、本当の事を言うと、「スポーツ好き」って奴がバカにしか見えないんですよ。
いや、というのはね、昔、山の中で畑を耕してたからなんですね。
もう1ヘクタールくらいある場所を、特別な人づてで借りてたから、とにかく何らかの作物は植えて、それなりにちゃんと育ててないといけなかったので、けっこう大変だったのですよ。それも山の中の段々畑ですからな。上り下りをするだけでかなりの運動になってしまうわけです。
ですが、段々畑の一番上に小屋があって、そこに鎌やらシャベルやら、草刈り機やらスキ・クワの類を取りに行って、で「あ、○○持ってくるの忘れた!」というだけで、また駆け上がって降りてきてとかやってたわけですよ。
そういう状態の時にね、「完走しよう」だの「○時間以内に」だの「自分への挑戦」だのと言った、小賢しい目的意識なんかないわけですわ。作物をちゃんと育てなくちゃ、という目的意識があるだけなんですね。自分の目的と、体の動きが一体化してるんですよ。ムダがないわけです。
良く、「健全な肉体に健全な精神が宿る」とかなんとかバカの極みの事を言ってますけど、こういう畑作業とかやってると、「体と心は一体に決まってますがな。何をわざわざ分離させて小難しい事を言うとんねん、アホちゃうか?」としか思えないわけです。
体が、とか、精神が、とか、分離して考えるような事ではないんですよ。本当は一体化してるのが当たり前なんです。
でも、現代って言うのは、その本来一体であったはずの体と心を、分離して管理せざるをえなくなってるんですね。そこはもう、とても不幸な事だとは思うのです。
ですが、やはり、たとえば通勤のように仕事場に向かうという「過程」があって、そこに徒歩という運動作業とかはあるわけで、そういう生活と目的と生き方と自分の満足感というものを、うまく調和させて一体化させることができるのが一番良いわけです。
で、そのバランスが崩れているから、「スポーツしなきゃ」になってるわけだし、スポーツを続けるために「勝った負けた」という遊びの要素を入れてみたり、「○分台で○○する」という数字管理を取り入れたりしなくちゃならなくなるわけです。
だから本当は山の中に住んで、野菜でも作りながら暮らしてれば、そんなしょーもない数字の事も考えなくていいし、体と心を分離して別個に管理する必要もなくなるわけですよ。で、本当は多分、それが本来のあり方、生き方のはずなんですね。
でもまぁ、誰にでもそういう生活ができるわけではないし、なんとか、そういう「体を動かす目的意識」みたいな事を、うまく生活の中に無理なく取り入れるのが賢いって事になるわけです。
だからまぁ、そういう事がわかっていて、で、なおかつジムに行ったりテニスをしたり、というのなら、まぁ現代ではしょうがないかなぁって思うんですけども、それでもやっぱり、たとえば通勤の時にエスカレーターを使わずに階段を上るとか、一駅遠いところから会社まで歩くとか、生活の中の「ニコニコペースの運動」「普段の動きを増やす工夫」みたいな事の方が、より本質的だよなぁって思うわけです。
スポーツ好きとか、スポーツしてます!って言ってる人は、それを言ってる段階で、自分の生活と体の動きというものを「別物」に分断してしまってる感じがして「アホやなぁ、ほんまは一体化させるべき事やのに。」って思うわけです。
そういう意味でも、やっぱり自転車はよろしい。
移動するという目的がキチンとあって、それによって生活の中に運動するって事が完全に溶け込みますからな。
結局シンプルなのが一番いいって思うんですよ、僕は。
松村邦洋だって本当は、何か自分の中で解決できない心の問題なりなんなりがあって、あんなに太ってしまったわけですよ。自分の問題に向き合いたくないから、食べる事でそれを直視しないように、自分をしつけてしまったわけです。
それがすでに問題なのだから、その「食ってごまかす」と言うことをやめればいいだけの話なんです。
でも、その肝心のところに手をつけずに、「太りすぎは健康に悪いから、運動して健康体になろう」という、自分の中を覗き込まない解決策に手を出してしまうわけです。
で、走り出すとランニングハイとかありますからな。それでまた「食い過ぎ」の依存症と同じくランニング依存症になっていくわけですな。
あかんっちゅうねん。それは食い過ぎ依存症にランニングハイ依存症を上乗せして、よけいにひどくしてるだけやっちゅうに。
運動が目的なんやなくて、自分のしたいこと、やりたいことが目的で、そのために体を使うっていうのが手順やっちゅうねん。
そういう事なんですよ。そこがわかってない。
だからニコニコペースとかの楽しみ管理ができないわけです。
そんなもん、何が目的かが自分で分ってれば、そんな楽しくもない走り方とか、体に負担をかける走り方とか、するはずないもんなぁって思う。
