「ちいさな一歩」が学ぶステップの基本。
2006年1月29日コメント (2)最近、「学ぶ」ということに関して、いろいろ思うようになってきた。
人間の人生において「学び」ほど重要なことはないなぁって思う。「これが正しい」と思っていても、別の見方を知れば、また考え方が変わり、深まり、人生のさまざまな面が見えてくる。
日本人だけの考え方で生きてきたのが、欧米の歴史と概念の流れを知ることで新たな発見があり、「異文化」がわかり、その異文化を知ることで、また日本独自の文化の良さも見えてくるというようなことだ。
こういう「学び」は、言わば「旅」のようなものなのだと思う。家を出て自分の住み家を外から観察し「へぇ〜、こうなっていたんだ」と感心して、そこからずんずんと歩き、公園を抜け山道を登り、小高い丘から自分たちの街を見下ろす。
そうか、うちの街も意外に大きい、あるいは小さいなどを発見しつつ山を越えると隣の町が見え、隣の国の存在を肌で感じ、そして世界の広がりを知る。
まぁ、言わばそういう「過程」こそが学びなんだろうと思う。
で、ここで大事なのは、こういう「過程」の一つ一つを、きちんと「自分のプロセス」として、実感できるかどうかなんだと思う。
自分の家を外から眺めるということすらしたことのない人に外国の話をしても、なかなか分らないんだろうなぁという気はしてきた。家から出て自分の家を観察するということすらしたことのない人には、外国はおろか隣町の存在すら、実感して理解することはできないと思う。
だから、まず小さな小さな第一歩を着実にはじめて、その「一歩」を踏み出したことによる意識の変化や、新しい視点を、ちゃんと味わって楽しむということをしないとダメなんだろうなぁって思うのだ。
でも、この「ちいさな一歩」が大事なんだということを知るまでがまたなかなかに大変な事なんだけど、ようやく最近、そのことがわかってきたように思う。
たとえば英語にしてからが、わかってない時ほどビッグワードの多い、小難しい教材に手を出す。単語を無理矢理つめこんだり。いやまぁ、それはそれで効果ななくはないんだけど、でもやっぱり基礎力がしっかりついてないとTOEICでは点数取れないんだよね。50ワードかそこいらの文章を何分もかかってやっとわかるとかだと実際上わかってないのと同じだ。
だから結局、基礎のやりなおし。中学英語の音読をバカみたいに繰り返すっていうのをやってる。
で、「ちいさな一歩」は別に学習内容のことだけじゃなくて目標の設定みたいなテクニックの面でも大事だなぁって思うのだ。
たとえば年に数冊も本を読まないような人が、いきなり一年で100冊読むとかの目標を立てても苦しいばかりだと思う。
まずは一冊を読むとか決めるのがいいんだ。いちばんわかりやすい。
ちょっと苦手だなと思うような本を「とにかく読み終えよう」くらいの小さな目標でとりかかるくらいがちょうどいいんだと思う。
で、やり終えたら自分をほめる。やったじゃないか! と実感する。私は素晴らしい! やればできる! そう実感する。これはウソではない。本当に「実現」したのだから。本当のことだから気持ちが良い。さわやかで外に開かれている。誰に自慢してもかまわない。
これが「学ぶステップ」ということなんだと思うのだ。あとはこの繰り返しだ。小さくて確実に達成できる目標をどんどん確実にこなしていく。そうすることで自分の自信は日々大きくなっていく。
ある程度「自信」がついたら、目標を大きくする。それこそ一年で100冊とかだ。これも達成できる数値にしておくのが「吉」。自分が達成する喜びを味わうことが、何より重要だから。
大きな目標を立てるのは「どうせ毎日飲むから、天然水の二リットルパックのケース買いをしておこう」というのと一緒だ。いちいち小さな目標を日々管理するより手軽に継続的な目標管理が可能になる。それはつまり「達成感のまとめ買い」ということでもある。
ケース買いが大量に買うほど単価が安くなるのと同じで、目標は大きければ大きいほど小さな目標もオトクになる。一般論で言うとスピードが上がるってことかな?(それだけでもないけど)
でかい夢なら、達成するために急いでやらないと時間が足りないとかがだんだんわかってくるから。そこではじめて「小さな一歩」に負荷をかけるようになってくる。「もっと急いでやらないと間に合わないよー」って気分になってくるわけだ。
