ずっと「本を読む話」ばっかりしてますが、ちょっと原点に立ち戻って、僕が何故、こうもしつこく「本を読む」ことにこだわっているのか、というところを話してみましょう。

それはやはり、学習する必要性をしみじみと感じているからなのですね。

この「学習する必要性」というのは、「留学したいから英語を勉強する!」みたいな目的志向の「勉強」ではないんです。そういうことではなくて、もっと幅広く、「いろんな出来事に関して、少しずつでいいから知識を増やしておきたい。」というようなゆるやかなものなんですね。

こういう緩やかさこそが、自分の人生を救うよなぁ、という実感があるから、「本を読め」なんですよ。

僕の心の中で、いちばん大きな実例の話をすると、亡くなった自分の父のギャンブル依存症への対応なんかが、まさにそれです。

僕の父はギャンブル依存症だったので、とうとう最後には持ち家を抵当に借金してまでバクチを続けてしまった人なんですね。でも、そういう事になってる事は隠されてたので、僕はずっと持ち家があると思ってたんです。

その事実が、ある日突然わかったので、僕はものすごいパニックになってしまったわけです。
もう、本当にどうして良いかわからなくなってしまった。

持ち家があることを前提に人生イメージを作ってたんで、それが崩れて、まず自分の人生設計が暗礁に乗り上げたような気持ちになってしまったし、父親のギャンブル依存症がそこまでひどいというのをはっきり知って、でも、全然治る見込みもなくて、どう対処すればいいのかがわからなくなったわけです。

その時の僕は「こういう時はどうすればいいのだ?どこか公的機関で相談できるところはないのか?」とか、ものすごくいろいろ考えて悩んでいたわけです。精神的に、ものすごいストレスでした。

でも、しかし、ここで問題なのは何か? というと、決して、うちの父親のギャンブル依存症が問題なのではないんですよね。

実は、問題なのは、「自分のパニック」の方なんですよ。

●自分がパニックになってあわてふためいている。

という事が一番の問題なんです。

で、じゃあ、ここでなんであわてふためいて、パニックになっているのか? というと、単純に知識があまりに少なかったからなんです。

当時は全然そんな事は思いませんでしたが、いまの時点からふり返ると、もう本当に、その時点の自分に「あわてるな、あわてるな。方法はいろいろあるから。落ち着いて。」と言ってやりたい。

たとえば、持ち家がなくなる! と思ってパニックになってたわけですが、古い家一件分の借金なんて、たかが知れてるわけですよ。自分でマンションを買ったローンとかから考えればどうってことではない。だから、自分の生家をなくしたくないのなら、父親の借金を肩代りすれば良かっただけの話なんですね。

でも、当時はマンションを買うとか、そういう経験をしてなかったから、そういう発想に全然たどり着かなかったわけです。

で、なんでたどりつかなかったか、というもうひとつの大きな理由として、「まず父親のギャンブル依存症をなんとかせねば」というところで思考が堂々めぐりをしてたからなんですね。

依存症ってのは、かなりやっかいです。そう簡単には治りません。でも、当時の僕は父親が「依存症である」という客観的な現実認識自体が出来てなかったわけです。親子の人間関係の問題としてしか、考えられなかった。「うちの父親は依存症なのだ」というモノの見方自体ができてなかった。そら、パニックになりますわなぁ。

でも、実際には、ここまで行ったら明確な依存症ですから、「依存症を治療するための対処」を考えるべきだったんですね。でも「父は依存症である」という認識ができなかったから、正確な情報収集作業もできなかった、というわけです。

いまなら、すでにアラノンとかの依存症を回復させるための自助グループがあるという事とか、アルコール中毒とギャンブル依存症とが兄弟関係で、自助グループ同士のつながりがあるとか、家族全体がそういう知識を持って依存症者を正しく説得して回復できるようにカウンセリングを受けた方がより良いのだ、とかの知識がありますから、そっちの選択肢もキチンと考えられると思うのです。

これらはね、全部「前提となる知識の不足」から起こってるんですよ。知識不足だからパニックになるんですね。

だいたいアラノンなんかの自助グループの存在自体を僕は知りませんでしたから。いや、だいたい、父親を「かなり強度の依存症者である」という認識自体をもってませんでしたからね。「やっかいな嗜癖を持った父」くらいにしか認識してなかったわけです。

