魔法の発音 カタカナ英語
2005年6月10日 読書
ISBN:4062124963 単行本 池谷 裕二 講談社 2004/10/23 ¥1,470
最近すごく英語づいておりますが、またまた英語の学習本です。
この本は、先日お知らせした「通じりゃいい」と、まったく逆のアプローチの本ですな。
「通じりゃいい」の方は「こっちが日本人なのだということを強調するためにも発音は日本語発音でなければならない」とする内容だったのですが、この「魔法の発音」の方は、
「日本語発音じゃ全然通じねぇよ」
とする立場ですな。
「通じりゃいい」のほうは「だからそこで洒落た言い回しを使おうと思うな。意味の良くわかってる単語だけを組み合わせてなんとかしろ」というやり方なんですが、こっちは「聞こえたとおりに発音するためにネイティブ発音をカタカナで表記して相手にわかる発音にしよう」という考え方です。
「通じりゃいい」が商談をまとめるための自分の経験に基づいた実用英語の本だったように、こっちの「魔法本」は研究者がアメリカまで研修に出かけて「日常生活をなんとかする」ために四苦八苦して身につけた方法論なので、これまたすごく役立つやりかたで、これはこれで面白いのであります。
たとえば、落とし物して拾ってもらったら、
「テンクサラーッ」
落としたモノを拾ってあげたら
「ナラローウ」
と言うというもの。
これ、「何語?」って思いますけど、英語なんですよ。
至極簡単な。
ようは
Thanks a lot.
Not at all.
のことなんです。でもこれ、米語だと確かにこんな風に聞こえる。リエゾン(連接:単語と単語がくっついて発音されること)とかあるから、実際の英語、米語ってこんな感じですわね、確かに。
とにかく、そんな感じで日常でよく使いそうなフレーズを、とにかくカタカナでどんどん「リアルに聞こえるカタカナ語」に訳してある本なのです。
で、まぁそれだけの本です。例文も実用度は高いと思うけど、これではあまりにちょっと少ない。そういう意味で、ちょっと肩すかしの本ではあります。
ただね。
どうも概念を解説している前半なんかを読んでると、単に、「カタカナ表記でけっこう近い音まで表記できるやん。」と気づいただけの人の、思いつき本ではないよなぁ、と感じてしまったわけです。
なんかね理屈の立て方がとても自信に満ちたアカデミックな感じ、格調の高さを感じてしまったのですね。
で、なんだこれは?と思って著者の略歴を見てみたら、なな、なんとこの著者って、糸井重里との対談で脳の生理について話した「海馬」って本の、池谷裕二さんではないかと、驚いたのでありました。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4255001545/249-3565583-9721926
(「海馬」自体は大した本じゃないけどね〜。糸井さんの台詞が全部邪魔。糸井さんによって実に薄い内容になってしまっている。でも、しかし、その「薄さ」が読みやすさにつながっていて、それで支持されてるってところはあります。僕はひたすら池谷氏の現場主義的な発想が好きです。実験とか研究が基本なわけですな。)
ありゃなんだ、そうなのかいって感じです。
そうかぁ、この本は英語の本ではなくて、大脳生理学の理論書・研究報告書としての側面があるのかぁ、なるほどなぁ。ってことなんですね。「あんた、こんなところで何書いてるのよ」って気はするけど、ま、池谷さん、自分の体を使って大脳の学習過程の実験をしてみたってことでして、いやーこれはおもしろいわ。
池谷さんいわく言語中枢の根っこの部分は子供の頃に書き込まれた音の記憶があるから変更は困難が大きいと。しかし発音というのは口を動かす、「運動能力」だから、大人になってから自転車に乗れるようになった人がいるみたいに、後天的な習得が可能なんだと。
だからカタカナ発音を何度もくりかえす事で運動能力によって、認識を変容させるのが効果的かつ簡単で良いのだという話でして。
バックボーンにしっかりとした大脳生理学の基礎研究の成果があるから自信持って語りきっておられるわけでね。そこがすごく面白いのですよ。
「通じりゃいい」もそうだったけど、やっぱ現場を持ってる人は強いね。ホントに。それをつくづく感じた。
