えー、この二三日でNHK編・著「ワーキングプア」二巻を読んで、「うーむそうだったのか」とか「やっぱりなぁ」とか、いろいろ思うところは多かったので、すごくいろいろ書きたいのですが、まぁ、それはちょっと置いといて。

仕事用のホームページをコツコツ作ってずっとオープンにしてるのですが、7月の末あたりに、そのホームページから問い合わせがありまして、新しいお仕事が発生。お話しをしてみると、実に相性が良いというか、馬の合う方と巡り会え、まぁ新規にお仕事をさせてもらっておるのですが。

昨日は、その方からの仕事で、ある大企業さんの工場の取材。まぁデカイ工場で、歩いた歩いた。

で、まぁ、この1年くらいで、ほんとうにいろいろな企業さんの工場を見て回る機会が多くて、モノづくり日本は、やっぱり人づくりと技術の伝承こそが支えてるんだよなぁと実感しておりまして、そういう事と上記のワーキングプアの問題とのからみで、本当に派遣業法ってのは天下の悪法だよなぁとつくづく思ったわけですが、それもまた余談。この事は、また改めてしっかり書きたいです。

で、その取材の帰り、馬の合うその方が運転される車で大阪まで戻ったわけですが、帰り道の間、あれやこれやの雑談。
そしたらまぁ、いろいろと考えてる事とか、体験してきたこととか、物事のとらえ方とか大変近似値だったので、あらためて感心したわけであります。

特にPC。
ウィンドウズ95が世間を席巻するよりもかなり前からITというかデジタル業務というものをどう考えるべきなのか? というのを考え、実践してきたというあたりもお互いに意識的にも近くて、話が合うことはなはだしい。

で、話をしているうちに、たまたまバックアップか何かの話からウィルス対策ソフトの話になりまして。これがまた意見が一致。

その方曰く。
「やっと最近になって理解してもらえるようになってきたけど、ウィルス対策ソフトを入なくては、とか言う人がいたりするんですよ。で、いや、それは『運用』の問題ですよ。『運用』がしっかりしてたら、それは不要ですって言うんやけど、これがなかなかわからんみたいでねぇ。」
と一言。

「おお、その通り!」と私は思ったわけですが、「あ、そうか、こういうのは『それは運用の問題なんですよ』と言えば良かったのか!」と気付いた次第。いやまぁ「運用の問題ですよ。」と言っても、わからん人の方が多いと、この方も言っておられるからなかなかやっぱり通じにくいのかも知れないですが。

ようはバックアップをキチンと取るとか、自分がパソコンというシステムを「運用」するにあたっての、運用の仕方を決める、構築するという事こそが重要で、そこさえキチンとしてたら、別にウィルス対策ソフトなんか導入する必要なんかないって話なんですけどね。運用体制をキチンと仕組みとして構築してないから「データ消えたら大変や」となってウィルス対策ソフトに走るわけで、そんなもん入れても屁のつっぱりにもならない。

という事を私は当然の如く正しく理解しているわけですが、これをまた全然理解できないタイプの人がいてるわけで、そのあたりに頭を悩ますし「困ったことだなぁ」と思ってたわけですが、そういう話をするより早く、この方、

「そんなもん、運用さえキチンと決まってたら、ウィルス対策ソフトなんか一切必要ないですやん。ねぇ。」と、これまた至極当然の事をおっしゃる。その通り! やねんけど、こういう事を正しくストレートに言える人がなかなかいてないのよなぁ。

いつバックアップを取り、システムが壊れたときにどうやって復旧させるのか。たとえば起動可能なHDを用意するとか、最悪ヨドバシでPCを買う事にするとか、とにかく問題発生時に対する対策を会社として確定しておく、あるいは個人として確定しておく、仕組みとして作っておく、という事ですね。これが運用という事です。

たとえば「いざとなったらヨドバシでPCを買えばいい」という割り切った運用を考えるのなら、それに備えていつでもPCを買えるだけのお金を封筒にいれて棚に保管しておくとかしないといけないわけですね。そこまでの事をひっくるめて「運用方法の確定」という事なわけです。
この「運用」ということさえ、しっかり確立してれば、別にウィルス対策ソフトなんか導入する必要は一切ないって話なわけです。運用の方法なんて千差万別だから。
あたりまえの話なんですが。

