ゲームをするな。本を読め。
2008年2月14日 読書
ISBN:4004308011 新書 斎藤 孝 岩波書店 2002/09 ¥735
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4004308011/249-9767057-8485143
このところずっと読書に力を入れてるのですが、そういう僕にとって「おおお、これは素晴らしい!」と感心した書籍を見つけました。
それがこの齋藤孝さんの「読書力」です。
齋藤孝さんは明治大学文学部の教授ですが、「本を読む読まないは自由なのだから、強制しないで欲しい」という学生が出てきたりしている現状を憂い、「読まないのは自由」という考え方に対する反論として書かれたものだそうです。
●本は読んでも読まなくても良いというものではない。読まなければいけないものだ。
と言い切っていて、ここが実に清々しい。
僕も前々から「本は読まなければいけないものだ」という意識があったのですが、世間の「読まないのは自由」みたいな風潮があって、断言まではしてなかったんです。
でも、斎藤さんは違う。はっきりと断言している。そこが素晴らしいのですよ。えらい!感動してしまう。
日本の大学は受験が厳しく入学してからはたいして勉強してない学生が多いようですが、欧米の大学はまったく違うそうです。キックアウト式と言って、勉強しないと卒業できない仕組みなのだそうです。(このあたりの日本と欧米の大学の違いについては、別に斎藤さんは何も言ってませんよ。これはあくまで僕の聞きかじりです。)
それもそう簡単な授業ではなく、本を3冊〜4冊指定されて、それを一週間くらいで読んで、まとめ、自分の意見をレポートにせよ、というものが多いのだそうです。で、その書かれたレポートの内容について基礎的な情報をキチンと把握した上で意見を述べているか、独自の視点があるかどうかを問われる。まさに論文を書く練習そのものですね。欧米の大学はみなそういう仕組みになっているそうです。
ですから、日本の大学生は圧倒的に勉強不足です。そういう状況なのですから、大人になってから誰かがまともに勉強しないと、この国は回っていかないんですね。現実問題として。だから本はどんどん読まなければなりません。
その当たり前の事を真正面から正しく指摘してくれてるのが、この本です。
しかし、「さすがは齋藤孝だなぁ」と感心するのは、その「読書力」というものを、客観的に判定できる基準を明確に提示しているところです。
読書せよ、と言ったところで何をどのくらい読めばいいのか? というのが問題になるわけで、それを斎藤さんは、
●文庫100冊
●新書50冊
と数字で定義してるんです。「何を読んでも良いが、とにかく、これだけの冊数はこなせ。」ということなんですね。
これだけこなせば、読む行為そのものに慣れてくる。そこが大切だと斎藤さんはおっしゃる。けだし名言!であります。まさに「読むことに慣れる」事こそが読書力そのものだと思うのですよ。
よく「速読」が話題になりますが、そういうテクニックを身につけるのも悪くないけれども、その前にテレビやゲームをする時間を削って本をまずは読むようにすればいいのです。まずは、とにかく本を読む習慣を身につける。そっちが先です。
まぁ、文庫100冊、新書50冊も読めば、いやでも習慣は身に付きます。週に一冊読めば、一年で50冊ですから、150冊なら3年です。そう無理な数字ではないでしょう。月に2冊くらいにして6年で力をつけてもいいし、週2冊にして1年半でこなしてもいい。このくらいの範囲なら、速読のテクニックを身につけてなくても充分可能です。(斎藤さんは文庫100冊を4年というのを有効期限として設定されてます。)
しかも、斎藤さんが素晴らしいのは、その「一冊を読んだ」という基準も、わかりやすく明確な言葉にしている点です。
その基準というのは、
●要約ができれば読んだことにしてもいい。
というものです。つまり斜め読みでも良いという事なんですね。
これ、なんでもないことのように見えて、超重要な事でもあります。上記で書いた欧米のキックアウト式の大学の授業でも、実は課題図書を精読したりはしないのですね。特に欧米の書籍や論文というのは、まず結論が書いてあって、その後に、その詳述があるという構成に、必ずなっているので、各章の最初の数ブロックずつ読んでいけば、著者の言いたい事だけはわかるという仕組みになってるんです。(その意味で、実は欧米式の速読術と、日本の速読術では意味がまったく異なるのですが。)
で、斎藤さんは、ようは「要約ができれば読んだことにしてもいい」と規範をゆるめてくれているのです。
ただ、これ、実は規範を緩めているようでいて、実はより本質的な読書力を必要とされる基準でもあるんですね。