だから、いつも「スポーツしてます」っていうような人間を見ると「アホやなぁ、こいつら。」とか思ってしまうんですね。多分、僕は。
まぁ、あんまり感心できるモノの見方ではないんですけども。
でも、そういう事やもんなぁ。
作物を育てるには何月にどんな作業が必要で、それは今月だと日曜日が何日と何日にしかないから、この日曜日のうちにアレとコレの作業は終えてなくちゃいけなくて、で、そうすると、作業にどのくらいの時間がかかるから、今日はここまでを先にやってから残りの時間をこの作業に割り当てて、それはできるところまでやったら良いという事にしよう、とか考えて畑作業はしてるわけですよ。
で、そういうことをするっていうのは、実はかなりの運動量なんですけど、目的が明確だから、全然しんどくないんですね。やってるうちに慣れるし、何より「面倒な事はできるだけしないでおこう」が大前提としてありますからね。それでも体を使わざるを得ない。
で、そういう作業もできるのは陽が昇っている間だけでして、夜に運動なんて絶対にできないわけです。作業自体が無理。だから、夕方には作業を終わらせなくちゃいけないし、ちょっとは作業の後のコーヒーくらいは飲みたいから早めに片付けて、たき火でもして夕日を眺めつつコーヒーを飲んだりしてたわけです。そういうのがとても良い。楽しいし、開放感がある。
でもマラソンする人って夜に走ったりするでしょ? もうそこからおかしいんだって。本当は。
最近で言うと、iPod聞きながら走るとかさ。
ああいうのは、私にはわかりません。
自然の音を聞いてる事自体が大切なのになぁって思う。わけわからん。
たとえば走るにしたって、自分の鼓動と、風切り音を聞き比べているだけで、いろいろペース配分の肉体的感覚がつかめるはずなんですよ。でもiPodなんて聞いてたら、そういうこともわからんやん? アホちゃうの? って思う。だいたいそんな事して何が楽しいのやら、さっぱりわからん。
まぁ、でも現代って、すべてにおいてバランス悪いから、まぁどこかで上手にバランス取るしかないし、いろんなスタイルがあって良いんですけどね。
でも、とにかく、松村邦洋の体重100キロでフルマラソンは、いくらなんでも、それはアカンやろう! って思いますね。
みなさん、ご自重くださいよ。
何事も無茶はいけません。
マスコミやら流行やらとは一切関係なく、自分の体と相談しながら、ニコニコペースでね。
人、それぞれ、環境も肉体条件も、みんな違うんだから。
ま、そんなことで。ではでは。
松村邦洋が東京マラソンで倒れた話。
全然知らなかったんだけど、体重100kgあるのに、出場してたんだって? 誰か止めろよ~!
危ないに決まってんじゃん!
で、その後の様子がこれです。
(引用開始)------------------
意識戻った松村邦洋 合併症の危険で予断許さず
22日の東京マラソンに出場中、意識不明で倒れた松村邦洋(41)が所属する太田プロダクションが22日、報道各社に向けて松村の現状についてファクスで報告した。
松村がマラソン中に前兆なく突然意識を失った原因は、血圧が一時的に急激に下がる急性心筋梗塞による心室細動(しんしつさいどう)によるものだという。突然死を回避するため、マラソン事務局スタッフと医師による自動体外式除細動器(AED)で電気ショックを与えるなど迅速な処置を受けて、病院へ搬送された。搬送中に意識は取り戻したが、検査処置には安静状態が必要なため、現在は鎮静処置を施しているという。
さらに心疾患には今後、合併症を伴う危険性があり、病状が確定しない予断を許さない状態が続いているという。
(引用終了)-------------------
かなり、そうとうに、真剣に危険だったことがわかりますよね。あー恐ろしい。
なんちゅうかなぁ、これがまた、他の記事を見ると、「五輪メダリストの有森裕子さんらも育てた指導者の下で練習しており」とか書いてあって、「ああ、それか!そのアホアホパターンか!」って思うのですよね。
なんで、「オリンピック選手レベルの体力のある人間」しか知らない素人に指導させるんよ!って僕は思うわけです。オリンピック選手の指導者なんて、運動不足の一般人の実情なんか、ちーともわかってませんって。全然レベルが違うんやから。ほんまに。
はっきり言って、普通人はオリンピック選手の半分以下の能力ですわね。だから、素人の指導には素人のダメさ加減を徹底して知ってる人の指導を仰がないとダメです。なのに、有森を育てた「特殊人」を連れてきててるのかよー! って思う。
なんちゅうか、スポーツ関連の話では、こういうマヌケな話が、そこいらじゅうに転がってるから、頭が痛いです。
で、しかもですね、体重100kgって言えば、「体力のない普通人」が「体に40kgのオモリをつけている状態」なわけですがな。アイアンマンレースかっちゅの!そんなアホな事はないと思う。
そんな人間に走らせるなっちゅうの!
