ちょっと最近本を読むことに関する話が多かったのですが、読み慣れてない人に「読め」と言っても辛いだけなのかもなぁ、という気がしましたので、それ以前の「自分に優しくする方法」について、ちょっと書いてみたいと思います。

これは誰にでも有用な話だと思うんですよ。いろんな本に書いてあったことをちょっとまとめた感じです。

まず、いったい「辛さ」とか「徒労感」とか「無気力感」というのが、どうして起こるのか? というと、それは、

●自分に失望してるから

なんですね。ようするに「何をやってもうまくいかない」と感じてしまう。
この失望感を持ってしまったら人生が灰色になるだけなんですね。

で、この「自分に失望する」と言うことがどうして起こるかというと、実は「自分に期待しすぎているから」なんです。

自分に期待するのは悪くないんですけど、「期待しすぎる」のはよくないんですよ。

たとえば、高い理想を持つこと自体はとても良いことなのだけども、その高い理想的自己と、ありのままの自己を比べてしまってはいけないんですね。そこでの比較をすると当然「いまの自分はできてない」って話になるから。

これは場所の移動を考えて、そのアナロジーで考えると、そのおかしさがわかる。大阪にいて東京に行こうとしたときに、「ここは東京と違う。駄目だ。」とか言うのはおかしいわけです。
いくら目的地が東京でも、現在地は大阪ですから、その比較をしてはいけない。でしょ?

でも人間はどうしてもこれをやってしまうんですね。

たとえばダイエットでもそうです。10kgやせた理想の姿を想像して、その姿と自分を比較して「だめだなぁ」とか思ってたりする。これはまずい。自分を責めてはいけないんです。

でも、この「自分を責める」ということをベースに行動を起こすことが人間はとても多いんですね。

この「自分を責める」をベースに行動するとどうなるかというと、中間目標の設定にムリがきます。

大阪から東京へ行くのに、すごく急ぐから、「京都は飛ばして、まず名古屋まで行こう!」とか思ってしまう。

で、これをやるとどうなるか?

実は、人によっては、すごいスピードで東京までたどりついたりしてしまうんですよ。

「ならいいじゃん!」と思いました?

普通そう思いますよね。

でも、あんまり良くないんです。実は旅の途中が楽しくないんです。しかも、楽しくなかったのに、目標は達成してるから、成功体験になって、次の課題をクリアするのにも「自分を責める」というやり方を使ってしまうし、困った事に、これを他人にも強要してしまうんですね。

そうなると、回りが能力のない人間ばかりに見えてしまうわけです。かなり辛い状態になってしまう。

僕自身、この傾向が強いので、反省しないといけないのですが、これとはまったく逆のやり方も世の中にはあるわけです。

それは、自分に優しくする方法で、これはステップをもっともっと小さくするって事です。
「一気に名古屋とか大変やんか」と、まず大変さをちゃんと自覚する。
「まず大阪市内から外に出よう」と小さな小さな目標を設定するんですね。
で、とりあえず自転車でいいから市内を出る。

で、出た時に「やったー!できたやん俺!」ってほめるんです。
で、ここからが大事なんですけど、ここで、二回三回と繰り返して、この成功体験を積む事と、ほんの少しだけ課題を難しくするということを忘れないようにするんです。

一度うまく行ってるんだから2度目もうまく行くと人間は考えますから、気が楽で、「前よりちょっとだけ長い距離を、今度はバスで移動しよう」と言う具合にステップアップします。

するとどうなるかというと、京都にたどり着く前に、伊丹空港にたどりついたりするわけです。

「今度はバスではなくて飛行機使ってみようか?」となって、実はこっちの方が早く東京についたりする。
しかも楽しみながらやっていて、楽しい。
そういう事が、けっこう、かなり重要なんですね。

大きな流れはこういう事なんですが、ただ、この「自分に優しくする方法」であれ、「自分に厳しくする方法」であれ、どっちにしても東京にはたどりつくんですよ。

でも、唯一、絶対に東京にたどりつかない方法がありまして、実は意外と、それをわかっていない人が多いのかな? とも思うんです。

それはまさに「サル」の話になってしまうんですが、「自分の居場所をわかってない人」なんですね。

この人だけは東京に永遠にたどりつけないわけです。

自分が大阪にいてると分っていれば、そこから東京に行く方法はいろいろあります。

しかし自分がどこにいてるのかがわからなければ、何をどうすればいいのかすらわからないようになってしまうんですね。

具体的に言うなら「サル」です。「サル」は自分が本も読まないサルであるという事を自覚することができてないんですね。だから読めないんです。

で、サルは基礎知識も仕入れていないのに、知識人と同等のつもりで偉そうな事を言ったりします。まさに大阪にいてるのに東京にいてるかのような事を言ったりするわけです。

ネットでも時折そういう人を見かけますよね。それはやっぱりみっともないです。

ダイエットなんかでも同じですね。大事なのは、まず自分がどれだけたくさん食べているのか? という現状把握をしないといけません。それをせずに、ただ量を減らしただけでは、ほとんど意味がない。

