あしあと機能とmixi
2006年1月18日 ●じぶんの心マップ コメント (2)mixiの真似して、あしあと機能がついたのはいいけど、オープンじゃないんだねぇ。誰かが内緒で覗いたりするのは、あんまり意味ないんだよなぁ。
やっぱりあしあと機能は完全にオープンでないとあんまり面白くない。
ここのところ、こっちに書いてるのが多いけど、いまは基本はミクシィのほうだなぁ。あっちの方がオープンで好き。明るくて健全だと思う。
2chも実は私個人は、あんまり好きじゃないんよねー。単純に玉石混淆の「石」が多すぎて効率悪い。
mixiは人づてに紹介してもらえないと入れないから、基本、オープンなんだよなぁ。
オープンだと責任感が出るから、みんなあんまり適当なことを書かない。書き込まれた情報がしっかりしてる。信頼度が比較的高い。そういうところが好きだなぁmixi。
mixiではアイデアマラソンの提唱者の樋口健夫さんとお知り合いになれたというのが、とても楽しい。いろいろメールのやりとりもさせてもらったりしてるけれど、人格者なんですなぁ。尊敬に値する。素晴らしい方です。
アイデアマラソンというのは、「ノートに発想を毎日つけていきましょう」というもので、これを続けることで発想豊かな人間になり、自信と自発性が養われるというもの。
こう書くと単純なんだけど、樋口さんのご本を読ませていただくと、その「毎日発想を出す」という考え方の裏に、どんな問題でも自分の知恵と力で解決していこう! というような豊かで健全な思いが背骨としてしっかり入っているという部分がとても大きいのを感じるのです。
もう、前から樋口健夫さんのことは素敵な人だなぁと思っていたので、知り合いになれて実にうれしいのですね。
樋口さんの本とかを読んでると、お子様への関わり方もとても魅力的で、ああ、こんな父親でいたいと思わせてくれるものだったりするんですね。
基本は「まず自分がやる」なんですな。たとえばアイデアマラソンとは別に「5か年計画」というのをやっておられる。
誰でも計画を立てたりはするんだけど、一年の計画だったり、突拍子もない夢の話だったりして、いまひとつ実現性がない。
でも5年計画というのは、とても実現性が高いんですね。一年ではできないことでも5年かけるとずいぶんいろんなことが実現可能になる。
で、これを自分でやる。で、やった結果、うまく行ったことを、お子様達にも勧めるということをしてる。
いいなぁ、このスタンス。すごくいい。
自分が実験台になって、良いモノだけ与えるって発想だもんなぁ。しっかりとした愛情があるんですね。
僕はアダルトチルドレンだったので、より良い愛情表現とか、より良い子供の育て方のノウハウとかを持ってないわけです。だから、ないものは学習しないといけない。ということで、けっこういつも世の「親族」というのは観察させてもらってるわけです。
で、いろいろ観察してると、いろんな親子を比較検討できるので、「ああいう親子関係はいまいちだなぁ」「あ、こういう親子はいいなぁ、これを目指そう」とかいうのが自然と頭の中にたまってるわけです。
でもねぇ、不思議というかなんというか、実はいきなり子供ができて、それで「親」になっちゃった人は、こういう観察をする余裕自体がない感じなんですねぇ。
ちょうど、舞台に立っている俳優が、観客から見ての演技としてどの程度に見えているかがわからないようで。
40すぎるまで結婚もせず、彼女もおらずで独身でいたので、逆にこのあたり冷静かつ客観的に点数をつけられるくらいにいろんな親子を見てきてたりするわけです。
特に、顕著に親子関係の善し悪しがストレートに出るのが「ファミレス」なんですな。
ファミレスでの対応を観察してると、本当に世間の親子関係がどういうものなのか、よくわかる。
ほんとうに素晴らしい親子関係だなぁと感じられる家族もいてるのだけれど、「そらアカンやろ」と思う家族も多い。
やっぱり最低なのは、親が親同士で子供を連れてきて、こどもそっちのけで雑談にふけってるパターン。ほんとに最悪。
子供にしたら無視されてるだけの拷問ですから、けなげに一人で(あるいは他の子供と)遊ぶわけですよ。で、そのうち走り回しだしたり、大声をあげたりしだす。
日本の各種施設は子供連れのことを考えてない環境が特に多いし、子育てがストレスのたまることなのはわかる。それに公園で遊ばせていた時の感覚があって、子供をほったらかしにしてしまうクセを持っているというのもわかる。
それでも「いくらなんでもほったらかしすぎやろ」というくらいほったらかしの親がいてるんですねぇ。いくら子供がワーワー言っても、何のアクションも起こさない。社会性がない。
でも、子供に罪はないわけです。これは親が悪いんだから。こういう時に、子供を騒がせない親というのもちゃんといると言うことを、ファミレスに行き慣れている私はよーーーーく知っているわけです。要するに、これは親が能力が低いんです。親としての能力が低い。
あまりにほったらかしにしてるんで、腹が立ってべちゃくちゃしゃべってる親たちのほうをにらんでやったりするんですね。そうするとどうするか!
