ふざけるんじゃねぇよ。放置自転車追放キャンペーン。
いま関西圏(大阪市・京都市・神戸市)では放置自転車クリーンキャンペーンというのをやってるわけです。

このキャンペーンのポスターを見ると、どうにもムカムカ腹が立って困ります。
どう考えたっておかしい。
こいつらは何も考えてないバカなんだなぁとしか言いようがないわけです。

写真を貼付けておいたので見て欲しいのですが「絶対許さない」とか、すげー偉そうなわけです。そんな事を言う権利がお前らにあるのか! という事を問いたい。

だいたいね、日本の自転車が、「乗り捨ての道具」になってしまったのは、70年代の道路交通法の改正で「自転車は歩道を走ってよし」という無茶苦茶をやったからなわけですよ。



●歩行者と車両を歩道に押し込めた。



これはつまり、ヨチヨチ歩きの幼児・赤ちゃんを抱いた母親・車椅子の人、ヨボヨボの老人とかの弱者の中に、自転車という「車両」を押しつけたキチガイじみた法律を作った、という事なわけです。

これはかなりおかしな法律で、海外から来た人が日本の歩道を自転車が走ってるのを見たら、「オー、クレイジー!」と驚くくらいに信じられない野蛮な行為に見えるんだそうです。

まず、そういうミスを、40年前に役人がやってるって事です。何も考えずに。

で、そういう弱者と強者を一緒くたにするようなキチガイじみた事をしたおかげで、日本の自転車は、世界中どこを見ても類例のない



●遅くて重くて遠くまで乗れない自転車



として発展せざるをえなくなったんですよ。だって、ヨチヨチ歩きの子供にぶつかってケガさせたくないでしょ? 思いません?
だから、車重が20kgを超えても、誰も文句を言わなかった。いくら重くてスピードが出なくても、現実問題、弱者に気配りしないと走れないという状況ができちゃったわけです。

なので、世界の自転車が、クロームモリブデンとか、アルミ合金とか、カーボンとかを使って軽くして、車道を快適に走る「家から会社まで10km~15kmを走行する道具」になって行ったのに、日本の自転車は「せいぜい自宅から駅までしか走らない道具」にしかなれなかったんですよ。

ママチャリというのは、そういう点で、世界にも類例のない、ものすごく奇妙な自転車で、その原因を作ったのは、明確に警察官僚なわけです。ようは役人。役人が悪いと言うことの代表例なんですね、これは。整理すると、ようは、


●役人の無能によって「乗り捨ての道具」が生み出された。


という事なんです。
これは、他の国の道路行政と、自転車の進化を見れば、もう一目瞭然の事実なわけですよ。自転車好きの人なら、みんな知ってる。日本の役人の無能の象徴なわけです。都市計画とか、そういう発想自体を持っていない、完全にパー、アホ、バカ、マヌケの証拠って事なんです。

しかも、その根本原因が「弱者は守られねばならない」という基本の基本を考え損ねていたという、最悪の間違いなわけです。クルマの問題を考える時に、最優先で考慮すべき点が「弱者保護」なのに、その、一番大事なところの配慮がなかった、ということですから、これはもう役人に弁解の余地はまったくないわけです。純粋に、


●役人の無能によって「乗り捨ての道具」が生み出された。


んです。
他に理由はありません。
まったくない。
一切無い。
全部まるまる、役人が悪い。

このポスターは大阪市、京都市、神戸市の建設局が出してるので「いや、それは警察庁さんのミスでしょう、私たちは知りません」とかぬかしやがる可能性もありますが、都市空間というのは基本的に限定された容量しかないひとつの共有物なわけですから、その共有物の利用ルールを考えるのが役人共通の使命のはずです。

だから、70年代から40年も時間があったにもかかわらず、物事の本質を正しく研究しようともせずに、ただアホの一つ覚えで「放置自転車追放!」しかやらず、正しく縦割り行政の垣根を越えてでも、「道路交通法をより正しく改正せよ」という働きかけをしなかった、こいつらこそが、まさに無能なわけです。縦割り行政くらい超えろよ、バカ! 無能者が。マヌケが。です。

しかも、これだけスポーツ自転車がブームになって専門雑誌もたくさん発行されていて、「日本の道路交通法はおかしい」と言うことが自転車乗りの間で通説になってきているという事実があるにもかかわらず、そういう世間の流れもわかっていない。ようするに、とんでもない勉強不足、ということなわけです。