でも、この「もっと急いでやらないと!」という気分になるかどうかは、実は最初の小さな一歩を、いかにゆったりと、自分のペースで味わったかという、ことがとても大事なのだ。
ゆっくりやれば楽しいとわかっていなくて、それで無理なスケジュールでやりだすと、全然楽しく感じられなくて大目標なんて達成できない。
小さな目標を着実にこなしてきたんだという実感だけが、「少し負荷をかける」を可能にしてくれるのである。
ここ、すごーく重要。
小さな達成感を味わっていなくて、大きな達成感は味わえないんだよなぁ。ほんとに。
だからまず、小さな目標を、それも「絶対に達成できる簡単な」目標を立てることが大事なんだよね。
そういうことが、この年になってやっと実感を持ってわかってきたのでありますよ。
サハラ砂漠のガロン樽の話でも書いたけど、結局、「やる」のは自分なんです。歩くのは自分。なら、ちゃんと適正な範囲でガロン樽を自分で置かなくちゃ。それもちゃんと過去の成果と次の目標が見通せるくらいの「達成可能スパン」を見切って置かないとダメだってことですね。
家の中にいて、自分の住んでいる家がどんな形をしてるのかすら知らない人は、まず自分の家から出てみることだと思うよ。
自分の世界にいて、自分の部屋から窓越しに世界を見てても、いつまでたっても肝心の「自分の家の形」は見えないんだ。
こればっかりは外に出るしかない。
この最初の小さな一歩が大事なんだよなぁ。
レッテル貼りとか読まずに批判とかってのは、自分の窓から見えた風景の意見でしかないんだよね。
で、それはもう、全然ダメなんだ。役に立たない。あまりに視野が狭すぎて。
表へ一歩踏み出して、自分の家を外から眺める。
この小さな小さな一歩が大切なんだよなぁ。
ま、そんなことで。
人間の人生において「学び」ほど重要なことはないなぁって思う。「これが正しい」と思っていても、別の見方を知れば、また考え方が変わり、深まり、人生のさまざまな面が見えてくる。
日本人だけの考え方で生きてきたのが、欧米の歴史と概念の流れを知ることで新たな発見があり、「異文化」がわかり、その異文化を知ることで、また日本独自の文化の良さも見えてくるというようなことだ。
こういう「学び」は、言わば「旅」のようなものなのだと思う。家を出て自分の住み家を外から観察し「へぇ〜、こうなっていたんだ」と感心して、そこからずんずんと歩き、公園を抜け山道を登り、小高い丘から自分たちの街を見下ろす。
そうか、うちの街も意外に大きい、あるいは小さいなどを発見しつつ山を越えると隣の町が見え、隣の国の存在を肌で感じ、そして世界の広がりを知る。
まぁ、言わばそういう「過程」こそが学びなんだろうと思う。
で、ここで大事なのは、こういう「過程」の一つ一つを、きちんと「自分のプロセス」として、実感できるかどうかなんだと思う。
自分の家を外から眺めるということすらしたことのない人に外国の話をしても、なかなか分らないんだろうなぁという気はしてきた。家から出て自分の家を観察するということすらしたことのない人には、外国はおろか隣町の存在すら、実感して理解することはできないと思う。
だから、まず小さな小さな第一歩を着実にはじめて、その「一歩」を踏み出したことによる意識の変化や、新しい視点を、ちゃんと味わって楽しむということをしないとダメなんだろうなぁって思うのだ。
でも、この「ちいさな一歩」が大事なんだということを知るまでがまたなかなかに大変な事なんだけど、ようやく最近、そのことがわかってきたように思う。
たとえば英語にしてからが、わかってない時ほどビッグワードの多い、小難しい教材に手を出す。単語を無理矢理つめこんだり。いやまぁ、それはそれで効果ななくはないんだけど、でもやっぱり基礎力がしっかりついてないとTOEICでは点数取れないんだよね。50ワードかそこいらの文章を何分もかかってやっとわかるとかだと実際上わかってないのと同じだ。
だから結局、基礎のやりなおし。中学英語の音読をバカみたいに繰り返すっていうのをやってる。
で、「ちいさな一歩」は別に学習内容のことだけじゃなくて目標の設定みたいなテクニックの面でも大事だなぁって思うのだ。
たとえば年に数冊も本を読まないような人が、いきなり一年で100冊読むとかの目標を立てても苦しいばかりだと思う。
まずは一冊を読むとか決めるのがいいんだ。いちばんわかりやすい。
ちょっと苦手だなと思うような本を「とにかく読み終えよう」くらいの小さな目標でとりかかるくらいがちょうどいいんだと思う。