ここがバカな親共通。子供を叱るんです。「ダメでしょ●●ちゃん。大きな声だしちゃ。」とか言う。
あほんだらー!!! 子供に罪はないわ、ぼけぇ! おまえがちゃんと相手してやってへんからいかんねやないかぁ! ドアホ!
と、どれだけ怒鳴りたくなるか。
悪いのはおまえじゃ、ぼけ。
子供はルールを知らないだけ。ちゃんとルールを教えるということもしてないんか!
それだけのことやないか! と思うわけで。
でもねぇ、多いんだ、この「オープンな公共空間でのルール」を、キチンと教えることもせずに、子供を頭ごなしに叱りつけるだけという親。
ほんとうに多い。
公共の場では大声を出したら、ほかの人に迷惑なんだよ、ということさえキチンと教えたら、子供はそういう間違った行動はそうそうしません。
で、その教え方がどれだけ信頼性の高い、堂々としたモノであるかないかで、子供の態度が変わるのです。
ようするに、親がルールをキチンと体得してないから、子供に伝えきれない、というだけなんですよ。
なぜそうしなければいけないのか。
そういう倫理観みたいなものを、自分の中に組み上げてこなかったから、「子供にもわかる、わかりやすい言い方」で、説明ができないってことなわけです。ようするに親が子供なだけ。
なのに、こういうことを言うと「子供を産んでもいない人にえらそうに言われたくない」とか言うのよなー、このタイプの人は。まず間違いなく。他の家族でキチンと守っている人がいてるということすら知らないままに。
自分を省みる、ということができてないのです。ようするに。
僕がいろいろ見た中では、子供とともにテーブルを囲み、話題の内容を勘案しつつ、子供と大人がともに参加できる話題をしながら食事をしている家族というのが、まぁ「これなら僕にもやれそうだ」と感じられた基準ですね。
そこへ至るまでには、たぶんちゃんと「公共の場では大きな声を上げたらだめなんだよ」「なんで?」「それはね…」というやりとりがキチンとされているはずで、それをちゃんと子供にもわかる言い方で伝えているはずなわけです。
で、それを、わかりやすく伝えるってことをするためには、日々、よほど「公共の場でのルールは何故あるのか」をキチンと深く考えていないと、子供に説得力を持って説明なんかできないんですね。
そんなものね、頭ごなしに叱りつけても子供には意味わからんですって。言うこと聞かないですって。で、それは子供が悪いんじゃなくて親が勉強不足なだけってことです。
社会の中での「自分」というものを、自分がキチンと育ててこなかったから、子供を育てることもできないっていう、ただそれだけのことなんです。
自分を育てることが出来てない人に、子供を育てることができるわけがない。
だから、自分の中が空っぽだから、親の権威をカサにきて叱りつけるという程度のことしかできないわけで。
僕は大学時代喫茶店でウェイターもやっていたし、独身が長くてしょっちゅうファミレスのお世話になってるから、子供が騒ぎ出したり席から離れたりしたら、
「こらこら、ウェイターの人にぶつかったりしたら頭からカレーがかかって、あつつつつとかになるから座ってなさい。」くらいは言えるし、「こういう場所では、本を読んだり内緒話をしたい人もいてるから大きな声をだしてはいけないんだよ。こっちへおいで、一緒にお話ししよ。」とか言うはずだ。
大事なのは、この「子供の納得」なのだ。納得しない限り、子供は絶対にまた騒ぎ出す。
騒ぐ子供は納得してない子で、それは親が子供を納得させられるだけの「中身」を持ってないというだけのことなのだ。
中身がないなら、せめて「おかぁちゃんにもよーわからんけど、こういうところでは大きな声を出したらアカンのよ。」くらいは言え。自分の無知をさらすという程度の勇気は持ってもいいだろう。親にも分らないことがあるんだと分れば、子供も納得するのだ。
ところが、世の親の6割くらいは「静かにしなきゃだめでしょ!」と理由もなく叱りつけるだけ。だから納得してなくて、しばらくするとまた騒ぎ出す。
ほんと、せめて「わからんけど、そうなってる」くらいは言えよなー。親の権威で子供を押さえつけて、それで親でございはなかろうって思う。
子供はその生存権を親に握られてるから不承不承従うしかないけど、そら酷でっせ、そういうところで押さえつけられるのは。
ということで、親の無知は、そのまま子供の不自由に直結する。親の倫理観の無さは子供のストレスの高さにストレートに結びつく。バカな親は子供を痛めつけるだけなのだ。
だからね、人間はみんな一緒だと思うけど、とにかく日々「自分の弱点を自省して、その克服に邁進する」という「自分育て」をこそ、えんえんとやってないとしょうがないものなのだと思うわけですよ。
ほんとにね、他者を恨んだり怒ったりしてるヒマは、ほんとうはない。(どうしても怒りの感情が出てしまうことはあるけどね。でもその間は自分の成長はないので、ものすごくムダなのだ。)