斎藤さんは、この本では指摘してませんが、例の大ヒット作である「三色ボールペン情報活用術」で、読書力がない人間は、その書籍が何を言おうとしているのかを正しく読み取ることができていない。だから、内容を正しく読み取るのもひとつの技術として必要だ、という話を書いているからです。読書力がないからこそ、「読み取り方は自由だろ」という論点のすり替えに入り込んでしまうし、より広い視野を持つ「正しく読む」ができなくなるんですね。
(このあたりの話は、この日記でも、前に書きました。
http://diarynote.jp/d/12917/20051221.html)
三色ボールペン読書法というのは、この「自分の思いこみで書籍を自分勝手に解釈する」というのを防ぐ、良い方法なのです。本を読んでいて、
a)まぁ大事----------------青
b)とても大事--------------赤
c)個人的に面白いと思った--緑
という色分けで本に書き込みをしなさいと教えてくれているのであります。
ほんとにね、読書力のない人間は、上記の緑線しか引かないですからね。これが困ります。本を読むというのは、その著者と一対一で話をするようなものですから、まず相手の言っている事がどういうことであるのかの「大意」をつかめなければ意味などまったくないのであります。そこがつかめていないのならコミュニケーション自体が成立してないわけです。
ところが、これを平気で緑線の部分だけ読んで、読んだつもりになってる人間とかいてますからね。これが本当に困る。揚げ足ばっかり取るマスコミなんてのも同じようなものですが、そういう世の中の悪いところばっかり真似して、それで良いのだと思ってる人種がけっこう、かなりいてますからね。
●要約ができれば読んだことにしてもいい。
というのは、かなり本質をついた重要な指摘です。
逆に言えば、大意をキチンとくみ取れる力があれば、かなり読書力はあるのだ、とも言えます。
このあたりの話は、この日記の、去年の6月2日に「感じ方は自由なのか」で書きましたが、
http://diarynote.jp/d/12917/20070602.html
「感じ方は自由なんだから、国語のテスト自体おかしい」とか言う人間がいたりするのは、唖然とするしかないんですね。前も書いたかも、ですが、作者の意図も読めていないで、「自分の感じたままで良い」なんていうのは話にもなんにもなっていない。単なるパーなだけです。
自分で感じるというのは、三色ボールペンの緑ですから、どんどん感じ取ればいいのですが、赤線がまったくないのなら、それは作者の意図がまったく解っていないと言うことにしかならないわけです。
斎藤さんは、この読書力を、食べることになぞらえて、強い歯やあごを作るためにするべき事なのだとおっしゃる。アニメやゲームは軟らかい、自力で消化することを求めない食べ物であり、スープのようなもの。マンガはスナック菓子だと例えておられます。
「児童文学で離乳食。推理小説、歴史小説などで乳歯レベルだ。」とも言っておられて、三十代や四十代の大人でも、このレベルの読書に留まっている人も多いと嘆いてもおられるのですね。
この後に永久歯の読書、心地よい精神の緊張感ある読書の話が出てくるのですが、ともあれ、スープやスナック菓子ばっかり食していたら、どんどん歯が弱るだけです。それははっきりしてるんだけど、どうにも、いまの日本、スープやスナック菓子が多すぎる。
はっきり言いますが、ゲームしかしない人は、ゲーム好きではないですよね。単にゲームに依存してるだけで。本当にゲームを愛してる人は、本当に面白いゲームを、一発で見つけ出しますし、他のジャンル(書籍など)と比較した上で、その良さが語れる人です。本当に面白いものとか、有用なものとか、知るべき事、理解するべき事は世の中にあふれるほどにあるわけですから。そういうものと同等に発展して欲しいと願うのが、本物のファンですわね。ゲームしかしない人間に、そういう視点があるわけがない。だからオタクはダメなのです。(私ははっきりオタク否定派です。)
しかし、忘れてはいけません。斎藤さんも指摘してますが、
●日本は読書立国
なのですね。世の中を支えている人は、みなせっせと本を読んで、役立つ知識や、心にしみいる感動などを自分の生きていく糧としているのです。
この部分を斎藤さんは、かつての日本人の読書レベルが世界最高レベルだったことを出して説明してくれます。けっこう高齢の方々は世界文学全集などをせっせと読んでいたのです。いまでも高齢の方々の読書レベルはかなり高いんです。ドイツ・ロシアの作家も読んでいる。
そういえば、先日も、「ロシア文学の『カラマーゾフ兄弟』を「カラキョウ」と略して、かなりの人が読んでいる。」というようなニュースが出ていましたが、もともと日本人には、そういう「読書を糧とする」文化があるのです。
