学問のすすめ―自分の道を自分で切りひらくために
2005年4月29日 読書
ISBN:4569636438 単行本 岬 龍一郎 PHP研究所 2004/05 ¥1,155
この数年、ことあるごとに「勉強せい」「勉強せなあきませんわ」「勉強してるかどうかよなぁ」ということを言い続けております。
なんでそうなったのかなぁと思うと、やっぱり、まず人間は「個人」として独立して、自分の意見を言い、堂々と自分の生き方を通していくことが幸せだと思うからなんですね。
まちがったことは「まちがってました」と反省し、また次の新しい知識を身につけていく。それこそが学ぶ姿勢であり、その時に「なるほど」と納得できることが精神の平安、心のゆとりにもなると僕は思う。
で、間違ってるのかどうかとかは、先人がいろいろと学問としてまとめてくれているのだから、そういうものをキチンと学習すれば良いと思うのですよ。そのまま素直に受け取って、そこからまた新たに発展・展開していくというような、そういう人であらねばと思うわけですよ。
知りもしないで勝手なことをグチグチと文句言うのが一番かっこ悪いし、社会の迷惑だし、世の中のためにもならないし、そんな奴こそが不幸せを世の中にまき散らすのだと思っているわけです。
で、そういうようなことをずっと思っていて、ふと気づくと、この福沢諭吉の「学問のすすめ」を私は未読であったことに気づいたわけです。
で、読んでみたら、なんてこたぁない。そらもう僕が口やかましく言ってることとか、主張したいこととか、こんな風に考えなくちゃいかんよなというようなことが、もうまるまる、「学問のすすめ」の中に、僕が書くよりはるかにわかりやすく伝わりやすく書かれているわけです。
それに平易に書かれてますけど、欧米の知識を、相当に深いレベルまで身につけた上で、自分の哲学とすり合わせて、かみ砕いた上で、わかりやすい日本語に直しているというのが、一発でよく分かる。
とくに僕は、欧米の「自由」やら権利概念やらを翻訳書とか、多様な書籍から少しずつヒーコラ言いながら学習してきたので、この福沢諭吉のかみ砕き方がいかにこなれているかに舌をまくのであります。このこなれ方はすごいです。
おそらく、福沢諭吉自身が原書を直接読んで、悪戦苦闘しながら概念理解をして、それで自分の言葉に置き換えたからこそ、ここまで日本語としてこなれているんだと思う。(なにより「自由」という言葉をフリーダム・リバティの訳語として創造したのが諭吉グループだそうですからなぁ。そらこなれてるわなぁ。)
ほんとうにすごいことをやってると思います。
これは、明治5年くらいの本ですが、いまの時代にも通用する。マジに。
というか、いまこそ、この明治の精神を真摯に受け止めるべきやで、って思う。
国民が独立していなくて、国が独立するわけない。私自身が誰に頼らず、勉強(実学です。経営学も歴史も政治も法律も何もかもひっくるめて。それもワールドワイドな視点でって意味です。国内文化に浸った国内権威を守るような学問では意味ないです。世界の列強と居並ぶことこそが重要って意味での勉強、です。)すべしってことです。
これなんよなぁ。これ。
ひとりひとりがキチンと「個人」にならずして、国の成り立つわけがない。
だって法律も借り物だし、自由や権利や義務の概念も、全部欧米からの借り物なんだもの。その借り物が自分の体に合うように慣らしていくのは個人の責任ですよ。
それができてなくて、日本の未来なんかあり得ない。個人が努力しなくて未来が来るなんてことはあり得ない。さぼって遊んでるだけの人間は時代の流れも読めず、中世的な古来の風習の中で苦しんでのたうち回るだけです。苦しいのなんて嫌だ。だから勉強する。
そういうことなんよなぁとつくづく思う。
この本は岩波文庫でも出てたと思うんですが、岩波版はかなづかいこそ現代かなづかいに直ってるらしいんですが、文章自体は文語体のままで現代語訳されてないそうなんです。(よく知らないですが。)でも、この本は現代語訳されてるので、大変読みやすい。
勉強はせにゃならんのですが、手間がかかったり面倒だったりするのはしんどいので、僕は現代語訳を選んだわけですが、これは本当に良い仕事ですわね。
良い作品をつねに現代語訳して、受け継いで古典にしていかないといけない。つくづくそう思わされました。
で、岩波の文庫版の方はアマゾンのレビューでも星五つの最高評価ばっかり。啓蒙書としての「学問のすすめ」はほんとうにすばらしいのです。もっともっとみんなに読んでもらいたいと思いますね。
まぁ一冊まるまる読まなくても、一番最初の「初編」の部分だけでも、みんなが読んで欲しいと思うなぁ。ほんと。
ひとりでも多く、個人が個人として目覚めて欲しい。
いたずらに周りにあわせて、ずるずると個を捨ててイライラしたりしないで欲しい。
まず自己責任で自分の生き方を引き受けて、独立精神で真剣に知識の獲得に本気になって欲しいです。
ひとりでもそういう人が増えたら、その波及効果はすごく大きいですしね。一人の周りに何十人という人間がいてますから。
まず日本人は「学問のすすめ」の精神にこそ、立ち帰るべきだと僕は思います。
いやほんと。
ほんとのほんとに、とてつもなく重要なことだと思う。
ずーっと「勉強勉強」って言い続けてきたけど、僕なんかが言うより、やっぱり福沢諭吉に言ってもらう方が信用してもらえるもんなぁ。同じこと言ってても福沢諭吉なら信用するというしょーもない人が、この国には多いし、やっぱりそういう意味でもこの本は意義深いです。