ましてや、他者を許すとかそういう高度なことなどできるわけがない。自分の過ちを修正できない人間に、他者の過ちを「認識」して、その過ちの起きた理由や背景を「理解」して、「ああ、そういうことなら仕方ないね」と自分がやったあまたの過ちと比べてその体験との比較から許す、なんてことができるわけがないのだ。
他者を許すためには、まず自分を許さないと許せる訳がないのだ。ということは、自分がまず、自分のやったことを「あー、恥ずかしい」とか思わないと許せるはずがないってことです。
で、この「あー恥ずかしい」とかは、まず自分の過ち、自分の勘違いなどを、正しく正確に把握してないと湧いてもこない感情なのですね。
だから自分が過ちを犯していると気づけない人が他者を許すなんてことは到底できるわけがないんですね。
だからまず、つねに必要なのは「自分育て」です。子供のことはどうでもよろし。親がまともな行動と言動を自信を持ってしていたら、子供は自然と真似るんだから、それが一番の教育です。
少なくとも僕がファミレスなどで見てきたまともな親子はそうだった。
数は少ないけど、ちゃんとまともな親子はいてます。
たとえば、ウェイターが食事を持って来たら「あ、ありがとう」とスッと言う親ね。
ただこの一言が、いかに効果があるか。
「ありがとう」と言った当人は気づいてないけれど、子供にもウェイター・ウェイトレスにも、隣の席にいてる人間にも、ものすごく高い、良い効果を与えている。一気に場がなごむし、こどもも席に着いていることの意味、サービスしてもらう立場なのだということを瞬間に理解する。
ちゃんとやってる人はいてるんです。できてないのは親が悪い。単に勉強不足。それだけのこと。で、子供は未熟なんだから出来てなくて当然です。だからそういうところで「叱って」も、意味なんか全然ないんだけど、どういう訳か「叱る」って親の方がはるかに多いんだよなー。
いや、まだ叱るならマシで、叱りつけた後に子供が言うことを聞かなかったからと、親が「ふん」って横を向いてすねるとか無視するとか、そういうバカなことをやってるのがいたりするからたまらん。あまりにひどい。
アダルトチルドレンの話にまたなってしまうけれど、たとえばギャンブル依存症もそうだし、アルコール依存症もそうなんだけれど、依存している当人だけが、それに気づけないわけです。
ギャンブルはしても依存するところまではやらない人とか、アルコールは飲んでも依存するところまでは行かないという人もいっぱいいる。でも依存している人は、普通の人から見ると一発でわかっちゃうんですよね。それは言動・態度をじっと見てれば、まぁわかる。わかってないのは当人だけなんです。
だってヘンだもん。そらわかるよ。
で、依存症は他にもいろいろあるけど、親が子供依存になってるのが多いわけです。「親の権威依存」かも知れない。そういうのは、もう見てればはっきりとわかるわけですよ。このファミレスの例なんかは端的な例。
横のテーブルに、ちゃんとまともな親子が子供を騒がせずに、楽しく食事してるのに、それを観察もできずに自分の子供は走り回らせてる、なんていうひどいのもいてる。「よその子はおとなしいけど、うちの子はやんちゃだから」とか自分勝手なことを思ってるのよなー。
違うって。親の教育がダメなだけだって。悪いのは子供ではない。子どもは未熟で当然なんだから。なら悪いのは親に決まってるでしょうが。どうしてそこをわからんのかってことですね。
そこを反省もせずに、子供を自分の思い通りにしようとするのが教育だと勘違いしている。強制的に言うことを聞かせるのが教育だと思っている。いや、それは単なる拷問ですから。児童虐待でしかないんですってそれは。説明なしの命令なんて、そんなもん普段の仕事で出されたら、もうそれだけで嫌になるはずです。なのに、どういうわけか、子供に対してはそれをやってもかまわないとか思ってたりするんよなー、あかんって、それ。
自分たちの家族しかみてないから、「自分たちの家族の偏差値」がわかってないわけです。
独身者から、つねに採点されてるとすら気づいてない。バイトのウェイトレスが「あんな家族になりたい」と思う家族と、「こんな家族にはなりたくないよな」と思う家族がいてるのだ、ということがわからない。
結局、自分たちの家族のことしか頭にないからそうなるのだ。
広い社会の中での個人、そういう「ひとりの私」という意識がないから、自分の心の中を覗くということができないのですね。で、自分自身の反省ということを習慣にしてないから、子供という弱者を「言うことを聞かせてかまわない」という暴力で縛り付けるだけになるのだ。
