また、秘密日記。
なんかこんなことばっかりやってるなぁ。

結局、自分の成長は自分で自分の内面を精査して、自分自身の心の弱い所を直視して、そこをなんとかしていくしかない。

僕の場合は、間違ったことに対して「許せない」と思う心があって、これが弱点なんだよなぁ。

いや、間違ったことに対して間違っていると指摘すること自体はいいのだけれど、親しい人間に対してだと、どうしても反応が苛烈になる。たぶん今までずっと僕自身が間違いをやり続けてきたからこそでしょうな。間違った考え方や捉え方をしていることが、どれほど不幸せなことであるかを実感を持って感じているから「ばかもの!」と叱りつけたくなる。

不幸を避けさせようとして真実を言ってるのに、その真実を受け入れて間違いを修正できない親しい人を、本当に許せなくなっちゃうのよなぁ。本当はそういうことまで「許せる心」を自分の中に育てないとダメなんでしょうけどね。

たぶん心の成長というのは、

(1)物事の基本的な知識・常識などを学習すること
(2)自分の間違いに気づいたときに修正すること
※間違いを指摘された時に素直に受け入れることを含む。
(3)他者に間違いを上手に指摘すること
(4)指摘を受け入れられない人を許すこと。

と段階を追って難しくなる。僕は(3)以降が下手くそです。
(4)に至っては全然できない。特に親しければなお難しいですな。

恐らく素晴らしい聖人なら、

(5)どんな無知な人にも正しく知識を分け与える
(6)言葉にしなくても行動その他で周りに影響を与える

というようなところまで行けるんでしょうけど。
せいぜい(3)あたりでうろちょろしてる人間ですな。
そういう意味でいくとガンジーなんかすごいよなぁ。
いきなり若いときから(6)まで行ってるもんなぁ。真似できんけど、目指さなくては、とは思う。

でも困ったことに世の中(1)の基礎的な知識そのものが、大きく欠けているという人の方が圧倒的に多くて、しかも、その知識不足であるという事実を、自分で素直に受け入れること自体が出来てない人のほうがはるかに多い。

知識を正しく吸収するためには、「私はまだ何の知識も持っていない」という前提に立つことこそが重要で、そこではじめて「勉強しなくちゃ」という気になるのですが、この心構えがない人のほうが多いには困ってしまう。全然常識はずれのことを平気で言ったりして、それを正しいと思いこんでたりする。

で、しかも、その間違いを指摘してあげたことを「私の意見を否定された。」と恨みにまで思ってたりする。いや、間違った事を言ってるほうが問題なんやっちゅうに。レベルが低すぎて話にならない。

ともあれ、知識や常識あたりは本とかをキチンと読めば、徐々にでも身に付く。(それすらやらないのは、もうどうしようもない。)
でも、許す心などは、そう簡単に本で読んで身につけるというのはできないわけで、これは時間かかるよなぁと思う。

最近その手の本を良く読むのだけれど、「そんな事言うても、間違った事を平気で言ってて、周りに迷惑かけまくってるようなバカを、そうそう許せるものではないですよ。」と、読みながら著者に文句を言ってる自分がいる。そら無理ですって。まだまだ私聖人じゃないし。

いや、まぁ「成長」こそが生まれてきた意味ですからな、許せるように努力はしますが、程度っちゅうもんはありますからなぁ。許していいことと悪いことと。いやホンマに。

んー、ま、秘密日記はそういう内容です。

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