三色ボールペン情報活用術
ISBN:4047041351 新書 齋藤 孝 角川書店 2003/06 ¥800

えーっと、三色ボールペン活用術です。知ってる人は知ってますが、赤・緑・青の三色のボールペンで、線を引きながら本を読んでいこう、という提案の勉強術本です。

で、実は今日は本の紹介ではありません。先日の「幸福な家庭は一様だが、不幸な家庭はさまざまである」という言葉の別の側面からの証明をしたいと思って書いてます。

三色ボールペン活用術において、赤は「文脈上、大事と思われたところ」青は「まぁ大事かな、というようなところ」緑は「文章の内容とは関係なく自分が面白いと思ったところ」の意味を持たせて、本に傍線を引いていくということをします。

こうすると、後で読み直しをしたりするときも読みやすくて良いです。僕は抜き書き派なので、あんまり書き込みはしませんけど、良い提案だと思います。(最近は自分の書いたものに三色ボールペンでチェックを入れてます。)

で、です。

大事なのは、「赤」です。

本を読みながら大事なところに線を入れるという行為を続けていくと、赤線を引く場所が、まぁだいたい同じ本なら、多くの人が同じ場所に赤線を引くようになるということです。

たとえば、あんまり読書になじんでない人、あるいは本を読むことは良くやっていても、線を入れるということはやったことがない人だったりすると、「大事だ」と入れる赤線の位置が、他の人とは違うのだそうです。

ちょっとずれる。

それはやっぱり、キチンと読み解く、ということができてないからなんですね。書物が伝えようとすることをキチンと受け取ろうとしてない、あるいは、それだけの素養がない、ということなんです。

しかし、齋藤孝さんの教え子たちは、誰であれ「文章の趣旨をくみ取る」という練習をしていけば、自然と赤線を引く位置は決まってくる、同じになるのだそうです。

こういうのを普遍性といいます。

これ、本当は当たり前なんです。作者が何かを伝えようとして書いているのだから、その伝わる部分は同じなのが当たり前で、赤線の位置が、ずれるというのは、たぶん「自分勝手な読み解き方」をしているのですよ。

でも、最初のうちは、自分が自分勝手な読み解き方をしているのだということに気づけないんです。少しずつ練習していって、「みんなと同じところを大事と思える」ようになってくるんです。

これは文章の読み方、ということに対するひとつの例ですが、これは何事においても同じ。幸せについても同じ。

「幸福な家庭は一様だが、不幸な家庭はさまざまである」

というのと同じ。大事なことは同じ。そういうことなんです。

そういう当たり前に大事なことに逆らってもしょうがない。大事なことは大事なんです。

目的地を決めないとそこには行けない。それを決めないのは、ただ、漂流してるだけってことです。
別にそれで悪くもないけど、やっぱり目的地を決めて、そっちへいくぞと思う方がいい。

で、理想の姿を求めて「そっちへいくぞ」と決めればそっちへ行けるというのは、それこそ成功哲学とか書いてる多くの人が、ほとんど一言一句変わらずに書いているようなことで、まさに「幸福な家庭は一様だ」を体現するかのようなのです。

これは別に僕が「そう思いなさい」と命令してることではなくて、「そういうものなんだからそうなんだ」ってことなんですよ。

なんでもかんでもわかる人間なんていてやしないけど、誰が考えても、キチンと考えたら同じ答えにしかならないって事柄は意外に多く、そして、それらの「みんなが言うこと」は、やっぱり大事な事柄であることが多い。

で、上の三色ボールペンでの線の引き方のように、その線の引き方がズレてる人は、ようするに「自分勝手な曲解がある」というだけのことなんだね。

それはやっぱりそうなんだよ。

それはどう言ったって、そうなんだからしょうがないよ。

積み重ねて行ったら、結局、大事なことはだいたい一緒になるってのはあるんだよ。そういう「だいたい一緒」に抵抗しても、まぁ意味はない。それは赤じゃなくて緑。緑の線はいくらでも引いたらいいんだし、それはどんどんやればいいけど、赤の線は「大事なこと」であり、他の人と共有すべきこと、であり、他の人と一緒になるのが当然なのだ。

このあいだからの「人間性バトン」のこともひっくるめて、そう書いておきます。

大事なことは、まぁ、だいたいみんな一緒で、そこがうまく重ならないのは、どこかに曲解があるってことだよなぁ。それは。やっぱり。

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