わかってない人はもう、ずーっとわかってないままなんよなー。ほんと気づけよって言いたい。ほんとうにわかってない親はちょんばれなんですよねー。ダメ親は本当にダメだ。見ていて本当に良く分かる。
で、こういう事を伝えて「あ、そら確かにまずい」と思う人と、これだけ書いてもまだ自分の問題に気づけずに、かたくなに「ふん、子供を持ってない人に言われたくはないわ」と言う人とに別れるだよなー。
わかる人はわかる。で、ちゃんと勉強する。良い親のモデルを探して学習して身につける。
わからん人はわからん。「ふん」と言って横を向く。成長しない。ダメ人間のまま。
本来なら秘密日記で書くべきなのかも知れないけど、あえて名前出しちゃうと、ちょめこさんなんか、学習の人。こっちがびっくりした。「こんな本、読んでみたら」と言った一言で、こっちがびっくりするくらい、一気に発想から行動まで変わってしまわれた。ここまで徹底してる人もめずらしい。(でも、あんまり一気にやると反動とかしんどいし、ゆっくりやってね。)
かと思うと、本を紹介しても、その本を読みもしないで、読まずに批判したりするような人もいてる。
なんなんだろうなぁ、この極端な差は。
正しい認識を持った方が、はるかに、はるかに、はるかに、はるかに、圧倒的に幸せになれるからこそ、言ってるのに、その肝心の「幸せの秘密」を理解しようとしない。
わかりたくない人というのは、もうずーっと、わかりたくない人なんだろうなぁと思う。
うちの父で言うと、母親に捨てられたんだという事実を、ちゃんと「単なる事実」として、自分の体の中に受け入れれば良いだけのことを、どうしても受け入れられなかったから、バクチでごまかしていたんだろうなって思う。
そら、事実を受け入れるのは辛いかもしらんけど、事実は事実なんだからしょうがないじゃん。そこから逃げてても、自分が幸せにはなれないよね。
嫌な事でも事実は事実として受け入れて悲しみをちゃんと味わって、そんで「自分の幸せづくり」に邁進しないとダメだと思う。
でも、この悲しい事を受け入れるとか、自分のダメな部分を反省するとかをしないで、その代わりにバクチするとか酒飲むとか、子供をコントロールしてうさはらすとかしてる人がけっこう多い。
特に子供をコントロールしてうさはらす人ってのが最悪だわなぁ。子供は俺の分身だとかなんとか思ってる。社会的なルールとかをキチンと学ぶ、その学んだことを伝えるという、正しい「伝承」をやってないから、「血縁」ということを伝承の根拠にするわけで。中身の無さが恥ずかしい。
mixiからずいぶん離れた話題になってしまいましたが、アイデアマラソンの樋口さんの子育ての話とかは、まさにこういう、自分が苦労して身につけてきたことの伝承なので、聞いていてとても暖かくて好きなのだ。
「ああ、これが本当の愛情だよなぁ」ってわかる。
で、そういうことを学習できるから書物っていうのは素晴らしいって思うのだ。
やっぱり本を読まないとダメだよね。
つくづくそう思う。
批判したり、すねたり、自分の立場を守ったり、勝手な妄想をふくらませて、「反発のための反発」をしてる間は、本当に人生のムダだと思う。本当に得るところがまったくない。
でも、そういう行動を取ってしまうのが、まぁアダルトチルドレンでなぁ。で、そういう「反発のための反発」こそが自分らしさなんだとか思いこもうとしてるんよな。
結局、タイトルの話につながるんだけど、自分のやってきたこと、「あしあと」が誇れるか、隠したくなるかの差なんだと思う。反省をその場その場でキチンとやって来たひとは足跡を誇れると思う。でも、何かの依存症で、自分の恥とかからひたすら目を背けてきたひとは、ずーっと隠れなきゃならない。
そんなの面白くないだろうに。
でも、反発のための反発なんて誇れるはずはないんだけど、内面の衝動みたいなものがあって、「これこそが正しいのだ」みたいな強い思いこみがどうしても消えないってことなんだろうなぁ。
それこそまさにアダルトチルドレンなんだけど。
あしあと機能って、自分の行動なんだから、そこをオープンにするってのが大事だと思う。それが自分を見つめることにもなるし。mixiで樋口さんとお知り合いになれたのも足跡機能からだったしなぁ。いいですよ。足跡機能。完全オープン化希望だわ。それこそがみんなを幸せにすると思うけどなぁ。
うーん。
ま、ここまでにしとこ。
約8000字か。まぁ、このくらいが一単位ってのが多いかなぁ。ちょっと複雑な概念を書くとなると。
うむー。
やっぱりあしあと機能は完全にオープンでないとあんまり面白くない。
ここのところ、こっちに書いてるのが多いけど、いまは基本はミクシィのほうだなぁ。あっちの方がオープンで好き。明るくて健全だと思う。
2chも実は私個人は、あんまり好きじゃないんよねー。単純に玉石混淆の「石」が多すぎて効率悪い。
mixiは人づてに紹介してもらえないと入れないから、基本、オープンなんだよなぁ。