社会生活に影響を及ぼすくらいになっていたら、それは嗜癖とか言ってられなくて、明確に病気なわけです。だから、その時の僕を、別の見方をすれば、「家族がインフルエンザで寝込んでいるのに、疲労で休息を取っているだけと勘違いして、ほったらかしにしている人間」というのと同レベルだった、とも言えるわけです。

だから、本来は、そういう知識を持った専門家に相談するのが正しかったんですね。問題というものは、すでに誰かが体験していて、それなりの解決策を見いだしてるものなんです。だから、まず専門家に頼ることを考えなければいけない。

ところが、あまりに知識がなかったものだから、誰に頼ればいいのか? というところが全然見えてなかったわけです。しかも、当時の僕は父親の依存症の問題と自宅が抵当に入ってしまっている問題を切り分けて考えないといけないという発想自体がなかった。全部父親の「やっかいな嗜癖が問題」というところだけで考えてたから、状況が悪くなるのを指をくわえて見てるしかなかったわけです。

結局、こういう問題の切り分けとか、「どこに相談すべきかを考える」とかは、少なくとも基礎的な知識がある程度ないと、思いつくことすらできないわけです。「父親のやっかいな嗜癖をなんとかしなければ」だけで堂々巡りをしてしまうのは、「多様な知識」「別の角度からの問題の検討」がなかったからなんですね。

最低限の幅広い知識を備えていれば、こういう時にパニックにはならないで済むわけです。

で、この幅広い知識、というのを得るためには、やはり普段から本を読むのが最良の方法なわけですよ。

実際、ここで「依存症を回復させるためにはアラノンなどの自助グループに…」とさらっと書いてますけど、この知識にいたるまでに、どれだけの時間と読んだ本の冊数がかかっていたのか? って事です。

当時はアダルトチルドレンの知識なんか全然なかったしねぇ。

「アラノンなどの自助グループに…」とさらっと言えるようになるまでの経過を書いていくと、本との出会い、導きがいかに大事だったかがわかるんです。

自宅抵当がわかったのが、平成2年(1990年)くらいの事なのですが、その後、家は抵当にとられてなくなり、父が亡くなった後、自分でマンション買って、母親と一緒に暮らし出したんですが、そういう状態になって、やっと落ち着いてきた、父親の借金が発覚してから、10年以上もすぎた2003年になってはじめて、東ちづるの、

「<私>はなぜカウンセリングをうけたのか」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4838712855/glfclb-22/ref=nosim

を読んでるんですね。ここの日記でブックレビューを書いてるのでわかりますが。
http://diarynote.jp/d/12917/20031025html

持ち家の問題をマンション購入によって、多少は克服した後だったので、やっとこの時点で、自分の内面を見る余裕が出てきたって事でしょう。
ここではじめて、アダルトチルドレンという言葉や概念を知ります。
この段階で13年かかってるんですけどね。ああ、なんというムダだろうか。

で、この時に、自分の内側に、たとえば恋愛であるとか、親しい人との関係性であるとか、そういうところに、欠損があるんだなというのを少し実感しはじめたわけです。

で、たぶん、その次の年に、あのウォイティツの「なぜいつも、あなたの恋愛はうまくいかないのか」を読んだんです。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4313860053/glfclb-22/ref=nosim

これがかなりの衝撃でした。

で、ここのブログでこの本を紹介したのが、一年後くらいなんだと思います。
http://diarynote.jp/d/12917/20051224.html

この二冊で、かなり自分の問題に切り込むことができたんですよね。
で、ここには男女間の一般的な考え方の違いというような個別の問題に関する知識というのも必要だったわけで、そのあたりは多分2001年くらいの段階で、かの有名な、

「話を聞かない男、地図が読めない女」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4072352179/glfclb-22/ref=nosim

を読んでいたので、別問題として切り分けが出来てたって事なんですね。だから

「<私>はなぜカウンセリングをうけたのか」
「なぜいつも、あなたの恋愛はうまくいかないのか」

にたどり着く前には、どうしても、

「話を聞かない男、地図が読めない女」

が必要だった、という事があるんです。

あ、そうそう、嗜癖からの回復、と言う意味では、こういう事の前に2000年か、2001年かに

「禁煙セラピー」
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4845405059/glfclb-22/ref=nosim