これは、この「読書力」に書かれていて僕も、「その通り!」と思った事ですが、日本には聖書にように「The Book」と言うべき、「読むべき、かの本」がないのです。日本人は敬典宗教ではないから、倫理観や精神的な基盤を特定の書籍から学ぶという事がないのです。だから、その代わりに幅広く数多く書籍を読んで倫理観やら精神的基盤を自ら養っていかざるを得なくなるという側面があるというのですね。もう、その通りだと思うのですよ。
日本では、年間4万種類、15億冊の本が生産・印刷されていて、出版社の数も約5000企業にのぼるのだそうです。
で、これだけの出版社・出版物があるというのは、まさに聖書がないからこそだろうと思うのです。
いま、若い人の間で、「自分探し」というような事がよく言われるわけですが、これも自分なんか探しててもどこにも見つからないよ、と、僕は言いたいわけです。だって、ちゃんと「自分づくり」ができてないわけですから。目の前の現実にキチンと対処して、日々の日常を愛し、さまざまな考え方を書物から学んで、日々自分の内面を豊かにしていく「自分作り」の過程を経ずして、探すべき自分が生まれるはずもないわけです。
読書力は、そういう意味で人生を豊かにします。
しかし、学歴社会・受験戦争なんてものが当たり前になってきたおかげで、ゆっくりと読書をする時間すらなく、いまの子供たちは、そういう豊かさをはぐくめていないのですな。
この本でも指摘してますけど、「相手の言ったこととまったく無関係に『ていうか』という始まりで、まったく自分だけに関心のある話をする」というような社会性のない子供たちが増えてるとは思いませんか?
これははっきり親が悪い。親が本を読んでないんです。読まなくはないのだろうけれど、自分の興味や考えに合致するものだけを読み、それと食い違う場合には「憎むべき悪書」として攻撃したりする。そうすることが強さと勘違いしてるのかも知れないけれど、それはしなやかさのない生き方で、思考停止をしているに過ぎないのです。
思考停止をするから強いのではなくて、それは堅くもろい自己のあり方なわけです。
このあたり、かなり斎藤さんの言葉を引用してるんですが。(笑)
でも、本当にこのあたりの意見は深くうなづいてしまいます。
ともあれ、この本はとても良い書籍です。
さすが読書人・齋藤孝。僕と同年代ですが、出版の世界では大活躍しているスーパースターとして、岩波新書という、王道中の王道たる出版社で、これだけしっかりした内容の本を出していたとは!
日本人の必読書として、超強力におすすめしたい一冊であります。
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4004308011/249-9767057-8485143
このところずっと読書に力を入れてるのですが、そういう僕にとって「おおお、これは素晴らしい!」と感心した書籍を見つけました。
それがこの齋藤孝さんの「読書力」です。
齋藤孝さんは明治大学文学部の教授ですが、「本を読む読まないは自由なのだから、強制しないで欲しい」という学生が出てきたりしている現状を憂い、「読まないのは自由」という考え方に対する反論として書かれたものだそうです。
●本は読んでも読まなくても良いというものではない。読まなければいけないものだ。
と言い切っていて、ここが実に清々しい。
僕も前々から「本は読まなければいけないものだ」という意識があったのですが、世間の「読まないのは自由」みたいな風潮があって、断言まではしてなかったんです。
でも、斎藤さんは違う。はっきりと断言している。そこが素晴らしいのですよ。えらい!感動してしまう。
日本の大学は受験が厳しく入学してからはたいして勉強してない学生が多いようですが、欧米の大学はまったく違うそうです。キックアウト式と言って、勉強しないと卒業できない仕組みなのだそうです。(このあたりの日本と欧米の大学の違いについては、別に斎藤さんは何も言ってませんよ。これはあくまで僕の聞きかじりです。)
それもそう簡単な授業ではなく、本を3冊〜4冊指定されて、それを一週間くらいで読んで、まとめ、自分の意見をレポートにせよ、というものが多いのだそうです。で、その書かれたレポートの内容について基礎的な情報をキチンと把握した上で意見を述べているか、独自の視点があるかどうかを問われる。まさに論文を書く練習そのものですね。欧米の大学はみなそういう仕組みになっているそうです。
ですから、日本の大学生は圧倒的に勉強不足です。そういう状況なのですから、大人になってから誰かがまともに勉強しないと、この国は回っていかないんですね。現実問題として。だから本はどんどん読まなければなりません。
その当たり前の事を真正面から正しく指摘してくれてるのが、この本です。
しかし、「さすがは齋藤孝だなぁ」と感心するのは、その「読書力」というものを、客観的に判定できる基準を明確に提示しているところです。
読書せよ、と言ったところで何をどのくらい読めばいいのか? というのが問題になるわけで、それを斎藤さんは、