オープンだと責任感が出るから、みんなあんまり適当なことを書かない。書き込まれた情報がしっかりしてる。信頼度が比較的高い。そういうところが好きだなぁmixi。
mixiではアイデアマラソンの提唱者の樋口健夫さんとお知り合いになれたというのが、とても楽しい。いろいろメールのやりとりもさせてもらったりしてるけれど、人格者なんですなぁ。尊敬に値する。素晴らしい方です。
アイデアマラソンというのは、「ノートに発想を毎日つけていきましょう」というもので、これを続けることで発想豊かな人間になり、自信と自発性が養われるというもの。
こう書くと単純なんだけど、樋口さんのご本を読ませていただくと、その「毎日発想を出す」という考え方の裏に、どんな問題でも自分の知恵と力で解決していこう! というような豊かで健全な思いが背骨としてしっかり入っているという部分がとても大きいのを感じるのです。
もう、前から樋口健夫さんのことは素敵な人だなぁと思っていたので、知り合いになれて実にうれしいのですね。
樋口さんの本とかを読んでると、お子様への関わり方もとても魅力的で、ああ、こんな父親でいたいと思わせてくれるものだったりするんですね。
基本は「まず自分がやる」なんですな。たとえばアイデアマラソンとは別に「5か年計画」というのをやっておられる。
誰でも計画を立てたりはするんだけど、一年の計画だったり、突拍子もない夢の話だったりして、いまひとつ実現性がない。
でも5年計画というのは、とても実現性が高いんですね。一年ではできないことでも5年かけるとずいぶんいろんなことが実現可能になる。
で、これを自分でやる。で、やった結果、うまく行ったことを、お子様達にも勧めるということをしてる。
いいなぁ、このスタンス。すごくいい。
自分が実験台になって、良いモノだけ与えるって発想だもんなぁ。しっかりとした愛情があるんですね。
僕はアダルトチルドレンだったので、より良い愛情表現とか、より良い子供の育て方のノウハウとかを持ってないわけです。だから、ないものは学習しないといけない。ということで、けっこういつも世の「親族」というのは観察させてもらってるわけです。
で、いろいろ観察してると、いろんな親子を比較検討できるので、「ああいう親子関係はいまいちだなぁ」「あ、こういう親子はいいなぁ、これを目指そう」とかいうのが自然と頭の中にたまってるわけです。
でもねぇ、不思議というかなんというか、実はいきなり子供ができて、それで「親」になっちゃった人は、こういう観察をする余裕自体がない感じなんですねぇ。
ちょうど、舞台に立っている俳優が、観客から見ての演技としてどの程度に見えているかがわからないようで。
40すぎるまで結婚もせず、彼女もおらずで独身でいたので、逆にこのあたり冷静かつ客観的に点数をつけられるくらいにいろんな親子を見てきてたりするわけです。
特に、顕著に親子関係の善し悪しがストレートに出るのが「ファミレス」なんですな。
ファミレスでの対応を観察してると、本当に世間の親子関係がどういうものなのか、よくわかる。
ほんとうに素晴らしい親子関係だなぁと感じられる家族もいてるのだけれど、「そらアカンやろ」と思う家族も多い。
やっぱり最低なのは、親が親同士で子供を連れてきて、こどもそっちのけで雑談にふけってるパターン。ほんとに最悪。
子供にしたら無視されてるだけの拷問ですから、けなげに一人で(あるいは他の子供と)遊ぶわけですよ。で、そのうち走り回しだしたり、大声をあげたりしだす。
日本の各種施設は子供連れのことを考えてない環境が特に多いし、子育てがストレスのたまることなのはわかる。それに公園で遊ばせていた時の感覚があって、子供をほったらかしにしてしまうクセを持っているというのもわかる。
それでも「いくらなんでもほったらかしすぎやろ」というくらいほったらかしの親がいてるんですねぇ。いくら子供がワーワー言っても、何のアクションも起こさない。社会性がない。
でも、子供に罪はないわけです。これは親が悪いんだから。こういう時に、子供を騒がせない親というのもちゃんといると言うことを、ファミレスに行き慣れている私はよーーーーく知っているわけです。要するに、これは親が能力が低いんです。親としての能力が低い。
あまりにほったらかしにしてるんで、腹が立ってべちゃくちゃしゃべってる親たちのほうをにらんでやったりするんですね。そうするとどうするか!
ここがバカな親共通。子供を叱るんです。「ダメでしょ●●ちゃん。大きな声だしちゃ。」とか言う。
あほんだらー!!! 子供に罪はないわ、ぼけぇ! おまえがちゃんと相手してやってへんからいかんねやないかぁ! ドアホ!
と、どれだけ怒鳴りたくなるか。
悪いのはおまえじゃ、ぼけ。
子供はルールを知らないだけ。ちゃんとルールを教えるということもしてないんか!
