やっとか。よしりん。
2004年12月11日 ■倫社の帝王今日ひさしぶりに「わしズム」を見た。
あの、よしりんが、やっと「相対主義から脱して一神教(倫理)を希求せねばならない」と書いてた。
やっとか。遅いよ、よしりん。
そんなもん、八百万の神みたいな価値相対主義で、一神教の論理に勝てるわけないやんか。最初から勝負は見えてる。
別にキリスト教に入らなくてもいいから、「多神教では一神教の首尾一貫した方針に太刀打ちできん」くらいは、瞬時に理解しろよなー。ほんまに。
社会的な問題において、明確な基準値がなかったら、そら完璧に負けてしまうよ。それは論理的に至極当然な帰結やん。そのくらいは素直に受け入れてくれよ。
その「当たり前」を受け入れてから後よ、何をなすべきかとか何を考えるべきかというのは。
911以降、小林よしのりはずーっと反米とか言ってたけど、その肝心のところがわかってないんよなーとか思って距離とってた。
アメリカとイスラム圏の戦いなんてさ、価値相対主義くらいしかわからない日本人には、到底理解でけへんねんって。で、それを見てアメリカがどうとかイスラムがどうとか、言えるわけないよ。
そんなもん、日本人にはあの争いの実際の「感覚」とか肌触り自体が理解不能だって。絶対。
だからマスコミとかがイスラム側に加担したり、あるいはアメリカ側に加担したりするのを見て、僕はずーっとしらけてた。
「なんで理解できるはずもないことを、わかった気になって批判したり論評したりするんやろ。ムダムダムダ。もっと勉強しましょ。」
でしかなかった。
正直言って、一神教のガチっとした規範があって、その「規範のある社会」同士が、21世紀の情報戦をも含めて争ってるわけですよ。
そんなもん、たかがアジアの片田舎の一神教の成立、社会的規範を決めるための基準値も明確でない日本人に、その争いの本質はとうてい掴めないし理解できるわけもないのであります。
イスラム教では金利は取ってはいけないとかの明確ではっきりした規範があるだろうし、だから競争重視のアメリカ的な資本主義はイスラム圏にはなかなかなじまないのだろうし、いまのニューヨークにいてる金融を動かすような先進のユダヤ人は既存の宗教の枠を超えて自分の能力の限界まで生かすことこそが神の意思に従うことだ、くらいは考えてるだろう。
だろう。
とは書くけどね。それもまた学習してきた知識による推測でしかない。だってワシは日本人で八百万の神で育ってるねんもん、そんなイスラムとアメリカの争いの「実感」の部分までは理解でけへんよ。それこそ神様やないねんから。
そやのになんで、反米とか親米とかいえるのよ。
アホくさい。
わからないものは、じっくり観察して、より真実に近いところを暴く。
そういう態度こそが大事なんと違うんかねぇ。
そうなると、日本人には宗教、とくに一神教が、全然、まーったく、ちーとも、さーっぱりわからない存在なんだから、それをこそ、まず「学習」して理解する必要があると思うけどなぁ。
別に信心する必要はないのよ。どうせ八百万の神で育ってきたんだし、そこから離れることは、まぁできん。
逆に言うと、そういう具合に「どうしても手離せないもの」こそが自分の文化なんだから、なにもわざわざ「ワシの文化とは何か」とかも考える必要もない。身についてる感覚こそが、自国の文化なわけだし。
となるとやっぱり、外国の文化とは何かを冷静に学習することこそが、何より重要なのよ。
なんで「アメリカキライや」とか「欧米は堅苦しい」とかになるかなぁ。
それは単に「わからんから落ち着かない」だけじゃん。自分が理解していないという事実を冷静に認識できていないから、「わかっていない不安」がやたらと大きくなってるだけの話やん。
わからんことは「わからん」と言えばそれで良いのだ。
別に無理してわかる必要もないし。
でもなぁ、よしりんも相当に勉強してる人なんだけど、そういう人でもやっぱり、そういう自分の「わからん」を素直に受け入れることが出来てないんよなぁ。