「放置自転車」に関する対処を考えるなら、自転車に関する書籍の数冊でも読んでみようか、くらい考えても良いはずなのに、そういうリサーチの気持ちはまったくなく、こんな「絶対許さん」しか言ってないパァなポスターを作ってる。まさに無知・無能の証。お前ら、何の大事な仕事をしてないから、とにかくいますぐ、役人をやめろ。税金を返せ、という事です。お前らこそが諸悪の根源で、世の中のムダの本質やねんから、一個の人間に立ち帰って「私が役人をしていてはいけない」と反省して役人を自主的にやめろ! という事ですね。

だからそういう意味でも、重ねて、


●役人の無能


こそが問われるわけです。
ほんとうにこのポスターには、そういうまともさがない。
まったく感じられない。
いまの都市交通の一番の問題が如実に出ている。
ものすごく醜悪です。


それに加えて、もうひとつ大きな問題があります。

というのは、良いですか? 駅前にある放置自転車の死屍累々たる悲惨な光景というのは、

●重いから駅前までしか行かない。

という事と同時に、

●重くてかまわんのなら、安く作れる

という事が理由でもあるんです。クロモリやらアルミ合金を使わないのなら、安くて重たい鉄パイプを加工すれば作れます。なので、「9800円の自転車」みたいなものが生まれてしまったわけです。なので、自転車の価値自体が下がってしまった。300円の使い捨て傘みたいな軽い扱いしかされなくなっちゃったわけです。

最近では6800円のママチャリなんてものまで出てきたそうです。

ここまでの値段になると、人の自転車を平気で盗む奴がでてきます。で、なんのために盗むかというと、「駅までちょっと遠いから」とかなわけです。放置自転車の何割かは、そういう盗難車です。
また、安いから、愛着も持たなくなって雨ざらしでそのままでもかまわないってなって、駅前に置いてる人も多いでしょう。
そういう「どうせ安物」という流れを作ってしまったのも、「世界の開発競争から降りた」自転車だからなんです。

で、そういう開発競争から何故降りたかというと、法律があまりに無茶苦茶だったからです。本当にそれだけのことなんです。純粋に。

もし、日本の道路行政が正しく弱者を守って、「歩道を自転車が走るなんて許されない」という当たり前の分別をつけていれば、こんな「駅前までしか行けないけど、安い自転車」なんてものは生まれなかったわけです。世界と市場が共通であれば、自転車メーカーも世界に対して競争力を持ったでしょうし、いまごろ日本発のすごい自転車が生まれてますよ。

世界の自転車メーカーが軽量化競争で素材開発やら、加工技術開発に投資を続ける中、日本のメーカーだけはそういう高度な技術ではなく、重い鉄パイプを曲げただけの「低価格競争」を主軸にするしかなくなってしまったわけです。

だってそうするしかなかったんだもの!
車道を走れるような、「まともな自転車」が歩道を走ったら、それはあまりに危険なんだもの!
で、そういう「危険」を行政が押しつけてきてたんだもの!

だから、そういう「安いママチャリ」を作ってきたメーカーに落ち度はありません。


●全て、「役人の無能」が原因。


なのですよ。
なのに、なんで「絶対、許さない!」などと叱られねばならないのか? っちゅうことです。

「自宅から駅までしか走れない道具」だから、駅前に自転車が山のように積み上げられるのであって、これは決して「マナーの問題」ではないんです。だから、こんなバカ丸出しのポスターなんか作ったって、放置自転車問題なんか解決するわけがないんです。
なんで、役人のミスを国民のマナーで補わなければならないのか? そんなアホな話はないでしょう。

------------------

自転車先進国のオランダでは、だいたい「追放」されてるのは自動車です。クルマです。とくに個人の自家用自動車ですね。まずこいつを都市部では「使いにくい道具」として機能制限してます。スピードが出ないように都市設計をしてる。だって、都市部は、人と共存するって事ですからね。それがまず当たり前なわけです。

その代わり、都市と都市を結ぶ、都市間は素晴らしい道路を作ればよろしい。それが自動車が本来性能を発揮すべきポジションです。

大阪市、京都市、神戸市、なんて自動車を追放するくらいの姿勢でないと、まともな都市計画は絶対に無理なのです。もともと。「放置自転車の追放」と言ってる段階で完全にパーなわけですよ。アホの極み。無能の印。バカ。マヌケ。です。

で、自動車が減って、その車道を自転車が走れば、自転車もまともに進化できるようになって、電車に乗らずに直接会社まで行く人が増えます。
そうなれば、必然的に駅前に止める自転車も減ります。でしょ?