すばらしいです。
この数年、ことあるごとに「勉強せい」「勉強せなあきませんわ」「勉強してるかどうかよなぁ」ということを言い続けております。
なんでそうなったのかなぁと思うと、やっぱり、まず人間は「個人」として独立して、自分の意見を言い、堂々と自分の生き方を通していくことが幸せだと思うからなんですね。
まちがったことは「まちがってました」と反省し、また次の新しい知識を身につけていく。それこそが学ぶ姿勢であり、その時に「なるほど」と納得できることが精神の平安、心のゆとりにもなると僕は思う。
で、間違ってるのかどうかとかは、先人がいろいろと学問としてまとめてくれているのだから、そういうものをキチンと学習すれば良いと思うのですよ。そのまま素直に受け取って、そこからまた新たに発展・展開していくというような、そういう人であらねばと思うわけですよ。
知りもしないで勝手なことをグチグチと文句言うのが一番かっこ悪いし、社会の迷惑だし、世の中のためにもならないし、そんな奴こそが不幸せを世の中にまき散らすのだと思っているわけです。
で、そういうようなことをずっと思っていて、ふと気づくと、この福沢諭吉の「学問のすすめ」を私は未読であったことに気づいたわけです。
で、読んでみたら、なんてこたぁない。そらもう僕が口やかましく言ってることとか、主張したいこととか、こんな風に考えなくちゃいかんよなというようなことが、もうまるまる、「学問のすすめ」の中に、僕が書くよりはるかにわかりやすく伝わりやすく書かれているわけです。
それに平易に書かれてますけど、欧米の知識を、相当に深いレベルまで身につけた上で、自分の哲学とすり合わせて、かみ砕いた上で、わかりやすい日本語に直しているというのが、一発でよく分かる。
とくに僕は、欧米の「自由」やら権利概念やらを翻訳書とか、多様な書籍から少しずつヒーコラ言いながら学習してきたので、この福沢諭吉のかみ砕き方がいかにこなれているかに舌をまくのであります。このこなれ方はすごいです。
おそらく、福沢諭吉自身が原書を直接読んで、悪戦苦闘しながら概念理解をして、それで自分の言葉に置き換えたからこそ、ここまで日本語としてこなれているんだと思う。(なにより「自由」という言葉をフリーダム・リバティの訳語として創造したのが諭吉グループだそうですからなぁ。そらこなれてるわなぁ。)
ほんとうにすごいことをやってると思います。
これは、明治5年くらいの本ですが、いまの時代にも通用する。マジに。
というか、いまこそ、この明治の精神を真摯に受け止めるべきやで、って思う。
国民が独立していなくて、国が独立するわけない。私自身が誰に頼らず、勉強(実学です。経営学も歴史も政治も法律も何もかもひっくるめて。それもワールドワイドな視点でって意味です。国内文化に浸った国内権威を守るような学問では意味ないです。世界の列強と居並ぶことこそが重要って意味での勉強、です。)すべしってことです。
これなんよなぁ。これ。
ひとりひとりがキチンと「個人」にならずして、国の成り立つわけがない。
だって法律も借り物だし、自由や権利や義務の概念も、全部欧米からの借り物なんだもの。その借り物が自分の体に合うように慣らしていくのは個人の責任ですよ。
それができてなくて、日本の未来なんかあり得ない。個人が努力しなくて未来が来るなんてことはあり得ない。さぼって遊んでるだけの人間は時代の流れも読めず、中世的な古来の風習の中で苦しんでのたうち回るだけです。苦しいのなんて嫌だ。だから勉強する。
そういうことなんよなぁとつくづく思う。
この本は岩波文庫でも出てたと思うんですが、岩波版はかなづかいこそ現代かなづかいに直ってるらしいんですが、文章自体は文語体のままで現代語訳されてないそうなんです。(よく知らないですが。)でも、この本は現代語訳されてるので、大変読みやすい。
勉強はせにゃならんのですが、手間がかかったり面倒だったりするのはしんどいので、僕は現代語訳を選んだわけですが、これは本当に良い仕事ですわね。
良い作品をつねに現代語訳して、受け継いで古典にしていかないといけない。つくづくそう思わされました。
で、岩波の文庫版の方はアマゾンのレビューでも星五つの最高評価ばっかり。啓蒙書としての「学問のすすめ」はほんとうにすばらしいのです。もっともっとみんなに読んでもらいたいと思いますね。
まぁ一冊まるまる読まなくても、一番最初の「初編」の部分だけでも、みんなが読んで欲しいと思うなぁ。ほんと。
ひとりでも多く、個人が個人として目覚めて欲しい。
いたずらに周りにあわせて、ずるずると個を捨ててイライラしたりしないで欲しい。
まず自己責任で自分の生き方を引き受けて、独立精神で真剣に知識の獲得に本気になって欲しいです。
ひとりでもそういう人が増えたら、その波及効果はすごく大きいですしね。一人の周りに何十人という人間がいてますから。
まず日本人は「学問のすすめ」の精神にこそ、立ち帰るべきだと僕は思います。
いやほんと。
ほんとのほんとに、とてつもなく重要なことだと思う。
ずーっと「勉強勉強」って言い続けてきたけど、僕なんかが言うより、やっぱり福沢諭吉に言ってもらう方が信用してもらえるもんなぁ。同じこと言ってても福沢諭吉なら信用するというしょーもない人が、この国には多いし、やっぱりそういう意味でもこの本は意義深いです。
すばらしいです。
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