ブクブク太ってる段階で、それはすでに「自己管理ができてない人間」なんだから、フルマラソンみたいに、「自分の内面感覚と会話する」ような自己管理の必要な種目は無理なんじゃないですか?かなり高度な事ですよ。
まず、レコーディングダイエットで、自己観察をして、体重を60キロ台に落としてからにせいっちゅうねん。ボケ、カス。と私は言いたい。
「自転車乗りは太っていてはいけない。標準体重になるまで痩せるという自己管理ができてはじめて、自転車に乗る資格があるのだ。」と自転車販売人にしてエッセイストのエンゾ早川氏は言ってるけど、まさにその通り!
自転車なんかだと、車体が1~2kg重くなっただけで、もう走りが途端に快適ではなくなるのですよ。ほんとに。その1~2kgがいかに重要か。
そういう事が分っていれば「太っていて自転車に乗ってる奴」というのは、もうその段階でダメ。存在価値なし。先に食事制限を半年やりなさい。そしたらイヤでも体を動かすのが楽しくなるから、それからで充分です。そうしなさい。
っちゅう話でして。
このあたりの話は、例の「いつまでもデブと思うなよ」にしっかり書いてあるのであります。読んでいただきたい。
それはそれとして。
まぁ、東京マラソンって、話題ですからなぁ。まぁ、タレントとしては、そこに出てウケを狙いたいわな。で、死んでまでウケを狙いたいなら、それも本望でしょう。それでいいならやりなさい、っちゅうことにしかならんかなぁとは思いますです。
でも、ほっとするのは、この話題とともに、やっと福岡大の田中宏暁教授が提唱している「ニコニコペース」の話が出てきた事です。
やっとかよー、とは思うのですが、まぁ出てきただけマシ。ここ数年の東京マラソンの軽薄なブームは「どうにかしてよー」とずっと思ってたので、この松村君の事故は良い反省材料にしてもらいたいです。
えー、ニコニコペースっていうのは、体に無理のかからない適正ペースの運動ということで、ちょっとネットにランニング用語辞典
http://runnet.jp/community/dictionary/na.php
というのがあったので、ここから引用しますと、
(引用開始)-------------
福岡大学の田中宏暁教授らが提唱する、フルマラソンのトレーニングに効果的と言われるランニングのペースのこと。笑顔で走れる上限のペースに近いことからこう呼ばれ、具体的には、最大酸素摂取量の50%程度の強度といわれるている。このペースの簡単な求め方は、3〜4分(笑顔で走れる上限のペースで)走ったあと立ち止まり、10秒以内に15秒間右手首で脈拍をとる。この数字(P)を4倍して10を加えたものが、138から年齢の半分を引いた数字と等しくなればよい(P×4+10=138−年齢/2)。
(引用終了)-------------
これ、やってみるとわかるけど、かな~りゆっくりなんですな。早足歩きプラスアルファくらい。
この田中宏暁教授のニコニコペースって、ようはマフェトン理論じゃん、って思うのですけどね。マフェトン理論もやっぱり心拍数管理をするんですね。で、一定の心拍数を超えた運動を禁じてるわけです。
一時期、マフェトン理論に凝ったので、わざわざ心拍計を買いましたからな。でも、買ってみて分ったけど、一二度、どのくらいの心拍数以上の運動がよくないのか? っちゅうのが分れば、あとはもう、体で理解できるから心拍計っていらなくなっちゃうんですけどね。
ともあれ心拍数も測ったことのない人は、マラソンみたいな強い運動はしちゃダメですよ、基本的に。
そこいらの話が、表に出てこないから、やれ「完走」だの、「○時間台」だの、どーーーーーでもいい事ばっかり話題になる。
ニコニコ笑って運動できること!
これに勝るものなどあるかってんだ、ばかもん!
