金持ちになろうとか、そういうたぐいの本を良く読む。

そう言うときに、よく書いてあるのが「金持ちになるのなんてカンタンなんだよ。」ということだ。

僕はそれほど金持ちではないけれど、この稼いでいる人たちの考え方は面白い。

たとえば、年収を一億にしたいと思ったら、そのための計画やアイディアをキチンと立てて、それを実行していけばいい。わからないことがあれば、すでに実現している人に聞けばいいと言うのだ。

それは例えて言えば、「友達との待ち合わせと同じですよ」と彼らは言う。
ああ、そうなんだ、と僕は思う。
「待ち合わせに間に合わせなきゃ」と思って急いだり、早めに家を出たり、地図を読んだりするから、そこに行けるのだ。

友達と会おうという約束をして、そのために計画して、実行して会えるというのが「正しい生き方」で、そこに間に合わなかったり、会いたいのに「面倒だから会わない」とか、「地図の読み方を知らないから会わない」とか「会えるはずないじゃん」とか言うのが「間違った生き方」である。

ま、おおざっぱに言うとそういうことだ。

自分が可能だと思える範囲で出来ることをちゃんとやって、知らない事は勉強して(地図を調べる程度のことだ)人生を思い通り楽しむ、快適に過ごすこと。

これが正しい生き方ってもので、そういう生き方はちゃんとあるんだよ。あるに決まってるさ。そんなもの。

こういう事を、アダルトチルドレン対応が上手な、わが心の師匠、ウォイティツならこう言う。


「そうね。正しい生き方なんて、たぶんどこにもないんだわ。

でも、生きてる限り快適に過ごしたり、失敗したりせずに生きていきたいわよね? だったら正しい生き方ではなくて、その場に合わせた最適な生き方を選んだほうが良くない?やりたいことが出来て、嫌な気分にもならない『機能している』生き方ね。

そういう生き方ならたくさんあるし、誰でも実現できるのよ。方法さえ学べばね。

ただ、いまのあなたが、いまのあなたのまま『機能している』生き方は、ちょっとできないかもしれない。でも、機能させる方法さえ学べば、あなたの生き方はちゃんと機能するようになるのよ。

でも、そのためには人生の少しの間の期間を辛抱して機能させる方法を覚えないといけないけど、やってみる気はある?

やる気がないならやらなくてもいいわ。でも練習すれば誰でもできるようになるし、これを覚えさえすれば、あとはずっと嫌な気分にならずに『機能した生き方』ができるから覚えて損はないと思うわよ。どう? やってみる?」


ああ、優しいなぁウォイティツは。見事だ。
上記の内容はウォイティツの本に書いてあったことではない。多分ウォイティツなら、こういう考え方と言い方で、なだめながら言うんだろうな、ということを想像して書いたものである。

「正しい生き方なんてたぶん誰にとってもないんでしょう」「機能した生き方」「快適な生き方」というようなことは言ってるけどね。

で、僕なら上記のウォイティツの長い、優しい言い方は面倒くさいので「正しい生き方」と呼ぶ。「正しい生き方? あるに決まっとるやろが。お前が勉強してへんのが悪いだけじゃ、ぼけ。自分のケツくらい自分でふけ。」としか言わない。
ま、このくらいの対応が一般的な反応だよ。そこは知っておきなよってことです。

まぁキャラクターの違いですわな。
でもまぁ、自分のケツもふけない人をウォイティツならふけるようにするけど、僕の言い方だと、本当に自尊心がギリギリまで下がってしまってる人にはまったく効果がないでしょう。ようするに「機能してない言い方」なわけだ。

うーん。ちゃんと学習せねば。

な。わかる? 学習というのは、こういう具合にモデルと自分の比較から習得していくものなのよ。

で、こういうモデルとの比較とかが「正しい生き方」なんだ。で、それは全然難しいことではない。

そういうことです。

でも自尊心の低い人は、自分にはできないというような恐怖があるからか、理由は、わからんけど「正しい生き方なんかない」と全否定するんだ。ほんと、急に関係を切るとかするしな。まぁアダルトチルドレンやねんししゃーないかなぁとは思うけど、自分で自分の首しめてるわなぁ。

その全否定こそが問題なのに。

絶対的な解はなくても「最適解」というものはあるし、現実の生活においては、その「最適解」を、うまく上手に見つけていく方法は、身につけておいたほうが快適で気持ちいいに決まっているじゃないか。

それをして「正しい生き方」というのですよ。普通の言い方からすれば。

そして、そういう「最適解」の出し方は、普通の家庭においては、それこそ「空気」のように日常の中に溶け込んでいて、アダルトチルドレンの家庭には、そういう普通の「空気」自体がない。