一日の摂取カロリーが2500kcalにもなってる人が、いくら100kcalや200kcal減らしても、まぁ痩せません。何もしないよりマシですけど。
まず、40才くらいなら、一日の必要カロリーが1500kcal〜1700kcalくらいで、自分は1000kcalもオーバーしているのだ、という自分の居場所と目的地を明確にした「全体地図」を見ないと移動できるはずがないんですね。

例の「いつまでもデブと思うなよ」は、だからレコーディングダイエットという事で「毎日食べたものをメモせよ」というところからはじめてる。

まず自分が一日にどのくらい食べているのかを「食事をガマンせずに」(←ここが大事! 死ぬほど大事! これこそが自分の居てる場所、大阪を知ることなんです。)メモして、その事実を知る、という事なんですね。

本を読む事に関しては、読まない人は「サル」なので、まず自分がサルである、という事を自覚するところからはじめないとしょうがないわけです。

実はこれ、「無知の知」という、ソクラテスの言葉そのものなわけです。
「あなたは自分が無知であることを知らない。だが私は自分が無知であることを知っている。だから少なくとも私は、あなたより賢い」
ということですね。

本を読む人は、必ずこれを自覚しています。
つまり実は、いちばん最初に「俺はサルだ」と自覚した人だけがキチンと本を読む力を身につけられるんです。

「お前はサルだ」と言われて腹を立てて本も読まない人は、永遠にサルのままです。
「お前はサルだ」と言われて「そうだよなぁ、その通りだよなぁ。」と思える人だけが、ちゃんと役立つ知恵を得られるんですね。

こんなことは本を読む人間には自明の理。大阪から東京に行くには、まず自分が大阪にいてる、という事を知らねばならない。そういう事です。

でも、まず、この最初の一歩がわかってない人がけっこういてるので、ここはあえて書きました。

で、この「自分はサルだ」という自覚があった後に「自分に優しくする」が来るのがいいんです。
本当に「俺はサルだ」という深い自覚があってはじめて、いきなり名古屋を中間目標にせずに大阪市外を目標にできるんですね。

でもやっぱり自分はサルだと自覚するのは辛いので、ついつい人間は自分を人間だと思いたくて名古屋を目的地に設定して、楽しい旅ができなくなってしまうんです。

だから、こういう事を含めて、成毛眞さんの言う「サル」という言い方は非常に正しいんですね。
本当に正しいし、大事な事なんです。

でもなぁ、サルと言われて怒るような人には、このあたりの大事さはわからんよなぁ。

自分がサルで無知でどうしようもない、という事を客観的に自覚できれば、目標もそんなに高く設定しないし、目標を低くすれば、自分を責めることもなくなってとても良いのですよ。

適切な目標設定というのは、本当に大事で、これは「ムリせずラクラク実行できる設定」にしないといけないんですね。目標が低いと達成がラクで、すごく楽しい。ここがすごく大切で、そのラクさ加減は、「いかに自分がサルであるか」を自覚している度合いに比例します。

このあたり当たり前の事だと思ってたのですが、どうもそうではないんですねぇ。

先の読書習慣を身につける、という話でも、齋藤孝さんが言う、「4年で100冊程度」というのは、たぶん一番低い目標設定だろうと思います。2週間に一度は本を読むくらいの頻度でないと「読書習慣が身に付いている」とは言えないと思うんですよね。これより少ないと月に一冊ですから、これはもう読書習慣が身に付いてるとは言い難い。

なので、4年で100冊程度、というのは最低限の単位として適切だろうと思います。
で、その内容も、何を読んでも良い、というくらいに低くしておくのがどうも正解のようですね。
ある程度いろいろ良い書籍と出会ってる人間は、どうしても「これが良かった!」と自分の趣味を押しつけてしまいがちなんですが、それは実は自分が134冊目に読んだから感動した本、なのかもしれないわけです。
それを、まだ24冊しか読んでない人に言っても効果がないって事はあるわけですからねぇ。

本当に無知の知のある人なら、それこそ歴史の勉強をするのに、横山光輝の漫画あたりからはじめるわけですよ。ラクやもん。そのほうが。
「俺、根が続かんし、歴史苦手やさかい、漫画で読も。」とか素直に思える。
それは自分がサルである、と自覚してるからです。

(ちなみに私、三国志、史記、徳川家康などなど、かなりの歴史読み物は、横山光輝でしか読んでないです。とほほほ。でも、あれは役立ちますからね。読んで損はないです。漫画喫茶を使い倒したって感じ。)

つまりは、

●俺ってサルよなぁ。

と自覚することと、

●サルでもできる○○する方法。

を編み出す事が、
「自分に優しくする方法」の真髄だってことなんですね。

ここらあたりがわかってないと、人間は永遠に理想の自己に負ける、失敗者となって生きるという事になってしまいます。
理想の自己と自分を比較して「駄目だなぁ」と自己嫌悪するだけ。で、何も達成できないか、達成できても「自分を責める」方法でしかやれなくて、ノウハウを他者に手渡せない人になるか、です。

それよりも「俺ってサルよね。」と自覚して、自分に優しくする方が、数千倍意味が大きいのです。

ま、てなことで。

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