とまぁ、私は思うんですけどね。
無理して何が面白いのやら? って思いますなぁ。特に最近自転車に乗り出したからよけいです。
ちゅうかね。
実は私、本当の事を言うと、「スポーツ好き」って奴がバカにしか見えないんですよ。
いや、というのはね、昔、山の中で畑を耕してたからなんですね。
もう1ヘクタールくらいある場所を、特別な人づてで借りてたから、とにかく何らかの作物は植えて、それなりにちゃんと育ててないといけなかったので、けっこう大変だったのですよ。それも山の中の段々畑ですからな。上り下りをするだけでかなりの運動になってしまうわけです。
ですが、段々畑の一番上に小屋があって、そこに鎌やらシャベルやら、草刈り機やらスキ・クワの類を取りに行って、で「あ、○○持ってくるの忘れた!」というだけで、また駆け上がって降りてきてとかやってたわけですよ。
そういう状態の時にね、「完走しよう」だの「○時間以内に」だの「自分への挑戦」だのと言った、小賢しい目的意識なんかないわけですわ。作物をちゃんと育てなくちゃ、という目的意識があるだけなんですね。自分の目的と、体の動きが一体化してるんですよ。ムダがないわけです。
良く、「健全な肉体に健全な精神が宿る」とかなんとかバカの極みの事を言ってますけど、こういう畑作業とかやってると、「体と心は一体に決まってますがな。何をわざわざ分離させて小難しい事を言うとんねん、アホちゃうか?」としか思えないわけです。
体が、とか、精神が、とか、分離して考えるような事ではないんですよ。本当は一体化してるのが当たり前なんです。
でも、現代って言うのは、その本来一体であったはずの体と心を、分離して管理せざるをえなくなってるんですね。そこはもう、とても不幸な事だとは思うのです。
ですが、やはり、たとえば通勤のように仕事場に向かうという「過程」があって、そこに徒歩という運動作業とかはあるわけで、そういう生活と目的と生き方と自分の満足感というものを、うまく調和させて一体化させることができるのが一番良いわけです。
で、そのバランスが崩れているから、「スポーツしなきゃ」になってるわけだし、スポーツを続けるために「勝った負けた」という遊びの要素を入れてみたり、「○分台で○○する」という数字管理を取り入れたりしなくちゃならなくなるわけです。
だから本当は山の中に住んで、野菜でも作りながら暮らしてれば、そんなしょーもない数字の事も考えなくていいし、体と心を分離して別個に管理する必要もなくなるわけですよ。で、本当は多分、それが本来のあり方、生き方のはずなんですね。
でもまぁ、誰にでもそういう生活ができるわけではないし、なんとか、そういう「体を動かす目的意識」みたいな事を、うまく生活の中に無理なく取り入れるのが賢いって事になるわけです。
だからまぁ、そういう事がわかっていて、で、なおかつジムに行ったりテニスをしたり、というのなら、まぁ現代ではしょうがないかなぁって思うんですけども、それでもやっぱり、たとえば通勤の時にエスカレーターを使わずに階段を上るとか、一駅遠いところから会社まで歩くとか、生活の中の「ニコニコペースの運動」「普段の動きを増やす工夫」みたいな事の方が、より本質的だよなぁって思うわけです。
スポーツ好きとか、スポーツしてます!って言ってる人は、それを言ってる段階で、自分の生活と体の動きというものを「別物」に分断してしまってる感じがして「アホやなぁ、ほんまは一体化させるべき事やのに。」って思うわけです。
そういう意味でも、やっぱり自転車はよろしい。
移動するという目的がキチンとあって、それによって生活の中に運動するって事が完全に溶け込みますからな。
結局シンプルなのが一番いいって思うんですよ、僕は。
松村邦洋だって本当は、何か自分の中で解決できない心の問題なりなんなりがあって、あんなに太ってしまったわけですよ。自分の問題に向き合いたくないから、食べる事でそれを直視しないように、自分をしつけてしまったわけです。
それがすでに問題なのだから、その「食ってごまかす」と言うことをやめればいいだけの話なんです。
でも、その肝心のところに手をつけずに、「太りすぎは健康に悪いから、運動して健康体になろう」という、自分の中を覗き込まない解決策に手を出してしまうわけです。
で、走り出すとランニングハイとかありますからな。それでまた「食い過ぎ」の依存症と同じくランニング依存症になっていくわけですな。
あかんっちゅうねん。それは食い過ぎ依存症にランニングハイ依存症を上乗せして、よけいにひどくしてるだけやっちゅうに。