アダルトチルドレンの家庭では、「機能する」方法がわからんから、せいぜい思い通りにならなかった人間が、すねてだまりこくって、周りの同情を引くなどして相手をしたがわせるとかですね、そういう稚拙なこと、(大人に対しては失礼極まりない態度で、子供に対しては完全に虐待ですが)しか、できないわけです。で、それが「普通」になってしまう。それはアカンやろ、それは。

それは単に本当に親しい人とのコミュニケーション技術の習得が完全ではなかったというだけのことなのです。

で、アダルトチルドレンは、つい、この「習得可能な技術」みたいなことを、「そんなものはない!」と極端に断言してしまうから、自分の人生が不幸だらけのイバラの道になってしまうのだ。だって快適で機能した生き方を「学ばない!」と言ってすねてるだけだもの。そらあかんって。

そういうところで衝動的になったらダメなんだ。ちゃんと考えないと。

ここでウォイティツは「機能した生き方」という言葉を使っているけれど、この「機能しているかどうか」という言葉、ファンクショナルということが、依存症であるかないかの見極めの言葉として使われてます。

最近は「アルコール依存症」ではなくて「機能不全家族」という言い方をしている。

機能しているのかどうか、だね。

「人それぞれだから、正しい生き方などない。」という考えを選ぶ権利はあります。でも、それは機能しません。で、そこから「機能不全家族」というのは生まれて、一家全員「うまく行かない」という「生きづらさ」を抱え込むことになります。

それだけのことですな。つまりは。

そう。つまり、「自分が望む、自分にとって快適な生活を実現させる」ということが「機能」なのだ。そら、「機能しない」なら不快ですわな。そらそうでしょ。そんなもの。

人間が普通に生きていれば、それぞれの個性にあわせて「機能する生き方」を学ぶことは可能です。親も子供もともに快適で気持ちよく生きていける家族。それが「正しい家族」なわけ。

ただ、こういう言い方をするとアダルトチルドレンはみな「正しさ」という権威を嫌って「個性はいろいろだ」とか反発するんよな。で、ウォイティツは専門家だから、そういうデリケートな部分をわかっていて「機能」とかソフトに言う。うまいなぁとは思うけど、僕は専門家ではないので、普通の言葉で普通に言います。

だから「正しい生き方はあるの。あるに決まってるやん。あほか。カンタンやし、誰でもやってんねんからお前もやれ。みんなが気持ち良くなるんやから。自分だけ個性がうんぬんとか自分勝手をぬかすな。こういう基礎的知識を身につけてないのは時計の読み方がわからずに待ち合わせに遅れてるレベルなんやから、その程度ことは自覚しろ。いやまぁ、時計の読み方を覚えるのが面倒なら、覚えなくてもいいから、せめて『時計の読み方なんてない』みたいなキチガイ暴言を公共の場でほざくな。その程度の倫理観と道徳観くらいは持て。」と普通人を叱るみたいに叱ってしまいます。

いやまぁ、こんな言い方したら、アダルトチルドレンは自尊心低いから、絶対に心を閉ざすだけだし「機能しない言い方」なんだけどね。反省はしなくちゃいけないんだけど、でもまぁ、まず、自分のいてる位置が、いかに低いのかは正しく知っておかないといけないと思うから、そういう言い方になってしまうんだよなぁ。

ちゅうか、ウォイティツみたいな「上手な言い方」を知らないだけか。そうか。ワシもアダルトチルドレンやしなぁ。しゃあないわな。すまんすまん。いちおう学んだことは書いといたので、ま、読んでちょうだい。

って言うか、やっぱりウォイティツだよなぁ。ウォイティツの「アダルトチルドレン」を読んでもらいたいです。ほんと。

子供の育て方に関してもちゃんと書いてあるのよな。さすがはウォイティツ。アダルトチルドレンが自分の子育てに自信がなかなか持てないってとこまで、ちゃんと分かってる。

偉いよなぁ。現場のソーシャルワーカーはやっぱり違う。学者でも医者でもないんよな。現場で苦しんでる人と直接やりとりしているノウハウがある。言葉の使い方、考え方その他がアダルトチルドレンの心にすーっと染みこむように書いてある。

で、僕はそんなノウハウはないから、そういう書き方はできない。だから「本を読め」としか言えないわけですけどね。

で、読んだ人とかは、すごくラクになっていってるわけですよ。そういうことよ。

ま、今日はここまで。

ちゅうかウォイティツ読んだほうが早い内容でした。

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