mixiのほうにアダルトチルドレン関連の書評など転載したら、意外なところから「知り合いで、どうにも肝心のところで投げ出す人がいてるのだが…」と相談を受けまして。

ふーんと思って、しばらくアダルトチルドレン関連の本は読んでなかったんですが、またちょっといろいろ探して読んでみたのです。

読んでる本は「次世代AC」について書かれた本なんですね。ACが依存症の人間に育てられた人間だったとしたら、「次世代AC」は「ACに育てられたAC」です。

「次世代AC」はACのように「親が依存症だったから私はACの可能性がある!」と気づくきっかけ自体が奪われてしまってるんですね。だから「気づき」が大変なわけです。心に苦しさを抱えていながら、それが何故起きているのかが全然わからないわけですから。

これは大変だろうなと思いました。

あれです、僕のように「親がギャンブル依存症」とはっきりわかってるというのは、ある意味「気づきやすい」から幸せなのかも知れませんね。

アルコールなりギャンブルなり、依存症を持ってる人間の子供は「親のようにはなりたくない」と思って、そういう問題を「なかったこと」にしてしまい、直視しようとしないわけです。

だからACの家庭では「依存症だった親」の、一番の問題点が「話してはいけないタブー」になってしまうんですね。いちばん「心が痛い問題」だから。
それゆえ、次世代ACは「治るきっかけ」を失いやすいわけです。

こりゃ、大変だなと思いました。ほんまに大変やわ。自助努力の会みたいなのがあって、AC同士が体験談を語ることでラクになる場というのがあるらしいのですが、そういう場でも「私にはそんな、はっきりした依存症の人は家族にいてない」ということになって溶け込めないそうです。

あっちゃー。そうか、そうなるのか!と驚きました。

うーん。本当に深刻だな、これは。

えーと、とりあえず、ここまで。
まだ、その本途中までしか読んでないので。
ちょっと随分考えさせられる内容です。

また書きます。

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