運動が目的なんやなくて、自分のしたいこと、やりたいことが目的で、そのために体を使うっていうのが手順やっちゅうねん。
そういう事なんですよ。そこがわかってない。
だからニコニコペースとかの楽しみ管理ができないわけです。
そんなもん、何が目的かが自分で分ってれば、そんな楽しくもない走り方とか、体に負担をかける走り方とか、するはずないもんなぁって思う。
だから、いつも「スポーツしてます」っていうような人間を見ると「アホやなぁ、こいつら。」とか思ってしまうんですね。多分、僕は。
まぁ、あんまり感心できるモノの見方ではないんですけども。
でも、そういう事やもんなぁ。
作物を育てるには何月にどんな作業が必要で、それは今月だと日曜日が何日と何日にしかないから、この日曜日のうちにアレとコレの作業は終えてなくちゃいけなくて、で、そうすると、作業にどのくらいの時間がかかるから、今日はここまでを先にやってから残りの時間をこの作業に割り当てて、それはできるところまでやったら良いという事にしよう、とか考えて畑作業はしてるわけですよ。
で、そういうことをするっていうのは、実はかなりの運動量なんですけど、目的が明確だから、全然しんどくないんですね。やってるうちに慣れるし、何より「面倒な事はできるだけしないでおこう」が大前提としてありますからね。それでも体を使わざるを得ない。
で、そういう作業もできるのは陽が昇っている間だけでして、夜に運動なんて絶対にできないわけです。作業自体が無理。だから、夕方には作業を終わらせなくちゃいけないし、ちょっとは作業の後のコーヒーくらいは飲みたいから早めに片付けて、たき火でもして夕日を眺めつつコーヒーを飲んだりしてたわけです。そういうのがとても良い。楽しいし、開放感がある。
でもマラソンする人って夜に走ったりするでしょ? もうそこからおかしいんだって。本当は。
最近で言うと、iPod聞きながら走るとかさ。
ああいうのは、私にはわかりません。
自然の音を聞いてる事自体が大切なのになぁって思う。わけわからん。
たとえば走るにしたって、自分の鼓動と、風切り音を聞き比べているだけで、いろいろペース配分の肉体的感覚がつかめるはずなんですよ。でもiPodなんて聞いてたら、そういうこともわからんやん? アホちゃうの? って思う。だいたいそんな事して何が楽しいのやら、さっぱりわからん。
まぁ、でも現代って、すべてにおいてバランス悪いから、まぁどこかで上手にバランス取るしかないし、いろんなスタイルがあって良いんですけどね。
でも、とにかく、松村邦洋の体重100キロでフルマラソンは、いくらなんでも、それはアカンやろう! って思いますね。
みなさん、ご自重くださいよ。
何事も無茶はいけません。
マスコミやら流行やらとは一切関係なく、自分の体と相談しながら、ニコニコペースでね。
人、それぞれ、環境も肉体条件も、みんな違うんだから。
ま、そんなことで。ではでは。
コメント
(当人アマチュアランナー)。ちゃんとした医師なら「まずは歩こうね。」って
言うのに。こういうのを雇っている勤務先って・・・。はぁ。
そうですね。「歩く」というのは、すべての基本ですからね。誰でもすぐにできて、スポーツ障害などのリスクが最も少ないということで、まずは「毎日歩きましょう。それが出来たら、その時に次のステップを考えましょうか。」というやり方をするのが普通ですわね。
特に、依存症とか、うつ病とか、気持ちや気分の自己管理が必要な状態の人には、最優先でウォーキングということになるんではないでしょうか。
その産業医さんの事は良く分からないですけど、普通、医者なら歩きを勧めますわね。ところがスポーツインストラクターとかで、経験の浅い人だと、自分が基準になっているので、いきなりランニングとか言う事になって、おかしな話になるんですよねぇ。
そこにディスコミュニケーションがあるのに、「先生が言ってるからやらねば」という権威主義で動いてしまう。
でまた、依存症とかだと権威に弱くて、自分の内面的な感覚をしっかりと実感するってことが下手くそなので言われたことをそのままやったりするんですよねぇ。ああ、やれやれって思う。
でも松村くんの場合は命を失っていてもおかしくない状況ですからね。
マスコミもちょっとは反省して、こういうデブキャラの人の場合は、スポーツインストラクターではなくて、キチンと医師の指導を受けて欲しいと思いますねぇ。
でないと、標準体重より太ってる人までがドンドコ走り出してしまう。
やめなさい! 危ないから! と言いたくなってしまいますですよ。いや本当に。