それだけのことやないか! と思うわけで。
でもねぇ、多いんだ、この「オープンな公共空間でのルール」を、キチンと教えることもせずに、子供を頭ごなしに叱りつけるだけという親。
ほんとうに多い。
公共の場では大声を出したら、ほかの人に迷惑なんだよ、ということさえキチンと教えたら、子供はそういう間違った行動はそうそうしません。
で、その教え方がどれだけ信頼性の高い、堂々としたモノであるかないかで、子供の態度が変わるのです。
ようするに、親がルールをキチンと体得してないから、子供に伝えきれない、というだけなんですよ。
なぜそうしなければいけないのか。
そういう倫理観みたいなものを、自分の中に組み上げてこなかったから、「子供にもわかる、わかりやすい言い方」で、説明ができないってことなわけです。ようするに親が子供なだけ。
なのに、こういうことを言うと「子供を産んでもいない人にえらそうに言われたくない」とか言うのよなー、このタイプの人は。まず間違いなく。他の家族でキチンと守っている人がいてるということすら知らないままに。
自分を省みる、ということができてないのです。ようするに。
僕がいろいろ見た中では、子供とともにテーブルを囲み、話題の内容を勘案しつつ、子供と大人がともに参加できる話題をしながら食事をしている家族というのが、まぁ「これなら僕にもやれそうだ」と感じられた基準ですね。
そこへ至るまでには、たぶんちゃんと「公共の場では大きな声を上げたらだめなんだよ」「なんで?」「それはね…」というやりとりがキチンとされているはずで、それをちゃんと子供にもわかる言い方で伝えているはずなわけです。
で、それを、わかりやすく伝えるってことをするためには、日々、よほど「公共の場でのルールは何故あるのか」をキチンと深く考えていないと、子供に説得力を持って説明なんかできないんですね。
そんなものね、頭ごなしに叱りつけても子供には意味わからんですって。言うこと聞かないですって。で、それは子供が悪いんじゃなくて親が勉強不足なだけってことです。
社会の中での「自分」というものを、自分がキチンと育ててこなかったから、子供を育てることもできないっていう、ただそれだけのことなんです。
自分を育てることが出来てない人に、子供を育てることができるわけがない。
だから、自分の中が空っぽだから、親の権威をカサにきて叱りつけるという程度のことしかできないわけで。
僕は大学時代喫茶店でウェイターもやっていたし、独身が長くてしょっちゅうファミレスのお世話になってるから、子供が騒ぎ出したり席から離れたりしたら、
「こらこら、ウェイターの人にぶつかったりしたら頭からカレーがかかって、あつつつつとかになるから座ってなさい。」くらいは言えるし、「こういう場所では、本を読んだり内緒話をしたい人もいてるから大きな声をだしてはいけないんだよ。こっちへおいで、一緒にお話ししよ。」とか言うはずだ。
大事なのは、この「子供の納得」なのだ。納得しない限り、子供は絶対にまた騒ぎ出す。
騒ぐ子供は納得してない子で、それは親が子供を納得させられるだけの「中身」を持ってないというだけのことなのだ。
中身がないなら、せめて「おかぁちゃんにもよーわからんけど、こういうところでは大きな声を出したらアカンのよ。」くらいは言え。自分の無知をさらすという程度の勇気は持ってもいいだろう。親にも分らないことがあるんだと分れば、子供も納得するのだ。
ところが、世の親の6割くらいは「静かにしなきゃだめでしょ!」と理由もなく叱りつけるだけ。だから納得してなくて、しばらくするとまた騒ぎ出す。
ほんと、せめて「わからんけど、そうなってる」くらいは言えよなー。親の権威で子供を押さえつけて、それで親でございはなかろうって思う。
子供はその生存権を親に握られてるから不承不承従うしかないけど、そら酷でっせ、そういうところで押さえつけられるのは。
ということで、親の無知は、そのまま子供の不自由に直結する。親の倫理観の無さは子供のストレスの高さにストレートに結びつく。バカな親は子供を痛めつけるだけなのだ。
だからね、人間はみんな一緒だと思うけど、とにかく日々「自分の弱点を自省して、その克服に邁進する」という「自分育て」をこそ、えんえんとやってないとしょうがないものなのだと思うわけですよ。
ほんとにね、他者を恨んだり怒ったりしてるヒマは、ほんとうはない。(どうしても怒りの感情が出てしまうことはあるけどね。でもその間は自分の成長はないので、ものすごくムダなのだ。)
ましてや、他者を許すとかそういう高度なことなどできるわけがない。自分の過ちを修正できない人間に、他者の過ちを「認識」して、その過ちの起きた理由や背景を「理解」して、「ああ、そういうことなら仕方ないね」と自分がやったあまたの過ちと比べてその体験との比較から許す、なんてことができるわけがないのだ。
他者を許すためには、まず自分を許さないと許せる訳がないのだ。ということは、自分がまず、自分のやったことを「あー、恥ずかしい」とか思わないと許せるはずがないってことです。
で、この「あー恥ずかしい」とかは、まず自分の過ち、自分の勘違いなどを、正しく正確に把握してないと湧いてもこない感情なのですね。
だから自分が過ちを犯していると気づけない人が他者を許すなんてことは到底できるわけがないんですね。
