ということで、待ちに待ったスパイダーマン2を彼女と一緒に見に行く。
えー一作目の完成度を見て、監督のサム・ライミが、いかにスパイダーマンのことを熟知していて、愛しているかがよーくわかっていたので、掛け値なしに絶対期待通り間違いなしと思って見に行きました。
で、やっぱり思ったとおりでした。マル。終わり。
ということでしかないねんけどなー。別に書くこともないけどなー。いいよーこれは。スパイダーマンファンにも納得よー。
あー、でもスパイダーマンファンだし、いろいろ書かないとまずいよなー。
うん、スパイダーマンではなく、ヒロインのMJのことについて
書こう。(ここから後は、映画を未見の人には思い切りネタバレなので、読まないように。)
---------------------(ネタバレ注意)----------------------
スパイダーマンにおいては、メリージェーン=MJというのは非常に重要な存在なんです。アメリカではMJの人気があるからこそ、スパイダーマンは受け入れられているのではないかと言われるくらいに重要なんですな。
なんでかというと、MJはスパイダーマンの嫁さんであり、実収入としては「新聞社デイリービューグルに事件写真を売るだけ」の能力しかないスパイダーマン=ピーター・パーカーを、影で支える素晴らしい女だからなのですよ。
ニューヨークの平和を影で支える重要キャラクター、なんです。MJは。
なんせ世界レベルのトップモデルですから。有名人なんよなー。ものすごく稼いでる。
この嫁さんがいてはじめて、スパイダーマンの正義の鉄拳は安定感を持ってふるわれるのですよ。ニューヨークはMJでもっている。そういう構造になっとるのです。
で、この構造が、実は「普通の人間がヒーローとしての責任を背負ってしまった物語」であるスパイダーマンの物語世界をうまく成立させてるんですね。
「嫁さんより稼げない」
「でも正義は通す」
「俺だけでは何かと生活が大変だ」
「でも悪漢とは戦わねばならず、気苦労が絶えない」
という、スーパーヒーローとは思えない「人間的葛藤」を描くことを可能にしてるんですな。そここそがスパイダーマンの魅力なんです。
ここは大事なポイントなんだよねー。
スーパーマンは「高いビルでもひとっ飛び」なので、人間の生活を飛び越えて完全にヒーロー対悪漢の物語にしかならないのだけれど、スパイダーマンはビルの谷間をクモの糸でぶら下がり移動をするだけ。だからつねに人間の生活とともに物語が進んでいく。
これなんですよ、良いのは。
こここそがスパイダーマンの魅力。
(人と人の間にいるスパイダーマンらしいベストオブベストの原作が日本語化されていたのでリンクしときます。)
http://ameque.cool.ne.jp/marvel/spider-man/translation/spmkwcs01.htm
そして、スパイダーマンのマスクはカッコ良さをアピールするためのものというよりかは、「悪漢と戦うという、社会的活動の軋轢から、個人の生活を守るためのどうしても必要な仮面」という意味合いが深くなるのです。
今回ね、ここがもう、徹底的に描かれていた。
やりすぎ違うん?
