「戦後民主主義」とやらも、長々と60年も続いてしまったわけだけれど、これが本物の民主主義ではないということを、キチンと理解している人が、この日本に何%くらいいてるのだろうか。

民主主義とは何かというのは、キチンと勉強しようとすれば、民主主義が登場してきた時は衆愚政治の過激なものとして「良くない考え方」とされていた時期があったことも、キチンと頭に入れておくべきだろう。このあたりは、民主主義を考える上において基本の基本だと思う。

さて、その本来の「民主主義」と、もっともかけはなれているのが、いまの日本のマスメディアである。

多くの人はキチンと理解していないが、日本は、先進国の割に、新聞社の数が異様に少ない国なのである。

1992年と古いデータなので申し訳ないが、日本の日刊新聞の発行部数は71,690,000部。アメリカの日刊新聞の発行部数が60,164,000と発行部数では日本のほうが多い。

しかも、である。アメリカの人口を二億人、日本を一億人とすると人口比が倍だから、一人あたり日本0.7169紙、アメリカ0.300082紙と倍以上も新聞の情報にさらされている計算になる。

しかし、しかし、なのである。それよりはるかに重要なのは、日刊新聞の種類がいくつか? ということなのだ。

日刊紙の数。

アメリカ、1,570種類。
日本、121種類。

わかりますか、奥さん。信じられますか。なんてひどい状態なんでしょう。って奴だ。情報の種類が少なすぎ、なんですよ。

発信者が10分の一以下。なのに、ひとりあたりの発行部数はアメリカの倍。

これがどういう意味かわかるだろうか。ようするに「同じ事ばっかり書いてる情報にしか接触することができない」ということであり、「国民がマスコミによって、とてつもなく洗脳されやすい状況」だってことだ。

日本ほど、マスコミによる大衆の洗脳がしやすい国は、そうそうないでしょうな。そういう環境なんです。

しかも新聞社とテレビは資本的につながりがあり、意見その他が連動してしまっている。
なおかつ記者による記名記事がとても少なく、なおかつ現在の記名記事の大半は「社で出世したい奴」が書いてるものばかりで、上の指示には何の疑問も持たずに従うようなのばっかり。

どうしてこういうことになったかと言うと、話は60年前の戦争にさかのぼる。ようするに当時の政府が創り上げた「大本営発表」の仕組みが、そのまま温存されてるのだ。

そのルールは簡単で地方新聞社を一社に絞ったってこと。いまだに地方新聞は各地方に一社ずつしかありません。

この「情報ソースの少なさ」を、実は戦後のGHQ、アメリカの占領軍も利用したの。「おお、情報操作の仕組みを創り上げておるではないか。これは便利だ、そのまま残そう。」ってなった。

戦後アメリカが日本に来て、日本を「民主化」したわけだけど、そうであるなら新聞社の仕組みも戦前なみに百花繚乱の状態に戻すべきなはず。なのに、大本営発表の仕組みだけはそのままにしちゃったわけで、統治する側が考えることなんて誰でも一緒ってことだ。

そういうようなことなんで、新聞・テレビは、いま本当にクソというか、カスというか最低のバカヤローに成りはてているので、基本的に信用しないというのが私のスタンスである。

ただ、こんな日本ではありますが、ありがたいことに「出版」の世界だけは、そういう「大手の支配」からは免れていて、それこそ唯一の「幅広い情報を得るための情報源」になっている。

いちど本屋にでかけて、本の背表紙の出版社名を見て欲しいですね。とにかく大から小まで、ものすごい数の出版社がありますからな。

とくに新刊の単行本ね。文庫本は大量販売ができる大手に限られるから中小の出版社にはちょっと辛い。そうではなくてハードカバーの各種の書籍。これです。

日本の知性を、わずかながらに支えているのは、これら幾多の中小出版社です。この出版社がなくなったら、もう日本に真の民主主義なんて成立しなくなる。

なので、わたしはここではっきりと大書しておくが、この日本において、

本を読まない奴はバカ。

なのだ。もうハッキリ。きっぱり。
テレビと新聞だけ読んでわかってるつもりになったら、えらい目に遭う。

で、日本という国がほんとうに面白いのは、つねに「現場が頑張る国」ってことなんですなー。

本を読んでるのも、大会社の雇われ社長じゃない。中小企業の金もコネもない、地べたをはいずり回って、ヒーコラ言ってる、みすぼらしい社長だ。そういう人ほど、キチンといろんな本を読んでいる。

そうしないと生き残れないし、実際日本が戦後なんとか生き残ってこれたのも、そういう「誰に言われずともコツコツ勉強する」一般層というのがいたからこそなのだ。

で、最近は、この「出版」にインターネットが加わるかなと思ってたのだけど、うーんどうなのかなー。「書き込みが自由にできる」ってのは、新聞テレビしか情報源のないバカでも自由に書き込みができるってわけで、出版みたいに出版社の最低限のチェックってのがないのはちょっと問題かなーって思う。

とくに最近、政治関連のサイトとかみると「こいつ、電通とか政府とか、そういうところに雇われた書き込み専門のアルバイターなんじゃないの?」ってのも多い。ちょっと嫌になってしまう。

でもまぁ、たとえば各種政党のホームページなんかは、直接その党の考え方がわかって良いですな。特に新聞やテレビの場合は、いくら現場の記者がまともな報道をしようと思っても内容をはしょらざるを得ない。でも各党の言い分はホームページにはしっかり長文でいろいろ載ってるから、それこそ当人に会って話を聞いてるのと同じような感覚で理解できていい。

(長文を読むのに慣れてない人にはすごく辛いかもしらんのだが。でも「ひとことキャッチフレーズ政治」なんてダメだよ。最低だ。)

(しかし、この各党のホームページは、ただいま公職選挙法のせいで、どの党も更新停止中ですがね。公示日から投票日は宣伝したらダメってことになってる。ちょっっとこれも時代の流れと逆行している感じがするけどなぁ。ちょっとは考えろよ総務省。看板ポスターの費用より、公的な「各党の言い分サイト」を作るのに金をかけて欲しい。)

ともあれ、日本のマスメディアは、そうとうにひどい。で、本当に大切なことは書籍です。本を読まないとバカのままです。

いま日本は頭のいいニューヨークのユダヤ金融界に外堀から埋められつつある。彼らは本当に頭いいです。だからそれに対抗しなくちゃ、ケツの毛までむしりとられちゃうよなーって思う。

だから、ユダヤ人の格言をここで逆にしっかりと噛みしめて味わいたいのだ。

「あなたの舌に『わからない』という言葉を教えなさい」

これだ。

口がクセで、ついうっかり「わからない」と言ってしまうくらい「わからない」と言え、という格言です。

つまり徹底的に「勉強しろ」ってことです。「知らない」「わからない」を言い続けろってことです。これは本当に大事だ。わかってるつもりになったら、そこで成長の終わり。明日はない。

ほんと。死ぬほど大事だと、私は思うね。

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