だからまず、つねに必要なのは「自分育て」です。子供のことはどうでもよろし。親がまともな行動と言動を自信を持ってしていたら、子供は自然と真似るんだから、それが一番の教育です。
少なくとも僕がファミレスなどで見てきたまともな親子はそうだった。
数は少ないけど、ちゃんとまともな親子はいてます。
たとえば、ウェイターが食事を持って来たら「あ、ありがとう」とスッと言う親ね。
ただこの一言が、いかに効果があるか。
「ありがとう」と言った当人は気づいてないけれど、子供にもウェイター・ウェイトレスにも、隣の席にいてる人間にも、ものすごく高い、良い効果を与えている。一気に場がなごむし、こどもも席に着いていることの意味、サービスしてもらう立場なのだということを瞬間に理解する。
ちゃんとやってる人はいてるんです。できてないのは親が悪い。単に勉強不足。それだけのこと。で、子供は未熟なんだから出来てなくて当然です。だからそういうところで「叱って」も、意味なんか全然ないんだけど、どういう訳か「叱る」って親の方がはるかに多いんだよなー。
いや、まだ叱るならマシで、叱りつけた後に子供が言うことを聞かなかったからと、親が「ふん」って横を向いてすねるとか無視するとか、そういうバカなことをやってるのがいたりするからたまらん。あまりにひどい。
アダルトチルドレンの話にまたなってしまうけれど、たとえばギャンブル依存症もそうだし、アルコール依存症もそうなんだけれど、依存している当人だけが、それに気づけないわけです。
ギャンブルはしても依存するところまではやらない人とか、アルコールは飲んでも依存するところまでは行かないという人もいっぱいいる。でも依存している人は、普通の人から見ると一発でわかっちゃうんですよね。それは言動・態度をじっと見てれば、まぁわかる。わかってないのは当人だけなんです。
だってヘンだもん。そらわかるよ。
で、依存症は他にもいろいろあるけど、親が子供依存になってるのが多いわけです。「親の権威依存」かも知れない。そういうのは、もう見てればはっきりとわかるわけですよ。このファミレスの例なんかは端的な例。
横のテーブルに、ちゃんとまともな親子が子供を騒がせずに、楽しく食事してるのに、それを観察もできずに自分の子供は走り回らせてる、なんていうひどいのもいてる。「よその子はおとなしいけど、うちの子はやんちゃだから」とか自分勝手なことを思ってるのよなー。
違うって。親の教育がダメなだけだって。悪いのは子供ではない。子どもは未熟で当然なんだから。なら悪いのは親に決まってるでしょうが。どうしてそこをわからんのかってことですね。
そこを反省もせずに、子供を自分の思い通りにしようとするのが教育だと勘違いしている。強制的に言うことを聞かせるのが教育だと思っている。いや、それは単なる拷問ですから。児童虐待でしかないんですってそれは。説明なしの命令なんて、そんなもん普段の仕事で出されたら、もうそれだけで嫌になるはずです。なのに、どういうわけか、子供に対してはそれをやってもかまわないとか思ってたりするんよなー、あかんって、それ。
自分たちの家族しかみてないから、「自分たちの家族の偏差値」がわかってないわけです。
独身者から、つねに採点されてるとすら気づいてない。バイトのウェイトレスが「あんな家族になりたい」と思う家族と、「こんな家族にはなりたくないよな」と思う家族がいてるのだ、ということがわからない。
結局、自分たちの家族のことしか頭にないからそうなるのだ。
広い社会の中での個人、そういう「ひとりの私」という意識がないから、自分の心の中を覗くということができないのですね。で、自分自身の反省ということを習慣にしてないから、子供という弱者を「言うことを聞かせてかまわない」という暴力で縛り付けるだけになるのだ。
わかってない人はもう、ずーっとわかってないままなんよなー。ほんと気づけよって言いたい。ほんとうにわかってない親はちょんばれなんですよねー。ダメ親は本当にダメだ。見ていて本当に良く分かる。
で、こういう事を伝えて「あ、そら確かにまずい」と思う人と、これだけ書いてもまだ自分の問題に気づけずに、かたくなに「ふん、子供を持ってない人に言われたくはないわ」と言う人とに別れるだよなー。
わかる人はわかる。で、ちゃんと勉強する。良い親のモデルを探して学習して身につける。
わからん人はわからん。「ふん」と言って横を向く。成長しない。ダメ人間のまま。
本来なら秘密日記で書くべきなのかも知れないけど、あえて名前出しちゃうと、ちょめこさんなんか、学習の人。こっちがびっくりした。「こんな本、読んでみたら」と言った一言で、こっちがびっくりするくらい、一気に発想から行動まで変わってしまわれた。ここまで徹底してる人もめずらしい。(でも、あんまり一気にやると反動とかしんどいし、ゆっくりやってね。)
かと思うと、本を紹介しても、その本を読みもしないで、読まずに批判したりするような人もいてる。
なんなんだろうなぁ、この極端な差は。
正しい認識を持った方が、はるかに、はるかに、はるかに、はるかに、圧倒的に幸せになれるからこそ、言ってるのに、その肝心の「幸せの秘密」を理解しようとしない。
わかりたくない人というのは、もうずーっと、わかりたくない人なんだろうなぁと思う。