というくらいキチンと描かれていた。
いいよなー。ほんと。
もう本当に今回びっくりするくらい仮面を取ったピーターパーカーが戦うシーンが多いのよなー。
いやー、ほんと素晴らしい。
電車の中で一般市民にピーターが助けられるシーンなんて、もう涙ぽろぽろでしたよ。
これこそ、スパイダーマンよなー。
わかってるんよなー、サム・ライミ。ほんとに。
やるよなー。
映画では、そういう「市民がスパイダーマンを守る」という姿が描かれているけれども、これは映画ではそういう形で描かないと市民としてのスパイダーマンというのが伝わらないからで、コミックの方では、その市民代表をMJが担っているというのがあるわけですよ。
だから、MJは大事。絶対に外せないキャラクターなんですね。
(本当はこれにメイおばさんも加わるんだけど、長くなるので割愛。)
とくに、コミック版ではグエン・ステーシーという、MJの前にピーターがつきあっていた、金髪で可愛らしい、家庭の主婦におさまるようなタイプのヒロインヒロインした彼女がいてたんだけど、映画版ではグエンは登場しないんですね。
コミックスではグエンは前作にも出てきたグリーン・ゴブリンに殺されるんですよ。あの橋の上の戦いで。スパイダーマン1に出てきた橋の上の戦いというのは、まさに「グエンが死んだ場所」なわけで、このあたりは原作を知っている人にはたまらなかったんです。
で、殺されたグエンの代わりに、あの橋の上にMJを連れてきた。
原作ではグエンとMJは親友で、グエンが死んで沈んでいるピーターをMJがなぐさめて元気付けるというのがあるわけなんですけどな。まぁ映画ではそこまでやってられないから、グエンとMJを混ぜちゃった。
そういう意味で、原作よりはちょっと軽めの女に描かれてしまってるキライはあるんですけど、でもまぁ、いやみにならないくらいには上手くキャラクター作ってくれてます。映画版のMJもなかなか魅力的ではあるですよ。唯一一度だけ経験したスパイダーマンとのキスを頼りに「ピーターがスパイダーマンなのでは?」と自分から確かめに出かけたりするし。
で、です。
この「本当はスパイダーマンである」ピーターの真実を知っているMJは、ピーターのことを「タイガー」と呼ぶのです。理由は“ちっとも虎らしくないから”ということになってますが、まぁ、ストーリー的には、本当はトラのように強い男だと知ってるからでしょうな。
だから「ねぇ、タイガー。私は思うの。」とか、しょっちゅう言ってる。
で、今回、この「タイガー」という呼び方がラストシーンを飾りましたね。
いやー良かった。
字幕ではパトカーの音が鳴り響くニューヨークに、「やっつけちゃってよ」とピーターを送り出すだけにしかなってませんが、ちゃんとあそこで「タイガー」って言ってるんよなー。
いやー、いいわ。
本当にいい。
でまぁ、MJがピーターの嫁さんになるのは知ってたから、彼女と一緒に見に行ったんですがね。悲恋ものとかだとしらけちゃうし。
ということで、大好きな映画でありました。
えー一作目の完成度を見て、監督のサム・ライミが、いかにスパイダーマンのことを熟知していて、愛しているかがよーくわかっていたので、掛け値なしに絶対期待通り間違いなしと思って見に行きました。
で、やっぱり思ったとおりでした。マル。終わり。
ということでしかないねんけどなー。別に書くこともないけどなー。いいよーこれは。スパイダーマンファンにも納得よー。
あー、でもスパイダーマンファンだし、いろいろ書かないとまずいよなー。
うん、スパイダーマンではなく、ヒロインのMJのことについて
書こう。(ここから後は、映画を未見の人には思い切りネタバレなので、読まないように。)
---------------------(ネタバレ注意)----------------------
スパイダーマンにおいては、メリージェーン=MJというのは非常に重要な存在なんです。アメリカではMJの人気があるからこそ、スパイダーマンは受け入れられているのではないかと言われるくらいに重要なんですな。
なんでかというと、MJはスパイダーマンの嫁さんであり、実収入としては「新聞社デイリービューグルに事件写真を売るだけ」の能力しかないスパイダーマン=ピーター・パーカーを、影で支える素晴らしい女だからなのですよ。
ニューヨークの平和を影で支える重要キャラクター、なんです。MJは。
なんせ世界レベルのトップモデルですから。有名人なんよなー。ものすごく稼いでる。
この嫁さんがいてはじめて、スパイダーマンの正義の鉄拳は安定感を持ってふるわれるのですよ。ニューヨークはMJでもっている。そういう構造になっとるのです。
で、この構造が、実は「普通の人間がヒーローとしての責任を背負ってしまった物語」であるスパイダーマンの物語世界をうまく成立させてるんですね。
「嫁さんより稼げない」
「でも正義は通す」
「俺だけでは何かと生活が大変だ」
「でも悪漢とは戦わねばならず、気苦労が絶えない」
という、スーパーヒーローとは思えない「人間的葛藤」を描くことを可能にしてるんですな。そここそがスパイダーマンの魅力なんです。
ここは大事なポイントなんだよねー。
スーパーマンは「高いビルでもひとっ飛び」なので、人間の生活を飛び越えて完全にヒーロー対悪漢の物語にしかならないのだけれど、スパイダーマンはビルの谷間をクモの糸でぶら下がり移動をするだけ。だからつねに人間の生活とともに物語が進んでいく。
これなんですよ、良いのは。
こここそがスパイダーマンの魅力。
(人と人の間にいるスパイダーマンらしいベストオブベストの原作が日本語化されていたのでリンクしときます。)
http://ameque.cool.ne.jp/marvel/spider-man/translation/spmkwcs01.htm
そして、スパイダーマンのマスクはカッコ良さをアピールするためのものというよりかは、「悪漢と戦うという、社会的活動の軋轢から、個人の生活を守るためのどうしても必要な仮面」という意味合いが深くなるのです。
今回ね、ここがもう、徹底的に描かれていた。
やりすぎ違うん?