で、やり終えたら自分をほめる。やったじゃないか! と実感する。私は素晴らしい! やればできる! そう実感する。これはウソではない。本当に「実現」したのだから。本当のことだから気持ちが良い。さわやかで外に開かれている。誰に自慢してもかまわない。
これが「学ぶステップ」ということなんだと思うのだ。あとはこの繰り返しだ。小さくて確実に達成できる目標をどんどん確実にこなしていく。そうすることで自分の自信は日々大きくなっていく。
ある程度「自信」がついたら、目標を大きくする。それこそ一年で100冊とかだ。これも達成できる数値にしておくのが「吉」。自分が達成する喜びを味わうことが、何より重要だから。
大きな目標を立てるのは「どうせ毎日飲むから、天然水の二リットルパックのケース買いをしておこう」というのと一緒だ。いちいち小さな目標を日々管理するより手軽に継続的な目標管理が可能になる。それはつまり「達成感のまとめ買い」ということでもある。
ケース買いが大量に買うほど単価が安くなるのと同じで、目標は大きければ大きいほど小さな目標もオトクになる。一般論で言うとスピードが上がるってことかな?(それだけでもないけど)
でかい夢なら、達成するために急いでやらないと時間が足りないとかがだんだんわかってくるから。そこではじめて「小さな一歩」に負荷をかけるようになってくる。「もっと急いでやらないと間に合わないよー」って気分になってくるわけだ。
でも、この「もっと急いでやらないと!」という気分になるかどうかは、実は最初の小さな一歩を、いかにゆったりと、自分のペースで味わったかという、ことがとても大事なのだ。
ゆっくりやれば楽しいとわかっていなくて、それで無理なスケジュールでやりだすと、全然楽しく感じられなくて大目標なんて達成できない。
小さな目標を着実にこなしてきたんだという実感だけが、「少し負荷をかける」を可能にしてくれるのである。
ここ、すごーく重要。
小さな達成感を味わっていなくて、大きな達成感は味わえないんだよなぁ。ほんとに。
だからまず、小さな目標を、それも「絶対に達成できる簡単な」目標を立てることが大事なんだよね。
そういうことが、この年になってやっと実感を持ってわかってきたのでありますよ。
サハラ砂漠のガロン樽の話でも書いたけど、結局、「やる」のは自分なんです。歩くのは自分。なら、ちゃんと適正な範囲でガロン樽を自分で置かなくちゃ。それもちゃんと過去の成果と次の目標が見通せるくらいの「達成可能スパン」を見切って置かないとダメだってことですね。
家の中にいて、自分の住んでいる家がどんな形をしてるのかすら知らない人は、まず自分の家から出てみることだと思うよ。
自分の世界にいて、自分の部屋から窓越しに世界を見てても、いつまでたっても肝心の「自分の家の形」は見えないんだ。
こればっかりは外に出るしかない。
この最初の小さな一歩が大事なんだよなぁ。
レッテル貼りとか読まずに批判とかってのは、自分の窓から見えた風景の意見でしかないんだよね。
で、それはもう、全然ダメなんだ。役に立たない。あまりに視野が狭すぎて。
表へ一歩踏み出して、自分の家を外から眺める。
この小さな小さな一歩が大切なんだよなぁ。
ま、そんなことで。
コメント
本を読む人はどんどん減ってるようですね。定期的に本を読む人は日本人の中でも数百万人くらいしかいないんでしょうね。
特に新刊をお金を出して読んでる人はすごく少ないと思います。読むけど図書館でだけとか多い。でも図書館じゃだめなんだよなー、真剣さがちょっと違うので身に付き方が違うように思います。
読まない人に「読みなさいよ」と言ってるのですけど、全然ダメですねー。
先人の知恵を得るのには最適なのになぁ。
マンガを含めるということなら、石の森章太郎の日本の歴史とか、横山光輝の三国志とか、ああいうのを読むと、あっというまに二十巻や三十巻はクリアしてしまいますよ。
マンガも優れているものは優れていて、スラムダンクなんかは「学び」に関して、「そうよなー、その通りよなー」と思わされることを書いてあったりして良いです。あれも一時期二十巻分一気に読みましたねー。マンガ喫茶で。
あ、あと最近でなら「ドラゴン桜」ですねぇ。あれは「勉強する」ということの本質を衝いてるなぁと思います。
んー、スラムダンクの話はまたそのうち書きますです。
ではでは。