で、その「わかってない不安」を「何々はキライだ」とか「反なになに」とかやるのよなー。
あほくさい。
わからんことを「わからん」とせずに、無理して無理やりな解釈をこじつけたりするから、よけい当たり前の真実が見えなくなってしまったりする。
「相対主義では明確な基準を導き出せない」なんていうのは、論理的に必然の帰結やん。これは何をどういじくっても無理なもんは無理って奴です。
なのに、それを受け入れたくないわけよ。我々は。
一神教のような明確な基準値を導入しなければ、社会規範を明確化するなんていうのは無理なの。絶対に。
そんなもの、物事を論理的に考えれば二秒でわかるやろうに。
あほくさい。
だからこそ、明治政府は一神教の代わりに現人神の天皇制などというとんでもない代替物を作ったわけやし。
欧米に留学した当時の日本人はみんなそういうところでドヒャーっと驚いて叩きのめされて帰ってきたに違いないのよ。
夏目漱石だってそうだろうし、西周だってそうだろうし島崎藤村だってそうだろうし、みんなたぶんそうなんだ。
(伊藤博文あたりはイギリスで洗脳されて帰ってきた感じがあるけど。そうでなければ天皇制をキリスト教の代わりにするとか思いつけないような気がする。日本人の発案じゃないんじゃないのか?って思うのよなー。わからんけど。)
でもなぁ、よしりんでも三年かかってるもんな。そら一般人には「八百万の神々では世界には通用しない」なんていう事実は受け入れがたいやろなー。
そら「バカの壁」がぎょーさん売れるのも当たり前やわなぁ。
何が、「一神教的な硬直した考え方に多神教的考え方を入れることが大事。」だよ。
そんなん「一メートルは100センチでも105センチでもまぁ、気持ちで変えてええよ」と言うてるのといっしょやん。話にならん。
それで通用するなら苦労はせんわい。あほ。
でもなぁ、ほんと。よしりんで三年やもんなぁ。
大変ですわ。実際。
あの、よしりんが、やっと「相対主義から脱して一神教(倫理)を希求せねばならない」と書いてた。
やっとか。遅いよ、よしりん。
そんなもん、八百万の神みたいな価値相対主義で、一神教の論理に勝てるわけないやんか。最初から勝負は見えてる。
別にキリスト教に入らなくてもいいから、「多神教では一神教の首尾一貫した方針に太刀打ちできん」くらいは、瞬時に理解しろよなー。ほんまに。
社会的な問題において、明確な基準値がなかったら、そら完璧に負けてしまうよ。それは論理的に至極当然な帰結やん。そのくらいは素直に受け入れてくれよ。
その「当たり前」を受け入れてから後よ、何をなすべきかとか何を考えるべきかというのは。
911以降、小林よしのりはずーっと反米とか言ってたけど、その肝心のところがわかってないんよなーとか思って距離とってた。
アメリカとイスラム圏の戦いなんてさ、価値相対主義くらいしかわからない日本人には、到底理解でけへんねんって。で、それを見てアメリカがどうとかイスラムがどうとか、言えるわけないよ。
そんなもん、日本人にはあの争いの実際の「感覚」とか肌触り自体が理解不能だって。絶対。
だからマスコミとかがイスラム側に加担したり、あるいはアメリカ側に加担したりするのを見て、僕はずーっとしらけてた。
「なんで理解できるはずもないことを、わかった気になって批判したり論評したりするんやろ。ムダムダムダ。もっと勉強しましょ。」
でしかなかった。
正直言って、一神教のガチっとした規範があって、その「規範のある社会」同士が、21世紀の情報戦をも含めて争ってるわけですよ。
そんなもん、たかがアジアの片田舎の一神教の成立、社会的規範を決めるための基準値も明確でない日本人に、その争いの本質はとうてい掴めないし理解できるわけもないのであります。
