日本人の精神史を考える。
2007年12月26日 読書
ISBN:4344980603 新書 島田 裕巳 幻冬舎 2007/11 ¥756
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344980603/249-9767057-8485143
この本は、二週間ほど前に読んだ本ですが、かなり面白かったんですよね。
島田裕巳というと、オウム事件の時に、オウムを擁護してケッチン食らった人という印象しかないんですけど、そういう軽いところのある人だからこそ、日本の「新宗教」を総覧的にザザザザザーっと見るには最適の人なのかもな、という気がしました。
紹介されているのは、
●天理教
●大本
●生長の家
●天照皇大神宮教と璽宇
●立正佼成会と霊友会
●創価学会
●世界救世教、神慈秀明会と真光系教団
●PL教団
●真如苑
●GLA(ジー・エル・エー総合本部)
と、有名どころが過不足無く適切に並んでる感じ。
それと、いちおうあとがきに紙幅の都合上、「金光教」「阿含宗」「善隣教」を取り上げられなかったと断わり書きがあって、簡単な説明がありました。
ということで、これだけ並ぶと、本当に日本人の、この何十年かの精神のありようが、いかに変化してきたのかがわかるから面白いのであります。
ここに並ぶ「新」宗教は、古くは明治時代くらいに生まれて、現代まで生き残っているような宗教ばかりなんですね。
で、島田氏の紹介文を読んでいくと、海外からの文明がやってきて、日本人のライフスタイルが変化するのにあわせて、宗教というものの姿形も変化してきたのだな、というのが本当によくわかるんです。
まぁ言わば、「宗教のカタログ雑誌」という感じで、この本は面白いです。
でも、神道やら仏教やらキリスト教などの王道路線の話は全然出てきませんので、まさにファッション・カタログのノリなんですね。それぞれの宗教の個性の違いみたいなことがよくわかる。
で、やっている宗教的儀式とかを見ていくと、まさに日本の土着の文化から産まれてきているなぁというのがわかって、実に面白いのです。
たとえば、田舎から都会に出てきた若者が、村の寄り合いに集まるような感じで立正佼成会・霊友会の「法座」に集まってきたとか、島田氏はおおむね、これらの宗教を時代の変化の中でのニーズに位置づけた紹介をしているので読みやすいのです。
上に●で紹介した順で個々の宗教が紹介されているのですが、実は勃興した時代の古いものから順に並べられていて、日本人の精神史が明治から昭和にかけて、どのように変化してきたかという、「日本人の精神史」になっているところがグッジョブ! という感じなんですね、この本。
どうもこの間から、落語といい、力餅食堂といい、明治から昭和にかけての大衆文化というところに興味が行ってるので、とにかくやたらと面白くて仕方ないのであります。
僕自身、この数年、地球全体の捉え方からはじまって、世界の宗教の概略(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教・儒教)学習をしてきてたのですけど、ここに来て、やっと日本の現代に近づいて来れた、という感じなのですね。あー、長かった。
個人的に「やっぱり面白いなぁ」と思ったのは、ひとつは何と言っても、「大本(おおもと)」ですね。
日本の宗教史において、この大本というのは、別格的に重要なんじゃないかなぁと思います。知ってる人は知ってるけど、出口なおと出口王仁三郎(おにざぶろう)の、あの「おおもと」です。
大本がやっぱり「おおもと」なんだなぁと思うのは、「手かざし」などのヒーリングですね。これがそのまま真光系の教団とかにも継承されてるんですな。ああ、やっぱりそうだったのかって思う。で、どうもこの「手かざし」の系統は、力餅食堂じゃないけど、「のれんわけ」で広がってるところがあって、すぐにみんな手かざしができるものだから、みんな勝手に新宗教を作ってしまってるというような印象があります。
このあたり、この島田さんの本には書いてないけど、「レイキ」の歴史と重ね合わせると、かなり面白いと思うんですよね。
