じゃ、なぜ、理解されにくいのに書こうとするのか、というと、それはやっぱり、その「身体感覚」みたいなものを、客観視できなくて苦しんでる人が多いからですね。

これに尽きます。

たとえば欧米の文化は日本の文化とは根本的に異なるから、その本質は「生理的嫌悪」を感じてもおかしくないくらいに違うわけです。

日本人の身体感覚で欧米の文化を受け止めるから、肉体的なルール感覚まで引き裂かれて、イライラしたり、ストレスになってしまっている人というのが、実に多いんです。

その実例としては、この10年のおよぶ不況下での自殺者の増加です。不況になる前は年間1万人だった自殺者が、不況移行3万人に増えています。とくに中年男性の自殺が多い。

これが心に痛くてしかたないのです。

死ぬこたぁないねん。死ぬな。そこまでせんでもええんや。

そう言いたくなります。

いろいろな自殺者がいてるから一概には言えませんが、胸が痛んだ代表例では、中小企業の社長たち三名が揃ってホテルで自殺したという話でした。
会社がつぶれたら、社員が路頭に迷う。取引先にも迷惑がかかる。だから自分たちが死んだら保険がでるから、それでなんとかしてやろうという決意の自殺でした。

もうね、この話ね。たまらんのよ。
そこまでする必要なんかないって。
でも、してしまうのはなぜ?

人として優しいというのもあるかも知れないし、いや自殺するなんて、その人間が弱いだけだと強く叱る人もいてると思うけど、どっちの意見もどうでもいいんです。

それ以前に、「社員達のために」という痛ましいくらいの帰属社会優先意識があるわけです。自己を滅してまでも「ヒトのため」になんとかしようとしてる。それが身体感覚として当然になってる。

んー、でもね、経済状態の悪化とかは、人間個人がどうのこうのできる事柄じゃない。台風が来て止められないのと一緒。それこそ「神の意志だ」とさっさとあきらめて「俺には責任ないもんね」と思う方が良いのです。

社員のためとか、帰属意識を出す前に、一個の個人として自分優先でいいんです。でも、日本の中小企業の社長族は、ここを割り切れない。欧米のように個人と神が契約する仕組み(タテの関係)がまったくなく、八百万の神々で、人と人のつながり(ヨコの関係)の概念だけしかないから、どうしても割り切れない。他人の目が気になる。社員を養えない自分が許せなくなる。

悲惨です。
あまりに悲惨だと思う。

これも、もともと日本の文化とは関係ない「資本主義」を、表面だけしか学べずに、実践としての「経営」に手を出しているから、内面の葛藤がグシャグシャになって起こっていることなんですね。

訳がわからないから、精神的にまいって、それで自殺してしまったとしか、僕には思えない。だから、「資本主義なんてよその国で生まれたものだし」と軽く、距離感を持って見て欲しいなと、強く思うのです。これをむりやり日本人的感覚で理解するから整理がつかなくなってしまうんだろうなと。

そういう混乱を整理するために、欧米の思想や学問は「よその国のこと」として客観的に正確に学ばなければなりません。正直言って、欧米の宗教の概論もわかってない人間には、資本主義なんて正しく理解することすら不可能なんです。

だから学んで欲しいと、強く思う。
苦しんでるのは、単に知識不足なだけだよ、と。
自分勝手な思い込みで、自分を追い込んだり、怒ったりしても、それは自分が損をするだけだよと。

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