うむ。
最近すごく英語づいておりますが、またまた英語の学習本です。
この本は、先日お知らせした「通じりゃいい」と、まったく逆のアプローチの本ですな。
「通じりゃいい」の方は「こっちが日本人なのだということを強調するためにも発音は日本語発音でなければならない」とする内容だったのですが、この「魔法の発音」の方は、
「日本語発音じゃ全然通じねぇよ」
とする立場ですな。
「通じりゃいい」のほうは「だからそこで洒落た言い回しを使おうと思うな。意味の良くわかってる単語だけを組み合わせてなんとかしろ」というやり方なんですが、こっちは「聞こえたとおりに発音するためにネイティブ発音をカタカナで表記して相手にわかる発音にしよう」という考え方です。
「通じりゃいい」が商談をまとめるための自分の経験に基づいた実用英語の本だったように、こっちの「魔法本」は研究者がアメリカまで研修に出かけて「日常生活をなんとかする」ために四苦八苦して身につけた方法論なので、これまたすごく役立つやりかたで、これはこれで面白いのであります。
たとえば、落とし物して拾ってもらったら、
「テンクサラーッ」
落としたモノを拾ってあげたら
「ナラローウ」
と言うというもの。
これ、「何語?」って思いますけど、英語なんですよ。
至極簡単な。
ようは
Thanks a lot.
Not at all.
のことなんです。でもこれ、米語だと確かにこんな風に聞こえる。リエゾン(連接:単語と単語がくっついて発音されること)とかあるから、実際の英語、米語ってこんな感じですわね、確かに。
とにかく、そんな感じで日常でよく使いそうなフレーズを、とにかくカタカナでどんどん「リアルに聞こえるカタカナ語」に訳してある本なのです。
で、まぁそれだけの本です。例文も実用度は高いと思うけど、これではあまりにちょっと少ない。そういう意味で、ちょっと肩すかしの本ではあります。
ただね。
どうも概念を解説している前半なんかを読んでると、単に、「カタカナ表記でけっこう近い音まで表記できるやん。」と気づいただけの人の、思いつき本ではないよなぁ、と感じてしまったわけです。
なんかね理屈の立て方がとても自信に満ちたアカデミックな感じ、格調の高さを感じてしまったのですね。
で、なんだこれは?と思って著者の略歴を見てみたら、なな、なんとこの著者って、糸井重里との対談で脳の生理について話した「海馬」って本の、池谷裕二さんではないかと、驚いたのでありました。
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4255001545/249-3565583-9721926
(「海馬」自体は大した本じゃないけどね〜。糸井さんの台詞が全部邪魔。糸井さんによって実に薄い内容になってしまっている。でも、しかし、その「薄さ」が読みやすさにつながっていて、それで支持されてるってところはあります。僕はひたすら池谷氏の現場主義的な発想が好きです。実験とか研究が基本なわけですな。)
ありゃなんだ、そうなのかいって感じです。
そうかぁ、この本は英語の本ではなくて、大脳生理学の理論書・研究報告書としての側面があるのかぁ、なるほどなぁ。ってことなんですね。「あんた、こんなところで何書いてるのよ」って気はするけど、ま、池谷さん、自分の体を使って大脳の学習過程の実験をしてみたってことでして、いやーこれはおもしろいわ。
池谷さんいわく言語中枢の根っこの部分は子供の頃に書き込まれた音の記憶があるから変更は困難が大きいと。しかし発音というのは口を動かす、「運動能力」だから、大人になってから自転車に乗れるようになった人がいるみたいに、後天的な習得が可能なんだと。
だからカタカナ発音を何度もくりかえす事で運動能力によって、認識を変容させるのが効果的かつ簡単で良いのだという話でして。
バックボーンにしっかりとした大脳生理学の基礎研究の成果があるから自信持って語りきっておられるわけでね。そこがすごく面白いのですよ。
「通じりゃいい」もそうだったけど、やっぱ現場を持ってる人は強いね。ホントに。それをつくづく感じた。
うむ。
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