「レイキ」は、ようするに「霊気」の事なんですけど、「手当」「てかざし」による病気の治療・ヒーリングというものが、実はハワイに渡ってそこから全世界に広がり、たとえばイギリスでは「レイキ」というのは一般名詞化してるほどの普通の治療法として定着してるんですよね。
驚くなかれ、アメリカにもレイキは渡っていて、病院によっては補助治療行為として認知されてるから、保険がきく場合すらあるんですよ。そのくらい「レイキ」は一般化してる。
で、レイキのテクニック修得法に関してはここでは語りませんけど、ようはレイキもこれら新宗教と同じ時代に広がっているわけなんです。
ただ、大本や真光の手かざしが宗教と一体化しているのに対して、レイキは宗教とは関係なかったというところが違うんですね。で、宗教と関係なくなったレイキは、国内では消滅に近いくらい小さくなって逆に世界に定着した。で、国内では大本やら真光系で宗教とともに生き延びたって事何じゃないかな?と僕は見ました。
このあたりは想像で書いてますす。でもまぁ、レイキと手かざしは多分同じものですよね。きっと。もともとそういうものがあるんだと思う。人間には。それが何らかの形で「師から弟子に伝えられる技術」として伝承されるようになったんだと思うんですね。まさに力餅食堂みたいに。
で、どうもそのおおもとが、やっぱり「大本」であるような気がするのであります。
大本というのは僕は妙な因縁がありまして、僕が若かりし頃、コピーライターになりたての頃に、ある印刷会社さんから、ある銀行の京都の綾部支店オープンに関するオープン企画の依頼が来たのですよ。
で、僕は当時、会社に入りたてで、やる気もあったものだから、「綾部という土地がわからないと、企画も立てようがないので、現場を見に行ってきてもいいですか?」と気軽に言ってしまったんですよね。
でも、京都の綾部なんて、大阪からでもかなり時間のかかる場所だったわけです。当時はとくに。
普通ならそういう事を言っても「なにもわざわざ行かなくてもいいよ」と言われそうなものなんですが、どういうわけかその時は、会社の僕のボスが僕のやる気を買ってくれて、わざわざ印刷会社さんにかけあって、「電車賃だけで良いですから取材費出してもらえませんかね」と予算枠を取ってくださって出かける事になったんです。
これねぇ、いまから考えると、どう考えてもおかしいんですよ。そんなもん、片田舎の銀行の支店のオープン企画なんだから、まぁポケットティッシュでも配りましょか? にしかならないんですよ。いくら考えたって良いアイディアが出るわけがない。
なのに、何故か僕は「綾部に行かないと」と思って、ボスは「行かせてやりたい」になって、そんでもって印刷会社さんも「ええですよ」になったんです。もう、ものすごく不思議で。
で、その綾部こそ、大本の発祥の地というか、本拠地というか、そういう場所なわけですよ。で、僕はその取材に行く日まで、大本の名前も出口王仁三郎の名前も知らなかったわけです。
で、とにかく現地に行って市役所で歴史を調べて、大本の本山の山の上まで昇って、とにかく、やたらと精神的な意味で気持ちが良かったんですね。何かに導かれるかのようなイメージが僕にはありまして、別にどうということのない出張ではあったんですけど、僕の人生の中ではかなり大きな出来事として印象に残ってるんです。
そういう事があってから、もうずっと大本が気になって気になって仕方なくなってしまっておりましたからねぇ。
で、実際、この本を読んでも、やっぱり大本の存在というのは、いろいろと大きいですな。
この本にはそのほかPL教団の事も書いてあるけど、高校・大学と南大阪に通ってた私としては、かの有名なPLタワーの正式名称(超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念搭)がわかったり、高校の頃から読んでいたウルフガイの平井和正が関わったGLAが出てきたりと、自分とのからみで理解できるところも多くて、実に面白かったのであります。
それはともあれ、明治以降の西洋文明が入ってから後の「日本人の精神史」を考えるには、けっこう流れが分りやすくて面白い書籍だと思います。おすすめです。
