劇画ヒットラー

2001年9月22日
今回のテロのこともあって、「戦争がはじまるということ」に関しての再確認のために、水木しげる著の「劇画ヒットラー」(ちくま文庫¥520)を購入して読んでみた。

知ってる人は知ってるけれども、水木しげるさんは先の戦争の時に東南アジアまで出征されて、右手を失い、帰ってきてから左手でマンガを描いて、「ゲゲゲの鬼太郎」などのヒット作を生み出した方である。

ということで、この人がヒットラーをどう描いているのかというのが、とても気になったのだけれど、やっぱりというかなんというか、実に冷静に「人間ヒットラー」というものを見つめているんですなぁ。

ヒットラー個人を見れば、ある種の異常天才というようなところがあるんだけれど、その異常さ、天才さだけでは、あそこまでひどい世界大戦にはならなかったのかも知れない。世界がああして戦争の渦に巻き込まれていったのは、さまざまな要素はあるものの、やはり環境がそうなるように転がったとしか言えない部分が多いのだなぁとあらためて思う。

ラインラント侵攻にフランスが出兵してヒットラーを叩いていれば、というのは、確かにそれは良くわかる。ラインラントの時のヒットラーなんて、本当に軍備も弱かったんだ。でもフランスもイギリスも第一次大戦で戦争はコリゴリだったんだよね。本当に大衆は平和に日々を過ごしていたかっただけなんだよね。それもまたよくわかる。

そんなこんなを思いつつも、それでもやっぱり「歴史にifはないか。」とも思う。それは環境が複雑にからみあっての出来事であり、誰に責任があるのでもないとも思う。むずかしいね、ほんとに。

ともあれ、「劇画ヒットラー」においてユダヤ人虐殺の話題は、たった一コマ、それも最後から4コマ目に1カット描かれただけだった。

このあたり、さすがは水木さんだと感心しました。戦争を「家族を失う悲しみ」などで捉えてしまうと、感情に流されて本質を見誤ってしまうということを冷徹に自覚されているのだと思う。

ほかの人だと、こうはいかないよなぁ。すごい。

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