で、そうなるために必要なのは、「都市中いたるところに駐輪スペースを」という事になるんです。
自転車の魅力は、自宅から目的地までのドア・トウ・ドアの魅力ですから、とにかくいろんな場所に駐輪スペースを作らねばならない。

それも車道を利用すれば良いのです。車道と歩道の間にどんどん駐輪スペースを作れば良い。一車線を駐輪スペースと自転車専用道路にすれば良いのです。そうすればどんどん自動車が乗りにくくなるので、自動車に乗る人が減って、自転車に乗る人が増えます。自動車と自転車の占有面積比は7:1ですからね。誰か一人が自動車をやめて自転車に乗り換えれば、道路はいきなり7倍広くなるって事です。

実際、オランダやドイツなどの自転車先進国は、都市部においてはそういう方向で街づくりをしてるわけです。どうせ信号を作ってストップアンドゴーから逃れられない都市部で、「自動車優先」をやっていても、矛盾が膨らむばかりでうまく行くわけがないんです。都市部での自動車優先は、とにかく本質的に矛盾してるって事です。ムダ。やめときなはれ、っちゅうことです。

で、そういう、うまく行くはずのない「自動車優先の思想」に凝り固まってる、矛盾の象徴こそが「駅前放置自転車問題」なのであって、あれは発想の根本が間違っている、役人の無能の証なんですよ。
まるで駅前放置自転車問題って「マナーの問題」のように考えられてますけど、決して自転車利用者の「マナーの問題」ではないんです。まず役人の無能が、真っ先に問題なんです。それも世界的に無能って事です。かなりレベルが低い。そこが問題なんです。

この話、根が深いので、今回はここまでにしまして、また続きを書きます。

コメント

きゃおる
2008年11月11日5:22

通学自転車が、毎日歩道いっぱいに広がって走っています。

6月の改正で「年寄り子どもは標識がなくても歩道を走れ」ってのが追加された道交法。
ああ、自転車は行政より警察の方が主導権持ってるんだなぁ、って思いました。
駐輪場も自転車専用道も、増えないわけだと思いました。

はざまで危なくないように乗るしかない→結局危ない→もういいや車で
が常態になるんだなぁ。

シゲ
2008年11月11日11:22

>きゃおるさん
その理解はまちがっとるぞー!!

「走れ」などと道路交通法には明記されてません。「走ることができる」でしょう。
そういう勘違いが生まれやすい指導を多分、教師も警官もしてるからイカンのよなぁ。ほんまに。困った事です。
多分警察官の現場の人間はスポーツ自転車の事なんか何も知らんので、そういう間違った認識をしてるんだと思うんですよねぇ。

いままでは「自転車通行可」のところしか走ったらダメ、だったのですよ。本来は。

で、「自転車は通行可能な歩道は走ることもできる」だったのが、「自転車通行可ではなくても、子供や老人、障害者などでさえあれば、歩道ならどこでも通行することができる」と変わっただけです。「走ることができる」であって「走れ」ではないんです。ここ、ものすごく大事なので、間違った表現はしないように注意して欲しいのであります。子供が「歩道を走らなくちゃいけない」と勘違いするから。

子供であろうが、自転車に乗った限りは、歩行者に対しては強者なのであって運転責任が生じるのですよ。そこは絶対譲ってはいけません。で、歩道を走る限り歩行者最優先でスピードを落とすというのがマナー。速度もまぁ12kmまでですな。一番良いのは歩道は自転車から降りて押す。つまり歩行者に戻るというのがベスト。

いま大事にしないといけないのは、こっちの「マナー」の方なのです。道路交通法が「できる」という妙な言い方をしてるので、かなりの混乱が生じてると思う。「走れ」じゃなくて「走ることができる」です。(前から走ってたやろけど。あくまで現状の追認なのよ、今回の改正は。)

でも多分現場の警官は「子供や老人は、できるだけ歩道を走ってね」と言ってるに違いないのだ。実際、スピードの出ないママチャリで車道を走るとかなり不安がキツイですから。