http://astore.amazon.co.jp/kids1226-22/detail/4344980603/249-9767057-8485143
この本は、二週間ほど前に読んだ本ですが、かなり面白かったんですよね。
島田裕巳というと、オウム事件の時に、オウムを擁護してケッチン食らった人という印象しかないんですけど、そういう軽いところのある人だからこそ、日本の「新宗教」を総覧的にザザザザザーっと見るには最適の人なのかもな、という気がしました。
紹介されているのは、
●天理教
●大本
●生長の家
●天照皇大神宮教と璽宇
●立正佼成会と霊友会
●創価学会
●世界救世教、神慈秀明会と真光系教団
●PL教団
●真如苑
●GLA(ジー・エル・エー総合本部)
と、有名どころが過不足無く適切に並んでる感じ。
それと、いちおうあとがきに紙幅の都合上、「金光教」「阿含宗」「善隣教」を取り上げられなかったと断わり書きがあって、簡単な説明がありました。
ということで、これだけ並ぶと、本当に日本人の、この何十年かの精神のありようが、いかに変化してきたのかがわかるから面白いのであります。
ここに並ぶ「新」宗教は、古くは明治時代くらいに生まれて、現代まで生き残っているような宗教ばかりなんですね。
で、島田氏の紹介文を読んでいくと、海外からの文明がやってきて、日本人のライフスタイルが変化するのにあわせて、宗教というものの姿形も変化してきたのだな、というのが本当によくわかるんです。
まぁ言わば、「宗教のカタログ雑誌」という感じで、この本は面白いです。
でも、神道やら仏教やらキリスト教などの王道路線の話は全然出てきませんので、まさにファッション・カタログのノリなんですね。それぞれの宗教の個性の違いみたいなことがよくわかる。
で、やっている宗教的儀式とかを見ていくと、まさに日本の土着の文化から産まれてきているなぁというのがわかって、実に面白いのです。
たとえば、田舎から都会に出てきた若者が、村の寄り合いに集まるような感じで立正佼成会・霊友会の「法座」に集まってきたとか、島田氏はおおむね、これらの宗教を時代の変化の中でのニーズに位置づけた紹介をしているので読みやすいのです。
上に●で紹介した順で個々の宗教が紹介されているのですが、実は勃興した時代の古いものから順に並べられていて、日本人の精神史が明治から昭和にかけて、どのように変化してきたかという、「日本人の精神史」になっているところがグッジョブ! という感じなんですね、この本。
どうもこの間から、落語といい、力餅食堂といい、明治から昭和にかけての大衆文化というところに興味が行ってるので、とにかくやたらと面白くて仕方ないのであります。
僕自身、この数年、地球全体の捉え方からはじまって、世界の宗教の概略(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教・仏教・儒教)学習をしてきてたのですけど、ここに来て、やっと日本の現代に近づいて来れた、という感じなのですね。あー、長かった。
個人的に「やっぱり面白いなぁ」と思ったのは、ひとつは何と言っても、「大本(おおもと)」ですね。
日本の宗教史において、この大本というのは、別格的に重要なんじゃないかなぁと思います。知ってる人は知ってるけど、出口なおと出口王仁三郎(おにざぶろう)の、あの「おおもと」です。
大本がやっぱり「おおもと」なんだなぁと思うのは、「手かざし」などのヒーリングですね。これがそのまま真光系の教団とかにも継承されてるんですな。ああ、やっぱりそうだったのかって思う。で、どうもこの「手かざし」の系統は、力餅食堂じゃないけど、「のれんわけ」で広がってるところがあって、すぐにみんな手かざしができるものだから、みんな勝手に新宗教を作ってしまってるというような印象があります。
このあたり、この島田さんの本には書いてないけど、「レイキ」の歴史と重ね合わせると、かなり面白いと思うんですよね。
「レイキ」は、ようするに「霊気」の事なんですけど、「手当」「てかざし」による病気の治療・ヒーリングというものが、実はハワイに渡ってそこから全世界に広がり、たとえばイギリスでは「レイキ」というのは一般名詞化してるほどの普通の治療法として定着してるんですよね。
