なんちゅうか、ずっと壁を感じてたんだけど、こんなもの、あれよね、精神的な内圧とかに頼っていて壁を越えられるわけがないのよね。

だって、苦手があるとか、うまくいかないとか、そういうのが精神的苦痛になってるわけだけど、その精神的苦痛こそが壁を越えられない原因なんだしさ。

こけるのが怖いと思っていて自転車に乗れない人間が、「私は怖がってるからいけない」といくら考えても、そら自転車には乗れない。

原因を明確にしてもしゃーないのよなー、この場合は。それよりかは補助輪をつけた自転車で走ってみるとか、逆に補助輪を外してみるとか、あるいは「自転車には乗らなくてもいい」とか、他の方法を考えないと。

原因ではなく目的を考える。これ、アドラー心理学の考え方ですけど、このアプローチがあったからこそ認知心理学とかが成立したんだろうしねぇ。けっこう大事な気がする。

もう内面心理のトラウマとかは、ほったらかしにしておこう。もうわかった。だいたい。それはそれである。あるものはある。それでいい。単に個性のひとつだ。そこをいじっても何も出て来ない。

で、いまはちょっとウクレレが楽しい。
ここにあるのは「技能」の世界なのだ。
積み重ねれば積み重ねた分だけ確実に進歩がある。その進歩こそが安心感になったり、自分に対する信頼になったり、ひいては自信になったりする。
とても気持ちいいし、心がやすらぐ。

「技能」というのは良い。内面的なかかずりあいとかがない。やったらやっただけだから。
堂堂巡りすることも少ないし、気持ちが沈んでしまうということもない。
まぁたとえば難しいフレーズにぶつかって「くっそー、うまいこといかへんやんけ」というような気持ちにはなるけれども、それもまぁ、指を動かしてればとりあえずは乗り越えられる。

ここなんよなぁ、乗り越えられるのよ。実際に。現実的に。その小さな「乗り越え」が楽しい。
「くそっ」と思って「乗り越え」がある。
やってることは、ほんとうに小さな小さなワンフレーズのことなんだけどねぇ。
でも逆に弾けば弾くほど「乗り越えていけるよ」という感覚が強くなっていく。

いいよなー、ウクレレ。
いやまぁ、なんだっていいんだろうけど。囲碁でも俳句でもエアロビクスでもお習字でも。
とにかく習い事というか技能の必要なことを積み重ねるっていう感覚。
これは救いになるよなー。
そんなこと、考えたこともなかったけど。
いやー、大事だわ、この感覚。

悩みとか落ち込みとか、全部こういう「技能」とかに置き換えたくなるね。いやほんとに。

コメント

お気に入り日記の更新

最新のコメント

日記内を検索