ホタルの夜。

2005年6月11日 日常
この日記を書いているのは、2006年の1月27日なのだけど、ふと半年も前のことが書きたくなってきたので、ちょっと書きます。

あんまり、こういう公の場所でプライベートのことを書くのは好きでもないんですがね。でも、なんか幸せだなぁという実感がいろいろとあるので、たまにはこういうことも書きたくなったのであります。

もともと大阪生まれの大阪育ちなので、天然のホタルというものを見たことがない。でもしかし、彼女はもともと和歌山の生まれで、しかも、季節イベント重視、自然との触れあい好きと言う人なので天然のホタルを見に行くことが好きという人なのであります。

ということで、和歌山の山の中へホタルを見に行くことになりました。しかも、両方のオカン付きで。
母同士は、ともに旦那が他界していて、しかも同い年ということで、けっこう仲良く楽しくやっているのである。いままでにも高野山に四人で出かけたり、温泉に行ったり、いろいろ遊んでるのだけれど、これがまた、けっこう楽しい。

だいたい血液型が全員違うのだ。私はAB、彼女がA、うちの母親がBで、彼女のお母さんがO。なので、四人で会うと全員、意見も考え方も、物事を見てる視点も感じ方も、話すタイミングもぜーんぶ違うので、もうずーっと車の中でわいわいガヤガヤと話している感じにどうしてもなってしまうのだけど、これがけっこう楽しい。

ケタケタ笑ってる母親を見ていられるというのは安心なものである。また彼女のおかあさんが楽しい人で、道に迷った時など、車から顔を出し、見知らぬ土地のおじさんに「このへんでホタルのよく見えるところというとどのへんでしょうな」とか聞いてくれたりする。

ということで、そのまま道もわからずにどんどんと山の中へと入って行ったのだけど、走っているとボヤっと光が動く。「ありゃ、このあたりがそうと違うか?」ってことになって、道ばたに車を止める。もう暗くなってるからどこが何やら良く分からないけれど、道の下に流れる谷側の川端にはちらほらとホタルが見える。実に幻想的。

道から見下ろす川一帯にホタルが光っては消える美しさ。ほんとうに小さな光だから、車が通ったりすると見えなくなってしまう。でもけっこう穴場は知られているのか、次々に車がやってきては止まり、何人かの人が谷をのぞき込んでいる。

不思議なことに、多少のズレはあるものの、何メートルも何十メートルも離れているのに、ホタル同士の点滅のサイクルはあまりズレがない。何か連絡しあってるのだろうか。沢一帯がクリスマスツリーのように、薄青い、はかない光で飾られている雰囲気だ。

「いやーきれいだねー」としばらく見入っていたのだけれど、あたりを見回すと、少し遠くにもホタルがいてるようだったので、少し道の奥の方へと入ってみる。するとそれこそ真っ暗で何も見えないような通りになったのだけれど、もうすぐ近く、顔の前をホタルが通るような感じでなんとも言えない不思議な空間になっている。

谷からポーッと小さな光が、いくつも昇ってきては、道路の僕たちの前を通り過ぎて、そのまま山側へとゆっくりと上がって行く。

「ほら、あんなに高いところにもホタルがいてるわ」と指さしながら山道をすこし歩く。暗くて気がつかなかったけれど、この暗い道にも、とても大勢の人がいた。子供がいて年寄りがいて、夫婦連れがいて。街なかの縁日のような人の集まりだけれど、縁日のように裸電球で照らされるということもなく、周りにいる人たちの顔も良く分からない。わかるのは「わはー」とか「ほぉぉ」とか、ためいきとも感動ともつかない、小さなしゃべり声だけ。

どこの家族も、それぞれに、小さな幸せを携えて、こんな山奥まで来たんだろうなという感じがして良いものだった。

充分ホタルを堪能して、その夜は彼女の実家で四人とも泊まって帰ったのだけれど、実に楽しい一夜でありました。

うん。楽しかったよ。

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