を読んでタバコをやめた、という自分の体験も大きかったんですね。本を読むことで、嗜癖からの回復できる! という実にポジティブな体験をしたって事ですね。嗜癖は結局意識の問題なので、正確な知識を得ることで、かなり大きな効果があるんだと身を持って体験していたというのは、やはり大きかったでしょう。

で、ここまでたどりついてやっと、

●自分の問題と父親の問題を別問題として切り分ける

準備ができたんだと思います。
それで、ウォイティツの

アダルト・チルドレン―アルコール問題家族で育った子供たち
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4772405615/glfclb-22/ref=nosim

にたどりついたわけです。
自分の問題を客観視できるようになって、やっと父親を含めた依存症全体をキチンと見渡す余裕ができたんでしょう。

この本を読んだのが、2006年で2年前ですね。
http://diarynote.jp/d/12917/20060221.html

で、この時にはじめて、自助グループの存在を知ったわけですよ。で、「ああ、あの時父親を上手に説得して、そういうところに参加させておけば、オヤジももう少しは長生きできたかもなぁ」とか思うに至ったわけです。

依存症になってる人間って、自分が依存症である、と言う認識自体がなかなかできませんからね。自分と同じような問題を抱えてる人が、依存症からなんとか回復しようとしている姿を見てはじめて、「私は回復しようとすら考えていなかったのだ!」と気付くってものですし。だから父がまだ依存症だという自覚がなかった時に、こういうグループに上手に参加させてやりたかったなぁ、という気持ちは、いまになって出てきてますねぇ。いやもう、全然手遅れなんだけど。(笑)

だから、「父をアラノンなどの自助グループに…」とさらっと言えるようになるまでには、これだけの冊数の本が必要だったって事な訳です。
で、これはアダルトチルドレン関連の書籍だけに絞ってますけど、実際にはここに至る前にマンションを買ったので、その関連でマンションの資産価値関連の書籍であるとか、投資に関する基本的な知識とか、なんだかんだかなり読んでいて、それを済ませていなければ、この「自分の内面の問題と向き合う」というところに至れなかったわけですし、その「自分の問題と向き合う」があってはじめて、父親の問題を切り分けて別個問題として客体視もできるようになって、やっと「父をアラノンなどの自助グループに…」にたどりついたって事ですわね。

だから、本は冊数を読まねばいかんし、そうするしか他に手はないわけですわ。

仮にここまでの冊数を読んでいなかったとしても、問題にたどりつく手前の知識を得ていれば、問題にぶちあたった時に、後の「深めていく読書」は速いわけです。
ちゅうか、父親の問題にぶち当たった時も、パニックで意味なく悩んでるヒマがあったら、書店にでかけて、必死になってギャンブル中毒に関する書籍を手当たり次第に読みまくったら良かったはずなんですよねぇ。なんでそうしなかったんだろう? と、いまになって悔やみます。ほんとに。

ともあれ、学習の必要性、っていうのは、こういうような自分との関わりとの複雑なからみあいとかもあるわけで、ゆっくりと必然性が湧くという事もありますから、とにかくヒマを見つけては、どんどん読んでおくと言うことをしないとしょうがないんじゃないかなぁって思います。

そうしないと多分、僕だとて、ずっと「うちの父親はやっかいな嗜癖を抱えてましたから、大変でしたわ、わはははは」だけで終わってたと思うんですね。

いやまぁ、それだけで僕の内面が大変安定してるんなら、それでも別にかまわないんですけど、そうじゃなかったもんね。パニックになったわけだから。

なので、そういうパニックを防ぐためにも、幅広い知識を、日々少しずつため込んでおくのが良いって事です。いろんな事に「落ち着いて」対応できる可能性がグンと高まるわけですから。

とくに、依存症のような問題は、小さなところからはじまって、だんだんと大きくなってしまって、大きくなってから解きほぐすのがすごくやっかいな問題なので、早めに対処しておくのが一番なんですよね。