というくらいキチンと描かれていた。
いいよなー。ほんと。
もう本当に今回びっくりするくらい仮面を取ったピーターパーカーが戦うシーンが多いのよなー。
いやー、ほんと素晴らしい。
電車の中で一般市民にピーターが助けられるシーンなんて、もう涙ぽろぽろでしたよ。
これこそ、スパイダーマンよなー。
わかってるんよなー、サム・ライミ。ほんとに。
やるよなー。
映画では、そういう「市民がスパイダーマンを守る」という姿が描かれているけれども、これは映画ではそういう形で描かないと市民としてのスパイダーマンというのが伝わらないからで、コミックの方では、その市民代表をMJが担っているというのがあるわけですよ。
だから、MJは大事。絶対に外せないキャラクターなんですね。
(本当はこれにメイおばさんも加わるんだけど、長くなるので割愛。)
とくに、コミック版ではグエン・ステーシーという、MJの前にピーターがつきあっていた、金髪で可愛らしい、家庭の主婦におさまるようなタイプのヒロインヒロインした彼女がいてたんだけど、映画版ではグエンは登場しないんですね。
コミックスではグエンは前作にも出てきたグリーン・ゴブリンに殺されるんですよ。あの橋の上の戦いで。スパイダーマン1に出てきた橋の上の戦いというのは、まさに「グエンが死んだ場所」なわけで、このあたりは原作を知っている人にはたまらなかったんです。
で、殺されたグエンの代わりに、あの橋の上にMJを連れてきた。
原作ではグエンとMJは親友で、グエンが死んで沈んでいるピーターをMJがなぐさめて元気付けるというのがあるわけなんですけどな。まぁ映画ではそこまでやってられないから、グエンとMJを混ぜちゃった。
そういう意味で、原作よりはちょっと軽めの女に描かれてしまってるキライはあるんですけど、でもまぁ、いやみにならないくらいには上手くキャラクター作ってくれてます。映画版のMJもなかなか魅力的ではあるですよ。唯一一度だけ経験したスパイダーマンとのキスを頼りに「ピーターがスパイダーマンなのでは?」と自分から確かめに出かけたりするし。
で、です。
この「本当はスパイダーマンである」ピーターの真実を知っているMJは、ピーターのことを「タイガー」と呼ぶのです。理由は“ちっとも虎らしくないから”ということになってますが、まぁ、ストーリー的には、本当はトラのように強い男だと知ってるからでしょうな。
だから「ねぇ、タイガー。私は思うの。」とか、しょっちゅう言ってる。
で、今回、この「タイガー」という呼び方がラストシーンを飾りましたね。
いやー良かった。
字幕ではパトカーの音が鳴り響くニューヨークに、「やっつけちゃってよ」とピーターを送り出すだけにしかなってませんが、ちゃんとあそこで「タイガー」って言ってるんよなー。
いやー、いいわ。
本当にいい。
でまぁ、MJがピーターの嫁さんになるのは知ってたから、彼女と一緒に見に行ったんですがね。悲恋ものとかだとしらけちゃうし。
ということで、大好きな映画でありました。
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