うちの父で言うと、母親に捨てられたんだという事実を、ちゃんと「単なる事実」として、自分の体の中に受け入れれば良いだけのことを、どうしても受け入れられなかったから、バクチでごまかしていたんだろうなって思う。
そら、事実を受け入れるのは辛いかもしらんけど、事実は事実なんだからしょうがないじゃん。そこから逃げてても、自分が幸せにはなれないよね。
嫌な事でも事実は事実として受け入れて悲しみをちゃんと味わって、そんで「自分の幸せづくり」に邁進しないとダメだと思う。
でも、この悲しい事を受け入れるとか、自分のダメな部分を反省するとかをしないで、その代わりにバクチするとか酒飲むとか、子供をコントロールしてうさはらすとかしてる人がけっこう多い。
特に子供をコントロールしてうさはらす人ってのが最悪だわなぁ。子供は俺の分身だとかなんとか思ってる。社会的なルールとかをキチンと学ぶ、その学んだことを伝えるという、正しい「伝承」をやってないから、「血縁」ということを伝承の根拠にするわけで。中身の無さが恥ずかしい。
mixiからずいぶん離れた話題になってしまいましたが、アイデアマラソンの樋口さんの子育ての話とかは、まさにこういう、自分が苦労して身につけてきたことの伝承なので、聞いていてとても暖かくて好きなのだ。
「ああ、これが本当の愛情だよなぁ」ってわかる。
で、そういうことを学習できるから書物っていうのは素晴らしいって思うのだ。
やっぱり本を読まないとダメだよね。
つくづくそう思う。
批判したり、すねたり、自分の立場を守ったり、勝手な妄想をふくらませて、「反発のための反発」をしてる間は、本当に人生のムダだと思う。本当に得るところがまったくない。
でも、そういう行動を取ってしまうのが、まぁアダルトチルドレンでなぁ。で、そういう「反発のための反発」こそが自分らしさなんだとか思いこもうとしてるんよな。
結局、タイトルの話につながるんだけど、自分のやってきたこと、「あしあと」が誇れるか、隠したくなるかの差なんだと思う。反省をその場その場でキチンとやって来たひとは足跡を誇れると思う。でも、何かの依存症で、自分の恥とかからひたすら目を背けてきたひとは、ずーっと隠れなきゃならない。
そんなの面白くないだろうに。
でも、反発のための反発なんて誇れるはずはないんだけど、内面の衝動みたいなものがあって、「これこそが正しいのだ」みたいな強い思いこみがどうしても消えないってことなんだろうなぁ。
それこそまさにアダルトチルドレンなんだけど。
あしあと機能って、自分の行動なんだから、そこをオープンにするってのが大事だと思う。それが自分を見つめることにもなるし。mixiで樋口さんとお知り合いになれたのも足跡機能からだったしなぁ。いいですよ。足跡機能。完全オープン化希望だわ。それこそがみんなを幸せにすると思うけどなぁ。
うーん。
ま、ここまでにしとこ。
約8000字か。まぁ、このくらいが一単位ってのが多いかなぁ。ちょっと複雑な概念を書くとなると。
うむー。
コメント
当然、母はキレました。「育ててやったのになんだその態度は!あんたなんかロクな親にならないわ。そんなことを考えているようではお腹の子に悪いことぐらいわからないのか。」
私の恐怖は確信へと変わりました。
私は子育てがわかりません。子供への接し方がわかりません。子供との遊び方がわかりません。子供への世話の仕方がわかりません。子供をどのようにかわいがったらいいのかわかりません。子供をどうやってしつけたらいいのかわかりません。
私は全部親から学んできていません。
だから私は子育てに関する本が20冊以上もあります。
周りの人は全員こういいます。
「そんな本に踊らされたって正しい子育てなんかできないよ。本の通りに子供は育たないんだから。」
おっしゃるとおりです。
しかし、自分を信用し、自分に自信があり、親からしてもらったことを実行に移すだけの人なら子育ての本なんか必要ないでしょう。
私はまず自分を育てることから始めなくてはなりませんでした。
そうやっている間にも子供はどんどん成長していきます。
だから急がないと急がないと!!!とあせったら、フラッシュバックを起こしたことも事実です(笑)
ところでmixiって聞いたことはあるんですが、私でも参加できるんでしょうか?
mixiメンバーから招待されたら誰でも参加できますよ。ご招待しましょうか? ならメアドを教えてくださいね。私のアドレスはHOMEにありますし。
> だから私は子育てに関する本が20冊以上もあります。
それって大事なことですよ。踊らされるなんととんでもない。まず知りたいテーマの全体像を知り、必要なポイントを押さえる。そういう時には書籍が一番です。ネットと違ってちゃんと「文脈」を持って整理されていますから、何が重要で、何が重要でないかなどの軽重がストンとわかります。
先人の知恵を、まず利用させてもらうというのが賢いです。そういうこともしない方がおかしい。最終的には自分がチョイスするんだから別に踊らされてることにはならないと思うなぁ。読んだ上で判断したらいいと思う。
なんでなんでしょうね、本を読んだら洗脳されるとでも思ってるのかなぁ。どんな本を読んでも、大事なことは大事って書いてあるし、大事なことを知らずにいてる方が、よほどまずいと思うのだけど。