で、その早めの対処には、まず「知識」から入る、というのが効率的だと思います。

だから、自分が気になっているテーマの本を、とにかく早めにサッサと読んでいって、概略だけでもいいから、課題のアウトラインを大づかみにしておくと言うことが、自分をパニックから救って、より深く、適切な問題解決に導く、よい「手がかり」になるという事です。

「自助グループ」にたどりつく前に「禁煙セラピー」を読んでるとか「話を聞かない男、地図の読めない女」を読んでるとかが大事だったわけですから、やっぱり内容はなんでもいい、なんでもいいから数を読めってことになりますわね。

で、読む冊数を増やせば、ここに書いた自分の課題を深めていった過程も、もっと早くなるって事です。
そういう事が、たぶんとても重要で、だから「本をどんどん読みましょう」「学習しましょう」って言いたいんですね。

ま、そういう事であります。

コメント

kaichu
kaichu
2008年5月13日23:12

ウォイティツの「なぜいつも、あなたの恋愛はうまくいかないのか」は私も読みました。日本にいたなあの時・・2003年から2004年のあいだですかね。だた、お父さんのことがあった90年初頭というのは日本ではあまり依存症とか自助グループとかが知られてなかったんではないかと思います。まあアラノンとAAは80年代半ばに日本に紹介されていたようですが、アラノンは依存症として病院に入院した家族に薦めるといった形で浸透していったようですし、まだ一般的ではなかったようです。

それに家族が勧めても本人にやる気がなかったら意味ないんですね。アラノンの知人で息子さんが薬物の依存症でなくした方がいますけど、彼女自身はアラノンやNALANONに出かけて一生懸命回復を歩んできていますけど、当事者の方は時々は自助グループやリハブに行ったけど、結局オーバードーズでなくなったそうです。まわりがどんなに回復を願っても、本人に意志がない限り、悲劇は避けられないのです。それが現実なので、自分に情報がなかったと自分を責めるのはACの病気の症状であって、回復の行為からは離れてしまうような気がします。

シゲ
シゲ
2008年5月14日14:28

>kaichuさん
書込みありがとさんです。

うん、確かに90年初頭には、アラノンみたいなアメリカから直輸入の名乗らないグループ療法みたいなのは少なかっただろうとは思うんですが、日本には昔から「断酒会」ってのがありましたからね。
全日本断酒連盟とかだと1958年から活動してるわけです。
だから、こういうところに相談に行けば、ギャンブル依存症に関するそれなりの対処の仕方も、いろいろ教えてもらえたはずなんですよね。断酒会にギャンブル依存症の人間が一緒にいてても別にかまわなかったかもしれないし。細かいところはよく知りませんけど。それこそできたばかりのアラノンを紹介されたかもしれないわけですよ。

で、ここで大事なのは、依存症が「病気なのだ」と認識しない限り、こういう対処はできないってことです。
これを病気と思わずに、「性格の一部」とみなすから、「ギャンブルはやめろと言ってるのに、なぜ言う事を聞いてくれないのか」と、ものすごく悩む事になるわけです。

でも、これが明確に病気だと解っていれば、悩まないですから。だから知識が重要だってことですね。依存症という病気だと解れば、医者なり、こういうグループなりを探すし、探せば、アラノンはなくても断酒会とかは見つけられた、という事です。

なので、「自分に情報がなかった」と責めているんじゃなくて、情報があると実に安心である、ということです。自分にパニックが起こらないって事ね。ここが大事。
あんまりパニックを起こしたくないよなぁ、気楽に楽しく生きて行きたいよなぁって事です。
だから、多少のヒマがあったら、どんどん知識を入れておきたいってことね。

あんまりムダに悩んでもしょうがないしなぁってことです。
kaichuさんが言うとおり、当人に回復の意志がないとどうしようもないしね、結局は。
それはそのとおり。しょうがねぇなぁってだけで。

でも、そのしょうがない事で、こっちが悩んだり、人生を無駄づかいしたりするのはもったいないですしね。パニックを起こさずに緩やかに生きていきたい。そう思うのでありますよ。
まぁそういうことなので、別に自分を責めてるんじゃなくて、ゆるーく生きていくのに知識が役立つってことです。

でもまぁ、気づかってくれて、ありがとね。うれしいです。

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