どうでもいいなぁ。

2008年10月15日
最近思うのは、良いのか悪いのかわからんけど、「どうでもいいなぁ」ってこと。

アホな人間を見ても、「しゃーないな、アホは」と思うだけ。
なんでかと言うと、自分もアホやから。

スターウォーズに繰り返し出てくる「上には上がある」って話を思い出すからなんですが。

主人公たちが、海底を進む。
後ろから、巨大な魚が追いかけてくる。
あわや、危機一髪!
という時に、もっともっともっと大きな魚が、その巨大魚を食ってくれて助かる。

ちゅうような話。

それが、この世界なのだなぁと、実感を持ってわかってきたというか、なんと言うか。

私より、アホな人間は、そらもう、とんでもなくアホな訳ですけど、私より賢い人は、これまたとんでもなく賢い人がいたりするわけですね。
そのラティチュードというか、レンジの広さというか、膨大・広大・巨大なる差というか、そういうものは、ものすごいものなのだ、というように感じてきたわけでして。

井の中のカワズは、それはもう、やっぱりどこまで行っても井の中のカワズだったりするわけですよ。

それはまぁ、もう、それでええんとちゃうの? とか思う。相手しててもしゃーない。

私から見て小さい井戸は、とんでもない数で身の回りに広がっていて、ものすごい数の「井の中のカワズ」がいてるんですけど、そういう認識をしている僕自体が、これまた、もっと上のレベルの人から見れば、とんでもない「井の中のカワズ」に見える事だろうなぁと。そう思うわけです。

だから、井の中のカワズに向かって「お前は井の中のカワズだよ」と言うより、自分のいてる井戸の端っこまで歩いて行って、その「壁」を登らないと行けないんだって思うのですよ。
もう、井の中のカワズの相手をしていても仕方ない。
だって、こんなに広い広い場所ですら、もっともっと大きな「井戸の中」だとは、思いもしなかった、という感じでありますな。

最近、たくさん本を読む、という事に関して、ちょっと指標が変わってきたので、そういう事を思うのですなぁ。すごく。

自転車の事でもそうだし、速読の事でもそうです。政治の事だってそう。
上には上があって、で、実は、その「上」には行こうと思えばいくらでも行けるんだと思えてきたって事です。

自転車も、「世界標準」の世界が、いまここにちゃんとあるし、政治だって世界標準のボランティアの考え方をしてる河村たかし議員のような人がいてるし、僕自身だってヨーロッパの広告制作会社と競合コンペをやってたりするし。全部地続きだし、それは「行ける場所」なんだってことですね。別に「よそはよそ」と思う必要もないし、そういう広がりを認識できない人の事を「視野が狭い」と責める必要もない。

たまたま見えるようになって、行けるようになった人が、やれるだけやってみたら良い、というだけの話なんだなぁと。

たとえば、本にしても、読んでる人は、月数十冊、読んでるよなって思うのです。

でも、いままでは、「そんなに大量に読むなんてのは、私に関係のない世界の話だ」と思ってたんですけど、どうも実はそうでもないみたいだ、というのが分ってきたって言うか、なんと言うか。

情報を取捨選択する能力と、得た情報を活用する能力が高ければ、月数十冊を「活かす」という事も、別に別世界の事でもないんだろうな、と思えてきたからかも知れません。

上には上の世界が、やっぱりあるんだ、という事ですねぇ。

井戸から出て「広い世界に出た~!」と思ってたけど、その広い世界ですらまだ「井戸の中」なのであって、あまりに広いが故に、どこが壁なのかすらわからなくて、そにかくそれを探しに移動するしかないんだよなぁって感じなんですね。

なんか、足元にいてる井の中のカワズなんてどうでもいいや。
世界は広いし、もうちょっと色々試してみるのが最優先なんじゃないかなぁって感じですね。
もう、そういう足元の事はどうでもいいです。
マジに。

世界は、本当に広いんだと、つくづく思うのであります。
で、それは、歩いていれば、とりあえず壁までたどりつく程度の距離ではあるんだ、というのは素直に思うようになってきた、という事ですね。

実際、そういう世界の果てまで行ってる人もたくさんいてるんだから。
そっちへ行ってみたら、ええんとちゃうの? って思うようになってきましたね。
なんでかしらんけど。

うん。
おもしろいもんだ。

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