人類が生き残ってきた理由。
2005年9月9日 ■時事今日は、いろんな意味を込めて人類というほ乳類が、いかに生きてきたかという事実について考えたい。
結局、地球上の生き物の中でほ乳類がより多く「勝ち組」として残ってきた基本戦略を、みなさまご存じであろうか?
それは「異なる遺伝子を組み合わせた多様化戦略」なのであります。
単細胞生物は自分のカラダを単純増殖させて一匹が二匹になって数を増やした。でも、その仕組みでは、環境の多様性に対応した「次の世代」が作れないんですね。
だから、異なる遺伝子を持つ個体同士が異なる遺伝子を分け合って、まったく新しい命を生み出す。
これによって、親とは異なる、多様な種類の子供ができるので、環境の変化に対してもリスクヘッジができるわけです。
つまり「多様性」こそが種の保存にもっとも重要だと考えて、進化の道筋を「異なる遺伝子の交配」に主眼を置いて進めてきたのが人間、人類という存在なんですね。
遺伝子の組み合わせは多種多様です。無限の組み合わせがある。だからこそ、次代、次世代、その次の未来へと種が続いていく可能性が高くなるわけだし、実際その戦略が功を奏して、人類の繁栄がいまあると言って過言ではないわけです。
ほ乳類は基本的に、この「多様化戦略」を取っております。
ですから、親と子のDNAを比べると、キチンとDNA研究をしている人から言わせると「まったく他人」とほとんど変わらないのだそうです。
他人であると証明するのは確実にできるらしいけど、血がつながっていると証明するのはけっこうムズカシイらしいのですね。まぁ両親と子供の両方の遺伝子がわかってればまだ相当高い確率で「親子であろう」とは言えるでしょうけど、どっちかの親の遺伝子が不明だったら、ほとんど不可能なんじゃないかなぁ。
だから、「子供は親のコピーである」というのは、完全に根っこから勘違いなんだそうです。言い伝えとか、幻想のたぐい。もともとほ乳類すべて、全種類がそんな戦略は採ってない。
去年、この話を既婚の友だちの男にしたら、けっこうショック受けてたんですがね。
この話をして喜ぶ親って見たことないなぁ、でも本当の事なんだからしょうがないわなー。
それより「子供は親のコピーだから」などという幻想で子供が本来持つ可能性を抑圧してる可能性の方がはるかに高いので、そこはみなさん注意して欲しいですな。
本当は全然違う存在なのに、親の思いこみと、視野の狭さのために子供の世界を親の視野の枠の中に押し込めようとする発想。それは、まず「抑圧」という形で、子供を押しつぶすことにしかなりませんから。
たとえば、筋肉の質ひとつ取っても、長距離ランナーと短距離ランナーでは全然違うんだそうです。もともとの向き不向きがカラダの筋肉の中にある。それは男と女の遺伝子が混ざり合ってできているのだからどっちの血を引いたというのとも違う。まだ隔世遺伝の方がでやすいくらいだそうですから。
オスとメスの両方の血が混ざったのだから、全く全然ちーとも似てない遺伝子構造になっている、ほぼ他人、というのが動かせない現実なんですね。コーヒー牛乳とブルーマウンテンを同じ飲み物と言い張っても意味はない。コーヒー牛乳に香りの豊かさを押しつけても意味ないやんってことです。
そういう「本来違う存在」であるものを「自分のもの」と固定してしまうと、本当に子供がかわいそうだと思うのですよ。違うねんもん、もともと。別人格やもん。コピーのはずないもん。ありえないもん。そんなアホな、やもん。
まぁ親はそう思いたいんやろけどなー。しゃーないとは思うけど、それはハッキリクッキリ、どこをとっても完璧に認識違いの、勘違いなんですなー。
目元が似てるとかね、そういうのは親の思いこみで言うてても許されるとは思うねんですけどなー。
だから、もし、親の良い面を伝えるなら、あとは「意識して」後天的な部分を伝えるってことしかできないわけですよ。
親がキチンと社会のルールを学習して伝えるとかね。より良い考え方や学問を世界中から探して来て手渡すとかね。あるいは、日々の行動の中で、礼儀正しい行動や真摯な態度の重要性を伝えるとかね。そういうのはできる。これは文化だから。
で、これは遺伝的なものよりも親の意志で選択して渡せるから本当に良いのです。本当の意味で良いことでしょう。
●ウソはつかない。
●悪いことをしたら謝る。