驚くなかれ、アメリカにもレイキは渡っていて、病院によっては補助治療行為として認知されてるから、保険がきく場合すらあるんですよ。そのくらい「レイキ」は一般化してる。
で、レイキのテクニック修得法に関してはここでは語りませんけど、ようはレイキもこれら新宗教と同じ時代に広がっているわけなんです。
ただ、大本や真光の手かざしが宗教と一体化しているのに対して、レイキは宗教とは関係なかったというところが違うんですね。で、宗教と関係なくなったレイキは、国内では消滅に近いくらい小さくなって逆に世界に定着した。で、国内では大本やら真光系で宗教とともに生き延びたって事何じゃないかな?と僕は見ました。
このあたりは想像で書いてますす。でもまぁ、レイキと手かざしは多分同じものですよね。きっと。もともとそういうものがあるんだと思う。人間には。それが何らかの形で「師から弟子に伝えられる技術」として伝承されるようになったんだと思うんですね。まさに力餅食堂みたいに。
で、どうもそのおおもとが、やっぱり「大本」であるような気がするのであります。
大本というのは僕は妙な因縁がありまして、僕が若かりし頃、コピーライターになりたての頃に、ある印刷会社さんから、ある銀行の京都の綾部支店オープンに関するオープン企画の依頼が来たのですよ。
で、僕は当時、会社に入りたてで、やる気もあったものだから、「綾部という土地がわからないと、企画も立てようがないので、現場を見に行ってきてもいいですか?」と気軽に言ってしまったんですよね。
でも、京都の綾部なんて、大阪からでもかなり時間のかかる場所だったわけです。当時はとくに。
普通ならそういう事を言っても「なにもわざわざ行かなくてもいいよ」と言われそうなものなんですが、どういうわけかその時は、会社の僕のボスが僕のやる気を買ってくれて、わざわざ印刷会社さんにかけあって、「電車賃だけで良いですから取材費出してもらえませんかね」と予算枠を取ってくださって出かける事になったんです。
これねぇ、いまから考えると、どう考えてもおかしいんですよ。そんなもん、片田舎の銀行の支店のオープン企画なんだから、まぁポケットティッシュでも配りましょか? にしかならないんですよ。いくら考えたって良いアイディアが出るわけがない。
なのに、何故か僕は「綾部に行かないと」と思って、ボスは「行かせてやりたい」になって、そんでもって印刷会社さんも「ええですよ」になったんです。もう、ものすごく不思議で。
で、その綾部こそ、大本の発祥の地というか、本拠地というか、そういう場所なわけですよ。で、僕はその取材に行く日まで、大本の名前も出口王仁三郎の名前も知らなかったわけです。
で、とにかく現地に行って市役所で歴史を調べて、大本の本山の山の上まで昇って、とにかく、やたらと精神的な意味で気持ちが良かったんですね。何かに導かれるかのようなイメージが僕にはありまして、別にどうということのない出張ではあったんですけど、僕の人生の中ではかなり大きな出来事として印象に残ってるんです。
そういう事があってから、もうずっと大本が気になって気になって仕方なくなってしまっておりましたからねぇ。
で、実際、この本を読んでも、やっぱり大本の存在というのは、いろいろと大きいですな。
この本にはそのほかPL教団の事も書いてあるけど、高校・大学と南大阪に通ってた私としては、かの有名なPLタワーの正式名称(超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念搭)がわかったり、高校の頃から読んでいたウルフガイの平井和正が関わったGLAが出てきたりと、自分とのからみで理解できるところも多くて、実に面白かったのであります。
それはともあれ、明治以降の西洋文明が入ってから後の「日本人の精神史」を考えるには、けっこう流れが分りやすくて面白い書籍だと思います。おすすめです。
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