「苦手」は逃げると着いてくる。
2008年8月11日 ●じぶんの心マップ今日は歯医者の日でした。
治療が完結して、定期検診のみになってたんですが、先日の検診で、昔に治療したところが少し膿んでるのがわかり、即治療。4回ほど通わなければなりません。
しかし。
我ながら進歩したなぁと、今日、治療の帰りに思ってたわけです。
もうね、歯医者、大嫌いなわけですよ。
いまでも嫌いだし。
出来る限り行きたくない。
もう、嫌いで嫌いで、どうしようもない。
でも、嫌いだからこそ、実はキチンと歯医者に通い通す事が出来なくて、ずっと、延々、終わりなく、いろんな歯医者さんを渡り歩いたわけですよ。
だってそうですよね。とにかく痛みが出たとか、そういう自覚できる「不都合」が起きた時だけ歯医者に行って、で、痛まない他の虫歯の治療が終わっていないのに、痛みのある虫歯の治療さえ終わったら「もういいや」と思って通わなくなってたわけですから。
そりゃ、いつまでたっても、歯医者と縁の切れる事はないし、痛い時にしか行かないから、治療も大変の事になるし、よけいに歯医者が嫌いになるわけです。
結局ね、苦手なものを、イヤだイヤだと逃げ回っていると、いつまで経っても、延々追いかけられて、逃げられない。逆に他の人よりたくさん歯医者に通わなければいけなくなってるわけです。
まぁ、アホな話ですわねぇ。
でも、こういう事って多いんですよ。
逃げるから、逃れられないって事。
一番の問題に向き合っていないから、こういう事になるわけです。
一番大事な問題には、覚悟を決めて、キチンと向き合う事なんです。
それをしないといけない。
少年ジャンプのマンガか何かに書いてあったと思うけど、死ぬ覚悟で戦場に向かう人間は、一回死ぬだけなんです。死ぬ恐怖は一度だけ。
でも、死ぬ覚悟もなしに戦場に向かったら、死ぬ恐怖に延々と何百回もさらされる事になる。ひたすら。えんえん。際限なく。いつまでも。どこまでも。終わりなく。永遠に。繰り返し。解き放たれることなく。まさに無間地獄です。
そんなん嫌でしょ?
だから現実を直視しないといけないわけですよ。
キチンと現実を見れば、たとえば歯医者なら、怖くても完璧に治療できるまで通って、あとは定期検診というのがベストの選択だという事ははっきり見えてくるんです。そこにしか答えはありません。当たり前の話なんですが。
でも、「苦手」意識があると、まず、この現実認識ができないわけですね。逃げ腰だから現実が見えないわけです。
逃げてると、この事実が見えない。
なんで見えないかというと、見ないように見ないようにしてるからなんですね。
見ないようにしてたら、そら見えんわなぁ。
でも、人間ってそういうものなんですよね。
じゃ、どうしたらいいのか? って言うと、結局、「人の言う事は素直に聞く」って事に尽きるんでしょうねぇ。
自分の事って、自分じゃなかなか分らないんですよ。でも、他者から見れば丸わかりなわけです。だから、他者からの言葉は、できるだけ素直に聞く。そういう事ですね。
まぁ、「素直に聞く」っていうのが、一番難しい事なのかも知れないけど、でもやっぱりそうなんだよなぁ。
いま思い出してみると、その歯医者さんにどうしてキチンと通うようになったかというと、そこの歯医者さんには、歯科医の先生とは別に、大変よくできる歯科助手の人がいたんですね。
ご存じの方はご存じかもしれませんが、歯科助手というのは、実は資格は要りません。なので、医療行為には関われないんですが、その周辺に関することはできる。歯科衛生士さんとはまた別の職種ですから。
で、この歯科助手さんが、この医院では初診の人の病状の聞き取りを引き受けてた訳です。状態を聞いてアンケートとか治療計画の基礎資料みたいなものを作る役目ですね。
で、僕もいろいろお話しをしたわけですが、そこで「いやー、歯医者は正直苦手でして」という話をしたんですよ。そしたら、その人、にっこり笑って、
「そうですねー。歯医者を好きな方ってほとんどいらっしゃいませんよねー。できるなら行きたくないって思ってらっしゃる方がほとんどですから。ですから、通うのは、これっきりにしませんか? 完治するまで通う。その後は一生虫歯とは関係ない生活をする。どうですか?」
と、おっしゃった。
どうもね。
この一言が、結局は、僕の通院を支えてくれたように、いまになって思うのですよ。
「歯医者に通うのはこれっきり。」
「これで最後」
「おさらば!」
いいじゃん!