●失敗の責任は自分で引き受ける。
などなど。
親がウソをついて、謝りもしなかったら、子供もやっぱりろくな子供にはなりませんわな。こういう部分は気をつけなくちゃいけない。これは意志でどうにでもできますから。
ただ面白いのは遺伝子検査しても、兄弟というのは比較的確度の高い兄弟判定ができるらしいんですね。なんせ同じ親から生まれてるから。
コーヒーと牛乳を混ぜ合わせたら、比率は違ってもどれもコーヒー牛乳やというようなことですな。だから、兄弟同士はけっこう近い。内面の理解も相当確度高く言い当てる。まぁあんまりウソもつけないってことですな。
双子なんていうのは、生まれたばかりの時に引き離されて、別の場所で育てられたのに、ほとんど同じ時期に同じようなことに興味を持ち、同じようなタイミングで結婚したりとかあるそうですしね。(そういう資料はたくさん残ってますな。)
遺伝子、DNAというものが発見されて、まだ日も浅いので、子育てみたいな下世話なところまでは、なかなか応用が利きませんけど、基本はそういうことです。
「人類は、子供を親とは『全く異なる存在』として誕生させるために、男女に分かれた。」
のですよ。
これが深遠なる宇宙の法則であります。
天地自然に従うことこそ、より良い生き方でしてな。
そういう具合に我々は自分自身を計画して生まれて来ているという素晴らしさに気づくべきですなぁ。
そういう意味では、自分のコピー議員ばっかり作ろうとしている小泉君はどうにも好きじゃないのでして。
いままで自民党にはいろんな派閥が相乗りしてたからこそ、利権政治をやっててもバランスが取れてたわけでねぇ。
これで小泉一色政治になったら宇宙の法則に反すると私は思いますなぁ。
多様な人と意見があって、それがお互いに綱引きをするからこそ、バランスの取れた社会運用ができる。自分の意見にしたがうコピーロボットばっかりじゃ、帝国のストームトルーパーみたいな議員しか生まれないですわね。
んー。でもまぁ今度の選挙はどうせ小泉君が「自公あわせて半数」を取って国民に信託されたとか言い出すんやろなー。
あー、困ったこっちゃ。補助輪付きの自転車に乗って「僕、自転車乗れてるもん」と言ってる子供なみですわ。小泉君は。
やれやれ。
結局、地球上の生き物の中でほ乳類がより多く「勝ち組」として残ってきた基本戦略を、みなさまご存じであろうか?
それは「異なる遺伝子を組み合わせた多様化戦略」なのであります。
単細胞生物は自分のカラダを単純増殖させて一匹が二匹になって数を増やした。でも、その仕組みでは、環境の多様性に対応した「次の世代」が作れないんですね。
だから、異なる遺伝子を持つ個体同士が異なる遺伝子を分け合って、まったく新しい命を生み出す。
これによって、親とは異なる、多様な種類の子供ができるので、環境の変化に対してもリスクヘッジができるわけです。
つまり「多様性」こそが種の保存にもっとも重要だと考えて、進化の道筋を「異なる遺伝子の交配」に主眼を置いて進めてきたのが人間、人類という存在なんですね。
遺伝子の組み合わせは多種多様です。無限の組み合わせがある。だからこそ、次代、次世代、その次の未来へと種が続いていく可能性が高くなるわけだし、実際その戦略が功を奏して、人類の繁栄がいまあると言って過言ではないわけです。
ほ乳類は基本的に、この「多様化戦略」を取っております。
ですから、親と子のDNAを比べると、キチンとDNA研究をしている人から言わせると「まったく他人」とほとんど変わらないのだそうです。
他人であると証明するのは確実にできるらしいけど、血がつながっていると証明するのはけっこうムズカシイらしいのですね。まぁ両親と子供の両方の遺伝子がわかってればまだ相当高い確率で「親子であろう」とは言えるでしょうけど、どっちかの親の遺伝子が不明だったら、ほとんど不可能なんじゃないかなぁ。
だから、「子供は親のコピーである」というのは、完全に根っこから勘違いなんだそうです。言い伝えとか、幻想のたぐい。もともとほ乳類すべて、全種類がそんな戦略は採ってない。
去年、この話を既婚の友だちの男にしたら、けっこうショック受けてたんですがね。
この話をして喜ぶ親って見たことないなぁ、でも本当の事なんだからしょうがないわなー。
