あー、ふと気付いたので書きたくなりました。
タモリの赤塚不二夫さんへの弔辞が、実に素敵で、「いいなぁ」と思ってたんですが、どうも、あれ、アドリブでしゃべった内容で、手に持っていた紙は白紙だったらしい。

●タモリの弔辞
youtube(弔辞:ノーカット版)
http://www.youtube.com/watch?gl=JP&hl=ja&v=EEbcF__-jSo
全文(日刊スポーツ)
http://www.nikkansports.com/entertainment/news/f-et-tp0-20080807-393012.html

確かに、こまかく言葉を見ていくと「ライブみたいなものをしていた時」とか、言葉の選び方に荒いところがあって紙の上で添削した硬さからは解き放たれてるな、とは感じてたのです。

ネットでは、あれもギャグの一つかなとか色々言われてたわけですが、今朝起きた時に、「あ、フリージャズか!」と気がついて、なんか、この事を書きたくなったのでした。

ジャズというのは、コード進行が決まってる範囲内でアドリブ演奏をしたりするわけですが、そのアドリブ部分だけがどんどん進化していってどんどん理論部分などの決めごとから離れていって「一切音楽理論に則らない」というところまで行ったのがフリージャズなんだそうで。

タモリは一時期、このフリージャズの大家である山下洋輔と共演したりもしてたし、そういう部分をこそ、赤塚不二夫も好んでいたというのがあるんだと思う。

だから、あれは単なる弔辞じゃなくて「はじめての弔辞」というアドリブ作品なんだよね、きっと。
で、さすがにいちおう様式には従っているわけさ。手に紙を持って。弔辞のスタイルは踏襲している。

で、その「はじめての弔辞」という作品を演奏しているタモリが、まさに赤塚不二夫というギャグ作家の作品であったのだ、というオチまでついている。
別にそんなオチは演る前には考えてなかったんでしょう。
あの「様式」に従ってフリー演奏をしたら、自然と口から出た言葉なんだろうねぇ。

これはもう、「タモリの『はじめての弔辞』って作品があってさぁ」と、語り継がれていく歴史みたいな事なんじゃないかなぁとすら思う。
ちゅうか、日本人なら、日本文化史として、そう記録しておく方が良いというような事なんでしょう、きっと。

人と人とのつながりが、「作品」として残っていく。二重三重におもしろくて、素敵で、ほんのちょっぴりだけ悲しい。よくできてるだけに。

昨日から北京オリンピックだったらしいけど、それより、この「はじめての弔辞」の方が、うんと世界新記録って感じがするなぁって思います。
(ということなので、youtubeも日刊スポーツの全文も削除せずにずっと残しておいて欲しいなぁと私は思うのでした。)

合掌。

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