それ、いいじゃん!
って思ったわけです。
もう、延々ね、あっちの歯医者に行っては途中でやめ、こっちの歯医者に行っては行かなくなって、というのを繰り返してましたからね。ずーーーーっと。
で、たぶん、二年に一度くらいはどうしようもなくなった時だけ歯医者に行ってたんですよねぇ。
でも、そういう悪循環から抜け出せるのだ! と言うことを、この時、大きな筋道として解説してもらった、という事が、かなり大きかったよなぁ、と、今になって思うのであります。
で、この「歯医者に通うのは、これっきり。」って話は、まさに「死ぬのは一度だけ」の話と同じだよなぁとつくづく思ったわけです。
怖がって逃げてるだけだと、恐怖は延々、解決されることなく着いてくるわけです。くっついてくる。ずっと。あー、いやいや、そんなの。
だから、やっぱり、ちゃんと覚悟しないとダメなんですよね。歯医者。痛いけど通う。怖いけど通う。そういう気持ちにならないとダメなわけです。
延々形のない恐怖におびえるより、具体的に「治療に痛み15分」を怖がる方が、はるかにマシだもの。そういう事なんですよね。
そこが、本当に、死ぬほど大事。
ちゃんと目の前の現実を見据えて、覚悟しないとダメってことです。
なんか今日はそういう事を思い出しつつ、感慨にふけっておったのであります。
治療が完結して、定期検診のみになってたんですが、先日の検診で、昔に治療したところが少し膿んでるのがわかり、即治療。4回ほど通わなければなりません。
しかし。
我ながら進歩したなぁと、今日、治療の帰りに思ってたわけです。
もうね、歯医者、大嫌いなわけですよ。
いまでも嫌いだし。
出来る限り行きたくない。
もう、嫌いで嫌いで、どうしようもない。
でも、嫌いだからこそ、実はキチンと歯医者に通い通す事が出来なくて、ずっと、延々、終わりなく、いろんな歯医者さんを渡り歩いたわけですよ。
だってそうですよね。とにかく痛みが出たとか、そういう自覚できる「不都合」が起きた時だけ歯医者に行って、で、痛まない他の虫歯の治療が終わっていないのに、痛みのある虫歯の治療さえ終わったら「もういいや」と思って通わなくなってたわけですから。
そりゃ、いつまでたっても、歯医者と縁の切れる事はないし、痛い時にしか行かないから、治療も大変の事になるし、よけいに歯医者が嫌いになるわけです。
結局ね、苦手なものを、イヤだイヤだと逃げ回っていると、いつまで経っても、延々追いかけられて、逃げられない。逆に他の人よりたくさん歯医者に通わなければいけなくなってるわけです。
まぁ、アホな話ですわねぇ。
でも、こういう事って多いんですよ。
逃げるから、逃れられないって事。
一番の問題に向き合っていないから、こういう事になるわけです。
一番大事な問題には、覚悟を決めて、キチンと向き合う事なんです。
それをしないといけない。
少年ジャンプのマンガか何かに書いてあったと思うけど、死ぬ覚悟で戦場に向かう人間は、一回死ぬだけなんです。死ぬ恐怖は一度だけ。
でも、死ぬ覚悟もなしに戦場に向かったら、死ぬ恐怖に延々と何百回もさらされる事になる。ひたすら。えんえん。際限なく。いつまでも。どこまでも。終わりなく。永遠に。繰り返し。解き放たれることなく。まさに無間地獄です。
そんなん嫌でしょ?
