この国は議員にいくら使うのか
2008年10月23日 読書 コメント (2)
今回紹介するのは、「9月に読んだ本」でもちょろっと紹介しましたが、政治に関する新書。「この国は議員にいくら使うのか」について。
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4827550468
この本を読んで、僕はもう完全に発想が変わってしまったので、そこらあたりをザクっと紹介します。
ずっと、「役人が多すぎるし、まともな仕事をしとらん。まず役人の人員削減せなあかんよな」と思ってたんです。
で、この考え自体は変わってないんだけど、今までは、「だから政治家の権限を高めて、政治家主導にせないかん。」と思ってたし、「いまのように官僚が作った法案に政治家が乗るという形でなく、本来の政治家が法を作る議員立法をもっとやってもらわな困る」と思っていたし、「そのためには政治家には、調査や議員立法のための人員確保も必要だから、それなりの資金を与えないとしょうがないよなぁ」と思ってたんですね。
でも、この考え方こそが、大間違いなのだと、この本を読んで、良く分かりました。
著者の河村たかしさんは、民主党の議員(衆議院)さんですが、僕とはまったく逆で、
●「職業議員」こそ、金の無駄遣いの最たるものだ。政治改革をやるなら、まず議員という仕事はボランティアでやるものだ、という世界標準のやり方にするところからやらねば絶対に無理だ。
と言っておられる方なわけです。
あ、そうか。
そりゃそうだ!
なわけですよ。
議員がボランティアなんてことは、当たり前の話なんです。市民一人一人が経済活動などして生きていて、その生きている経済環境や、目指す活動の方向が違って、ぶつかってしまう時に、「これは話し合って調整せにゃ、埒が行かんぞ。」と考えるのが政治なわけです。
立場の違いを話し合いで調整するっていうのが民主主義だし、それが議会の存在意義だって話しなんですね。問題が起きてる部分だけをうまく解決すれば、本来は「こんな面倒な仕事やっとれんよ。」と言って、さっさと議会から去り、自分の仕事に戻る、っちゅうのが本来的なあり方なわけです。
で、そういう本来的なやり方をやってると、みんなが市民生活と議員を兼業という形になって、たとえば決まり事を整理するとか、こまかい所まで手が回らんから「調整業務専任の人間もいないとちょっと不便だわなぁ」ということで役人、官僚を専任で雇っているわけですよ。
だから、本来は「専任の人間なんて必要最小限で良いよなぁ」と議員の側が思っているのが当たり前なわけです。政治なんてもともと実体経済とかけ離れた、「調整のための話し合い作業」なわけだから、それ専門でやってても利益なんて出ないってのが大前提ですから。「やりたかねぇよ、こんな面倒な仕事。」ってなるのが普通は、というか世界標準の考え方からいけば当たり前なわけです。
ところがこれが、「議員を職業にしている」って人が出てきたから、おかしな事になってるんだ、と河村さんは言うわけですよ。職業になってしまってたら、それは役人と同じ事なわけですな。名前は政治家って事になってても、本質は官僚と一緒って事です。そういう議員ばっかりだから、無駄金を使ったおかしな法案しか出てこないのだ、としてるわけです。
なんでこんな事になってしまったのか? というと、河村さんは、戦後のGHQが主導して作った国会法に問題があるのだ、と指摘されてます。戦前は、この議員はボランティアっていうのが、まだまだ大前提としてあったらしいんですね。
で、だからこそ、戦後の大混乱期には、みんな復興で忙しくて「政治になんか関わっておれんがな」ということで議員に良い人材が集まらないのではないかと懸念されたらしいのですよ。そこで、「議員を高給にせねば!」と言う事になったようなんですね。
(引用開始)-------------------------------------
(引用終了)-------------------------------------
という事なんですって。
ようするに「政治家は、役人より給料が上」というルールが定められてるって事です。
さぁ、このルールを悪用するのはいったい誰? っちゅうことですな。
そら役人ですわな。
ようは、官僚が政治家に近づいて甘い言葉で給料を上げておいて、それから自分がその下に付くって事です。ようは自分の給料を上げるために政治家を金で取り込んでいるんですよ。ああ、恐ろしい。
我々の税金は、そういう最悪な仕組みのために、次々と値上げされてるっちゅうわけです。
とんでもない。
許せん話なわけでして。
政治家を金で縛り付けて、まず甘い汁を吸わせてから、自分の給料も上げる、という事を延々戦後ずっと繰り返してきたってことです。なんちゅうずる賢い奴らなんや、官僚という奴は、っちゅう話しです。
