落語を覚える。

2008年6月21日
前に少し書いたのですが、最近落語を覚えるのが面白いのです。

昨年12月13日の日記、「落語と英語」
http://diarynote.jp/d/12917/20071213.html

に書いたように、英語の音読練習とかしてるうちに、ネイティブな「関西弁」を、たーっぷりしゃべりたい、という欲求が出てきまして、それで落語に接近しているっていう側面が大きいんですね。

で、実際、桂米朝師匠のDVDとか買って、所作やら口調やら真似てみると、これが実に楽しい。
やっぱり日本人やなぁ、大阪人やなぁと自分でしみじみと感じるのですな。
英語のスキットと違って、水がしみこむようにスッと入る。そこが面白いわけです。

「〜やないかと思うのやが」とか、「〜とちがいまっせ」とか、関西弁独特のイントネーション、リズムを真似てると、死んだじいさんのしゃべり口調を思い出したりして、懐かしみもあるわけです。

かと思うと、すでに死語になってる言葉や、いまの時代とは違う言葉の使い方とかも、けっこうたくさんあって、これがまた面白い。

たとえば、「願うて(ねごうて)出る」という言い方。これはお上に直訴するというような意味なんですね。「はてなの茶碗」で油屋が茶店のオヤジに言う言葉ですが、「へぇ〜、そういう言い方するのか」と感心する。

そういうような、独特の言い回しがまた面白い。

後、上方落語を真似していると、地名が出てきたりするのが、現在の位置関係などと照らし合わせて聞いていると、これまた面白いわけで。
上方版「饅頭怖い」には、「南農人町、御祓い筋をちょっと入ったところ」なんて地名が入ってます。「本町のまがり」なんてのもある。

この「まがり」なんて言うのは、大阪城のお堀の角部分がカギ状に曲がっていた事を指すんだそうです。いまの谷町のあたりにお堀の角が来てたんだなぁとか分って実に面白い。
いまちょうど、自転車で事務所に通っているのですが、この「饅頭怖い」に出てくるあたりをちょうど走ってるわけで、「なるほど、このあたりかぁ」とか思いながら走ったりするのも味わい深かったりします。

「饅頭怖い」と聞くと、関東の人は、人をだまして饅頭をタダ食いする悪賢い人間の、落とし話としてしかイメージをお持ちではないと思うのです。
実際、その通りなのですが、上方落語版では、これにたーーーーっぷりと尾ひれがついてまして、圧縮された切れの良い米朝師匠の口演をもってしても40分を超える大作なのであります。

いちおう、この「饅頭怖い」を、ほぼ全部、頭から最後まで覚えてしまったのですが、つたない僕がしゃべると、思いだし思いだし、「えー」とムダなしゃべりが入るので、どうしたって1時間近くかかってしまうのですね。まぁ、すごい長い話です。

ヒマな若者同士が集まって、好きなもの嫌いなものの話をする。最初のうちは、いろいろな馬鹿話がいくつか入ってるんですが、そのうち一人が「ワシの嫌いなのは狐や」と言って、ここからキツネの話がえんえん続く。
これがまぁ、なかなかに面白い話なわけですが、これが一段落すると、「やかましなぁ、何をさわいどるんや」と、近所の年寄りが顔を出す。

ここからが「身投げ」の話になります。
で、ここからは、ほぼ「怪談」なんですね。
これが実はかなり怖い。
江戸落語では、ここの部分だけ独立させて、ちゃんとした怪談として演じられるそうですが、上方では、この怪談も「饅頭怖い」の一部でしかないのであります。
まぁお買い得感バリバリの演出であります。

なんか、大阪の昔の演芸場では、「饅頭怖い」は、夏場の出し物だったそうですね。怪談話が入ってて、けっこう怖いから、ということのようです。

で、この2つのお話しがあった後に、みなさんご存じの「饅頭」の話が来るわけなんですが、前の2つがあるからこそ面白い、という部分がけっこうあって、長い割に良くできたお話しだなぁと感心してしまいます。

上方と江戸では「親子酒」もタイトルは同じでオチも一緒なんだけど、主人公が違うというおもしろいバリエーションもあります。
上方版は親子の「子」が主人公ですね。
江戸版は「親」が主人公。
どっちも面白いですが、僕はやっぱり上方版が好きです。

基本的にどんな落語も米朝さんのスタンダードなのが好きなのですが、「親子酒」に関しては枝雀さんの演じた酔っぱらいが絶品。その完成度の高さには脱帽してしまいます。
まぁ、まだ「親子酒」は覚えてませんけども。
でも親子酒も覚えたいなぁ。

いちおう覚えてるのは
●青菜
●饅頭怖い
●はてなの茶碗
のみっつですけど、まぁ覚えてると言っても毎日練習してるわけではないので、日々どんどん忘れていってます。

それでも、風呂の中とか、歩きながらとか、鼻歌を歌う代わりに覚えた落語の途中の一節をしゃべってみるというのが、かなり楽しいのであります。
セリフの細かいニュアンスなど思い出しながらしゃべっていると、落語特有の「面白い事が起こるぞ」というわくわくした感覚まで、蘇ってくるので、そこがまた楽しいわけです。

実際、覚えようと思って覚えたというよりかは、面白くて面白くて、それを思いだそうとして、セリフが口から再生されてしまうという感覚の方が近いよなぁって思います。

たとえば「住吉駕籠」というネタがあって、これはまだ覚えてはいませんが、「高下駄はいて、手にちりとり持ってんねやで、誰がゴミ捨てに行った帰りに駕籠に乗るかいな」とか「朝、目ぇさますと天気がええ。これは住吉っさんにお参りにでもいこ」とか「海老の鬼ガラ焼きに、卵の巻焼き、イカの鹿の子焼き、やき、やき、やき、ちゅうやっちゃ。」とか、面白いセリフが部分的には頭に入ってしまってるわけで、そこを起点に記憶をつないでいくという感じなんですね。

別に覚えてるのではなくて、その「おもろいよなぁ」という部分に到達するように、適当にしゃべってつないでいく感じ。
まぁ言わば「あらすじ」にしかなってなかったりするんですが、いろいろテキストを見たりして、ちょっとずつ細部まで正確にしていく中で、まるまる一本のお話しになる感じなんですね。
なのでまぁ、あまり正確でもないし、自分ではしょったり、改変したりしてる部分もあったりするんですけど、それもまた面白いわけです。

ああ、でもまた次は住吉駕籠あたりは覚えたいなぁ。

なかなか面白いですよ。
落語を覚えるのって。

はい。

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