またmixiから転載。
-------------------------------
この土日は、仕事場の出入りの人たちと一緒に、ちょっとした小旅行でありました。
行き先は岡山の倉敷大原美術館と、閑谷学校。

外注スタッフ、と言えば言えなくもないのだけれど、直接仕事に関わるというのは少なくて、季節ごとに飲み会したり、時折旅行に出かけたりするという感じ。
いまの事務所のデザイナーさんのやっていた前の会社のスタッフで、いまだに交流が続いている人とか、フリーのイラストレーターだったりカメラマンだったりと職種はクリエイティブ関係なので、まぁ美術館とかは、良い選択でありました。なんと13人という大所帯。この集まり、けっこう、なかなか楽しいのであります。

倉敷の大原美術館は、前にも出かけたことがあるので内容は分っていたけれど、やはり改めて見てみると、その幅の広さに感心してしまいますね。モネやらマネやら印象派の有名どころの作品がずらりとならんでいるし、ロートレックにゴーギャン、ルノワールにピカソと有名な作家の作品がずらり。しかも国内の有名作家の作品も佐伯祐三やら梅原龍三郎やら目白押し。その上、彫刻もロダンにジャコメッティがあるし、ほんとにたいしたものです。

ウィキペディアから引用すると、
「大原美術館は、倉敷の実業家大原孫三郎(1880年–1943年)が、自身がパトロンとして援助していた洋画家児島虎次郎(1881年–1929年)に託して収集した西洋美術、エジプト・中近東美術、中国美術などを展示するため、1930年に開館した。西洋美術、近代美術を展示する美術館としては日本最初のものである。」という事になります。

今回、せっかくだからと最近の美術館にはよく備え付けられている音声ガイドを借りていろいろ聞きながら回ったので、よりいっそう楽しかったですね。モネの睡蓮とか、児玉虎二郎が直接モネから買い付けに出かけてるんですねぇ。知らなかった。

次の日は世界最古の庶民学校と言われる閑谷学校へ。江戸時代に武士だけでなく、広く庶民からも学生を募り、儒学やらを教えていたというもの。

これもウィキから引用すると、
「岡山藩は学校領を設け藩財政より独立させ、学田や学林を運営させた。これにより、もし転封や改易により藩主が交替となった場合においても学校が存続するよう工夫した。ここに岡山藩がこの学校をいかに重要視していたか、その一端が窺える。」
となっていて、その先見性と体制の確かさに感心してしまう。

ついでに引用すると、
「建造物のうち、講堂が国宝に指定され、小斎・飲室・文庫・聖廟・閑谷神社・石塀など24棟が国の重要文化財に指定されている。」
ということなんですが、とにかく居心地の良い場所で、「ああ、ここなら本当に心静かに勉強できただろうなと思わせられる良い場所でした。なんせ山の中ですからね。とても静かで気持ちの良い空間だったのであります。

奇しくも、絵と学校という事で仕事とプライベートの学習という、いまの僕の生活に直接関わりの大きいテーマでの旅行になったので、いろいろと思うところは大きかったのであります。

大所帯だったので、マイクロバスを仕立てての旅行となりまして、移動もラクラク。時間も比較的のんびりできたし、なかなかに快適だったのであります。食事もおいしかったしなぁ。ほかにもあちこち見たし。

しかしまぁ、年末ってのだけは問題でしたが。忘年会代わりにという企画で出てきたものだったけど、さすがに時間のやりくりにヒーハー言う事になってしまったですよ。

いやまぁ、楽しかったからいいんだけど。

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索