高潔でない政治家は、みんなこの「鼻薬」をかがされて、「歳費の取り放題システム」の側に荷担するようになっちゃったって話でしてね。
だから、本来ボランティアであるべき政治家が、専任化してしまって、「準官僚」に成り下がってるってことなんですね。
河村さんいわく、いまや議会と霞ヶ関で、同じ事を二重でやっとるだけだと。同じ審議を二回くりかえしてるだけってのがほとんどで、こんなムダはなかろうとおっしゃる。だからまず議員改革を先にやらないかんのだと。
まさにその通り! ですなぁ。
この本では、具体的に「文書交通通信滞在費」「地方議員の政務調査費」「議員報酬」「政党助成金」「議員年金」「議員宿舎」「議員会館」「運転手付き黒塗り高級車」と、細目がどのように給付されているのかの実態とムダをつまびらかにしてます。
で、後半では、それでも、わずかにこういうムダそのものを廃絶していってる数少ない地方議会の例とかを対談の形で二、三件紹介してるのですが、読んでて「わー、こらかなわんなぁ」と思うのが、こういう余分な金を「減らしましょう」と言った途端に、回りの甘い汁を吸ってる議員たちから、どれだけいじめられるのか? の実態が書いてあると言うことであります。
ここがね、ほんまにかなわん。
「おまえら、そんなに税金にぶら下がって生きていきたいんか? 最低やな。」
としか思えないわけでね。
そら、「職業議員」なんてのが当たり前の世界で「議員はボランティアじゃ」とかやったら、猛反発くらいますわなぁっちゅうのが、実に陰湿に感じ取れます。
本来的論議で論戦を挑むのではなくて、本筋とは関係ないところから、そういう「議員の金のもらいすぎを正そう」としてる議員をネチネチといじめてるわけですよ。
もう、本当にいやらしくて、最低なのであります。
こいつら、ほんまに根が腐っとるよなぁ、という事です。
あまりに陰湿だわ。
なので、後半の対談部分もぜひお読みください。
ほんまに、この本は必読だと思いますです。はい。
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4827550468
この本を読んで、僕はもう完全に発想が変わってしまったので、そこらあたりをザクっと紹介します。
ずっと、「役人が多すぎるし、まともな仕事をしとらん。まず役人の人員削減せなあかんよな」と思ってたんです。
で、この考え自体は変わってないんだけど、今までは、「だから政治家の権限を高めて、政治家主導にせないかん。」と思ってたし、「いまのように官僚が作った法案に政治家が乗るという形でなく、本来の政治家が法を作る議員立法をもっとやってもらわな困る」と思っていたし、「そのためには政治家には、調査や議員立法のための人員確保も必要だから、それなりの資金を与えないとしょうがないよなぁ」と思ってたんですね。
でも、この考え方こそが、大間違いなのだと、この本を読んで、良く分かりました。
著者の河村たかしさんは、民主党の議員(衆議院)さんですが、僕とはまったく逆で、
●「職業議員」こそ、金の無駄遣いの最たるものだ。政治改革をやるなら、まず議員という仕事はボランティアでやるものだ、という世界標準のやり方にするところからやらねば絶対に無理だ。
と言っておられる方なわけです。
あ、そうか。
そりゃそうだ!
なわけですよ。
議員がボランティアなんてことは、当たり前の話なんです。市民一人一人が経済活動などして生きていて、その生きている経済環境や、目指す活動の方向が違って、ぶつかってしまう時に、「これは話し合って調整せにゃ、埒が行かんぞ。」と考えるのが政治なわけです。
立場の違いを話し合いで調整するっていうのが民主主義だし、それが議会の存在意義だって話しなんですね。問題が起きてる部分だけをうまく解決すれば、本来は「こんな面倒な仕事やっとれんよ。」と言って、さっさと議会から去り、自分の仕事に戻る、っちゅうのが本来的なあり方なわけです。
で、そういう本来的なやり方をやってると、みんなが市民生活と議員を兼業という形になって、たとえば決まり事を整理するとか、こまかい所まで手が回らんから「調整業務専任の人間もいないとちょっと不便だわなぁ」ということで役人、官僚を専任で雇っているわけですよ。
だから、本来は「専任の人間なんて必要最小限で良いよなぁ」と議員の側が思っているのが当たり前なわけです。政治なんてもともと実体経済とかけ離れた、「調整のための話し合い作業」なわけだから、それ専門でやってても利益なんて出ないってのが大前提ですから。「やりたかねぇよ、こんな面倒な仕事。」ってなるのが普通は、というか世界標準の考え方からいけば当たり前なわけです。
ところがこれが、「議員を職業にしている」って人が出てきたから、おかしな事になってるんだ、と河村さんは言うわけですよ。職業になってしまってたら、それは役人と同じ事なわけですな。名前は政治家って事になってても、本質は官僚と一緒って事です。そういう議員ばっかりだから、無駄金を使ったおかしな法案しか出てこないのだ、としてるわけです。
