ISBN:456955847X 単行本(ソフトカバー) 中島 義道 PHP研究所 1997/10 ¥693

ちょっとタイトルが気になったので読んでみた。
そしたら、作者さん、すげー、怒ってる。

わかるわー、作者の気持ち。
そんなに怒らなくてもええやんか、という気はするけど、言っておられることはしごくまっとうなので深くうなづくしかない。

しかし、この本の「思いやりと優しさが圧殺するもの」というサブタイトルの「怖さ」がわかる人が果たして日本人の中でどれだけいてるのかという気もする。

なんといっても、日本人は「対話」がすごい苦手なんよなー。
それをつくづく思う。

対立項そのものを設定することが相手を否定することだと思ってる。だから対立的概念をいつまでたっても受け入れられないし、「対話」ではなく「会話」することが良い「人間関係」と考えてる。

違うっちゅうに。

それぞれの個性を認めるならば、違いはあって当然だし、その違いを笑って認められる社会のほうが、お互いがお互いにあわせてガマンしている社会よりはるかに風通しもいいし、発展していく可能性も高いのに、そこがわかっていない。

なんちゅうか、ずっと気になってる日本人の弱い点がモロ明確に批判されてる感じで、ある種痛快、でもちょっと言い過ぎかなぁって感じの本ですね。

なんていうのかなぁ、マイナーな存在を無視して平気なのが日本の社会なんよなぁ。で、「マイナー」が存在していることを認めることは「差別」だと思ってる。

うーん。
やっぱり存在しているものは認めてあげないとダメだよ。
抹殺して「いてない」ことにしたらアカンのよ。
社会は平等ではないし、弱者は現実に存在しているし、「私」という個人も、ある場面では強烈な強者だし、別の場面ではどうしようもない弱者なんだ。

で、それを認めることというのは、ある意味自分がバカであるということを認める力でもあるし、「バカでかまわないんだ」と認められる安心感を得ることでもあるんだよね。

なのに、そういう矛盾とか違いとか、かみ合わない点とかを明確化せずに「まぁまぁ」「なぁなぁ」でやることが和の精神だとか思ってるというか、思わされている。

でも、そんな風に周りにあわせてるだけのほうが意識下のストレスは大きいのよなぁ。意識上ではラクなんだろうけど、無意識の下の下のところで、すごくしんどくなる。
だって、ずっと「俺はバカじゃない」と肩肘張って生きていかなきゃならないから。

楽になったほうがいいよ。誰だって。
個性の違いを認めるというのは、そういう気楽さを得る風通しの良さだと僕は思うけどなー。

「みんなが平等ということになっている」じゃダメなんだ。
そんなお題目ばっかりじゃ意味ないと思う。

「平等じゃないよ、世の中は。だけど、なんとかみんなが幸せになるように一つずつ確認していこうよ。」ってのでないとダメさ。

そういうことなんよね、対話するってことは。

「おまえ、バカなんじゃないの?」と問われて、
「違うわい」と肩肘張ることではなく、「んー、かもなー。」と冷静に自己認識できる力こそが大切で、それこそが実は生きる力であり、真の賢さであり、幸せになるための重要なキーポイントなんだと思う。

事実を直視するのは辛いねんけどなー。でもそれを直視しない限り、前に進むことはできんのだわ。

そういうことを強く感じた本です。

こういうことって、僕的には、しごく当たり前の考え方とらまえ方なんだけど、どうもそうではないのが日本の社会らしいんよなー。

うーん。困ったことだ。

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