だから、実際現場自体が混乱してるわけ。なので、きゃおるさんが「できる」を「走れ」と勘違いしたような事が世の中にあふれかえっておるので、そういう勘違いをするのは仕方ないんやけど、でも原則は「自転車は車道」なの。いや、ほんとに。そこは気をつけてくだされ。

まぁ、自転車というのは本来、都市交通(電車・バス・タクシー・路面電車・地下鉄など)との連携で成立する道具なのだけれども、田舎は、この都市交通自体が貧弱なので、なかなかにルール運用自体が難しいっていうのは大きいので、いつでもどこでもこの原則を振りかざすわけにはいかないんですがね。


でも、知っておいてほしいのは、実は、自転車が歩道を走る方が、自動車対自転車の事故が増えるのだ、という事実です。自転車は歩道を走る方が「危険」という側面がかなりあるのです。

というのは、歩道を自転車が走ると、街路樹や鉄策その他で、自動車からは視認しにくくなるから。自転車が歩道を走っていると、左折しようとした自動車が、信号無視、あるいは信号に気付かなかった自転車の飛び出しでぶつかるという事がすごく多いわけです。自転車と自動車の衝突事故では、これが一番多いわけ。だから自転車が歩道を走るのは「安全」というわけでもないのですよ。ほんとに。

なので、自転車は歩道を走るより車道を走る方が、はるかに安全なのです。
で、車道を走る場合は「横一杯に広がって走る」なんて事はできません。だから当たり前の話ですが、自転車は車道を走った方が圧倒的に良いのです。
自転車が車道を走って、自動車が自転車に遠慮する社会にしないといけないんです。

でも、まだまだ「自動車は偉い」という勘違いが日本人には強いので、この問題はかなり難しいんですけどな。いやホンマ。

ともあれ、

●原則、自転車は車道を走る。

です。そこは変わってないのでご注意を。

きゃおる
2008年11月11日13:02

おう。たしかにいいまちがい。
「通行可能」だよね。
年寄り子供は歩道に上がれー!って意図をしっかり受け過ぎましたね。

世間のスポーツバイク乗りたちは、怒ってるんだろうなぁと、おもいます。
と、DSiから書き込んでみるテスト。


シゲ
2008年11月11日18:15

>きゃおるさん

えっとね、
>世間のスポーツバイク乗りたちは、怒ってるんだろうなぁと、おもいます。
とのことですが、
これが意外に怒ってないんですな。
僕はまだ実践が足りてないので、つい怒っちゃうけど。

正しい自転車乗りは、怒らず語らず、ただヘルメットをかぶって、順法で、正しく車道を堂々と走ってるだけです。走る禅というか、そういう感じ。

なんでかというと、それこそがまさに実力行使だからなのですね。
安い「ママチャリ」で車道を走ると、スピードが遅すぎるわけです。だから自動車に乗ってる人がイライラして、つい「パパパパパパァー」と警笛鳴らしたり、無理な追い越ししたりという無礼な振る舞いをするわけです。

で、また、ママチャリのあの遅さだと、自動車がイラつくのもしょうがない。スピード差が大きすぎるもの。

でもメットをかぶったスポーツ自転車乗りは、巡航速度で25kmくらいはラクラク普通に出てます。なので実は車で追い越すこと自体がけっこう大変なわけです。ママチャリを追い越すようなわけにはいかない。
「偉そうにぶっこきまして、すんませんっした。」と追い越そうとした車の側が思う。それを正しい自転車乗りは知ってるんです。だから黙って車道を走る。怒らない。ということのようですわ。
速い人だと30km/h 台、とか40km/h出す人もいてるそうですからね。

でも、世の中まだまだママチャリですからなぁ。ママチャリだと、せいぜい12km/h。必死にこいでも、20km/h。30km/h出すとヒーハー言うし、それは巡航速度ではない。

だから、「パパパパパパァー」という警笛と無理な追い越しが一般化してしまうので、警官はついつい「子供と老人は歩道へ」と言ってしまうのです。

でも本当は、子供や老人でもスポーツ自転車に乗れば車道で堂々と走れるんですがね。その方が絶対安全なのだろうと思います。

そういう事も含めて「俺が車道を走っていれば、世の中の方の意識が変わるさ」と達観してるのが正しい自転車乗りの考えのようですよ。はい。

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索