なんでこんな事になってしまったのか? というと、河村さんは、戦後のGHQが主導して作った国会法に問題があるのだ、と指摘されてます。戦前は、この議員はボランティアっていうのが、まだまだ大前提としてあったらしいんですね。
で、だからこそ、戦後の大混乱期には、みんな復興で忙しくて「政治になんか関わっておれんがな」ということで議員に良い人材が集まらないのではないかと懸念されたらしいのですよ。そこで、「議員を高給にせねば!」と言う事になったようなんですね。
(引用開始)-------------------------------------
このGHQの議会改革で「議員=高級」という歳費の高額化を招く法律が成文化された。昭和22年(1947年)に施行された国会法の第35条がそれだ。
●議員は、一般職の国家公務員の最高の給料額より少なくない歳費を受ける
これはつまり「国会議員は高級官僚、事務次官クラスよりもワンランク上の給料をもらえる」と言うことを意味している。
裏を返せば、事務次官をはじめとする高級官僚たちは、国会議員の歳費が上がらなければ自分たちの給料を上げられないということだ。
こうして、国会議員と国家公務員という、本来であれば税金の使い道をチェックする側とされる側の両者の思惑が一致し、「お手盛り」の高額歳費が生まれる流れが出来てしまった。
(引用終了)-------------------------------------
という事なんですって。
ようするに「政治家は、役人より給料が上」というルールが定められてるって事です。
さぁ、このルールを悪用するのはいったい誰? っちゅうことですな。
そら役人ですわな。
ようは、官僚が政治家に近づいて甘い言葉で給料を上げておいて、それから自分がその下に付くって事です。ようは自分の給料を上げるために政治家を金で取り込んでいるんですよ。ああ、恐ろしい。
我々の税金は、そういう最悪な仕組みのために、次々と値上げされてるっちゅうわけです。
とんでもない。
許せん話なわけでして。
政治家を金で縛り付けて、まず甘い汁を吸わせてから、自分の給料も上げる、という事を延々戦後ずっと繰り返してきたってことです。なんちゅうずる賢い奴らなんや、官僚という奴は、っちゅう話しです。
高潔でない政治家は、みんなこの「鼻薬」をかがされて、「歳費の取り放題システム」の側に荷担するようになっちゃったって話でしてね。
だから、本来ボランティアであるべき政治家が、専任化してしまって、「準官僚」に成り下がってるってことなんですね。
河村さんいわく、いまや議会と霞ヶ関で、同じ事を二重でやっとるだけだと。同じ審議を二回くりかえしてるだけってのがほとんどで、こんなムダはなかろうとおっしゃる。だからまず議員改革を先にやらないかんのだと。
まさにその通り! ですなぁ。
この本では、具体的に「文書交通通信滞在費」「地方議員の政務調査費」「議員報酬」「政党助成金」「議員年金」「議員宿舎」「議員会館」「運転手付き黒塗り高級車」と、細目がどのように給付されているのかの実態とムダをつまびらかにしてます。
で、後半では、それでも、わずかにこういうムダそのものを廃絶していってる数少ない地方議会の例とかを対談の形で二、三件紹介してるのですが、読んでて「わー、こらかなわんなぁ」と思うのが、こういう余分な金を「減らしましょう」と言った途端に、回りの甘い汁を吸ってる議員たちから、どれだけいじめられるのか? の実態が書いてあると言うことであります。
ここがね、ほんまにかなわん。
「おまえら、そんなに税金にぶら下がって生きていきたいんか? 最低やな。」
としか思えないわけでね。
そら、「職業議員」なんてのが当たり前の世界で「議員はボランティアじゃ」とかやったら、猛反発くらいますわなぁっちゅうのが、実に陰湿に感じ取れます。
本来的論議で論戦を挑むのではなくて、本筋とは関係ないところから、そういう「議員の金のもらいすぎを正そう」としてる議員をネチネチといじめてるわけですよ。
もう、本当にいやらしくて、最低なのであります。
こいつら、ほんまに根が腐っとるよなぁ、という事です。
あまりに陰湿だわ。
なので、後半の対談部分もぜひお読みください。
ほんまに、この本は必読だと思いますです。はい。
コメント
書き込みありがとうございます。
そうですか。かなりお腹立ちのご様子で。
でも、「ほんまに殴った」ら、あきませんよ!(笑)
良い悪いは別にして、その人も市民が選んだ市民の代表なんでしょうしねぇ。
まぁ、コツコツと身の回りの人によりよいチョイスをお知らせするくらいなのではないでしょうか?
すみません。そんなことしか思いつきません。