●文庫100冊
●新書50冊
と数字で定義してるんです。「何を読んでも良いが、とにかく、これだけの冊数はこなせ。」ということなんですね。
これだけこなせば、読む行為そのものに慣れてくる。そこが大切だと斎藤さんはおっしゃる。けだし名言!であります。まさに「読むことに慣れる」事こそが読書力そのものだと思うのですよ。
よく「速読」が話題になりますが、そういうテクニックを身につけるのも悪くないけれども、その前にテレビやゲームをする時間を削って本をまずは読むようにすればいいのです。まずは、とにかく本を読む習慣を身につける。そっちが先です。
まぁ、文庫100冊、新書50冊も読めば、いやでも習慣は身に付きます。週に一冊読めば、一年で50冊ですから、150冊なら3年です。そう無理な数字ではないでしょう。月に2冊くらいにして6年で力をつけてもいいし、週2冊にして1年半でこなしてもいい。このくらいの範囲なら、速読のテクニックを身につけてなくても充分可能です。(斎藤さんは文庫100冊を4年というのを有効期限として設定されてます。)
しかも、斎藤さんが素晴らしいのは、その「一冊を読んだ」という基準も、わかりやすく明確な言葉にしている点です。
その基準というのは、
●要約ができれば読んだことにしてもいい。
というものです。つまり斜め読みでも良いという事なんですね。
これ、なんでもないことのように見えて、超重要な事でもあります。上記で書いた欧米のキックアウト式の大学の授業でも、実は課題図書を精読したりはしないのですね。特に欧米の書籍や論文というのは、まず結論が書いてあって、その後に、その詳述があるという構成に、必ずなっているので、各章の最初の数ブロックずつ読んでいけば、著者の言いたい事だけはわかるという仕組みになってるんです。(その意味で、実は欧米式の速読術と、日本の速読術では意味がまったく異なるのですが。)
で、斎藤さんは、ようは「要約ができれば読んだことにしてもいい」と規範をゆるめてくれているのです。
ただ、これ、実は規範を緩めているようでいて、実はより本質的な読書力を必要とされる基準でもあるんですね。
斎藤さんは、この本では指摘してませんが、例の大ヒット作である「三色ボールペン情報活用術」で、読書力がない人間は、その書籍が何を言おうとしているのかを正しく読み取ることができていない。だから、内容を正しく読み取るのもひとつの技術として必要だ、という話を書いているからです。読書力がないからこそ、「読み取り方は自由だろ」という論点のすり替えに入り込んでしまうし、より広い視野を持つ「正しく読む」ができなくなるんですね。
(このあたりの話は、この日記でも、前に書きました。
http://diarynote.jp/d/12917/20051221.html)
三色ボールペン読書法というのは、この「自分の思いこみで書籍を自分勝手に解釈する」というのを防ぐ、良い方法なのです。本を読んでいて、
a)まぁ大事----------------青
b)とても大事--------------赤
c)個人的に面白いと思った--緑
という色分けで本に書き込みをしなさいと教えてくれているのであります。
ほんとにね、読書力のない人間は、上記の緑線しか引かないですからね。これが困ります。本を読むというのは、その著者と一対一で話をするようなものですから、まず相手の言っている事がどういうことであるのかの「大意」をつかめなければ意味などまったくないのであります。そこがつかめていないのならコミュニケーション自体が成立してないわけです。
ところが、これを平気で緑線の部分だけ読んで、読んだつもりになってる人間とかいてますからね。これが本当に困る。揚げ足ばっかり取るマスコミなんてのも同じようなものですが、そういう世の中の悪いところばっかり真似して、それで良いのだと思ってる人種がけっこう、かなりいてますからね。
●要約ができれば読んだことにしてもいい。
というのは、かなり本質をついた重要な指摘です。
逆に言えば、大意をキチンとくみ取れる力があれば、かなり読書力はあるのだ、とも言えます。
このあたりの話は、この日記の、去年の6月2日に「感じ方は自由なのか」で書きましたが、
http://diarynote.jp/d/12917/20070602.html
「感じ方は自由なんだから、国語のテスト自体おかしい」とか言う人間がいたりするのは、唖然とするしかないんですね。前も書いたかも、ですが、作者の意図も読めていないで、「自分の感じたままで良い」なんていうのは話にもなんにもなっていない。単なるパーなだけです。
自分で感じるというのは、三色ボールペンの緑ですから、どんどん感じ取ればいいのですが、赤線がまったくないのなら、それは作者の意図がまったく解っていないと言うことにしかならないわけです。