それより「子供は親のコピーだから」などという幻想で子供が本来持つ可能性を抑圧してる可能性の方がはるかに高いので、そこはみなさん注意して欲しいですな。
本当は全然違う存在なのに、親の思いこみと、視野の狭さのために子供の世界を親の視野の枠の中に押し込めようとする発想。それは、まず「抑圧」という形で、子供を押しつぶすことにしかなりませんから。
たとえば、筋肉の質ひとつ取っても、長距離ランナーと短距離ランナーでは全然違うんだそうです。もともとの向き不向きがカラダの筋肉の中にある。それは男と女の遺伝子が混ざり合ってできているのだからどっちの血を引いたというのとも違う。まだ隔世遺伝の方がでやすいくらいだそうですから。
オスとメスの両方の血が混ざったのだから、全く全然ちーとも似てない遺伝子構造になっている、ほぼ他人、というのが動かせない現実なんですね。コーヒー牛乳とブルーマウンテンを同じ飲み物と言い張っても意味はない。コーヒー牛乳に香りの豊かさを押しつけても意味ないやんってことです。
そういう「本来違う存在」であるものを「自分のもの」と固定してしまうと、本当に子供がかわいそうだと思うのですよ。違うねんもん、もともと。別人格やもん。コピーのはずないもん。ありえないもん。そんなアホな、やもん。
まぁ親はそう思いたいんやろけどなー。しゃーないとは思うけど、それはハッキリクッキリ、どこをとっても完璧に認識違いの、勘違いなんですなー。
目元が似てるとかね、そういうのは親の思いこみで言うてても許されるとは思うねんですけどなー。
だから、もし、親の良い面を伝えるなら、あとは「意識して」後天的な部分を伝えるってことしかできないわけですよ。
親がキチンと社会のルールを学習して伝えるとかね。より良い考え方や学問を世界中から探して来て手渡すとかね。あるいは、日々の行動の中で、礼儀正しい行動や真摯な態度の重要性を伝えるとかね。そういうのはできる。これは文化だから。
で、これは遺伝的なものよりも親の意志で選択して渡せるから本当に良いのです。本当の意味で良いことでしょう。
●ウソはつかない。
●悪いことをしたら謝る。
●失敗の責任は自分で引き受ける。
などなど。
親がウソをついて、謝りもしなかったら、子供もやっぱりろくな子供にはなりませんわな。こういう部分は気をつけなくちゃいけない。これは意志でどうにでもできますから。
ただ面白いのは遺伝子検査しても、兄弟というのは比較的確度の高い兄弟判定ができるらしいんですね。なんせ同じ親から生まれてるから。
コーヒーと牛乳を混ぜ合わせたら、比率は違ってもどれもコーヒー牛乳やというようなことですな。だから、兄弟同士はけっこう近い。内面の理解も相当確度高く言い当てる。まぁあんまりウソもつけないってことですな。
双子なんていうのは、生まれたばかりの時に引き離されて、別の場所で育てられたのに、ほとんど同じ時期に同じようなことに興味を持ち、同じようなタイミングで結婚したりとかあるそうですしね。(そういう資料はたくさん残ってますな。)
遺伝子、DNAというものが発見されて、まだ日も浅いので、子育てみたいな下世話なところまでは、なかなか応用が利きませんけど、基本はそういうことです。
「人類は、子供を親とは『全く異なる存在』として誕生させるために、男女に分かれた。」
のですよ。
これが深遠なる宇宙の法則であります。
天地自然に従うことこそ、より良い生き方でしてな。
そういう具合に我々は自分自身を計画して生まれて来ているという素晴らしさに気づくべきですなぁ。
そういう意味では、自分のコピー議員ばっかり作ろうとしている小泉君はどうにも好きじゃないのでして。
いままで自民党にはいろんな派閥が相乗りしてたからこそ、利権政治をやっててもバランスが取れてたわけでねぇ。
これで小泉一色政治になったら宇宙の法則に反すると私は思いますなぁ。
多様な人と意見があって、それがお互いに綱引きをするからこそ、バランスの取れた社会運用ができる。自分の意見にしたがうコピーロボットばっかりじゃ、帝国のストームトルーパーみたいな議員しか生まれないですわね。
んー。でもまぁ今度の選挙はどうせ小泉君が「自公あわせて半数」を取って国民に信託されたとか言い出すんやろなー。
あー、困ったこっちゃ。補助輪付きの自転車に乗って「僕、自転車乗れてるもん」と言ってる子供なみですわ。小泉君は。
やれやれ。
コメント