ところが、この運用の仕組み化という、とにかくまず自分で確定しておかないとしょうがない事を決めておかないものだから、自分の心の中で不安だけが一人歩きして、ウィルス対策ソフトに頼るという事になるわけですよ。

だからそれは運用の問題なんだって事ですな。ウィルス対策っていうのは、「自分のミスでデータを消してしまう危険性」とか、「落雷や停電でデータが消えてしまう、あるいはソフトやPC本体が壊れてしまう危険性」までひっくるめて、安定運用が阻害されたときのリスクマネジメントの問題でしかないわけですよ。あくまで、その一要因でしかない。
そんな事は当たり前の話でして。

ところが、僕の回りにもいてるけど、どうやら、その方の回りにもそこら辺がわかってない人がいて、まあ、単に勉強不足なだけなわけですけど、そういう人に限って「ウィルス対策ソフトを入れないと!」とか言うわけですわ。
そんなもん入れても、なんの問題解決にもなってないっちゅうに。運用ルールの確立とかこそが本質的対策やっちゅうに。

という事ですわな。

なんでこんな簡単な話がわからんねん、アホちゃうか? と思うわけですが、でも、やっぱり、かなりの程度、そういう本質から外れた人が、かなり世の中には多いみたいなんですねぇ。

その方の言葉にいちいち「その通り!」と納得しながらも、「ああ、そうか、世の中には勘違いしてる人がこんなに多いのか」とも思いましたですな。
なんせその方曰く、

「たとえば、私は作業するパソコンとインターネットするパソコンとは分けて使ってます、作業はスタンドアローンのノートパソコンでしかしてないからネットからのセキュリティ対策とか考える必要ないでしょ。と言ってもわからんのやねぇ、そういう人は。運用って事がやっぱりわかってないんやなぁ。」

となる。
ああ、そうですわね。その通り。インターネット用の回線と、社内用のLANを完全に切り分けてしか使わないという対策を取っている会社はけっこう多いわけですよ。自分のマシンで全部をやるという便利さはなくなるけど、ウィルス対策ソフトを入れるよりはるかに効果高いですわな。
そんなもん、結局運用の問題ですわ。

という事やねんけど、その方曰く
「でも、こういう事がわからん人は、なんぼ言うてもわからんのですねぇ。ほんまに。」と嘆いておられたわけです。

その嘆きまで、私、まったく同じなのであります。ああ、その通り。分らん奴はどこまで行っても分ってない。やっぱり多分、パソコンのシステムの運用の問題とか、そういう事に対する勉強不足なんやろけど。
ちゅうか、多分、それ以前にどうもパーソナルとは何か、個人というのはどういう概念か? というあたりから正しく理解してないのが問題であるように、私は思うのでありますが。

結局、和と個の問題なんですな。

日本人にとっての社会的最小単位は「和=輪」なんですね。それより小さい単位がない。輪というのはようは二人以上の集団の事でして夫婦、恋人、家族、あたりが最小単位なわけですよ。たったひとりの個人、神と契約によってつながる「一個人」という考え方は元々、物理的にも精神的にも存在してないわけです。
なので、日本における「個人主義」というのは、「輪の中で、相手に対してどう要求するのが効果的か」という関係性としてしか存在できないわけです。そういう関係性なしにとにかくたった一人の個人というのはない。

でも、欧米の「個人」ってのは、まさにたったひとりの個人ですからな。他の人間との関わりを想定していない「個」の話でして、パソコンって言うのは、その「まったくの個人」を前提にした設計なわけです。ここがもう、根本問題として大きく横たわってるわけですからなぁ。

だから、本来パソコンなんてものは「個の確立」ができてない人間にとっては、ストレスのかたまりにしかならないわけですよ。

だって、あなた「データが消してしまえるように設計されている」んですよ? こんなもの「輪」の中で相手の事まで先回りして考える日本文化を持つ家電メーカーなら最初から「消せる機能」なんてものは搭載しませんからな。全データを全部残すのを標準機能として設計しますから。

だから、本来パソコンというのは、個別にひとりひとりが、個人として、自分のための「運用ルール」とか「運用システム」を一個ずつ決めていかないといけない、おそろしく面倒くさい道具なわけですよ。その運用ルールの一切合切、すべてが使う側の「自由」として残されてるわけです。ルールをシステムの中に入れてないわけです。「ルールは自分で作ってね」ということですね。