斎藤さんは、この読書力を、食べることになぞらえて、強い歯やあごを作るためにするべき事なのだとおっしゃる。アニメやゲームは軟らかい、自力で消化することを求めない食べ物であり、スープのようなもの。マンガはスナック菓子だと例えておられます。
「児童文学で離乳食。推理小説、歴史小説などで乳歯レベルだ。」とも言っておられて、三十代や四十代の大人でも、このレベルの読書に留まっている人も多いと嘆いてもおられるのですね。
この後に永久歯の読書、心地よい精神の緊張感ある読書の話が出てくるのですが、ともあれ、スープやスナック菓子ばっかり食していたら、どんどん歯が弱るだけです。それははっきりしてるんだけど、どうにも、いまの日本、スープやスナック菓子が多すぎる。
はっきり言いますが、ゲームしかしない人は、ゲーム好きではないですよね。単にゲームに依存してるだけで。本当にゲームを愛してる人は、本当に面白いゲームを、一発で見つけ出しますし、他のジャンル(書籍など)と比較した上で、その良さが語れる人です。本当に面白いものとか、有用なものとか、知るべき事、理解するべき事は世の中にあふれるほどにあるわけですから。そういうものと同等に発展して欲しいと願うのが、本物のファンですわね。ゲームしかしない人間に、そういう視点があるわけがない。だからオタクはダメなのです。(私ははっきりオタク否定派です。)
しかし、忘れてはいけません。斎藤さんも指摘してますが、
●日本は読書立国
なのですね。世の中を支えている人は、みなせっせと本を読んで、役立つ知識や、心にしみいる感動などを自分の生きていく糧としているのです。
この部分を斎藤さんは、かつての日本人の読書レベルが世界最高レベルだったことを出して説明してくれます。けっこう高齢の方々は世界文学全集などをせっせと読んでいたのです。いまでも高齢の方々の読書レベルはかなり高いんです。ドイツ・ロシアの作家も読んでいる。
そういえば、先日も、「ロシア文学の『カラマーゾフ兄弟』を「カラキョウ」と略して、かなりの人が読んでいる。」というようなニュースが出ていましたが、もともと日本人には、そういう「読書を糧とする」文化があるのです。
これは、この「読書力」に書かれていて僕も、「その通り!」と思った事ですが、日本には聖書にように「The Book」と言うべき、「読むべき、かの本」がないのです。日本人は敬典宗教ではないから、倫理観や精神的な基盤を特定の書籍から学ぶという事がないのです。だから、その代わりに幅広く数多く書籍を読んで倫理観やら精神的基盤を自ら養っていかざるを得なくなるという側面があるというのですね。もう、その通りだと思うのですよ。
日本では、年間4万種類、15億冊の本が生産・印刷されていて、出版社の数も約5000企業にのぼるのだそうです。
で、これだけの出版社・出版物があるというのは、まさに聖書がないからこそだろうと思うのです。
いま、若い人の間で、「自分探し」というような事がよく言われるわけですが、これも自分なんか探しててもどこにも見つからないよ、と、僕は言いたいわけです。だって、ちゃんと「自分づくり」ができてないわけですから。目の前の現実にキチンと対処して、日々の日常を愛し、さまざまな考え方を書物から学んで、日々自分の内面を豊かにしていく「自分作り」の過程を経ずして、探すべき自分が生まれるはずもないわけです。
読書力は、そういう意味で人生を豊かにします。
しかし、学歴社会・受験戦争なんてものが当たり前になってきたおかげで、ゆっくりと読書をする時間すらなく、いまの子供たちは、そういう豊かさをはぐくめていないのですな。
この本でも指摘してますけど、「相手の言ったこととまったく無関係に『ていうか』という始まりで、まったく自分だけに関心のある話をする」というような社会性のない子供たちが増えてるとは思いませんか?
これははっきり親が悪い。親が本を読んでないんです。読まなくはないのだろうけれど、自分の興味や考えに合致するものだけを読み、それと食い違う場合には「憎むべき悪書」として攻撃したりする。そうすることが強さと勘違いしてるのかも知れないけれど、それはしなやかさのない生き方で、思考停止をしているに過ぎないのです。
思考停止をするから強いのではなくて、それは堅くもろい自己のあり方なわけです。
このあたり、かなり斎藤さんの言葉を引用してるんですが。(笑)
でも、本当にこのあたりの意見は深くうなづいてしまいます。
ともあれ、この本はとても良い書籍です。
さすが読書人・齋藤孝。僕と同年代ですが、出版の世界では大活躍しているスーパースターとして、岩波新書という、王道中の王道たる出版社で、これだけしっかりした内容の本を出していたとは!
日本人の必読書として、超強力におすすめしたい一冊であります。
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