イスラム教では金利は取ってはいけないとかの明確ではっきりした規範があるだろうし、だから競争重視のアメリカ的な資本主義はイスラム圏にはなかなかなじまないのだろうし、いまのニューヨークにいてる金融を動かすような先進のユダヤ人は既存の宗教の枠を超えて自分の能力の限界まで生かすことこそが神の意思に従うことだ、くらいは考えてるだろう。
だろう。
とは書くけどね。それもまた学習してきた知識による推測でしかない。だってワシは日本人で八百万の神で育ってるねんもん、そんなイスラムとアメリカの争いの「実感」の部分までは理解でけへんよ。それこそ神様やないねんから。
そやのになんで、反米とか親米とかいえるのよ。
アホくさい。
わからないものは、じっくり観察して、より真実に近いところを暴く。
そういう態度こそが大事なんと違うんかねぇ。
そうなると、日本人には宗教、とくに一神教が、全然、まーったく、ちーとも、さーっぱりわからない存在なんだから、それをこそ、まず「学習」して理解する必要があると思うけどなぁ。
別に信心する必要はないのよ。どうせ八百万の神で育ってきたんだし、そこから離れることは、まぁできん。
逆に言うと、そういう具合に「どうしても手離せないもの」こそが自分の文化なんだから、なにもわざわざ「ワシの文化とは何か」とかも考える必要もない。身についてる感覚こそが、自国の文化なわけだし。
となるとやっぱり、外国の文化とは何かを冷静に学習することこそが、何より重要なのよ。
なんで「アメリカキライや」とか「欧米は堅苦しい」とかになるかなぁ。
それは単に「わからんから落ち着かない」だけじゃん。自分が理解していないという事実を冷静に認識できていないから、「わかっていない不安」がやたらと大きくなってるだけの話やん。
わからんことは「わからん」と言えばそれで良いのだ。
別に無理してわかる必要もないし。
でもなぁ、よしりんも相当に勉強してる人なんだけど、そういう人でもやっぱり、そういう自分の「わからん」を素直に受け入れることが出来てないんよなぁ。
で、その「わかってない不安」を「何々はキライだ」とか「反なになに」とかやるのよなー。
あほくさい。
わからんことを「わからん」とせずに、無理して無理やりな解釈をこじつけたりするから、よけい当たり前の真実が見えなくなってしまったりする。
「相対主義では明確な基準を導き出せない」なんていうのは、論理的に必然の帰結やん。これは何をどういじくっても無理なもんは無理って奴です。
なのに、それを受け入れたくないわけよ。我々は。
一神教のような明確な基準値を導入しなければ、社会規範を明確化するなんていうのは無理なの。絶対に。
そんなもの、物事を論理的に考えれば二秒でわかるやろうに。
あほくさい。
だからこそ、明治政府は一神教の代わりに現人神の天皇制などというとんでもない代替物を作ったわけやし。
欧米に留学した当時の日本人はみんなそういうところでドヒャーっと驚いて叩きのめされて帰ってきたに違いないのよ。
夏目漱石だってそうだろうし、西周だってそうだろうし島崎藤村だってそうだろうし、みんなたぶんそうなんだ。
(伊藤博文あたりはイギリスで洗脳されて帰ってきた感じがあるけど。そうでなければ天皇制をキリスト教の代わりにするとか思いつけないような気がする。日本人の発案じゃないんじゃないのか?って思うのよなー。わからんけど。)
でもなぁ、よしりんでも三年かかってるもんな。そら一般人には「八百万の神々では世界には通用しない」なんていう事実は受け入れがたいやろなー。
そら「バカの壁」がぎょーさん売れるのも当たり前やわなぁ。
何が、「一神教的な硬直した考え方に多神教的考え方を入れることが大事。」だよ。
そんなん「一メートルは100センチでも105センチでもまぁ、気持ちで変えてええよ」と言うてるのといっしょやん。話にならん。
それで通用するなら苦労はせんわい。あほ。
でもなぁ、ほんと。よしりんで三年やもんなぁ。
大変ですわ。実際。
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