で、このあたりの事がまさに本質やなぁと思う一言を、その人がまたおっしゃった。

「そういう分ってない人に限って、Winny 入れてたりするんですよねぇ。ほんまに。」
って。

おおおお、まさにそうですよ! その通り! なんでそういう事をするのか、私にゃさっぱりわかりませんが、「運用」を分ってたら Winny なんか入れるわけないんですよねぇ。そんな危なっかしいシステムを、自分のパソコンの中に入れるという事自体がナンセンスです。考えられないし、信じられない。入れたいとすら思わないわけですよ、私なんかは。

でも、その人のおっしゃる通りで、少なくとも僕の知ってる「ウィルス対策ソフト入れるべし」人間って、やっぱりWinnyとかの泥棒ソフトを入れてる、あるいは擁護するとかしてるわけで。

なんだかなぁと。

なんなんですかね、あれは。たとえばメールソフトを何を使えば安全か? という観点から選んだりせずに、ウィンドウズにオマケでついてくるアウトルックエクスプレスのままにしてたりするんですなぁ。で、Winnyも入れてたりして、で、その運用の不安定さを「ウィルス対策ソフト」でごまかしてるわけです。本末転倒でしょうなぁ、それはやっぱり。

(ちなみに私のメーラーはBecky! であります。もともとDOS時代にエディタソフトElisとして生まれた経緯がありまして、編集作業とかがすごく快適で、アホくさくてオマケソフトなぞ使えないのであります。メールソフトは、仕事をする上で、最重要ソフトと思ったので、DOSからウィンドウズに乗り換える時に、徹底的に調べて、「うむ、これに決定!」と熟考して決めたもので、いまだに変更の必要なしですね。すばらしいソフトです。もともと、DOS時代にElisを愛用していたのですが、そのElisがBecky!に成長したという事も知らずに購入しまして、あとから元がElisであった事を知って「そうだったのか!」と感心してしまった経緯があるんですがね。良いソフトです。ほんとに。)

ともあれ、その方の話を聞いてわかった事は、やっぱり「ウィルス対策ソフト」を入れろ入れろと言う人は、ようするに運用の仕組みを構築できてない人だって事なんですよ。どこぞも同じかぁ、そういう事ねって事です。

で、どうも、何を勘違いしてるのか、「ウィルス対策ソフト」はウィルスを絶滅させるソフトやと思ってるらしいのですよね、こういう人は。

いやー、それは「台風撲滅運動」をやってるのと同じでしょう。完全にまったく意味ないよって事なんですが。でも「悪を討つ」という気持ちで「ウィルス対策ソフト」を入れるのが必然って考えてるんですなぁ。アホちゃうかとしか私は思わないんですが。

先の日記でも書きましたが、これぞまさに「戦争反対運動」なわけで、私はそんなものには参加しないのであります。平和を作るための運動=運用の仕組みを構築するの方を最優先でやるのであります。戦争反対運動に効果なんかほとんどおませんからなぁ。

ともあれ、まったく同様の問題で「世の中やっぱり、困った子ちゃんが多いのね」という事が良く分かっただけでも、この方との出会いはありがたいものでありました。
で、ウィルス対策ってのは、パソコンの故障や自分のうっかりミスまで含めた「緊急時の運用ルール確定」の中の一項目でしかない、「運用の問題にしかすぎない」という当たり前の事をあらためて言語化・明文化できて、気持ち的にすっきりしたのでありました。
パソコン活用者全員が、一人残らず適正な運用ルールを持っていれば、ウィルス問題なぞ屁でもないくだらない問題でしかないって事です。

でも、平和運動より戦争反対運動に力を入れてしまうタイプの人ってのは多いんだよなぁ。本当に。それは平和とは何か? っちゅうことがわかってないからなんだけど、その根幹には、たとえばアダルトチルドレンであることによる、物事の「見方のゆがみ」があるとか、そういう事も実は含まれてたりするんですよね。

ま、そんなことで誰かに出会う事で、「ああそうか」と思える事もあるわけで、とても良い出会いだなぁと有りがたく思った次第。
おもしろいねぇ、インターネットって。

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索