だから現実を直視しないといけないわけですよ。
キチンと現実を見れば、たとえば歯医者なら、怖くても完璧に治療できるまで通って、あとは定期検診というのがベストの選択だという事ははっきり見えてくるんです。そこにしか答えはありません。当たり前の話なんですが。
でも、「苦手」意識があると、まず、この現実認識ができないわけですね。逃げ腰だから現実が見えないわけです。
逃げてると、この事実が見えない。
なんで見えないかというと、見ないように見ないようにしてるからなんですね。
見ないようにしてたら、そら見えんわなぁ。
でも、人間ってそういうものなんですよね。
じゃ、どうしたらいいのか? って言うと、結局、「人の言う事は素直に聞く」って事に尽きるんでしょうねぇ。
自分の事って、自分じゃなかなか分らないんですよ。でも、他者から見れば丸わかりなわけです。だから、他者からの言葉は、できるだけ素直に聞く。そういう事ですね。
まぁ、「素直に聞く」っていうのが、一番難しい事なのかも知れないけど、でもやっぱりそうなんだよなぁ。
いま思い出してみると、その歯医者さんにどうしてキチンと通うようになったかというと、そこの歯医者さんには、歯科医の先生とは別に、大変よくできる歯科助手の人がいたんですね。
ご存じの方はご存じかもしれませんが、歯科助手というのは、実は資格は要りません。なので、医療行為には関われないんですが、その周辺に関することはできる。歯科衛生士さんとはまた別の職種ですから。
で、この歯科助手さんが、この医院では初診の人の病状の聞き取りを引き受けてた訳です。状態を聞いてアンケートとか治療計画の基礎資料みたいなものを作る役目ですね。
で、僕もいろいろお話しをしたわけですが、そこで「いやー、歯医者は正直苦手でして」という話をしたんですよ。そしたら、その人、にっこり笑って、
「そうですねー。歯医者を好きな方ってほとんどいらっしゃいませんよねー。できるなら行きたくないって思ってらっしゃる方がほとんどですから。ですから、通うのは、これっきりにしませんか? 完治するまで通う。その後は一生虫歯とは関係ない生活をする。どうですか?」
と、おっしゃった。
どうもね。
この一言が、結局は、僕の通院を支えてくれたように、いまになって思うのですよ。
「歯医者に通うのはこれっきり。」
「これで最後」
「おさらば!」
いいじゃん!
それ、いいじゃん!
って思ったわけです。
もう、延々ね、あっちの歯医者に行っては途中でやめ、こっちの歯医者に行っては行かなくなって、というのを繰り返してましたからね。ずーーーーっと。
で、たぶん、二年に一度くらいはどうしようもなくなった時だけ歯医者に行ってたんですよねぇ。
でも、そういう悪循環から抜け出せるのだ! と言うことを、この時、大きな筋道として解説してもらった、という事が、かなり大きかったよなぁ、と、今になって思うのであります。
で、この「歯医者に通うのは、これっきり。」って話は、まさに「死ぬのは一度だけ」の話と同じだよなぁとつくづく思ったわけです。
怖がって逃げてるだけだと、恐怖は延々、解決されることなく着いてくるわけです。くっついてくる。ずっと。あー、いやいや、そんなの。
だから、やっぱり、ちゃんと覚悟しないとダメなんですよね。歯医者。痛いけど通う。怖いけど通う。そういう気持ちにならないとダメなわけです。
延々形のない恐怖におびえるより、具体的に「治療に痛み15分」を怖がる方が、はるかにマシだもの。そういう事なんですよね。
そこが、本当に、死ぬほど大事。
ちゃんと目の前の現実を見据えて、覚悟しないとダメってことです。
なんか今日はそういう事を思い出しつつ、感慨にふけっておったのであります。
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